第二章 第二節 雨のち晴れ、そののち曇り
深夜の警戒待機室。
ビー!ビー!と警報音が鳴り響く。
出動のサイレンではない。
窓の外は夜間照明が眩しく、人の流れが慌ただしくなる。
読んでいた本をパタッと閉じ、水野先輩を見る。
「なんの警報ですか?」
「…空間崩壊が起きたんだろう。モニターを見ろ」
ソファで寝ていた葉山先輩が起き上がる。
「なんだよ…。人が寝てんのに」
“本日23時50分頃。福岡県北九州市小倉北区、空間崩壊が発生。被害状況は現在確認中。”
モニターには只ならぬ文字。
寝ぼけ気味の葉山先輩が目を見開く。
「まじかよ」
「九州の小倉…。出撃範囲の向こうですね」
九州の地名には疎い。
人口の多い都市だったように思う。
被害が大きくないといいのだが。
水野先輩は静かにモニターを見つめている。
「…これは、荒れるな」
橘先輩が、窓に滴る水滴を見ながら呟く。
雨の降る中、東の空がぼんやりと青くなる。
夜が明けようとしている。
コッコッ
ドアをノックする音がしたかと思えば、ガチャと開かれる。
「失礼するよ」
他の軍人とは違う、白いスーツのような服装の中年男性。
珍しい階級章をつけている。
偉い人のようだ。
私は、立ち上がって敬礼する。
ゆっくりと水野先輩も立ち上がって、静かに敬礼。
葉山先輩も面倒くさそうに起き上がる。
陸佐は部屋をなぞるように見渡したあと、私の方を見る。
帽子の唾を掴んで、軽い会釈。
「有瀬ハルカ君だね。初めまして。西日本方面Z.A.Λ.対策室、室長の二藤と言います」
そういって、私に敬礼をやめるよう片手で合図する。
「礼儀のいい部下が出来たようだな、橘」
橘先輩は椅子に座ったまま、窓の外を見ている。
窓の反射越しに、陸佐を見ているのかもしれない。
「何の用件だ。二藤さん」
「九州方面の特別対応隊を再編することになってね。ここからも人員を派遣することになった」
「…九州の適合者は全滅したか」
「ああ…。育成施設上がりだけでは、即時の対応は難しいだろう」
「誰を連れていくつもりだ」
「2戦以上の実戦経験者を二名と来ていてな。葉山君と有瀬君をと考えている」
「…そうかい」
不機嫌そうな橘先輩。
「0900に此処を発つ。準備を頼むよ」
私と葉山先輩を見たあと、陸佐は部屋を後にした。
橘先輩は窓の外を見つめたまま。
ポリポリと葉山先輩が頭をかく。
ちゅんちゅんと雀たちが、雨が止んだことを知らせてくれる。
窓から差し込む光が、床を白く照らしている。
ボストンバッグに、着替えを詰めていく。
母と過ごした場所が、また離れていく。
バタバタとした足音。
ミナモが私の部屋に飛び込んでくる。
「ハルカちゃん! 行っちゃうの!?」
騒がしいミナモの姿。
喉の奥がキュっとなる。
「…そうみたい。でも今回は仮再編で、今後どうなるかは…」
「せっかくまた会えたのにー…」
「向こうから連絡できるかな? 手紙書くね。届くかわからないけど」
「…うん。そうだ、これあげる」
そういって、ミナモが売店の袋をくれる。
ガサっと中を見ると、迷彩服を着た熊のぬいぐるみ。
「……。これは?」
「ハルカちゃんに何かあげたくて、でも売店にコレしかなかったから…」
取り出してみると、顔の真ん中に大きな鼻。
ちょっとヘンテコな顔をした熊。
「ありがとう。大切にするね」
「うん!」
ヘンテコな熊のぬいぐるみを、ボストンバッグにそっと入れる。
私はいつも流されて、どこかへ連れていかれる。
何度こうして、自分の居場所を手放してしまったのだろう。
不細工な熊がこっちを見つめている。
濡れた滑走路に、太ったツバメのような水色の輸送機が停まっている。
もうすぐ、ここを飛び立つのだな。
そう思いながら、眩しく照らされる輸送機を眺める。
「有瀬」
「橘先輩…。行ってきます」
「ああ…」
橘先輩が、輸送機の方へ目をそらす。
「…今回の空間崩壊な、国内の都市部で起きたのは2年ぶりだ。こういうときは、俺たち高濃度汚染者への風当たりがきつくなる。軍内でもいい思いをしない奴らもいるからな」
「…どういうことですか?」
「やつあたりだ。高濃度汚染者は、かぐや姫に選ばれし民。そんな風に言う奴もいる。崩壊で家族を失った奴らの向かう矛先など、目に見える方にしか向かない。気をつけておけ」
「…はい。わかりました」
誘導員が輸送機に乗り込むように急かす。
橘先輩に会釈し、速足で駆けていく。
日差しの眩しい、朝の九時。
私たちは九州へ飛び立つ。
窓の外に白い雲が流れる。
隣に座る葉山先輩は、イヤホンをつけて窓の外を見ている。
そういえば葉山先輩とは、あまり話したことがない。
話しかけてみようかと思ったが、
イヤホンが無言の圧力を放っているようだ。
手持無沙汰で、親指の爪をこするように、スリスリとする。
「何ソワソワしてんだよ」
急に話しかけられて、肩がピクっとする。
「いえ、何も…」
「心配すんな。かぐや姫は、国内じゃ年十数回、出るか出ないか。直ぐには来ねーよ」
「あの…、何を聞いていたんですか?」
「ん?」
「…イヤホンです」
「あーこれな。昔好きだった曲。連れてこられるときに持ってきた」
音楽が入っているであろう、小さいタブレットをチラっと見せる。
「有瀬は好きな曲とかあるか?」
「私はそういうものに興味を持つ前に収容されたので…」
「ふーん。聴いてみるか?」
「…はい」
イヤホンの片方を渡されて、耳に入れる。
“Don’t you know that I want to be more than just you friend.
Holdin’ hands is fine, but I’ve got better things on my mind―”
綺麗な歌声。
外を眺める葉山先輩はどこか寂しげだ。
私と葉山先輩を乗せた、まるっこい鳥の影が雲の上を滑っていく。
キィー―
淀んだ雲の中を突き抜け、輸送機が着陸する。
後部のハッチが開き、外へと案内される。
雨がパラパラと頬にあたる。
「ウェルカム!ようこそ九州へ!こっちだ!」
筋肉質の大きい男性が、雨を弾くように強く手を振っている。
「なんだ?」
「案内してくれそうですね。行きましょうか」
荷物を背負って、筋肉質の男性に近づく。
私たちが目の前に来ると、ビシッと敬礼する。
「東日本方面Z.A.Λ.対策室、特別対応隊。宮野コウジです! 九州方面再建まで臨時隊長を務めます」
「西日本方面、有瀬ハルカです」
「葉山ショウだ」
私たちは宮野さんに敬礼する。
「長旅大変だったね。歓迎するよ」
「ありがとうございます。宮野さんは前からこちらに?」
「いや、数時間前だよ。どうして?」
「あ、いえ…。ウェルカムと言っていたので。失礼しました」
「気分を上げていかないとね! 仮にも、命を預けあう中だからね!」
「…そうでしたか」
テンションの高い宮野さんに圧倒されてしまう。
それに反して、葉山先輩は少し冷めたような態度。
「育成施設から本日中に、一人配属されるようだよ! 今日は懇親会といこう!」
「え、ええ」
水野先輩にミナモが乗り移ったら、こんな感じかもしれないな。
ぼんやりと二人の顔を思い浮かべる。
「九州方面Z.A.Λ.対策室、室付の吉川と言います。室長は各所への対応に追われていますので、ご挨拶できず申し訳ありません」
見るからに頭の良さそうな綺麗な女性。
眼鏡をかけていて、無表情。
その隣には、私たちと同じ服を着た男の子がいる。
「宮野、葉山、有瀬! 本日付けで九州方面、特別対応隊に仮配属となります!」
ビシッと吉川に敬礼する宮野。
つられて私たちも敬礼する。
「紹介します。ご挨拶を」
吉川が手の平を、横に立つ男の子に向ける。
「加藤ユーキです…」
まだ中学生ぐらいに見える。
背の高さは、私と同じぐらいか、少し小さいか。
暗い表情が気になる。
「早速で申し訳ないですが、有事の状況です。速やかに基地の把握をお願いします。
緊急出撃の対応については、各自資料に目を通しておいてください。それでは」
一礼して吉川さんは去っていく。
少しでこぼこ気味な四人が、警戒室に取り残される。
「…。さあ、早速整理に取り掛かろうか! まずは基地の把握からだな! みんなで探検と行こうか!」
「…いや、いーや。マニュアルに目を通す。どうせ出撃んときは嫌でも、連れてかれるだろ」
葉山先輩はソファーに寝転がる。
「そ、そうか…ユーキ! ユーキはどうだ? おじさんと一緒に見て回らないか?」
「…遠慮しておきます」
加藤君は小さいタブレットを、ポチポチと触っている。
「あ、有瀬は…」
「え、あ、はい。お願いします…」
私は葉山先輩と加藤君を、交互に見ながらオロオロとする。
「そうか! よし! では行こう!」
警戒室を出ると、雨に打たれる“白いアヴァロン”を見つける。
かぐや姫が出れば、今度はあれに乗っていくことになるのだろう。
「ここのアヴァロンは白いんだな! 関東のは濃い灰色だった!」
相変わらず声の大きい宮野さん。
「…宮野さんは明るい方ですね」
「ん? そうかな?」
「適合者に選ばれてから、宮野さんのような明るい人は、あまり見ていません。
私の数少ない友人、一人ぐらいです。先輩達は、不愛想な人が多かったので」
宮野さんは私の顔色を伺うように見たあと、
パラパラと降り続ける雨を眺める。
「わかるよ。適合者はみんな不愛想になっていくからね。少なくとも、高濃度汚染者とされた人は、何かしら傷を抱えている人が多いだろう?」
「…はい」
パラパラと降る雨がライトに照らされて、キラキラと光る。
「社会から爪はじきにされて、管理されて、今までの生活を捨てるように言われる。
挙句の果てに、育成施設に送られては、Λ粒子の適合者だのなんだのと、首輪までつけられてね」
宮野さんを見る。
私と同じように、首にチョーカーが巻かれている。
「僕たちは何か悪いことでもしたのかな?」
「そんなことは…、ないと思います」
私は空気の重さを感じながら、左手のブレスレットを指でなぞる。
「僕がいたチームの状況は最悪でね。世の中を恨んでいたり、人生に絶望している人もいたりね。挙句の果てには、かぐや姫を前にして、戦わない人もいたよ。
こんな世界、消えて無くなれってね」
「…」
「そうやって何人も死んでいったよ。僕には何もできなかった」
「…」
「だからね。昨晩この話が来たときは、次の場所では何とかしないといけないと思ってね。から回ってしまったかな?」
宮野さんが苦笑いしながら、こちらを見る。
「少し…、から回っていたように見えたかもしれません」
「そうか、やりすぎてしまったな。すまない」
「そんなこと、ありません」
ふうと大きく息を吐く宮野さん。
「チームメイトが死ぬのは御免でね。僕だって、まだ死にたくない。有瀬さんも、死にたくないって思うだろ?」
宮野さんが悲しそうな目で私を見る。
「…」
返事に迷う。
私は死にたくないと、思っているのだろうか。
10年前のあの日、何もかもを失ったと思った。
あれから私のもとに、失ったものは帰ってきたのだろうか。
“親愛なるミナモへ”
お元気ですか。
九州で出会った人達も、たくさん傷を抱えているようです。
みんな、失った人のことを考えているのかもしれません。
私はせめて、この手紙を書いている間だけでも、
生きている人のことを考えるようにしています。
熊のぬいぐるみ、ありがとね。
また会いたいな。
※ありがとうございました。
ブックマーク、ポイントを付けて頂けると励みになります。
よろしくお願いします。