悪魔の思い
黒い光を放出した悪魔本人もその勢いに耐えることができずさらに奥へと飛ばされ大の字になって寝転がっていた。
「はぁはぁ……勝った」
悪魔は勝利を確信し一人ぽつりと呟いた。体はぼろぼろで呼吸も荒れ荒れ。しかし、体を動かすことができずともその表情は晴れやかなものであった。
悪魔は自分自身が誇らしい気持ちになった。このような最悪な状態でも勝てたのだと。このギリギリの闘いを制した者は自分なのだと。悪魔は動けない体を地面に寝かせながら、勝利の余韻に浸っていた。
その時、悪魔の横から聞きなれない音がした。嫌な予感がして困惑した表情を浮かべながら、顔だけを音のする方向に向けた。
そこには焼け焦げた一本道の上に白色の盾が浮かんでいた。白色の盾はひび割れており、しばらくするとその盾は音を立て砕け散った。砕けた盾の奥から現れたのは片膝を付き、片腕を前に伸ばしながら息を切らしている空の姿であった。
悪魔は五体満足で黒い光の攻撃を浴びていない人間の姿を見ると、怒り、焦り、悲しみ、戸惑いなど様々な感情が入り混じった複雑な表情をその顔に浮かべた。
「てめぇ‼ なんで……どうやって⁉」
悪魔は空を睨みながら悔しさ・憎しみ・焦り・悲しみ、そのどれとも取れる悲痛な声を上げた。その声はカスカスで泣くのを我慢しているようであった。声量もぎりぎり空に聞こえるほどの大きさであった。
空は悪魔が黒い光を放ったあの時、悪魔の口に黒い光が集まっているのを見たあの瞬間、二つのことを一瞬で行った。
一つは悪魔が扱う黒い光の分析である。空はあれが悪魔の持つエネルギーを外に放出し、攻撃の手段とするものと無意識に悟った。空は悪魔の放出するあのエネルギーの束をその身に受ければ、自身がただでは済まないことをも悟った。
そして、空が行ったもう一つは自身の持つエネルギーの応用である。悪魔がエネルギーを外に放出することを予測した空は、天使の力も外に出せると推測した。空はすぐさま片腕を伸ばして実行に移した。自身の体内を駆け巡る天使のエネルギーを手のひらの前に流し込むイメージを思い描いたままに実行すると、見事に外に出すことができた。
空はそのエネルギーを、自身を守る盾として活用した。すると光のエネルギーは空を守る白い盾の姿へと変貌したのだ。
「すごい、すごいよ空‼ まさか、あんなものさえ防いじゃうなんて!」
リギラは今日一番の歓声を上げた。リギラは土壇場で分析する冷静さと、実際に発想を現実で可能とした空の才能に興奮していた。また、興奮すると同時に、空の才能を見て喜んだ。
空は悪魔の超強力な攻撃を防いだ後であっても表情・心模様が変わることはなかった。しかし、体の方はリギラの気持ちや自身の表情・心模様とは反対に悲鳴を上げていた。
悪魔の方に顔を向けるのも厳しい。呼吸はひどく荒れ、立つことさえままならない状態であった。
空は先ほど盾を展開した結果、立てなくなるほどに体中のエネルギーを絞り出し、体に回す分のエネルギーも使い切ったのだ。白い盾が崩れると、片腕を下ろして肩で息をすることしかできなかった。
「そ、空、大丈夫?」
空の状態に気づいてリギラの興奮は収まり、リギラは再び心配そうに声を掛けた。
空はリギラの言葉に返答できなかった。空が答えないのはいつものこと。しかし、リギラの目には空が答えないのではなく、答えられないように見えた。それほどまでに衰弱しているように見えたのだ。
「これも凌ぐのかよ」
心配するリギラを他所に、悪魔は悔しそうに小さく呟いた。その声は今にも泣きそうである。空から受けたダメージは少ないながらも、悪魔もまた空同様に立つことさえできないほどに消耗していた。
お互いに動けない状況、どちらも肩で息を切らし相手の様子を伺うことしかできなかった。
しかし、この場に存在し唯一動ける者がいた。その者は空に力を貸し与え、この戦いをずっと見守っていた存在、リギラである。
リギラは空の中から飛び出し悪魔に止めを刺すことができた。しかし、今の空の状態で空のもとを離れ、天使のエネルギー供給を遮断することは空を見殺しにすることと同義であることにリギラは気づいていた。
リギラはこの状況を打破する方法を考えていた。そして、自身の頭の中で考えを整理すると、悪魔に鎌を掛けることを決意した。空の中で深く深呼吸をして、緊張した顔つきで悪魔の顔を見据えて作戦を実行に移した。
「き、聞こえてるか、悪魔‼」
最初に放たれたリギラの第一声は、緊張で震えており、その声も少し上ずっていた。
悪魔はリギラの声を聞いて、倒れて動かない体をそのままに、ゆっくりと顔だけをリギラの方へと向けた。リギラと悪魔は目を合わせる。悪魔がこちらの様子を見ていることに気が付くと、内心穏やかではなかった。先ほどの声色で計画がバレるとまずいと思ったが、ここでやめると不審がられると思い、声色を少し微調整して話を続けた。
「お前、動けないほどボロボロなんだろう? それはこっちも同じだ。でも、お前も悪魔なら知っているだろう。天使のエネルギーの特性について」
リギラは相手に見せびらかすようなでかい態度で話し、噛まずに言えたことをひとまず安心した。悪魔は空のようにリギラに反応を示さず、黙ってリギラの話を聞いていた。リギラは悪魔が何の反応も示さないことを確認すると、さらに話を続けた。
「それに見ただろう、空の潜在能力を。最初こそ防戦一方で押されていたけど、途中で見る見る成長して今のお前と渡り合うくらいには強くなった。これからも空はどんどん成長していくぞ」
リギラはさらに鎌を掛けようと空の将来的な見込みを悪魔に誇示した。我ながら見事な演技に騙されたに違いないと思った。リギラは悪魔の方をちらりと見ると、悪魔は顔色一つ変えずリギラのことをじっと見ていた。じっと自分の方を見つめる悪魔を見て、何の反応も示さないことに対して、嘘を見抜かれたと思い焦りが生じた。焦ったリギラはこれ以上ボロを出さないように、言葉を省略して言いたいことだけを言おうという結論に至った。
「だ、だから……えっと、その……あ、諦めておとなしく降参しロー!」
リギラの発した最後の言葉は、片言みたいな話し方になっていた。しかし、頭を使って鎌を掛けようとしていた先ほどの発言より、今の感情に任せた発言の方が、リギラらしさが滲み出ていた。取り敢えずは言い切ったことに満足して一息ついた。空はリギラの言葉に終始反応を示さなかった。
しかし、天使の鎌掛けにこれまで全く反応を示さなかった悪魔が、感性も引っ掛けも感じられない天使の最後の一言にだけ反応した。
(諦める……?)
「諦める」、この単語を聞いて悪魔はこの戦いより前のことが断片的にフラッシュバックした。
「お前じゃS級になれない諦めろ」
「お前が俺たちに敵うはずがない諦めろ」
「そんな深手で逃げられない諦めろ」
「諦めろ」「諦めろ」「諦めろ」何度も言われてきた言葉が悪魔の頭の中で反復した。悪魔はその言葉が繰り返されるたび、心からふつふつと湧き出てくるものを感じた。「諦めろ」「諦めろ」「諦めろ」……諦める……?
諦めてたまるか
「……たまるか」
悪魔は思ったことを口に出した。その声は先ほどと同じくカスカスであったが、その中に悔しさ・焦り・悲しみは感じられず、自分以外を全て恨むほどの憎しみと燃え上がるような怒りだけがあった。
空はかすかに音が聞こえる方向になんとか顔を向ける。そこにはふらふらと立ち上がる悪魔の姿があった。
「諦めてたまるか‼ 俺は俺の目的を果たすまでは消されるわけにはいかねぇんだよ‼ 死ぬまで死ぬ気で抗ってやる‼」
空の方を見て血反吐を吐き、声を荒げる悪魔。声からではない、その態度からも憎しみや怒りを体現していた。気づけば羽も角も失われ、悪魔の力が弱まっているであろうことが目に見えてわかる。先ほどのビームで悪魔の力をかなり消耗したのだろう。羽が捥げ、角が取れ、体のいたるところに目立つ傷跡。
しかし、それでも、体がたとえボロボロになろうとも悪魔の闘志だけは失われることはなかった。迫力だけなら戦い始める前よりもあるかもしれない。
「ご、ごめんよぉ空。ボクのせいであいつ元気になっちゃった」
リギラは悪魔の様子を見て空に再び謝った。この戦いだけでリギラが謝るのは二回目だ。普段のリギラならベロでも出してごまかしたような表情を浮かべていただろう。しかし、そのような態度を取ることもできない状況であるということを、リギラも無意識に感じていたのかもしれない。
不安げなリギラに対して、空はいつも通りリギラを責めることはなかった。
空の体力は少しばかりだが、リギラが悪魔と話していたおかげで回復していた。先ほどリギラが言っていた天使のエネルギーの特性というものせいだろうか、はたまたリギラのエネルギーが今も絶えず空の体に流れ込んできているせいなのだろうか。
空はそのようなことを気にも留めず、悪魔同様ふらふらと立ち上がった。
「やっぱ立つか」
立ち上がる人間の姿を見て悪魔は呟いた。空が立つことを予想し、期待していたかのような言い方であった。しかし、そこに焦りは無く、むしろ嬉しさが混じっている様子で悪魔の顔に笑みが浮かんだように見えた。
その表情はこの行き場の無い怒りをぶつけさせてくれと言わんばかりの意志を感じさせた。
空と悪魔はボロボロの体を引きずって相手に近づき始めた。両者は息を荒らし、足を引きずり、傷に手を当て、重い足取りで相手にゆっくりと向かった。両者が近づくと足を止め、面と面を向け合った。
お互いに顔色を伺うっていると、リエガが先に口を開いた。
「よぉ。お互いに瀕死じゃねぇか。お前ももうほとんど動けねぇんだろ」
悪魔は空の顔を見て、言葉を発した。悪魔は、空が息を切らしていながらも、その目が虚ろのままであることに気が付いた。しかし、悪魔の中に先ほどのような怒りの感情は湧きあがらなかった。
悪魔は人間の強さを既に認めていた。目が虚ろだろうと、感情が感じられなかろうと、空が真剣に挑むべき人間であることを認めていた。認めたからこそ、悪魔は空の目を見ても怒りが芽生えず、同時に負けたくないという感情がより一層強まった。
「俺もだ。だから、次で決着にしようや」
悪魔は息を切らしながら言った。悪魔の言う通り、お互い満身創痍であった。方やボロボロの体、方や力を使い果たした体。どちらも立つことがやっとの状態で次の戦いで決着がつくことは誰の目から見ても明らかであった。
悪魔の目の奥には悪魔の抱く気持ちが宿っていた。絶対に負けられない、負けたくない、そう眼で訴えているようであった。
一方の空の目には何も宿っていなかった。こんな状況であっても空の心は枯れ果てていた。彼がここまでボロボロになっても戦う理由は、これが「タスク」だからだ。たとえ興味がなくとも、いつもと変わらぬことを繰り返す、タスクを終わらせいつもの生活に戻る。空はそれを行っているにすぎなかった。
悪魔は、空が自身の目を見ていることに気が付いた。やはり、先ほどのような苛立ちを感じることはなかった。悪魔の中にあった思いはただ一つ。「勝ちたい」それだけだった。
二人は息を整えるとお互いの顔と体を向け合いその場で立っていた。ほんの少しの静寂。雨音が奏でる天井のドラム音。雨一粒が開いた天井を通り抜けて、出来上がった水たまりに波紋を作る。
そして、それをゴングにするかのように決戦が始まった。