流石に異質な存在
悪魔は地面に倒れたまま動く気配がなかった。
空は悪魔の近くで片膝をついた。自身と悪魔の距離を近づけると空は悪魔の状態を確認した。空は仰向けで寝ている悪魔の腹の上に自身の手を乗せ、視覚だけでなく悪魔に直接触れることでも悪魔を観察した。
空が無警戒にも悪魔に触れた理由は合理的なものだった。先ほど聞こえた悲鳴のようなもの、空が悪魔に近づきつま先が悪魔に触れても発動しない罠。これらを考慮して空は触れても危険性がないと判断して悪魔に触れていた。また、空が取ったその行動には空自身の意志よりもギハンの意志がより色濃く出ているようだった。
「……気絶しているだけのようですね」
行動した空に代わってギハンが悪魔の状態を判断し、口に出した。ギハンは空のつま先に悪魔が当たった時より前、霧がより濃くなってきた時から警戒心を強めていた。ギハンの内心は焦るほどではないにしろ穏やかではなかった。
「さっきの悲鳴はやっぱこいつのか」
リエガがギハンに続いて言葉を交わした。リエガの発言は質問とも独り言ともとれる曖昧な内容だった。リエガもギハンほど警戒を高めていなくとも周囲を気に掛けるほどには用心していた。
「おそらくは」
ギハンがリエガの発言を質問として捉え回答した。ギハンは一通り悪魔の様子を確認すると、今度は周囲を見回した。ギハンの目には奇妙な場所が映るのみで気になるものの発見はできなかった。
「えーと。取り合えず弱らせとく?」
悪魔と死神の気が張っている中、天使の空気をぶち壊す発言が空の頭で響いた。リギラは奇妙な状況に怯えつつも、空への期待のせいか、その声に乗せられた感情は恐怖よりも能天気さが勝っていた。
「「はぁ」」
リギラの様子を見てリエガとギハンは同時にため息をついた。二体が今の状況に警戒心を強めている一方、リギラがタスクのことを考えていることを思うと、自身らが気を張っていることが馬鹿らしく感じて自然とそのような行動が出ていた。
「⁉ ……?」
また、二体のその様子を見てなぜため息をついているのか見当もつかず、リギラは疑問符を頭に浮かべた。
三体の話の流れが一区切りつくと、空は悪魔に触れていた手に天使のエネルギーを集め悪魔に流し込んだ。悪魔は目に見える形で弱体化されていった。
「相変わらず、見てて気持ちのいいもんじゃねぇな」
弱っていく悪魔の様子を見てリエガが愚痴をこぼした。悪魔を弱体化することに否定的ではないものの、同じ悪魔として悪魔が弱っていく姿を見ることはリエガ自身で思うことがあるようだった。
空が悪魔の弱体化を終えるころには、筋骨隆々の成人男性のサイズまであった悪魔の身長は、青年男性くらいのサイズまで縮小されていた。頭や背中に生えていた大きな角や立派な羽も小さくなっていた。
「うっ、」
空が完全に悪魔の弱体化を終えると同時に悪魔の方からうめき声が聞こえてきた。空は悪魔の方に顔を向けた。
悪魔は顔を歪ませながらゆっくりと瞼を開けた。悪魔が瞼を開けて最初に視界に飛び込んできたのは、自身の近くで片膝を付いてこちらの顔を覗き込む人間の姿だった。
「……?」
悪魔はまだ脳が寝ぼけているのかしばらく空の顔を眺めていた。
「あ、起きた」
目を覚ました悪魔の姿の様子を見てリギラが発言した。
悪魔は天使の言葉を聞いてようやく、目の前の人間が先ほど自身を追いかけまわしていた張本人であることに気が付いた。
「‼」
悪魔の脳が覚醒して目の前の人間をはっきりと認識すると、悪魔は咄嗟に人間から距離を取った。それと同時に悪魔は臨戦態勢の姿勢を取った。いつでも動けるように腰を落として、眼差しは鋭く人間を捉えていた。
「動くな! 動いたら殺す!」
悪魔は人間に警告するように威嚇の声を上げた。悪魔の中ではこの状況は自身が有利に働いている状況のように映っていた。自身がいつでも動ける体勢であるのに対して、相手の人間はこちらを見ているだけで片膝を付いたまま戦闘準備ができていない、という風に見えていたからだ。
悪魔は目の前のことしか注視しておらず本質を見抜いていない様子だった。
空は悪魔の様子を黙って傍観していた。
少しだけお互いがお互いを見つめる時間が過ぎると、空は悪魔の忠告を無視してその場で立ち上がった。
悪魔は人間の様子を見て、体が驚いた反応を示した。
「う、動くなっつったろ!」
悪魔は再び人間に威嚇するように声を荒げた。しかし、このときすでに悪魔の意識は人間から徐々に別のことへとシフトしていた。先ほど自身の体が驚いた反応を示したときに、悪魔は体に違和感があるように感じていた。体が自身の思っていた以上に動かなかったことに対して、悪魔は嫌な想像力が働いていた。
「まだ気づかねぇのか、てめぇ」
悪魔の様子を見ていたリエガが、目の前の悪魔の鈍感さにその口を開いた。リエガは悪魔の鈍感さに対して苛立ちを覚えていた。
悪魔は同じ種族の言葉を聞いて、思いついた嫌な想像がさらに強くなった。悪魔は恐る恐る自身の手を見た。
「!」
明らかに小さく細くなった手を見て、今度は自身の体をまさぐった。悪魔は頭の角や背中の羽までもが小さくなっていることを認識した。納得するまで自身の体をまさぐると、ようやく満足したかのように悪魔は体を脱力させた。
「……そうか。俺は弱らせられたのか」
悪魔は細々と弱い言葉を口から出した。現実を受け入れたのか、我を忘れて暴走するといったことにはならなかった。空が今まで暴力で弱体化させてきた悪魔たちとは異なった形で、悪魔は衰弱しきった態度を示した。
濃い霧が辺りを包んでできた不気味な雰囲気と、悪魔の悲壮感が生み出した悲しい雰囲気が合わさって、空気はより一層重くなった。
「悲しみに暮れているところ大変申し訳ございません」
ギハンが重苦しい空気が漂う中、その口を開き悪魔に謝辞の言葉を述べた。ギハンは悪魔の悲しみに絆されることなく社交辞令を述べるかのような物言いで話した。
「あなたにいくつか質問したいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
ギハンは続けて質問するための許可の言葉を並べた。ギハンの興味は既に悪魔に向いていなかった。
「……なんだよ」
悪魔はふてくされたようにギハンの言葉に答えた。悪魔の言葉は不服そうなものだったが質問されることに対しては承諾する内容だった。悪魔は死神の方向へ暗い表情を向けた。
「質問は大きく二つあります。一つ目。この霧はあなたの仕業で発生したものでしょうか」
ギハンは悪魔に質問を提示した。ギハンの質問の内容はどちらかと言えば確認に近いものだった。
ギハンは、空の視界を狭めるこの深い霧は悪魔の仕業ではないと思いながらも証拠や根拠がないため、悪魔が発生させたものではないという確信を得ることができなかった。ギハンが悪魔に聞いたこの質問は、その確信を得るためのものであった。
「ちげぇよ。俺はこんなことできねぇ。お前らから逃げ回ってたら急に出てきやがったんだ。最初はお前らの仕業かと思ったが、霧が濃くなるばっかりで何にも仕掛けてこねぇから、この霧に紛れて逃げようとしたんだ」
悪魔はギハンの質問に答えると同時に、霧が出たときのことも丁寧に説明した。悪魔はまだ弱体化させられたことに不満を抱きつつも渋々話を進めた。
ギハンは悪魔に変わった様子がないか、悪魔が話している間は注意深く観察していた。しかし、悪魔が嘘をついている様子はなかった。
「そうですか。もちろんこの霧に心当たりはありませんよね?」
ギハンは再び悪魔に確認を取るように言葉を発した。
「あるわけねぇだろ。そもそもこっちはこの霧がお前らの仕掛けたもんだと思ってたんだから」
悪魔は機嫌が悪そうにギハンの質問兼確認に答えた。ギハンは悪魔が予想通りの回答をしたことに対して、呆れた様子も納得した様子も示さなかった。
「ありがとうございます。続けて二つ目の質問なのですが」
ギハンは二つ目の質問を聞く前に一呼吸おいた。ギハンの纏う空気感が変わったようだった。
「あなたはなぜこの場で気絶していたのでしょうか」
ギハンは少し緊張感のある声質で二つ目の質問を悪魔に投げかけた。ギハンの話し方には、この質問が悪魔に聞きたかった本命であることが含められているようだった。ギハンの真剣な声色に悪魔も緊張している様子を示した。
「それは……」
悪魔は歯切り悪く言葉を発した。悪魔からその後に続く言葉を聞くことができなかった。
ギハンは悪魔の様子を見て、悪魔が「言わない」のではなく「言えない」ことに気が付いた。ギハンは悪魔が気絶した前後の記憶が曖昧であることを予想した。
実際に、ギハンの予想は当たっており悪魔は死神の質問に答えようとするも、その答えを思い出せずにいた。
「あなたには私たちが付けた傷以外、外傷が見られませんでした。また、空が眠っていないことからこの霧に催眠効果がないことも確認されました。それにも関わらずあなたはこの場で倒れていた」
ギハンが悪魔の様子を悟り、悪魔が寝ているときの状況を悪魔本人に伝えた。ギハンは自身らが悪魔を見つけたときのことを詳細に話すことで、悪魔に気絶したときのことを思い出させようとした。
悪魔はギハンの話を黙って聞いていた。悪魔は倒れたときのことを思い出そうと頭を働かせ考え始めた。
「それに加えて私たちが聞いた悲鳴、私たちはおそらくあなたのであろう悲鳴を聞いてここにたどり着きあなたを発見しました」
ギハンは悪魔の様子を見て、悪魔が寝ていた時の詳細な内容を深掘りした。
悪魔の額には汗が流れ出ていた。悪魔はその時の様子を思い出し始めていた。
ギハンは悪魔の様子を見て、もう一押しと思わんばかりに話を続けた。
「私が考えられる気絶する要因は主に三つ。外的要因、内的要因、そして視覚的要因」
ギハンは自身が考えうる、気絶する原因の候補を挙げた。
ギハンが「視覚的要因」という単語を発すると、悪魔は頭が冴えたような気がした。
ギハンは悪魔の機微の様子の変化を見逃さなかった。
「先ほども話した通り、あなたに外傷は見られませんでした。また、先ほどまで走り回っていたあなた自身に気絶する要因があったとは考えにくい。で、あるとするならば残るは視覚的要因」
ギハンは気絶する原因の候補の内二つを明確な考えと共に外していった。悪魔の額には先ほどより多くの汗が流れ出ていた。
「あなたは気絶する前に、一体何を見たのですか」
ギハンは最後に質問することで悪魔に畳みかけた。ギハンの質問の内容は最初とは異なっていた。「気絶した原因」から「気絶した際に見たもの」へと変わったギハンの疑問だったが、ギハンは最初から後者について聞きただそうとしていた。
ギハンの質問のあとに漂う張り詰めた空気がその場にいる空以外の全員に伝わった。
「……そうだ。俺はあの時何かを見たんだ」
しばらくの沈黙が続いたあと、悪魔がその口を開いた。悪魔は完全ではないものの気絶したときのことを思い出していた。悪魔の口調は少しの不安と恐怖が入り混じっていた。
「お前らから逃げ回ってたら急に霧が出てきて、この変な空間に辿り着いたんだ」
悪魔はたどたどしく言葉を並べて言った。悪魔は思い出したことを言葉に変換することで、一つ一つを辿って記憶を遡っていた。空たちは悪魔の様子を伺い、黙って悪魔の言葉に耳を傾けていた。
「そうしたら一歩も進めないくらいだんだん霧が濃くなってきて、その場で立ち往生してたら気づけば目の前が全く見えなくなるくらい濃くなってやがったんだ」
悪魔は続けて記憶を遡って話を続けた。悪魔の口調は相変わらず震えており、あまり思い出したくないようにも見て取れた。
悪魔がその話をしたとき、ギハンは先ほどとは異なる疑問が浮かんだ。
(一歩も進めないほどの濃い霧? 私たちが彼を見失った時も霧は掛かっていましたが、一歩も進めない、というほどではありませんでした。場所と時間によって霧の濃さが違うのでしょうか。私たちがここに来たときも霧はさほど濃くはなかった。彼がこの場に一人で居たその時だけ霧が濃かったのか。しかし……?)
ギハンは悪魔の言葉に引っ掛かり、思考を回転させた。考えることに集中するあまり、今この瞬間にも霧が濃くなっていることに気が付くことにできなかった。
(……! しまった!)
ギハンはようやく霧が濃くなっていることに気が付いた。ギハンが気付いたときには霧は辺りの景色を覆い隠し、悪魔と人間だけを残していた。ギハンは悪魔やその他の外敵には警戒を強めていた。
しかし、視界を狭める以外に害のなかった霧に対しては警戒心が薄まっていた。加えて、悪魔の言動に注意を引かれ、霧にまで意識を回す余裕がなかった。
リエガもギハンと同様に悪魔や外敵は警戒しつつも霧のことについては警戒対象から外れていた。リエガはまだ霧が濃くなっていることに気付いていなかった。
「そこから確か……急に目の前にバケモンが……」
悪魔は死神の様子を意に介さず、あるいは気づいていない様子で話を続けた。悪魔の言葉には不安ではなく恐怖に染まっているようで、聞き取りにくい口調で言葉を濁すよう様に発した。
「みなさん……」
ギハンは濃くなっていく霧と悪魔の話を照らし合わせて、警戒を強めるように伝えようとした。ギハンが声を荒げて呼びかけようとしたその時、
「グアアアアアァァァァ‼」
ギハンの声を遮るように奇妙な音が辺りに鳴り響いた。空と悪魔は向かい合わせていた顔と体を音のした方向へと向けた。空は体を向けると同時に腰を低く落とし拳を握りしめ、いつでも動くことのできる体勢を整えた。
悪魔は音のした方向とは逆に腰を引いた。人間と悪魔が向けた視線の先には未だに霧が掛かっていた。
しかし、二体は一言も話さず、音のした方向から目線を反らすことはなかった。
ギハンも言いかけた言葉を言い直すことはなく、黙って警戒に当たっていた。
霧に囲まれた多種多様な種族が同じ方向を見ていたその時、霧の中に一つの巨大な影が浮かび上がった。人よりも遥かに大きなその影は、揺れ動きながら徐々に二体の元へと近付いて行った。影は二体に近づくにつれて見る見る大きくなり、やがて霧の中からその姿を現した。
「なっ、⁉」
ギハンは言葉が詰まった。影から出てきたものの姿を認識して驚きを隠せない様子だった。
「はぁ⁉」
ギハンの反応に間髪入れずリエガも声を荒げた。リエガもギハン同様、信じられないもの見た様子だった。
その姿は皮膚には無数の鱗が付き、悪魔よりはるかに巨大な羽、鋭い牙と爪を持っていた。その姿はおとぎ話でしか認知し得ないものだった。
空もその姿を認知すると、天使のエネルギーを両手の前に流し双剣を作成する。空は一連の動作を最小限の動きで行い、視線は目の前の影から反らさなかった。
リギラも霧から出現した生物を注視していると、その生物の瞳に自身の姿が映し出されているかのような錯覚に陥った。
「ドラゴンだあああ‼」
リギラが先ほどの大音に負けず大きな声を上げる。リギラはその姿を把握するとその存在の名称を答えた。
リギラの声には、未知の存在を初めて目の当たりにした興奮と、迫力に押しつぶされそうになる恐怖が入り混じっていた。




