はじめまして死神さん
悪魔との死闘から数日が経とうとしていた。あの日の傷は既に癒えて空はいつもと変わらぬ灰色の日常を過ごしていた。
リギラも次の日の朝には目覚め、明るい口調と雰囲気で空と共にタスクに励んでいた。
S級悪魔との闘い以降、あれ以上の戦いが繰り広げられることはなく、A級の悪魔にすら遭遇することはなかった。そのせいもあってか、空があの戦いのときに出した白い盾をタスクで使う機会がなかった。
あの激戦の余波と言えば、朝のニュースで三名の学生が変死体で見つかったことがたった一日報道されるのみで、それ以上は特に何かあるわけではなかった。
そのニュースを作り出した諜報人であり新しく空に憑いた悪魔、リエガはリギラが目覚めたことに反して一向に目を覚ます気配がなかった。悪魔が空に憑いたことによる弊害は見られず、空は悪の道に染まることはなかった。
目を覚ましていないためか、リエガに害する気がないためか、それとも空に善も悪も関係なく何の感情も抱いていないせいなのか。いずれにせよ空が悪事を働く、ということはなかった。
リエガが憑いたこと以外特段変わらぬ日々、そんな日々の中で空の目に映るものに多少の変化が見られ始めた。今まで見たことがない二つの種族が空の目に映るようになったのだ。
二つの種族のうち一方は一見、普通の人と差異はないが、その人の下半身に目を向けると足を視認することができなかった。さらに足の見えない人々は人や壁を平気で透過し、子供や大人も少なからず見られたが、それ以上に年寄りが圧倒的に多く見られた。
もう一方の種族は足の見えない人たちのすぐそばで頻繁に確認された。
その種族は足元を隠すほどに長いぼろきれたローブを羽織り、大きな鎌を持っていた。鎌に血が付着していることもなく、その鎌で誰かを襲うこともなかった。この種族を最も特徴付けたのは、ローブの隙間から見える骸骨。骸骨は地面から少し離れて宙に浮かび、空中を泳ぐかのように移動していた。ローブを着た骸骨は足の見えない人と会話していることが多かった。
新たに空の目に映るようになった二つの種族は頻繫に見られるものではなく、二~三日に一度見るくらいの頻度でしか現れなかった。さらに、空と目が合うことがあっても特に何かをしてくるわけではなかった。
放課後、空はタスクを終え、それらを横目にいつもの場所へと向かっていた。時刻は天がすっかり青さを失い、夕焼けのオレンジへと変わっている時間帯であった。
タスクへ向かう途中も現在も、さらに言うと、悪魔戦から目覚めてからというもの、リギラは一人でずっとペラペラと喋っている。リギラが黙っているときは空が学校にいるときと寝ているときくらいである。空がタスクを遂行している途中であっても無駄話を叩く時もあった。それほど話すことがあるだろうかと疑問が出てくるほどに、リギラがその口を閉ざすことはなかった。
悪魔戦のときの静かで、時々口を開いても震える声しか出していなかったリギラは嘘のようで、見る影もない。
空はいつも変わらずリギラの話を黙って、反応を示すことなく聞いていた。
「お迎えに上がりました」
リギラの話を聞いていた空の目の前に骸骨は突然現れた。骸骨は空の顔に自身の髑髏をすれすれまで近づけて言った。
「わぁ‼ って、え……⁉」
リギラの声が大きく、空の頭に余韻が残る。一方の空は急に目の前に出てきた骸骨にも驚くことはなかった。
空は足を動かすことをやめてその場で立ち止まり、無表情でじっと髑髏のことを見ていた。
「おや、驚かれないのですね。たまに生きている間に我々のことが見える人がいるので、同じように現れるとその人たちはみな驚いた表情をされるのですが。そこの天使のように」
骸骨は驚いていない人間と人間の中にいるはずの天使に向かってそのように言った。人間に対しては残念そうで悔しそうな、唐突な死神の出現に驚いた天使に対してはからかうような発言。
しかし、リギラは死神の言葉に反応せず、大声を出したきり一言も話さなくなった。
一方の空の目の前の骸骨は滑るように少しばかり後ろへ下がり、空と対話に適するくらいの距離を置いた。
この骸骨も今まで視認してきた骸骨同様、後ろへ下がる動作は歩いている風には見られず、宙を浮いて移動していた。当然、大きな鎌も携えていた。
「な、なんで⁉」
リギラがようやく口を開いた。空の頭にその声が響く。なにやらとんでもなく驚いている様子だ。顔を蒼白にして信じられないものを目にしている様子がリギラの声からうかがえた。少なくとも死神の眼球の無い目にはそのように映っていた。
死神はひとまず、何も話さずただ黙って天使の様子を伺った。
「一体なんで⁉ 空はまだ二十代だよ⁉ 寿命にしては早いでしょ⁉ それにボクが憑いてるんだ! 人並以上の生命力を持っている! そう簡単には死なない!」
リギラが骸骨に向かって猛抗議する。骸骨が空の前に現れたことが信じられないようだ。その声はリエガと出会ったときとは異なる感情が乗せられていた。リエガと相対したときのリギラは恐怖を抱いているようだった。
しかし、今のリギラの声からは焦りが色濃く出ていた。
“死神”“死なない”この二つの単語から連想されるものは、明らかに空の“死”である。空は当然反応を示さない。
「しかし、閻魔ノートに記されたのです。あなたも天使ならこれが何を意味することなのか知っているはずですよね」
口を開かぬ空をおいて、会話は続く。死神の話し方は空と同じくタスクを熟さんと言わんばかりに淡々としていた。口調は終始とても穏やかで、紳士さも感じさせた。
「それは……でも……」
リギラの声がだんだん小さくなっていく。元気さはすでになく、言い返すことができないほどにリギラは焦っていた。リギラは骸骨が言ったことにまるで納得していない様子だった。
「まぁいいでしょう。あなたがたは我々の姿が見えるようでしたので今日は挨拶と通告をしに来ただけです」
返答に困っている天使の姿を見兼ねて骸骨が答える。まるで、このようになることをあらかじめ予測していたかのようだった。
「一週間後の月曜日、この時間に隣町にある改装予定の学校に来てください。それとあなた」
死神は時間と場所を指定すると、焦点をリギラから人間に移し人間のことを指さした。
「私たちばかり会話してなんの話をしているのか、どういった意味のことなのかからさっぱりわかっていないでしょう。ですので、ここまでの話の詳細はそこの天使に聞いてください。それでは」
骸骨は言いたいことだけを言い残して空の目の前で静かに消えた。今日の仕事を終え、帰っていったようだ。
「なんで、空なんだ。なんで……」
リギラのぶつぶつと呟く声が空の頭の中に響く。空はリギラが話し始めるまでしばらくその場で立っていた。
最近泣き始めた蝉の声だけがむなしく響く。七月に入り温度もますます上がり、夕方でも沈んでいく太陽は背中を焦がす。
「ごめん、空」
しばらく待っていると、ようやくリギラの口が開いた。
しかし、その口から出てきた言葉はリギラからは聞き慣れない単語であった。あのS級悪魔戦以降、謝ることがなかったリギラがまたも空に謝ったのだ。それはあの戦いのときと同様、かなり切羽詰まった状況であることを示唆していた。
「今、気が動転してて上手く言葉にできそうにないや。だからまた明日話すね」
リギラの声に元気はなく、哀愁が漂っていた。それ以降、リギラが喋ることはなかった。先ほどまで一人で延々と話していたリギラの姿は見る影もなかった。
リギラが一言も喋らないことも、夕方の熱波も、骸骨が話していた内容も、空には足かせにはならず、空はいつも通りに重い足を動かし始めた。




