雨のち晴れ、時々悪魔
突然のリギラの提案に悪魔は空の方向にゆっくりと顔を向け、いままで焦点の合っていなかった目を空に合わせた。正しくは空の中にいるリギラに、である。
リギラは悪魔の返答を待たず続けて話をした。
「本当は空がキミを弱らしてくれればそれでいいんだけど、なんか空動かなくなっちゃったし、仮に弱らせたとしても君も納得しないだろう? なら、勝負に勝ったんだから君の命も空のものってことで空に憑くのがいいんじゃないかな。」
リギラの言ったことは完全に支離滅裂な言動であった。リギラが言っていることはようするに勝負に勝ったのは空なのだから敗者は勝者に従え、ということである。
さすがにこれでは悪魔も納得することができなかった。悪魔はなんとか手の指で空に合図を送り、手を握るように指示した。空は悪魔の謎めいた動きの意図を察した。
しかし、空はすぐには行動に移さず、リギラが空に指示出しすることを待った。
「大丈夫だよ」
リギラは空の様子を見てそう答えた。空は動いた体で悪魔に近づき静かに手を握った。
「俺はさっきの戦いで負けたら死ぬって決めてたんだ。ここでこいつに勝てなきゃ俺の目的は到底果たすことはできないだろうからってな」
空の頭に悪魔の声が響いた。頭に直接語り掛けてくるせいもあってか、その声を鮮明に聞き取ることができた。しかし、相変わらず語られる言葉に覇気は感じられなかった。
「固めた決意を簡単に反故にして、生き永らえたところでなんになる。お前は俺に生き恥を曝せってのか」
悪魔の決意が本当ならば言い分は理解できるものであった。ここで悪魔の言い分を無視すれば悪魔の決意を蔑ろにすることと同じである。弱体化して生き延びるという選択肢があるにも関わらず、死ぬという決断を下すことにどれだけの強い意志・思いが必要だったかを、悪魔以外想像できる者はいないだろう。その決断を無為にすることはたとえ、相手が悪魔であったとしても躊躇うものがあった。
「だからどうせ死ぬなら空に憑けって言ってんの。死ななかったらその目的が果たせるかもしれないけど死んだら可能性ゼロじゃん」
リギラは堂々と言った。言い切った。そんなこと知るかと言わんばかりに言い放った。
リギラが言ったことは言い方のせいかどことなく屁理屈のように感じ取れなくもなかったが、正確に的を得ており、妙な説得力のある発言だった。
悪魔は呆れてしばらく何も言わなかった。自身の決意をこうもあっさり一蹴され、思考が止まってしまったのだ。
「ふっ、」
空は悪魔の声を頭ではなく耳で聞いたような気がした。空は音がした方向顔を向けた。納得したのか、それとも観念したのか、そこには笑みを浮かべる悪魔の顔があった。笑みを浮かべた悪魔の顔はとても穏やかで先ほどまでの悲壮感はまるでなかった。
「おい、人間」
再び悪魔の声は空の頭に直接響いてきた。やはり、悪魔の言葉には悲壮感が残っていなかった。
「お前はどうなんだ。さっきまで殴り合ってた相手だぞ。そんなやつが自分に憑いてもいいのか」
悪魔は当然の疑問を空に投げかけた。普通、殴られた相手に憎しみや恨みを抱かないなんてことはない。殴られただけでなく壁や天井に叩きつけた相手でもある。
この場に居た者が普通の人間だったならば、自身も殴ったことを棚に上げて、悪魔に悪感情を抱いて、悪魔の要望に応えはしなかっただろう。
しかし、今ここにいる人間は普通ではない。空は悪魔に対して何の感情も抱いていなかった。殴ったことに関しては空も同様のことをした。仮に相手を殴らず一方的に殴られていたとしても、特に感情を抱くことはなかったであろう。
空は悪魔の問いかけに対し何も反応せず、その態度で肯定を示した。
「ちっ、やっぱてめぇ気に食わねぇな」
悪魔はついに決心したかのように静かに瞼を閉じた。
次の瞬間、悪魔は光に包まれて消えた。その光景はリギラの時と同じだった。リギラの時と違ったことは、光が黒かったことである。そのためか、空はリギラのときとは異なり、悪魔が消える光で視界が遮られることはなく、悪魔が光になる瞬間を見届けた。
空は心臓に極微小なエネルギーが存在していることを感じ取った。それは天使のエネルギーとは異なり、悪魔のものだと把握することができた。しかし、そのエネルギーはあまりに小さく全身に流れ出すほどの量ではなかった。体内に極微小な悪魔のエネルギー量を感じて、空は悪魔が相当消耗していたことを悟った。
「俺は回復するためにしばらく休むぞ。どっかの誰かのせいで体力もエネルギーも消耗しすぎたからな」
空の頭に直接悪魔の声が聞こえてきた。悪魔が空に憑いて、初めて空の頭に響いてきた悪魔の言葉は嫌味であった。
「その間、俺は反応もしねぇし、当分の間は俺の力も使えねぇからな」
悪魔は律儀に今の状況を冷静に分析し、嫌味たらしく伝えた。悪魔の言い分は目を覚ましたら悪魔の力が使えるような言い方だった。
「あ、ちょっと待って。寝る前に君の名前を教えてくれないかな」
リギラは悪魔に問いかける。リギラは悪魔にとても興味津々な様子であった。
「……リエガ」
少し渋って名前をぽつりと呟いた悪魔、リエガは一言だけ自分の名前らしい単語を発するとそれ以降は一言も話さなかった。
「リエガだね。わかった。それじゃあおやすみ」
リギラはリエガに話しかけたがリエガが反応することはなかった。どうやら力を回復するために眠りについたようだ。リギラは一呼吸おいて空に話しかける。
「空、お疲れ様! まさかS級を倒せるとは思ってなかったよ。相手が弱ってたっていうのもあるけど、それ以上に空の才能が勝ちを掴み取ったんだよ」
リギラはもとの明るい口調で話した。S級に勝てたことがよほど嬉しかったのだろう。もはやそこに恐怖はなく、喜びに満ち溢れていた。悪魔は本当に寝たのだろうかリギラに言い返すことなかった。
「流石、ボクが見込んだことだけはあるね。ボクって目利きの才能あるかも」
リギラはあまりの嬉しさに自画自賛し始めた。まるで自身で戦い勝利したかのように喜びをその声質で体現していた。
いつも通り空はリギラに反応を示さずその場で立ち上がろうとした。ふらふらと体を揺らしよろめきながらもなんとか立ち上がることができた。その様は生まれて初めて立つ小鹿のよう。なんとか立ち上がることができたのは天使と悪魔のやり取りの間で少しばかり体力が回復したからだろう。
空は普通よりも体力が回復する速度が速いことに気が付いた。先ほどリギラが言っていた天使のエネルギー特性とはこの回復の速さかどうかはわからないが空にとってはどうでもよかった。
「ふわぁ」
頭の中であくびをする音が響く。
「ボクも眠くなってきちゃった」
リギラがあくびをしたことに対して理由付けるように続けて言った。その言葉には眠気さを帯びて、疲れが感じられた。
リギラは空がこの勝利をつかみ取ったと言っていた。しかし、リギラ自身も空の戦闘中に足りない分のエネルギーを供給したり、エネルギーを練るなどのことをしていたのだった。目に見えずともリギラも疲れて当然の働きをしていたのだ。
空もそのことには気が付いていたが、空が労うこともなくいつものように何も言うことはなかった。
「ボクも寝るよ。空も今日はゆっくり休んでね。それじゃあおやすみ」
それだけ言い残してリギラの声も途絶えてしまった。最後までリギラは自身の活躍について話すことはなかった。先ほどまで二つの声が響いていた空の脳内は無音に包まれた。
空は倉庫の入口に向かって足を動かした。体は回復しつつあるものの歩くことさえ意識しないとすぐ転びそうなほどに、未だダメージは残っていた。
空は倉庫の隅に置いてあったカバンと傘を見つけた。それらの上には砂埃が被さっていた。リエガとの戦闘で舞った砂が隅にあったこれらにまで被さっていることは、空とリエガの戦闘がそれほどまでに激しい戦いであったことを示していた。空は被さっていた砂埃を払い、カバンと傘を持って倉庫の中から外へ出る。
外はすっかり暗く、夜になっていた。足を止めて上を向くと夜空にはいくつか星が輝いていた。空は少しの間、瞬く星々を携わる天を眺めていたが、特に思うことはなく、傘を差す必要がないことだけ確認した。
空は顔の向きを元に戻し、星を気にすることなく足を動かす。
朝から降り続いた土砂降りの雨はすでに降り止んでいた。




