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英雄  作者: ゲシンム
第一章 善と悪、成長と童心
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決着の代償

 最初の拳がお互いに一発ずつ相手の顔に入る。二人とも口から血を流した。それでも両者ひるむことはなく第二、第三の攻撃を繰り出す。二人は殴り合った。駆け引きも小細工もない純粋な殴り合い。二人は目の前の敵を倒そうと全力で拳を相手に殴り付けた。


「おおおおおおおぉぉぉぉぉぉ‼‼」


 自分をふるい立たせるように吠えながら殴る悪魔。より多く、より強く殴るため防御を捨て、ただひたすらに拳を振るう。拳を振るうたび傷口から血が吹き出る。それでも悪魔は手を休めることはなかった。


 目の前の強敵に勝つために。


 無表情ながらも息を切らして殴る空。今まで殴り合いなどしたことなかったがただがむしゃらに拳を振るう。拳を食らうたびなんども気を失いかける。それでも空は意識を保ち、手を休めることはなかった。


 タスクを遂行するために。


「負けるな、空‼」


 リギラは空が殴り合うのを見て力いっぱい応援する。リギラの応援が両者に響く。お互いにその声に気づかないほど目の前の相手を殴ることに夢中になっていた。


 やむことの怒涛の攻撃。お互いに一歩も譲らぬ死闘。どちらも引くことなく、どちらも攻撃の手を緩めない。倉庫内には悪魔の声と、拳を叩きつける音だけが響き渡る。


 悪魔はこの一瞬を永遠に感じた。一生この時が続くかと思われた。


 しかし、その時は唐突に訪れる。振り続く拳の中、お互いの拳が相手の顔を捉えた。これが最後の一撃。両者出せるものをすべて出し、振り絞れるものをすべて振り絞った。最後の拳にありったけの力を集め相手の顔を思いっきり殴った。お互いの拳が再び相手の顔に当たる。


 振り続けていた拳が止んだ。両者の顔、体から血と汗が流れ出て行く。倉庫という名のリングには静寂が還り、息切れの音すら無かった。お互いの拳は相手の顔に張り付いたまま、両者殴った姿勢のまま、時だけが過ぎた。


 両者が立ち尽くす中、片方の人影が小さくなっていき、膝を付く音が倉庫に響く。一方は立ち、一方は両膝を付いていた。


 立っていたのは雄叫びを上げながら拳を振るい、その目に、心に闘志を宿した者、悪魔であった。悪魔はなにも言わず息を切らすことさえしなかった。


 立っていた悪魔は喜びの声を上げるかと思いきや、動くことさえしなかった。


 悪魔は立ち尽くした後、血反吐を吐き、やがて前に倒れた。


 一方は両膝を付き、一方は地面に伏している。長きに渉る怒涛の殴り合いの末、見事にこの勝負しあいに打ち勝った者は、目と心に虚ろを纏った人間、空であった。


 空は両手を地面に付き、四つん這いの姿勢になると全身で息をし始めた。


「勝った? ……勝った‼」


 この死闘のあとに一番最初に口を開いたのはリギラであった。リギラは今までで一番の歓声を上げた。あたかもリギラが勝利をつかみ取ったかのような喜び方である。


 天使が喜ぶ様子をみても悪魔は何の反応も示さなかった。


 一方の空は目の前の強敵に勝って喜ぶことも力を使い切り疲れた表情を浮かべることもなく、ただ息を切らしながら倒れている悪魔を見た。空は悪魔の様子を見て、あと一撃ほど入れれば悪魔が完全に弱体化することが分かった。


 空がとどめを刺そうとボロボロな体を引きずりなんとか悪魔に近づこうとしたその時、悪魔は重い口を動かしてほそぼそと一言だけ言葉を放った。


「……殺せ」


 悪魔の一言はほとんど力を失い聞き取るのもやっとの声量であった。覇気もなにもない一言。


 悪魔と出会って様々な言葉を言われた空であった。空を罵倒する言葉や自身を奮起させる言葉、様々な言葉が悪魔の口から出た。そのどれもが空の心に届かず、空の動きに影響を与えはしなかった。


 しかし、悪魔の放ったどの言葉よりも、迫力など微塵も感じられないたった三文字の言葉が初めて空の体を止めた。


 今まで生きてきて一度も言われたことのない言葉。現代日本において、普通に生きていればそうそう聞くことはないだろう言葉。悪魔の一言を聞いて空の体がピタリと止まる。リギラも悪魔の一言を聞いて喜びの声を上げることをやめた。


 空は悪魔のその一言を聞いても何も思わず、何も感じることはなかった。また、衰弱しきった悪魔を弱体化させられるくらいの天使のエネルギーはすぐに回復し、空の体がどれほどボロボロだと言っても、動けなくなった相手に止めを刺せるほどには体を動かすことができた。


 しかし、そのボロボロの体がどうしても動かなかった。何かに抑えられるように指一本動かすことができなかった。


 悪魔のそのようなお願いを聞く義理もなく、天使の力を注いでただ弱らせればいいだけ。しかし、もし空が天使の力を注ぎすぎれば悪魔は消失してしまう、すなわち死に至る可能性があった。


 空はどうでもいい、タスクさえこなさればそれでいいと頭の中では区切りがついていた。それでも空の体がそれを拒んだ。空の体を止めるには十分な一言だったのだ。


「殺してくれ」


 再び空に懇願する悪魔。再び放たれた言葉にも覇気はなく、悲壮感にあふれていた。何もかもを諦めたかのような、大事な何かを失ったかのような、聞いている側も心が締め付けられる言い方であった。


 心が締め付けられることはないがその場を動かない空。ただ一言だけ放ち天命を待つ悪魔。とても先ほどまで怒涛の殴り合いを行っていたとは思えないほど、動かない二人と重く苦しい空気。


 この暗く重みに満ちた状況を変えたのは他の誰でもない、空の中に存在する一体の天使だった。


「キミ、空に憑かない?」

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