【歴史】ノルマンディーの詩 ~ 感想にかえて
財務省の担当官の前に座る気象庁の紆余知宇芳樹は、主張した。
気象観測に、もっと大きな予算を振るべきだと。
◆ 嵐の切れ目 ◆
第二次世界大戦も佳境となった1944年のことである。
その日、グリーンランドの気象予測観測所は、6月6日に、嵐の切れ目があることを予報した。
しかし、ドイツの気象観測所が、それを軍に伝えることはなかった。
なぜなら、観測所は、すでに連合軍によって、攻撃を受けていたからである。
◆ 秋の歌 ◆
青い葉が雨露に濡れ、普段は気がつかない植物たちの美しさを見せてくれる。
そんな6月1日。
英国BBCのフランス語ラジオ放送より、美しい詩の朗読が流された。
ポール・ヴェルレーヌの『秋の歌』である。
えっ?6月に【秋】の歌?
ドイツ軍諜報部の仏駐留部隊は、大きな違和感を感じ取った。
「フランス語で、季節外れの秋の歌だと?・・・英国の特殊作戦執行部、頭がおかしいだろっ?これは、近々、連合国によるフランス侵攻が行われるのは、間違いない。」
違和感たっぷりのラジオ放送は、3日間続いた。
当然のことながら、ドイツ諜報部は、この不自然なラジオ【メッセージ】の解読に成功し、軍内に警告を発する。
そうして、防衛を担当する西方軍集団や、パ・ド・カレーに駐留する第15軍に警戒を呼び掛けたのだ。
しかし、伝達ミスで、ノルマンディー地方にいた第7軍が、この警告を受け取ることが出来なかったことが、ドイツにとっての不幸であっただろう。
その上、もう一つの不幸が、重なった。
ドイツ軍は、6月5日、6日、7日にかけての3日間、大きな嵐があるという古い天気予報情報を得ていたのだ。
これ以降に、新たな詳細な気象情報が、届くことはない。
観測所は、すでに連合軍によって、攻撃を受けていたのだから。
なればこそ、ノルマンディー地方の第7軍は、連合国が、その期間に大荒れの海上から上陸を挑むような【冒険】に出るとは、考えておらず、当然、満足な準備をしていなかった。
そして、運命の1944年6月6日。
連合軍のノルマンディー上陸作戦が、決行された。
作戦初日だけで約15万人。
作戦全体で200万人が英仏海峡を渡り、フランスに上陸。
大激戦であった。
3日間は、嵐が続くため、上陸が行われないと思い込んでいたドイツの仏ノルマンディ地方駐留部隊が懈怠していたにもかかわらずである。
そう、パリ解放は、紙一重の作戦が成功した結果なのだ。
あの時、解読されたラジオ【メッセージ】が、第7軍に伝わっていれば・・・
そして、ドイツの気象観測所が連合国に攻撃されておらず、6月6日の嵐の切れ目の情報が、ドイツ軍に共有されていれば・・・
フランスの解放は、もっと遅くなった・・・いや、解放すらされなかったのではないか・・・人々は、そう【噂】した。
◆ 予算折衝 ◆
「ということで、気象観測が、歴史の道筋を変える【分水嶺】となったことは、明らかなのです。どうか、来年度の予算増額をお認めください。」
唾を飛ばしながら、紆余知宇芳樹が、担当官に詰め寄る。
窓を揺らす風が、バイオリンの長いためいきのような音を響かせたその時、財務省の担当官は、意を決したようにうなずいた。
これは・・・願いが届いたか?
そう思ったのもつかの間、無情にも上がる担当官の右腕。
その手が、すっと、ドアを指さす。
時の鐘が鳴り、ふらふらとドアへと向かう紆余知宇芳樹の足取りは、風にあおられ流されて、あちらへ、こちらへ、まるで秋の枯葉。
彼のつくためいきは、身にしみ、ひたぶるにうら悲しいものとなるのであった。