第60話 ズーシュエンの思い
背景説明地図や登場人物紹介は後書きにあります。
ご興味ある方は、是非、そちらまで読んでみてくださいませ。
「黒塗りの馬車?」
ズーシュエンは宿屋の主人にこの辺で黒塗りの馬車を見かけたことがないかを尋ねていた。主人は少し考えて
「ああ、何度か見たことがあるね。手入れの行き届いた馬車で、黒光りしてるやつを。それがどうしたんだい?」
「その馬車の持ち主を探しているんだが、どこに住んでる誰か知らないか。」
「いや、分からないな。この村を通過していくことはあるけど、止まってるところは見たことがない。」
「そうか、それじゃあ、左手に黒い手袋をした、顔に特徴のない男を見かけたことはないか?」
「何だい、その顔に特徴がないって?でも、黒い手袋を片手にしている男は時々みるね。確かに、顔を覚えてないな。」
そう言って、何かを思い出そうとしたが。
「やっぱり、顔が思い出せない。特徴がなさ過ぎて……不思議だなあ。」
そう言って、首を傾げた。
「昨日の洞窟はマラトの隠れ家で間違いないだろう。カラスの伝言を聞いて、グレナディにでも向かったのか?だとしたら、入れ違いだったのか?」
「私たちが、こちらに向かったことが分かれば、戻ってくるかもしれない、暫くこの村に滞在して様子をみようか。他にも隠れ家がないか、ウズラたちがいないか探してみよう。」
ズーシュエンの提案にジェイドが頷いた。
「ウズラを見つけたらどうする?奴らは私たちの顔を知っているから、相手に気づかれずに尾行するのは難しいなあ。」
「もしかすると、わざと私たちに尾行をさせるかもしれない。その先どこに連れて行かれるのかは全く想像がつかないが、虎穴に入らずんばって言うからね、用心しつつも行けるところまで行ってみよう。」
「そうだな……なあ、ズーシュエン。」
「ん?」
「ズーシュエンはマラトが憎くないのか?あいつの話になっても、いつも冷静だ、感情的になっているのを見たことがない。ズーシュエンだって大切な人をあいつに殺されたんだろう。」
そう言われたズーシュエンの紫の瞳に影が差したうように見えた。そして、悲しげな表情で答えた。
「……憎いよ。リーインを殺したことも憎いけど、奴が君にこんな思いをさせていることが憎い。まともに剣を振ったこともなかった君が、まめが潰れて手のひらが血だらけになっても、それでもあいつを殺すんだと言って剣を離さなかったことがあった。熱を出して体調が悪くても無理をして稽古に参加して、そのせいで寝込んだ時も、熱にうなされながら『強くなりたい、強くならなきゃいけないんだ。』ってうわごとのように言い続けた。そんな姿をずっと見ていたから、せめて自分は冷静でいなければ、そう思っていた。でも、本心ではやはり憎いよ。」
ジェイドは唇を噛んで俯いた。
「ズーシュエン……済まない、私は、そんな思いで私を見守ってくれていたズーシュエンのことを覚えてない。それに、憎いに決まっているのに、憎くないのかなんて聞いてしまって、私は……」
そう言って、ジェイドは下を向いたまま涙を流した。袖で涙を拭っても、拭っても涙が止まらなくなった。
ズーシュエンがジェイドの両肩に手を置いた。ジェイドの肩が彼女の呼吸と伴に上下に大きく波打っていた。
「……ズーシュエン」
そう言って、ジェイドはズーシュエンの胸に顔を埋めて強く抱きつき、声を上げて泣いた。
ズーシュエンも泣き続けるジェイドを優しく抱きしめた。
暫く泣いて、もう涙は枯れ果てただろうと思う頃、ジェイドが顔を上げて、腫れぼったい目を向けて、鼻声で言った。
「お腹が空いた。」
「そうだね、何か食べに行こうか。」
ズーシュエンは、少し呆れたような微笑みで返事をした。
「初めて食べる味だよ。」
「この辺の料理は独特だ、南風と西夏の料理が混ざったような感じだ。」
この辺りは、まだ直接巻き込まれていないとはいえ、モラン国周辺の戦乱の影響を受けて、以前は十以上あった食堂が今では二軒になっていた。
「あいつは何がしたいんだ?あの地図には、ハルン、ユーリハ、イーロアの辺りには緑色の鋲が刺されていた、多分これから支配するつもりだろう。西山には赤と青の鋲が、他の場所にも沢山の鋲が刺さっていた。赤が葬った数、青がこれから葬ろうとしている数だとすると、どちらも相当な数になる。そんなに人を殺めたいなんて、何を考えてるんだ。」
「地図とは反対側の壁には、肖像画とその人ゆかりの物が置かれているようで、多分、過去に自らの手で葬った者たちだと思う。しかも、相当な思い入れと言うか、恨みがある者たちだろうなあ。」
「まともな神経じゃないな。それに、母上のことを何故そこまで恨んでいるのだろうか?」
「彼はリーインに異様なほどに執着をしていたのだと思う、その彼女が、自分以外の男との間に子をもうけたことが許せなかったのだろう。聞きたくもないだろうが、彼が堂に来た時に、娘を迎えに来たと言っていた。君のことを自分の娘だと思い込もうとしている節もある。彼の闇は深い。そんな相手と戦うことになるんだ、彼の闇に飲み込まれないように、嫌悪や憎しみに心を囚われないようにしないとね。」
「気持ちが悪い。反吐が出そうな話だ。」
ジェイドが不快感を露わにした。
「全くだ。」
「ズーシュエンもそう思うのか?もっと冷静に受け取っているのかと思っていた。」
「まともだと思えないし、気味が悪い。関わり合いになりたくない相手だな。」
「そう思うよな。だから、あいつに会ったら嫌悪と憎しみに囚われることになると思うが、それを力にして戦うことになると思っていたけど、心を囚われないようにってどうしたらいいんだ?」
「さあね、自分で言ってみたものの、良く分からない。」
「嘘だろう。そんな適当な人間だったのか?ズーシュエンは。」
「人間なんだから、そう言う部分もあるよ。それに、こればかりはどれだけ頭で分かっていても、その場にならないとどうなってしまうのか分からない。自分の心のコントロールは簡単じゃないし、そもそも何を軸にして整えればいいのか正解も分からない。」
「ズーシュエンですらそうならば、私はどうなってしまうんだ?」
「済まなかった、不安にさせてしまって。今から不安になっても仕方ないことだったね。そうだ、ジェイドはこれが終わったら何がしたいんだ?」
「何がしたいかって?アリマに会いたいな、フォンミンもアリマのおまけってことで会ってもいいな。義姉上たちにも会いたいし、うちとエイナーの実家にも寄って行かないとなあ、オヤジに顔見せてやりたいし、ミレンナとドリスにも会いたい。ルッカに帰ったら、マーサーのお小言を聞いてやらなきゃいけないだろうな、口うるさいけど良い人なんだ。エイナーの上司だったアクセルにも会いたい、時々手合わせしてくれたんだ、強いんだよ。勿論、母上にも報告なければな。それに、虚明堂に行きたいよ、私は忘れてしまったけど、皆に会ってみたい。その後のことは、その後考えるとして、とりあえず、皆に会いたいな。」
薄い丸いパンの様なものにかじりつきながら、嬉しそうに、切れ長な目を大きく見開いて言った。茶色の瞳の奥が紫色に輝いていた。
「皆、君が思っているくらいに、君に会いたがっているだろうね。」
「そうだと良いな、だったら嬉しいな。」
そう言って、ジェイドが満面の笑みで笑った。
「そうだ、ズーシュエンは何がしたいんだ?」
「私も、皆に会いたいよ。母と妹と、姪っ子に甥っ子たち、堂の仲間たちに、堂の麓の村の人たちにも会いたいなあ、愉快な人が多くてね、時々飲みに行ったりする。父にも会いたいし、父の作った月餅も食べたい。リーファとシア(仔空)にも会いたい。シアはリーファの息子でね、今年で十六歳になる。去年から村を離れて、料理人になる修行をしているんだ。それに、リーインとゆっくり話がしたい、本当の話は出来ないが、そんな気分になれるんじゃないかと思ってる。」
「ズーシュエンにも会いたい人が沢山いるんだな。きっと、皆ズーシュエンの帰りを待ってるんだろうな。なあ、もし母上と話が出来たら、何を話すつもりだ?」
「え?それは内緒だよ。いくらジェイドでも教えられないな。」
「えー、でも、そうだよな、それを聞くのは野暮ってもんだよな。」
「そうだな。」
そう言って、二人で笑って、他愛のない話をしながら食事をした。
宿に帰ると、疲れと満腹のせいだろうか、ジェイドは直ぐに眠りについてしまった。ぺぺとムーも食事を済ませてベッドの横で寛いでいた。
ジェイドの寝顔と、彼女の耳元で光る赤いピアスを眺めながらズーシュエンが語りかけるように呟いた。
「リーイン、君にお礼を言うよ。あの時、私を信じてジェイドを……いや、ズーハンを私に託してくれたこと、彼女と出会わせてくれたことを。本当は三人で会えたら良かったんだけどね……兎に角、私は、彼女を守るよ、何があっても。」
窓から月明かりが、二人と二匹を優しく照らしていた。
そして、脂肪を減らしたい。
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毎週水、土、日の14:30に新しいエピソードを更新しています。
今回のお話はいかがでしたでしょうか?
ほんのちょっとでも続きが気になるという方がいらっしゃったら、本当に本当にうれしいです。
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自分でこの小説を書いていても、人の名前や地名など混乱してしまうので、参考資料としてざっくりとした世界観説明用地図と家系図を載せておきます。理解の参考にしていただけると幸いです。
参考資料:
地図
家系図
登場人物が増えたので追記しました。
リュウ・ズーシュエン(劉紫轩):虚明堂の副堂長
ヤン・リーイン(楊日瑩):ムーランと同一人物
リュウ・ズーハン(劉紫涵):ジェイドと同一人物
マラト・ベルカント:ある組織の幹部、ジェイドの仇
ジャーダン・ナラハルト:モラン国王の娘婿、国王の摂政(マラトと組んでモラン国を拡大させていると言われている。)
アラン2世:モラン国王(体調不良で表には出てこないと言われている。)
カリーナ王女:アラン二世の娘、ジャーダンの妻
アクセル・ゲイラヴォル:軍でのエイナーの上官
ヴォルヴァ・ゲイラヴォル:アクセルの妻
テュール(8) 、マグニ(6)、ダグ(4)、エーシル(1):ゲイラヴォル家の子どもたち(年齢)
サムート・ハン:エイナーの文通相手だったアルーム国の王子
マルチナ・アリア:サムートの婚約者
ヤン・フォンミン(楊楓明):ユーリハ国王軍の司令官、ズーシュエンの母方の従兄
タユナ・ハイネン:ユーリハ国王軍の副司令官
アリマ:ユーリハ国王軍の女性兵士、ジェイドの友だち
ジョゼフ・テオ:ある組織の創設者
ヤン・シィェンフゥア(楊仙華):ズーシュエンの母親、虚明堂の前堂長
リュウ・シュエンュエ(劉轩月):ズーシュエンの父親、菓子屋
リュウ・ュエフゥア(劉月花):ズーシュエンの妹、虚明堂の現堂長
シャンマオ(バナジール):西山で洋食屋をやっている元(現役?)ハリスの部下
チャン・リーファ:(張李花)ズーシュエンの彼女
ワン・シア(王仔空):リーファの息子
ソフィアとその祖母:ナルクで出会った麦畑の少女とその祖母
師匠 マチアス・ジュノー:ジェイドの師匠、元軍医、東アルタ在住
ペペとムー:ジェイドの犬たち
餅:ジェイドが飼っていた猫
ヤン・ジンウェン(楊金温):ピブラナ国の首都ボヤーナで医師をしている女性
ヨナス・デスモン:ピブラナ王室に送り込まれた、マラトの部下
バナム・アルマン:南モラン地区(旧アルーム国)の物資調達責任者、モラン国大臣代理
アルタイル(通称:アル):バナムの部下
カジャナ・ポナー:サムートの主治医
ナズ:カジャナ医師の助手
アスリ:カジャナ医師の助手
メイ・モーイエ(梅莫耶):旧アルーム国の首都グレナディで医者をしている女性




