第1話 縁談と人並みの情熱
始めまして、白黒西瓜です。
某鉄道会社のキャラクターが好きでこの名前にしました。
ロードオブザリングが好きで、その世界観をオマージュした小説を書いてみたいと思って小説に挑戦しましたが、全く違うものになりました。
若い夫婦の旅物語です。母の仇を打つべく自分を鍛え上げた娘ジェイドと、不本意ながらも彼女の復讐の完全成功に導くために頑張る結婚相手のエイナーとの旅物語です。
1週間に1回くらいのペースで上げていく予定です。
自分でこの小説を書いていても、人の名前や地名など混乱してしまうので、参考資料としてざっくりとした世界観説明用地図と家系図を載せておきます。理解の参考にしていただけると幸いです。
参考資料:
地図
家系図
エイナーは縁談を断ったことを後悔していた。
それは断った相手が惜しくなったのではなく、断った事でこんなにも世間から酷く言われるとは思ってもいなかったからである。
縁談を断るのは初めてではなかったが、今回は相手が悪かった。母后の又従妹にあたり、国でも一,二位を争う美女と言われている女性であった。なぜそのような高貴な美女との縁談が自分に来るのかは不思議であったが、今は相手が誰であろうと結婚を考えてはいなかった。同僚からは、結婚なんて出世の道具なんだから家柄が良ければ即決して、他に良い人がいれば愛人なり妾なり作ればいいと言われたがどうも同意できなかった。結婚に夢を抱いているわけではないが、一緒に暮らす人を家柄だけで決めるなんて博打も同然だ。しかも、その人を妻としながら別の女性とコソコソ関係を続けるなんて、なんとも効率性が悪い。
以前から、縁談を断り続けている自分に対する決して良いとは言えない噂を耳にしていたが、今回の件で、確実に女嫌いの変人というレッテルが貼られたことを自覚した。自分のことなど何も知らない人たちからも、傲慢だの人の心がないだのと囁かれ、挙句の果てには人に言えないような病気を持っているだのと根も葉もない事が実しやかかに囁かれていた。多分もう出世も今までのようには出来ないだろう。
こんな事になるのならば、次の縁談は決して自分からは断らないと心に誓った。
彼は二十一歳の若さで、ガイアム国エドワーズ国王直轄の軍の連隊長まで昇進した所謂エリートである。家柄の良さだけでなく、努力も怠らず実力も兼ね備えていた。背が高く均整の取れた体系で、亜麻色の髪に琥珀色の瞳の美しい顔立ちではあるが、生真面目さと合理的なものの考え方が合間って、見た目からも話し方からも少し冷たい印象を受ける。社交的な方ではなく、パーティーのような人が多く集まる場への招待は極力断るようにしていたし、自分の凱旋祝賀会でも三十分で帰ってしまったこともあった。
エイナーは所用を済ませるため休暇を取り、ガイアム国の北の領地ノーサンストにある実家に帰っていた。用事を早めに終わらせ、残りの休みを実家でのんびりと過ごすことにした。大きな窓から柔らかい光が差し込む食堂で、家族四人で朝食後のお茶を飲んでいた時に、父親から西隣のイルダール国の北の領地スノースバンの領主の娘との縁談話を持ち掛けられた。今の自分に縁談話を持ってくるようなもの好きはいないだろうと高を括っていたので、急な話に驚いたがノーサンストの領主である父アドルフ・ナーゲルスとスノースバンの領主であるハリス・ドゥゴエルは旧知の中で、そういう話が来ること自体は自然な流れだ。しかし、自分が知る限りドゥゴエル氏の存命の娘は五歳くらいだったと記憶している。
父は十二年前にエイナーの母である前妻を病で亡くしており、その六年後に現在の妻であるイレノアを迎えた。二人には五歳になるアーチという息子がいる。
「その縁談は、アーチへの話ではなく?」
不思議に思いエイナーが尋ねると、
「お前への縁談だ。アーチはまだ五歳だし早すぎるだろう。」
とアドルフは笑ったが、ふと不思議そうな顔をし、
「覚えてないのか、ハリスには前妻のムーランとの間に十七歳になる娘がいる。」
当時の記憶を何か思い出した訳ではなかったが、ここ数年のうちで何かの記録で読んだ内容を思い出していた、十二年ほど前にハリスの妻であるムーランとその娘が一緒に家を出て行ってしまい、ムーランは家を出た直後に亡くなり、娘はずっと行方不明というものだった。エイナーは八歳の頃から学校の寮で暮らしていたため、この家のものならば誰もが知ってる情報であっても耳に入らないことがしばしばあった。彼の双子の姉たちは、学校には行かず家で必要な教育を受けていたため、家に入ってくるありとあらゆる噂話を耳にしてはエイナーに教えてくれようとしたのだが、好き勝手に二人で話し出してしまい、幼いエイナーにはそもそも何の話をしているのかすら理解できないこともしばしばだった。
「前の奥様の失踪とご不幸は存じていました。それに、お嬢さんは一緒に失踪したまま行方知れずと聞いていましたが。」
「五年ほど前に帰ってきてね、ただ、失踪していた間の記憶がないらしいんだ。」
良家の娘が長い間行方不明になりある日突然ふらりと帰ってくる、しかもその間の記憶がないなんて、随分と複雑な事情がありそうだ。エイナーは、その娘について詳しく話を聞きたかったが、父の隣でアーチをあやしている継母のイレノアに遮られ、父への質問をあきらめた。
「心配しなくても大丈夫、快活で素敵なお嬢さんだから安心して。ジェイドさんと言ってね、東方出身のお母さまの血を引いていて黒髪に黒い瞳の綺麗な人よ。スノースバン大学の下級学科を優秀な成績で卒業して、その後はお家で花嫁修業をされているの。乗馬や武術を嗜む気さくで裏表のない人だから、きっとエイナーとも気が合うと思うわ。」
アーチも母の話を聞いてうれしそうに「ジェイド来るの?」と言いながら手を叩いている。父も母の説明に異論はないようで微笑みながら頷いている。
エイナーは継母のことを心の中で「魔女のような人」と呼んでいた。どこか人の心を見透かしているというか、核心を知っているというか、どうも彼女のペースに乗せられてしまい調子が狂ってしまうことが多く、決して悪い人ではないのだが、なんとなく苦手意識を感じる。
イレノアは、深緑に縁どられた薄茶色の虹彩の瞳に緑の黒髪、そして透けるような白い肌の美人で、子どもの頃に読んでもらった本に出てくる魔女のイメージと重なった。博識で頭の回転も速い。彼女の出身地の東アルタには魔法学校があり、彼女がそこで魔法を学んだ可能性は大いにあると常々思っていた。
そのジェイドと言う女性が武術を嗜むと聞き、ノーサンストの一部の地域では、女性でも護身のために剣術を学ぶ習慣があるという話を思い出し、どんなものか興味を持った。
なんとも釈然としない気持ちではあったが、父とは旧知の仲のドゥゴエル氏の娘との縁談ともなれば無下には出来ない。それに、次の縁談は自分から断らないと自らに誓っていたため、当然断れなかった。
海に面していないイルダル国は、その北の領土スノースバンを通りガイアム国の北の領土ノーサンストを通ってバラル湾に流れ込むエズス川を貿易の要としていて、イズミール方面に向かう陸路もノーサンストを通る必要がある。両国の友好関係を維持するためにもドゥゴエル家にとってこの縁談は意義のあるようにも見えるが、代々両家の関係は良好、今更そんな根回しは必要ない。この縁談には政治的な背景は特には見当たらなさそうだった。
自分の回答を引き延ばしても意味がない、何にせよ断らないと決めているのだからと、乗り気ではないがこの縁談を進めてもらうことにした。
なるようにしかならない「人間万事塞翁が馬」だ、東方の書物や骨董品を集めるのが趣味だった祖父に教わった東方の言葉だった。相手の娘が断ってくる可能性だってあるのだからと、縁談の話は忘れて残りの休暇をゆっくり過ごすことにした。
読みかけの本を手に取って読書を始めたが、どうにも集中できない。気分転換に川辺でも散策しようと外に出て馬小屋に向かった。
馬でならばドゥゴエル氏の屋敷には、ここから丸一日で行けるだろう、今から向かっても国境の手前で一泊して、明日の朝には到着できる。そう思うや否や向きを変えて家に戻り、遠出の準備をして近くにいた使用人に明日の夜には戻るとだけ伝え出発した。
屋敷の三階から継母がこちらに手を振っていた。窓辺には二羽のカラスがいて、彼女が手を振りながらカラスに何か話しかけると二羽は西のほうに飛んで行った。
エズス川に沿ってひたすら西に進めば、縁談相手が住む屋敷に着く。気づかれないように一目彼女を見ることができればいいのだが、そんなチャンスはあるのだろうか。運よく彼女が家の外にいてくれたら良いが、それは難しいだろう。使用人のふりをして父の使いで来たといえば、自分だと気づかれずに家に入れてもらえるだろうか。いや、ドゥゴエル家の人達は自分の顔を知っているはずだから直ぐにばれてしまう。などと、相手に気づかれずに、その娘を見る策を考えていた。
川を隔てて北側に森、南側には平原が広がっている。うららかな午後の日差しに少し眠くなってきたので、馬を降りて川辺で少し休憩することにした。馬に水を飲ませ、自分は適当な石に腰を掛けて休んだ。馬は自分の周りの草を食んでいる。いろいろ考えた挙句、もういっそのこと正直に彼女に会いに来たと正面切って訪ねてしまおうと覚悟を決めた。場合によっては事前の申し入れもなしに失礼だと会わせてもらえない可能性もある。最悪先方からこの縁談を断ってくることだってあるかもしれない。その時はそれで結構、ありがたい話である。
日も暮れてきたので宿を探して馬を預け、宿の主人に教わった酒場で夕食をとった。そこの川魚料理が美味いと勧められたので、魚料理とビールを頼んだ。川魚のソテーにたっぷりの煮豆がのっていて、付け合わせにジャガイモがついていた。味は美味しかったが、魚のソテーと煮豆は別々に食べたかったなと思った。この辺りは大麦の生産が盛んでビールが旨い。もう少し飲みたかったが、明日も早いのでそこそこで切り上げて床に就くことにした。
エイナーは人並み以上に酒が強かった、酔いつぶれるということがなかった。北の地は酒が美味い、イルダル国はビールと蒸留酒、ガイアム国はワイン。そう考えると父の後を継いでノーサンストの領主になるのも悪くない。領主の息子の定番人生設計と言えば、親の後を継いで領主になるか、軍に入って出世を目指す。王宮で文官として出世を目指すという方法もあるが、どうしても士官のほうが発言力も強く、文官は強力な後ろ盾があるか、相当な強かさがないと上に行くことは難しい。
幼い頃は自分は親の後を継いで領主になると思っていたが、アーチが生まれてからは何も自分が継ぐ必要はないようにも思えてきた。かといって、このまま軍で出世街道を進むというのも違うような気がしている、それに前回の縁談を断ったことでもう出世も見込めないかもしれない。他国との情勢が不安定になれば大きな戦闘にもなる、自分が国民を守るとういう強い正義漢で戦っている訳でもない、目の前の職務を全うしているだけに過ぎない。士官になりたての頃は、西のグレアム国や南のヘルマス国との情勢が不安定で度々戦闘になることもあった。家柄のおかげで最初から上級士官だった自分に嫌がらせをする上官もいた。それでも、運よく生き延びてきたが、いつまた危ない目に合うかなんてわからない。それに戦いになれば仕方のないことだが、沢山の敵の兵士を殺めることになる、敵とは言え良い気分はしない。場合によっては巻き添えになった民間人ですらどうしようもない時だって。などということを考えながら、じっとりとした眠りについた。
夜が明けるとすぐに宿を出て目的地に向かった。
昨日は勢いで出てきてしまったが、一夜明けると少し冷静になってしまい、一目見るためにわざわざ来る必要もなかったのではないかと思い始めた。しばらく進むとドゥゴエル氏の屋敷が見えてきた。もう少し近づくと、屋敷裏の森から誰か黒い馬に乗って屋敷のほうに向かっているのが見えた。白いシャツに黒いズボンを着た女性で、黒髪を頭の高い位置で一つに束ね、その束の下の方を赤い珠の髪飾りで束ねている。背中に剣を背負い手には弓を持っている。馬の背には彼女以外にカラスが一羽と猫が一匹。一目見ただけでは性別が分からなかったが、胸の膨らみを見て女性だと分かった。ぱっと見では端正な顔立ちの少年にも見えた。
祖父の骨董品にあった東方の絵画に描かれていた女武神に佇まいが似ていた。継母の言葉を思い出し、十中八九この女性がジェイドという娘だろう、まさかこんな簡単にお目にかかれてしまうとは。
狩に行ったにしては矢筒の矢も減ってないし、獲物も捕らえていない。領主の娘がお供も連れずにたった一人で狩に出るというのも物騒な話だ。森には熊や狼もいるため護身用の剣を持っていることは普通だが、小柄に見える彼女の背丈に対して剣が大きすぎる。素人が振り回せば自分だけでなく側にいる人にまで怪我をさせかねない。そんなことを考えながら、遠くからその娘を観察していると、彼女が振り返ってこちらを見た、目が合った。
不意を突かれて一瞬ギクリとしたが、近寄って何か話しかけたほうがいいと判断し彼女の方に向かって馬を進めた。彼女はその場に留まり、黒い瞳でこちらを凝視している。冷めた表情でこちらを見ているが、そこには不審者に対する敵意や恐怖などはなさそうだった。
話しかける良い言葉が見つからず、
「おはようございます、私はノーサンストの方からやってきたものなのですが、ドゥゴエル様のお屋敷を探しています。もしご存じでしたら・・」
と言い終わる前に、彼女が
「そこだよ。」
と表情を変えずに屋敷の方を指さした。耳元の赤いピアスが揺れた。指さす先には大きなお屋敷が立っている、だれが見てもそこがその屋敷である。馬鹿なことを聞いてしまったと思ったが、屋敷を教えてくれたことへのお礼を述べて会話を続けた。
「お一人で狩りですか?この辺りでは何が捕れるんですか?」
と精一杯の笑みを作り問いかけると、
「今日は狩じゃない。今の時期この辺りだと・・・多分、鹿とかウサギじゃないかな。」
きちんと時間をかけて答えを考えてくれているようだ。
「鹿とウサギですか、ウサギはないけど鹿は何度か、ぜひこの辺りでも鹿狩りをやってみたいですね。」
「まだ当分はできるから、いつでも来るといい。」
その後も、会話を引き延ばそうとこの辺りの名所について尋ねた、その度にきちんと考えて答えてくれた。
「私も家に帰るから、一緒に行こうか。」
と最後は家まで連れて行ってくれることになった。心なしか彼女の表情が緩んだようにも見えたが、笑顔と言うわけでもない。
「それで、うちに何の用なの?」
と単刀直入に問われ、回答に少し戸惑ったが嘘をついても後々ばれるだろうと思い、自分がノーサンストの領主の長男エイナーであることを素直に伝え、努めてさわやかな笑顔で答えた。
「国境近くまで来たのでご挨拶をと思い伺たんですけど、まだ朝も早いので伺ってよいものかと考えあぐねていたところでした。ここでお会いできて良かったです。」
「そうか、でも生憎、両親は急用ができたとかで、昨晩隣村に行ってしまっていて留守なんだ。」
額の汗を拭きながら彼女がそう答えた。まだ暑い季節でもないのに、そういえばずいぶんと汗をかいているなと思った。そんなこんなで屋敷の前までやってきたが、ご両親が不在ならばこのまま帰ろうと礼を述べて帰ろうとしたところ、
「これからノーサンストの屋敷まで帰るのならば、馬を休めたほうがいい。その間に朝食でもどうだい。」
確かに、この後一日かけて帰ることを考えるとありがたい申し出だった。少し気が引けたが申し出を受けることにした。
屋敷に入ると、使用人達は急な来客にもかかわらず、丁寧に対応してくれた。彼女は食事の前に身支度をしてくるから気にせず先に食べていてくれと言って、二階に上がっていった。さすがに、先に食べ始めるわけにもいかず、彼女を待つことを執事に伝え応接室で待つことになった。
何となく彼女に対して違和感があった。はっきりした違和感が一つ、漠然とした違和感が一つ。
はっきりとした違和感はしゃべり方で、あんな話し方をする令嬢は見たことがない。まるで町で出会った少年とでも話をしているようだと感じた。そして、漠然とした違和感は外見で、ハリス氏の娘ということは半分は西方の血が入っているはずだが東方の血がかなり濃いように感じた。しかし、そういうことはケースバイケースなのだろうと妙に納得して深くは考えなかった。
暫くして、着替えた彼女が二階から降りてきた。
「待たせたようで,済まなかった。」
「いえ、折角なのでご一緒できれば、私も嬉しいです。」
とにこやかに答えた。
よくある朝食メニューだったがパンがおいしかった。終始他愛のない話をし、縁談の話はどちらからも出なかった。食事中も彼女の表情は少し硬かったが時折笑ってくれることもあった、笑うと可愛いと思った。
礼を述べて屋敷を後にした。エイナーは軽やかな気持ちだった。
居間のソファーでくつろいでいると、
「ねえ、どうだったの?」
とワインを手にしたイレノアがにやりと笑みを浮かべて尋ねた。
「どうって、何のことですか?」
と、目を合わせずに答えると、
自分の隣にグイっと座り、こちらの顔を覗き込みながら、
「とぼけなくていいのよ、ジェイドさんに会ってきたんでしょう?」
かまをかけられていると思ったが隠す必要もないので、
「ええ、会ってきましたよ。それが何か?」
また、相手の目を見ずに答えた。
「何か感想があるでしょう?話はしたの?」
「話はしました。」
今日会った彼女の印象を思い出しながら答えた。育ちが良いとは言えない少年のような口調が気になってしまって、言葉を選んで答えた。
「独特な話し方でしたけど、話やすいし笑うと可愛いいというか。」
「独特ね、確かにその表現は正しいかも。でも、笑うと可愛いなんて随分と気に入ったみたいじゃない。ねえ、あなた。」
「そうかそれならば、この話は早めに進めよう。それはそうと会いに行くならば事前に先方には連絡をいれるべきだったな。」
と優しく微笑みながらこちらを向いて父が言った。
「確かに、それは申し訳なかったと思っています。急な訪問にも関わらず、丁寧に対応してくれたので、ジェイドさんには謝罪を兼ねてお礼の手紙を出しておきます。」
「お礼の手紙か、いいね。」
と父に言われて、少し気恥しくなった。
「エイナーさんって情熱的なのね。未来の花嫁に一目会うために、夜を徹して馬を飛ばしラブレターまで書くなんて。もっと冷めた人だと思ってたからこの縁談をそんなに喜んでくれるなんて、私も嬉しい。」
と真顔で言ってくるイレノアに、真顔で答えた。
「冷めていません、人並みの情熱くらいは持ち合わせています。」
頭の中では言い訳の言葉が巡っている。夜は宿で寝ていたし、ラブレターじゃなくて謝罪の手紙だ、この縁談は始めから断らないと決めていたから進めているだけなのだと。「人並みの情熱」とは冗談のつもりで言った言葉だったが、それは一体どういうものなのだろうか?果たして自分にはあるのだろうかと、ふと考えてしまった。
鉄は熱いうちに打てと言わんばかりに急ピッチで縁談の話は進み、エイナーの休暇中に両家の顔合わせとなってしまった。三日前に通った道を父、継母、弟と一緒に馬車に揺られドゥゴエル邸へ向かった。馬車の移動は体が楽だが時間を持て余して眠くなる。
隣でお絵描きをしているアーチに紙とペンを渡され、
「おにいさまも、かいて」
とせがまれ、
ウサギの絵を描きはじめたが、途中で気が変わりその紙を折って蛙にした。蛙の背中を指で押さえてパッと離すとその蛙がジャンプをした。
「かえるさん、とんだ」
アーチがキラキラした目を真ん丸にして手を叩いた。
アーチはこの蛙が甚く気に入ったらしく、その後何個も作らされた。イレノアも一緒に鳥や紙飛行機を折ってアーチを喜ばせた。父はその隣で陳情書やら報告書に目を通しているようだった。
途中の村に寄って昼食をとることになり、別の馬車で同行していた父の部下数名と乳母も同席した。昼食後、父は部下と急ぎの相談があるとかで違うテーブルに移動していた。このテーブルには継母のイレノア、弟のアーチ、乳母のローラと自分の四人になった。
乳母のローラは姉達や自分の乳母もしていた人で、おしゃべり好きなやおっとりとした女性である。自分の子どもの頃のことを些細なことであっても覚えていて、今でも頭が上がらない。
「エイナー坊ちゃんがお嫁さんを迎える日が来るなんて夢のようです。私嬉しくて、嬉しくて、涙が出そうです。前回の縁談断った後は本当に大騒ぎで、アドルフ様もこれは出世に響くと心配されまして、ハリス様にご相談して今回の縁談を用意なさったんですよ。」
ローラは、横でイレノアが(それ以上喋らないで)と言わんばかりに睨みつけているのにも気が付かず、エイナーの両親が隠していた今回の縁談の経緯を喋ってしまった。
「なに、それどういうこと?」
「ほら、親が決めた許婚がいたってことだったら、縁談断っても皆さん納得されるでしょう。だから、その、」
やっとイレノアの視線に気づきと口籠ったが、結局全て話してしまった。イレノアが肩をすくめて笑いながら、
「もう、ローラったらお喋りなんだから、口止めされてたのに喋っちゃって。でもまあ、ジェイドさんにもエイナーにもいい相手が見つからなかったら、いずれは二人を結婚させたいってハリスさんもアドルフも思っていたみたいだから丁度良かったのよね。でも、私、正直エイナーがこの縁談を断らなかったのは驚きだった。」
それを聞いたローラが嬉しそうに、
「きっとこれも何かのご縁ですね、ロナ様も喜んでくれていますね。」
父親にそんな心配をかけていたとは露知らず、頭を抱えて自分の情けなさを嘆いた。ふと窓の外に目をやると大きな雲と小さな雲がつかず離れず流れていく、それを見ながら、もし今も母上がご存命だったらこの結婚を喜んでくれたんだろうなとも思った。
ドゥゴエル邸に着く頃には日も暮れて辺りは暗くなっていた。執事に案内されて広間に通されると、当主のハリス、その妻のミレンナ、そしてジェイドが迎えてくれた。
ジェイドは白いレースの詰襟のドレスに背中に大きな青いリボンをつけ、耳には先日会った際にもつけていた赤い石で出来たしずく型のピアスをしている。黒髪をゆるく結いあげている。決して派手な顔ではないが、しっかりした目鼻立ちの涼しげな美しい顔立ちである。
先日会った時はきれいな顔立ちの少年のようだと思ったが、ランプの明かりに照らされたその顔は伏せた長いまつ毛が妖艶で、少しドキッとした。
前回の訪問から数日で今日の顔合わせとなったため、突然訪問したことへの謝罪の文を送る暇がなかったが、この顔合わせで直接お詫びを伝えることも出来るだろうと考えていた。
夕食をとりながらも、早速、結婚式の準備の話になった。
父親同士はひとまず急いで家族だけで式を挙げることを望んでいるようだったが、さすがに花嫁には気を使っているようで、式への希望があれば準備の期間はきちんと確保するからと、希望を何なりと教えて欲しいと伝えた。しかし彼女はドレスに落ちたパンくずを払いながら答えた
「希望はないし、いつでもいい。」
それを聞いたアドルフがエイナーに尋ねた、
「エイナー、最短で次はいつ帰ってこられる?」
質問の意図を深く考えずに、ざっと算定した最短期間を答えた。
「急ぐならば、二週間後くらいですね。」
「では、式は二週間後、場所はジェイドさんの希望がないのであれば、うちの教会でどうだろう。」
アドルフの提案に誰からも反対意見は出なかった。
結婚式なんて早くても半年後くらいの話だろうと考えていたため、少々面食らったが、式なんて形式上のことなので二週間後だろうが一年後だろうが大きな違いはないとエイナーも反対もしなかった。
そして結婚式は二週間後に決まった。
式の日取りが決まればと、その後はミレンナとイレノアが指や衣装の準備をどうするかを自分たちの事のように話し合っていた。ジェイドは指輪も衣装も全く興味がないようで二人の提案に対して「それでいいよ。」と答え、最後は質問されるのに嫌気がさしたようで、頬杖をついてフォークで二人を指さしながら「勝手に二人で決めてくれていいから。」と言っている。
エイナーも頬杖をついてこの三人をジトっとした目で眺めながめた。
イレノアの言葉を思い出し(裏表のない性格ってこういうことだったのか。それにしも、ちょっと放任過ぎやしないか?)と家柄とはあまりにも不釣り合いな態度の彼女とそれを容認どころか、全く気にもとめない周囲にも困惑していた。多少礼儀には厳しいはずの自分の父ですら彼女の振る舞いを当然のように受け入れている。
気を取り直して、隣でプディングのレーズンをフォークで取り除いているジェイドに話しかけた。
「レーズンが嫌いなの?」
「嫌いじゃないけど、これお酒の匂いがするんだ。」
こちらを見ずにレーズンを取り除くことに集中している。
「先日は、連絡もなく急に訪問してしまって申し訳ありませんでした。」
と顔を覗き込みながら言うと、ジェイドが急にこちらを向いて答えた、
「連絡はあったよ。」
はて?連絡なんて出来る訳がない、突然行くことを決めて誰にも行き先を伝えなかったのだからと言葉に詰まっていると。
「イレノアからミレンナに連絡があった。」
「どうやって?」
と聞くと、ジェイドはにやりと笑い、唇をエイナーの耳元に近づけて、
「あの二人は魔女なんだ。」
と小声で囁いた。連絡があったことも含めて彼女流の冗談なのかと思ったが、
「どういうこと?」
と問うと、
「あの二人は、カラスを使役できて人の心が読める。」
「じゃあ、私の心を読んでここに来ることを知って、カラスを使って君の母上に連絡したってこと?」
ナプキンで口元を拭きながらいたずらっ子のように横目でこちらを見ながら、
「その通り。」
とジェイドは答え、少し間をおいて
「さすがに心までは読んでないだろうけどあの二人は察しが良い。カラスを使役できるってのは本当。二人はスヴァルト・スコウルの同級生なんだってさ。」
スヴァルト・スコウルとは東アルタにある魔法学校のことである、エイナーは自分の継母がそこの出身者ではないかと冗談半分に考えていたが、本当にそうだったとは、
「その事は、父上たちは知ってるの?」
「知ってるよ。他の人には話してないみたいだけどね。」
「君もお母上から聞いたの?」
「いいや、ミレンナがいつも私に監視のカラスをつけてくるから、オヤジを問いただした。そうしたらそうだって認めたよ。」
オヤジに問いただす?返す言葉に詰まった。
話題を変え思い切って、彼女になぜこの縁談を受けたのか理由を聞こうとしたその時に、ミレンナとイレノアがこちらに向かって声をかけてきた。仕方なくその質問を飲み込んだ。
「明日は式の衣装と指輪の寸法を測るから、二人とも家にいてね。」
翌朝、早く目が覚めてしまったので早朝の散歩に出かけた。青々とした大麦畑の中を歩いていると後ろからジェイドが追いかけ来て、
「早いな、よく眠れたか?」
と勢いよく声をかけてきた。
「おかげさまで、と言いたいところだけど、ちょっと寝不足かな。」
青いサテンのドレスに黒のブーツを履いている彼女は、スカートの裾が邪魔にならないよう片手でたくしあげ、ものすごい勢いで走って来た。耳元には昨日と同じ赤いしずく型のピアスが揺れている。どこから走ってきたのかわからないが全く息が上がっていない。
「散歩か、私も行く。」
そう言って、溢れるような笑顔で横に並んだ。
「案内してよ。」
不思議と親しい友人と散歩をするかのような楽しい気分になった。
「いいよ。でもこの道はずっと畑が続いているから、あっちに行こう。」
少し誇らしげに丘の方を指さし、
「何がある訳じゃないけど、あの丘から畑や町が一望できるんだ。」
丘に登ると、眼下に広大な麦畑とそれを囲むような牧草地が広がっていて、歩いてきた方向に町が見える。牧草地は所々が白いフェンスで囲われていて、所々に白樺の木が立っている。その間を馬たちがのんびりと過ごしている。ゆっくりとした美しい時間が流れていた。
散歩から帰り朝食を済ませるとジェイドに誘われ屋敷の裏にある修練場に行くことになった。剣の手合わせをして欲しいと頼まれたがエイナーは全く乗り気ではなかった。女性相手に手合わせをしたことがなく、どのくらい手加減すればいいのかがわからなかった。万が一、間違って怪我でもさせてしまったら大変なことになる。両親たちも同席していたが、誰一人この立ち合いを止めようとする者はいなかった。
彼女は真剣でも良いと言ったが、さすがにそれは怖いので木剣で手合わせをすることにしてもらった。
エイナーが木剣を手にどうしたものかと困惑しながら軽く構えると、彼女は片手で木剣を二,三回振りそのまま打ち込んできた。
打ち込んできた瞬間にこれは何かが違うと感じ、両手で木剣を頭上に構えて相手の剣を受けようと咄嗟に考えたが、この勢いでは自分の木剣が折られて頭に相手の剣が当たってしまう恐れもあると、そのままの構えを維持し相手の剣を受けて左に押さえようとしたが、剣と剣がぶつかった瞬間の衝撃でエイナーは後ろに数十センチ後退させられていた。剣を立てたままどちらも引かずお互いの顔と顔が近づく、剣同士がぶつかった瞬間のインパクは凄かったが単純な押し合いにであれば自分の方が力は強いようだ、このまま剣を押さえつけて手首をつかめば木剣を奪うこともできそうだが、この細い手首を強くつかんだら痣になるかもしれないとも思い、
「もうやめませんか。」
と小声で申し入れた、しかし、
「大丈夫。」
と言われてしまった。
何が大丈夫なのかわからなかったが、仕方なくエイナーが力で剣を押し戻し始めたその時、ビリっと何かが破れる音がした。その瞬間ジェイドが後ろに飛び退き後ろに首を反らしてスカートの後ろ側をつまみ上げ「あ~」と言いながら、スカートの破れた部分を覗き込んでいる。しかし、彼女からは攻撃をやめるような気配は漂っておらず、念のため構えを崩さずにいると、彼女が顔を上げてこちらに向き直し、再び打ち込んできた。
その時ミレンナが大声で叫んだ。
「着替えてからやりなさい。」
完全に論点がずれている。しかし、これで彼女も攻撃をやめるだろうと思ったが、ホッとする間もなく、
「もう破れちゃったんだから、着替える意味ないよ。」
と言いながら突っ込んでくる。
先ほどの数倍の威力で打ち込まれたようだったが、打ち込みのインパクトに備え低めに構えていたため、後退させられることなくそこで何とか耐えることができた。
「やるね。」
と満面の笑みを浮かべて、後ろに飛びのき間髪入れず高く飛び上がり上から打ち込んでくる。こんな流れる様な動きで攻撃してくるなんてあり得ないと思いながらも、自分もどうにか体が反応し相手の剣を受け、その衝撃を吸収しながら何とかその攻撃をはね返した。跳ね返された彼女は後ろに一回転してきれいに着地した。
木剣を地面に突き立てて、
「応戦一方だね、なんで反撃してこないの?」
とつまらなそうに口を尖らせて言った。
勿論反撃なんてするつもりはない、ハリスの目の前で娘に反撃なんて出来るわけがない。
「いやいや、お見事。さすがガイアム国王軍の若きエースだね。最初の一撃で吹き飛ばされなかったのは君が初めてだよ。」
と目を細めて笑いながら手を叩いてこちらに近づいてくる。
穏やかで人好きのする性格いつも穏やかに笑っている印象のハリスだが、彼にはあまり良くない噂があった。国土の約三分の一の統治を任されている領主であれば多少の謀があるのは仕方がないことだろとは思うが、彼はこれらの噂話に関しては何も語らず弁明もしていないらしい。
ガイアム、イルダル両国は協力協定を結んでいることもあり、いずれの国王軍へも両国の地方で起こった事件、事故などの概要や裁きの結果などが報告されその記録が文書で保管されていて、士官であればそれを読むことができる。数年前に調べ物をしていた際に父の親友であるハリスのことが書かれた記録を目にし、つい気になって色々と調べてしまった。
これらの事件について父がどう思っているのか、気になって尋ねたことがあったのだが、
「あれほど愛情深い男はこの世界のどこを探してもそうはいない、どんな噂があろうが自分はハリスを信じている。」
とだけ述べてその時はそれでこの話は終わりになった。
その記録よれば、今から十八年ほど前、当時スノースバン領主だったハリスの兄が不慮の事故で無くなり弟の彼が領主を引き継ぐことになった。その事故の直前、ハリスは「リーイン」という東方の女性を家に迎え一緒に暮らし始めていた。周りの者は彼はリーインと結婚するものと思っていたが、兄の死から、数カ月もしないうちにリーインも不慮の事故で亡くなった。リーインが亡くなる少し前にハリスは、「ムーラン」という東方の女性を家に迎えた。結局ハリスはムーランと結婚し、ムーランとムーランとの間にできた娘の三人で暮らした。その後のムーランと娘の失踪、ムーランの死と、彼の周りには多くの事故が起こっていた。
兄の死因は毒の誤飲とそれによる持病の悪化で、偶然とあるキノコと植物の根を一緒に食べたことで持病を悪化させてしまったとのことだった。キノコも植物の根も食用にしており単体では毒にはならず、一緒に食べると毒になることもあるが、健康な人であれば死に至るような毒でなかった。最終的には、その毒で持病を急速に悪化させてしまい死に至ったと診断されていた。
リーインの死因は誤って足を滑らせて崖から川に転落したことで、遺体の損傷がひどかったが、背格好や服装、持ち物からリーインであると特定された。ハリスも遺体の確認をしていて間違いないと証言していることが記録されていた。
国外で亡くなったムーランの死因のついては記録がなかった。
ハリスにまつわる噂話をイレノアから聞いたことがあった。父がこれらの件に関して何も話してくれなかったため、少し心配になってイレノアに尋ねたことがあったのだ。その時のことをすっかり忘れていたが、この縁談話が進む中で徐々に思い出してきたこともあった。
イレノアは噂話に敏感でおしゃべり好きではあるが、真偽不明な話には中立的な立場を維持しようとし、どこまでが根拠を持った事実でどこからが憶測かを区別して話てくれる。そのため、彼女が真剣に話をしている時は聞き流さずに真剣に話を聞くことにしていた。
ただ、いずれの件も彼女がノーサンストにやってくる前の出来事であるため、彼女から次のように釘を刺されていた、
「私は、当時のことを知っているわけじゃないし、今から話すのは世間でされていた噂話の羅列に過ぎないの、だから絶対に、絶対に鵜呑みにはしないでね。誰かが悪意をもって流言を流したかもしれないし。あと、これらの話に私の個人的な意見は全く含まれてないってことも忘れないでね。」
また、イレノアもハリスのことは信頼しているようで、
「そんなことはないと思うけど、万が一、本当に万が一、本当に彼が手を下しているのであれば、それは、恨みや私利私欲のためではなく、已むに已まれぬ事情があってのことだと思う。アドルフもよく言っているけど、ハリスさんほど愛情深いやさしい人はそうそういないと思うの。」
とも述べていた。愛情深い分人を恨むこともあるのではと思ったが、正直ハリスのことをそこまで良く知らない自分が考えても無駄なので、その時はそれ以上分析することをやめた。
ハリスの兄は、やや強引なところがあるやり手の領主で、敵もそれなりに多く、彼の死はそういった人間による故意の毒殺だったのではないかと言われていた。疑わしいそうな人物は数名上がっていたが証拠がなかった。また、死因が食べ合わせと持病という複数の要因が重なったものであったため、そんな不確実な方法をとるだろうかという疑問もあった。その人物が証拠を残さないためにいろいろな方法を試して、どれかが当たればラッキーくらいに考える気長な人物であれば無い話でもないが、敵がそんな悠長に構えるものだろうか。逆に身内の恨みであれば、そういった手を使うこともあるかもしれない。そこで、ハリスが領主の座を得るために兄を殺害したという噂も流れたが、穏やかで争いごとを好まない性格のハリスは、ずっと兄の片腕をして自分が得意とする貿易や流通と言った一部分の手伝いをすることが自分の性に合っていると以前から周りに話していたし、実際、兄亡き後、暫くしてハリスは領主の重責に耐えられず体調を崩してしまい、妻のムーランが公私ともに献身的に支えどうにか領主として機能するようになったと言う。
リーインは東方の国「西夏」の商人の娘で、ハリスとは貿易の仕事を通して知り合い懇意になったらしい。その後、家に迎え一緒に暮らすようになったのだが、ハリスの兄の事件の辺りから体調を崩して家にこもることが多くなった。リーインは他国から一人でやってきたため、生活習慣になじめず情調が不安定になり夜になると徘徊をするようになり、徘徊中に崖から足を滑らせて川に落ちて死亡した事故と判断された。死体はかなり下流の方まで流され損傷がひどかったが、服装や背格好、ハリスが送った指輪とブレスレットをしていたことから彼女と判断された。それだけであればこの話はそれで終わりとなるのだが、生活に馴染めず体調を崩したリーインのためにと、同じ東方の出身であるムーランと言う女性をどこからともなくハリスが連れてきてリーインの面倒を見させていたという。
ムーランはリーインが亡くなった後にハリスとの間に娘を産んだが、出産時期から考えるとこの家にやってくる前から腹に子を宿していたのではないかと邪推され、他所に囲っていたムーランに子が出来たため、邪魔になったリーインをハリスとムーランが共謀して殺害したという噂もあった。
また、ハリスの妻の座を得るためにムーランが単独でリーインを殺害したという噂もあったが、ハリスが体調を崩した後のムーランの献身的な姿を目にした者たちは徐々にそういった話もしなくなったという。
他には、娘があまりハリスに似ていなかったため、娘の父親はハリスではないのではないかと言う噂もあった。
ハリスのジェイドへの放任主義と今回の余りにも早すぎる縁談の進み具合から、もしやハリスはジェイドに早く家を出て行ってもらいたのではないかと勘繰っていたため、もしジェイドが自分の血を分けた子どもではないのであれば、そう思っていても不思議ではない。
一つ面白い話があり、実はリーインはとある組織のメンバーで依頼を受けてハリスの兄を殺害するためにハリスに近づき、その依頼を成し遂げ、その後、おかしくなったふりをして自分の死を偽装し逃亡。そして、今もどこかで生きているというものだった。この噂については、信憑性はあまりないと思っているが面白い話だと記憶に残っていた。
ムーランの失踪と死亡については情報があまりにもなさ過ぎて逆に怪しいと思う者もいたようだ。実は、ハリスが自分の子どもと偽って他の男の子どもを産んだムーランへの仕返しをしたのではないか、そしてこの話を彼が隠蔽しているため表向きには何も情報がないのではないかと、噂されていた時期もあったらしい。
ハリスから少し二人で話をしようと誘われ、修練場が眺められるテラスで座って話をすることになった。自分もハリスとは話がしたかったので好都合だった。
「育った環境によるものか、ジェイドは勝つこと強くなることに強い執着があってね、戻ってきたばかりの頃はそのために学校でも問題を起こしたこともあったよ。あれは学校に通い始めた初日だったかな、男の子に髪の毛をひっぱられてジェイドは間髪入れずにその子を蹴り飛ばしてしまった。その男の子は病院行になってね、あばら骨の骨折だったかな、私もその話を聞いてそれはやりすぎだと思い、彼女になぜ蹴ったりしたのか理由を尋ねた、そしたら彼女は(喧嘩を売られたから買っただけ、喧嘩を売ってくるからにはそれなりに自分の強さに自信があるはず。それに、あばらが折れるくらいは怪我じゃない。)って答えてね、喧嘩を吹っかけてくるような子は多少なりとも自分の腕に自信があるものと思い込んでいたし、自分は売られた喧嘩は買うし買った以上は必ず勝たなければならないと考えていた。この出来事の後、何人か彼女に挑んだものもいたが悉く返り討ちにされ、もう誰も彼女に手出しはしなくなった。彼女も、同い年くらいの子では全く自分の相手にならないことを理解して大人しくしていた。あ、何が言いたいかと言うと、彼女は強くなることが自分の価値だと思っているところがあってね、自分の力を試せる場や修練ができる機会を強く求めているんだよ。」
正直、この話の目的がわからなかったが、話を合わせた
「強くなることが自分の価値ですか。何か強くなりたい理由があるのですか?」
少しハリスの目が泳いだようにも見えた、何か答えづらい質問をしたのだろうか?
「彼女には家に戻ってくるまでの記憶がないからね、どうしてそう思うようになったのかは自分でもはっきりとは分からないかもしれないが、十二歳の女の子がそんな価値観を持つってことは、余程の辛い経験をしてきたんだろうと思ってね、私は甘やかしてしまっているのかもしれないが、彼女のやりたいようにやらせてしまっている。元気でいてくれればそれでいいと思っている。」
修練場にいた他の男の子たちとジェイドが楽しそうに話をしていた、
「地方軍の新入り達でね、彼女が彼らに稽古をつけている。地方軍は国王軍とは違い育成システムが整備されていないことの方が多いが、この地域は彼女の母親がそのあたりを整備してくれて、今でもそのシステムが生きている。当時、彼女にしごかれた面々が今も前線で自衛を担ってくれている。
ジェイドも学校を卒業した後はそのあたりを手伝ってくれている。」
地方には領主管轄の自営部隊があり、地方軍と呼ばれているが、運営は各領主の采配に任されているため、質にはばらつきが大きかった。スノースバンの地方軍は自らの力で十分に自衛が可能な優秀な軍だと言われていた。
何と返すのが正解か判らなかったが、ジェイドの母の話が出てきたので、気になっていたことを尋ねてみた。
「ジェイドさんのお母さまもお強い人だったんですね。亡くなられた原因は何だったのでしょうか?」
ハリスは俯いて、
「それがよくわからないのだよ。彼女の遺体が発見された現場に、彼女と面識のあった行商人が偶々通りかかって遺品を持って帰ってきてくれた。それがムーランがいつも持っていたお守りだったのでその遺体がムーランだとわかった。直ぐに人を送って確認させたが、既に荼毘に付されていて、その遺品以外に証拠になるものもなく死因も分からなかった。その近くにジェイドがいるかもしれないと思い探させたが見つからなかった。」
ハリスは俯いたままだった。ハリスに昔のことを思い出させるのは忍びないと思いつつも、エイナーは尋ねたかったことを聞いた。
「遺体が発見されたのは、どのあたりだったのでしょうか?」
「確か、イズミール地方と西山の国境辺りだったかな。何故彼女がそんなところに行ったのか全く見当がつかない。」
俯いたハリスの表情を見ていると心苦しかったが、続けて尋ねた。
「ジェイドさんはどうやって帰ってきたのですか?」
ハリスは俯いたまま、少し間をおいて、
「身元不明の怪我人として病院に運ばれてきた。私も彼女のことはずっと諦めきれずに探し続けていいたので、彼女の特徴に似た身元不明者がいると聞けば確認に行っていた。彼女を一目見て、直ぐにジェイドだとわかったよ。」
ハリスは顔を上げて、その時のことを懐かしむように、遠くの空を眺めていた。
「ジェイドには本当に苦労を掛けた、苦労なんて言葉では足りないくらいだ。だからここで元気に暮らしてくれればそれでいいと思っていた。少々危険な事はあっても、自分の手元にいてくれればいつでも助けることができるからね。子どもの頃の彼女は本当に可愛くてね、私のことをお父様と呼んでくれて、おとぎ話や昔話を聞くのが大好きだったよ。私のベッドに潜り込んできては私の胸に顔をうずめながら、お父様、お話聞かせてとせがんでくれたものだった。」
ハリスはうっすらと目に涙を溜めているようにも見える。そういえば、昨日、彼女がハリスのことを「オヤジ」と呼んでいたことを思い出し、彼を不憫に思う気持と何となくバツの悪さを感じながら、
「なぜこの縁談を了承してくれたんですか?」
と尋ねると、ハリスは少し考えて、
「娘も十七歳になる、いつまでもここに留めて置く訳にはいかないだろう。」
と遠い目をしながら答えた。
十七歳であればまだ手元に置いておくことはできるだろう、もしや彼女が家を出たがっているのではないかとも考えていると、
「何故か娘は君のことを気に入っているようで、二つ返事で承諾したよ。以前ジェイドは君と会ったことがあるのかもしれないな、ロナさんの葬儀にはあの子も参列させてもらったから。ただあの子にその時の記憶があるかどうかは分からないけど。正直、縁談なんて断るものだとばかり思っていた。彼女に思いを寄せてくれるのは女性ばかりで、町で助けてもらったという女性が熱心に手紙やプレゼントを送ってきたり、身の回りの世話をさせてもらいたいと家に押し掛けてきたりでね、男の影なんてこれっほっちもなかったからね。いずれはと思っていたがあまりにも急だったので、今回は本当に青天の霹靂、いや失敬、兎に角、娘が望むのであれば私は反対はしないよ。」
とやや憔悴した表情で、ジェイドの方を眺めていた。
ジェイドは、新入り達とまだ話をしたいようだったが、破れたドレスを着替えるためにミレンナに引きずられて屋敷に戻っていった。
結局、肝心なところが詳細不明。
ハリスの話を頭の中で反芻していたが、肝心なところははぐらかされている様な気もする、彼は何か隠しごとをしているのかもしれない。しかし、彼の娘への愛はおそらく本物だろうと感じた。この縁談を彼女が二つ返事で承諾したことには驚いた。本当に以前会っているのだろうか?どんなに思い出そうとしても彼女に関することは何も思い出せない。母の葬儀の前後は精神的に不安定だったせいで記憶が定かでないことが多く、特に葬儀の日のことはほとんど覚えていなかった。葬儀に日に自分が母の形見のルビーのペンダントを失くしてしまったことを姉たちに責められたことがあったが、そもそもそんなペンダントがあったのかすら覚えていないし、本当は姉たちが失くしたのに自分に責任を擦り付けたのかもと思っている。
もしかして彼女は単に家を出るためだけにこの縁談を承諾したのではないか?と勘繰っている自分がいて、少し複雑な思いになった。彼女は強くなって家を出て何がしたいのだろう?
やはり、ハリスにもジェイドにも謎が多い。ただ、ジェイドに関する謎は、彼女自身が招いたものではなく、単に巻き添えをくらっただけで彼女自身が責められるようなことは何もないのだろうと、少し彼女に同情的な気持ちになっていた。
その後は一日中、式の準備で忙しかった。式当日の打ち合わせ、衣装選びと採寸、指輪の採寸、関係者への挨拶周りと事情説明、ジェイドの引っ越し準備の相談などなど。
エイナーは、ジェイドは当面はこの家で暮らし時期をみて自分の家に引っ越してくるものと勝手に思っていたのだが、式の後すぐに引っ越してくることになり、彼女と暮らすための準備もこの二週間で対応しなければならなくなった。ジェイドに新居や家具などの希望を聞いたが、案の定「特にない、寝るところがあれば問題ない。」と言われたので、エイナーが今住んでいる家で適当に準備をしておくことになった。空いている部屋があるのでそこに最低限の家具を入れて、他に必要なものがあれば後から自分で選んでもらえばいいし、後は、寝室のベッドをもっと大きいものにするくらいで、一先ずどうにかなるだろうなどと考えながら、隣に座っているジェイドに目をやった。白地に淡い小さな緑色の花柄のドレスに着替えさせられた彼女は、打ち合わせに飽き飽きしてただ時間が過ぎるのをじっと待っているようだった。二週間後には本当にこの人と一緒に暮らすのかと考えると、なぜか鼓動が早くなるのを感じた。もしかしたら少し顔も赤くなっていたかもしれない。
結婚指輪はミレンナが持っている黒銀石と呼ばれる鉱物から作ってくれることになった。自分の指輪を作るために取り寄せたものだったそうだが、折角の機会だからと好意で譲ってくれることになった。黒銀と言うだけあって黒みがかった指輪になるらしい。
「この鉱物から作った指輪をしてるとね、雷に打たれても死なないって言われててね、あとは、指輪をつけている人が世話をしている土地は豊作になるとも言われててね、あと、色が変わったりもするの。兎に角、凄い石なの。」
いまいち、どの辺に有難味を感じれば良いのかわからないミレンナの説明にジェイドが補足して、
「雷に打たれた場合、この黒銀を身に着けていると雷を吸収してくれるっぽいんだよね、他の鉱物でも同じ性質はあるみたいだけど、特にこの黒銀はその性質が顕著らしい。豊作に関しては真偽のほどは分からないけど、雷が多い年は豊作になるって言われてるから、そのあたりからそう言われているだけかも。色が変わるってのは本当で、人の体温や汗なんかによって色が変化することがあるらしい。この鉱物を加工できる職人が本当に少ないってこともあって、石自体が一般には流通してないから欲しかったら自分で石を取りに行くしかないんだよね。一般受けはしないけど既に装飾品に加工されているものがあれば、一部のマニアはかなりの高値で買ってくれる。」
「そうそうそうなの、それでね、私の知り合いに加工できる職人がいて二週間あれば大丈夫だって言っているから、結婚式にも間に合うから大丈夫。デザインはお任せでいいわよね。あと、加工賃はエイナーさんよろしくね。」
両手を頭の後ろに回して、天井を眺めながらジェイドが、
「シンプルだったら、何でも、」
と言いかけ、ミレンナの方に向き直し作り笑顔で、
「何でも嬉しいよ。」
と答えた。
エイナーも、満面の笑顔を作って、
「勿論、喜んで。」
と答えた。
怒涛の準備はまだ続いているようだったが、エイナーは息抜きにと外に出た、既に日も傾きかけていた。大きな木の下を通りかかると、急にたくさんの緑の葉っぱが落ちてきたので、上を見上げると、ジェイドが木の枝に座ってこちらに手を振っている。自分も木に登って彼女の隣に座った。
今日一日だけでも、彼女が家族や仲間たち、そしてこの土地に愛着をもっていることは何となくわかったような気がした、今も愛おしそうに夕日を眺めている。
「この家を離れるのは、寂しくないの。」
「離れてみないとわからない、もしかしたら寂しいって思うかもしれない。エイナーは家を出た時寂しかった?」
そう問われて、昔のことを思い返した、
「あんまり覚えてないな、八歳から学校の寮に入っていたから、でも長期の休みに家に帰ることを心待ちにしていたな。」
「そっか。」
と答えてジェイドがこちらを向いた、目が合った。彼女の夕日に照らされて茶色く光る瞳をよくよく覗き込むと、薄っすらと紫がかっていることに気が付いた、吸い込まれるようで目が離せなくなっていた。気が付くと、彼女の頬に手を当ててそのままそっと口づけをしていた。驚いた彼女がふらついたので、エイナーは我に返って彼女が枝から落ちないように肩に手をかけ支えようとしたが、そのまま一緒に下に落ちた、と思ったが、気が付くとジェイドは両膝裏を枝に引っ掛けて逆さにぶら下がっていた。自分は彼女の腕を左手で掴みながら、もう片方の手で枝にぶら下がっていた。
「大丈夫だから、腕を離して。」
と言われ、彼女の腕を離すとジェイドは直ぐに枝に座り直しエイナーを引っ張り上げてくれた。
「ありがとう。」
手を貸してくれたジェイドに礼を言いながらも、心の中では助けなしでも一人で戻れたんだけどなと気恥ずかしくなった。
丁度、二人が腰を掛けていた枝は屋敷の二階と三階の間くらいの高さがあり、二階の窓に二人の人影が見えた。その人影がさっと隠れたため誰なのかはわからなかった。
エイナーは何となく気まずい気分になって俯いたが、何か言わなければと顔を上げると、目の前にジェイドの顔が近づいてきて、
「申し訳なかった、私がふらついたせいで」
と言って、彼女の方から唇をエイナーの唇に軽く重ねてきた。
一瞬何が起こったか判らず面食らっていたが、どうやらさっきの続きをしてくれたらしい。返り討ちにあった様な気分で更にバツが悪い心持だったが、彼女の唇が本当に軽く軽く自分の唇に触れている状態のままなので、どうしたものかと考え少し体勢を変えようと動いたその時に、彼女の唇が自分の唇から離れて、彼女は両手で自分の顔を覆い体ごと顔を背けて、
「は、恥ずかしい。」
と大声で叫んだ。耳まで真っ赤になっている。
両手は顔をしっかりと覆いどこにも寄りかからず、なぜこの体制で安定して枝に座っていられるのか不思議ではあったが、見たところ落ちる気配はないし、落ちたとしてもさっきみたいに足で引っ掛けて自分でどうにかできるのだろうと思ったので、そこは心配しなかった。次の瞬間、彼女は顔を覆ったままその場で立ち上がり下の枝に飛び移り、そのまま地面まで飛び下りて屋敷の中に駆け込んでしまった。
急いでエイナーも木から降りて、彼女を追ったがどこに駆け込んだのか分からず探していると、ミレンナが彼女の部屋の場所を教えてくれた。
部屋の前に立ち扉をノックして、
「ジェイドさん、大丈夫ですか?」
と声をかけた。
暫く待つと、大声で
「大丈夫じゃない、少し落ち着くまで待て。」
何か声をかけようかと悩んでいると、ミレンナが笑みを浮かべて、
「大丈夫よ、一人にしてあげましょう。小一時間もすれば出てくるから。それまであっちでお茶でもしましょう。」
継母達と三人でお茶をしながらジェイドが出てくるのを待った。ミレンナにもハリスとの間に五歳になる娘のドリスがいる。イレノアとミレンナは年齢も同じ、結婚した時期も子どもの年齢も同じなのである。彼女はエレノアに少し雰囲気が似ているが、もっとおっとりとしていて、喋る時には碧の瞳を爛々と輝かせて大きな目を見開いて、決して早口ではないのだが、息をしてないのではと思ってしまうくらいお喋りが止まらなくなる。
ミレンナが、ジェイドは心が落ち着かないことがあると瞑想をする、それは静かに座って心を無心にすることだと説明してくれた。また、彼女の日々の日課を教えてくれて、彼女は毎朝、一人で森に行って瞑想し、崖を駆け上り、剣術の練習をする。朝食の後は軍の面々に剣術の稽古をつけて、その後は何か調べものをするか、その時々に興味のあることの実験などをしているとのことだった。エイナーは、イレノアがジェイドは花嫁修業中と言っていたことを思い出していた。
「以前、火薬の研究に夢中な時があってね、学校の一部屋を吹き飛ばしたことがあったの、領主の娘じゃなかったら退学どころの話じゃなかったわよ。家でも薬品の実験とかするから異臭騒ぎも日常茶飯事だし、エイナーさんの家では絶対やらせちゃ駄目よ。あとね、本当に負けず嫌いで口喧嘩になると出鱈目ばっかり言って、どんな手を使ってでも相手を言い負かせようとするけど、時間の無駄だから相手にしちゃ駄目よ。あとは、時々出かけて行って数日帰ってこないことがあるけど、行先は事前に伝えるよう約束させてね。きっちり約束させれば約束は守る子だから。」
「ミレンナ、そんな話したらエイナーが引いちゃうじゃないの。でもまあ、引いたところでもう結婚の話は反故にできないけどね。」
とエレノアが、右の眉と右の口角を上げてエイナーを見ながら含みのある言い方で言った。
あの時、窓から覗いていたのはやはりこの二人だったのだなと確信し、何も言い返せないので一先ずこの話は聞き流そうと黙っていると、
「だから、事前に説明してあげなきゃエイナーさんが可哀そうでしょう。あの子は人間離れしているところがあるから、妻にするなんて相当な覚悟が必要よ。事前に知らせてあげないと後から知ったら衝撃が強すぎるわよ。」
ミレンナはそこまで一気に話すと少し間をおいて、今までの燥いだ様な声色とは打って変わり真面目な声でつぶやいた。
「でもね、根は真面目なの、真面目過ぎるくらい。ホラは吹くけど嘘はつかないし。」
ミレンナの心配を他所にエレノアが、
「私は、ジェイドさんとエイナーはお似合いだと思うけどな。本人には自覚がないみたいだけどうちのエイナーもなかなかの変わり者だし、衝撃を受けることはあっても打ちひしがれるってことがないのよね。切り替えが早いって言うか図太いって言うか。勿論良い意味でね。」
ミレンナが少し驚いて、
「あらそうなの?エイナーさんって変わってるの?やさしい普通の人かと思ってた。」
そう言われてエイナーは自分のこめかみが少しひくひくしているのを感じながら、
「母上にそんな風に思われていたなんて、全く気づいていませんでした。」
もっと言い返したいのを堪えてミレンナに気になるっていたことを聞いた。
「数日帰ってこないって、彼女はどこで何をしているんですか?」
「行先はいろいろね。西国境の要塞に行ったり、西国との国境戦線の残党が潜伏しているなんて時は討伐に同行したり、薬草探しに行ったり、師匠に稽古をつけてもらうためにエズス川の上流の方に行くこともあるわね。」
「残党討伐に同行するって、彼女も戦いに参加するんですか?」
「そうなの自ら討伐するの。女の子だし子供なのにって本当に怖かったわ。でもあの子強いし、それに実戦やらないと弱くなるって言って自ら馳せ参じちゃうのよね。ここ一、二年は落ち着いたけどその前は西国境の方ではそういう残党も時々現れたからね。」
「でも、その前ってまだ十四、五歳ですよね……」
「あの子戻ってきた時から強かったから。四年前までは西国境辺りは結構揉め事あったじゃない、さすがにあの子も四年前の一番酷い時には行ってなかったけど、エイナーさんは前線に行ってたんでしょう?」
確かに四年前くらいまではイルダル国とグレアム国の国境で揉め事が起こり、イルダル国と友好関係を結んでいるガイアム国から多くの兵士が派遣され自分もその一人だった。まだ、士官になりたての頃に上官の嫌がらせを受けて前線に派遣され散々な目に合った。父親に頼めば出兵先を変えてもらうことも出来ただろうが直接頼むのは何となく気が引けてしまい、生真面目な父親からは上官の指示には従うものだ、これも天の与えた試練と思って息子よ負けずに頑張ってくるんだぞ的な言葉を送られた。まだ十七歳と言う若さで碌な実戦経験もないまま前線に放り込まれ、人生最大の絶望を味わった。そしてそこで「死なない」という特技を身に着けた。
「行っていましたね、余り思い出したくない記憶です。」
本当に思い出したくなかったので話題を変えようと別のことを尋ねた。
「そのエズス川の上流にいる師匠って何者ですか?何の師匠ですか?」
「師匠はね私が紹介したの。かっこいいのよ、エイナーさんやきもち焼いちゃうかもしれないわね。以前は東アルタで軍医をしていた人でね、薬学の知識もあるし剣術も強いから、ジェイドさんの指南役にピッタリだと思って紹介したのよ。まだ四十代半ばだと思うんだけど隠居生活してて東アルタの田舎の村に住んでるの。」
それを聞いて眉間にしわを寄せ考え込んでいるエイナーを見て、慌ててエレノアが言った。
「その師匠には奥さんも子供もいて一緒に住んでいるから、心配するようなことは何もないから。」
エイナーはそれを聞いてほっとしている自分に気づき、なぜほっとしたのだろうかと不思議に思った。
ミレンナはジェイドへの花嫁教育が全く出来ていなかったことへの心配を今頃になって募らせ、この二週間でみっちり叩き込むことをイレノアとエイナーに誓い
「これがただの引っ越しじゃなくて嫁に行くってことを、きっちりと言い聞かせておくからね。初夜の心得から妻の役割や振舞いまできっちり叩き込みます。ジェイが余計なことばかりして、エイナーさんを困らせないようにしっかり言って聞かせておくからね。」
それに対してイレノアが
「今から教育しても焼け石に水というか、逆効果になる気がするんだけど。特にあなたとジェイドさんの組み合わせだと。」
それを言われてミレンナも自信なさげに、
「そうよね、じゃあ私が嫁ぐときに親から渡された心得本があるからそれをジェイにも読ませるわ。私は読まなかったから内容知らないんだけど。」
イレノアもエイナーも心底ミレンナに何もしてくれるなと切に願っていたが、ミレンナの母親としてのやる気を削ぐのも申し訳ないと思い口を噤んだ。
エイナーはふと、昨日ジェイドが言っていた話が本当かを確認したくなって、二人に尋ねた
「ところで、お二人は同じ魔法学校の同級生だと聞いたんですが、本当ですか?」
イレノアが真面目な顔で答えた。
「誰に聞いたの?」
予想外に真剣に返されたので、ジェイドに聞いたと言ってしまっていいのか悩んでいると、ミレンナが困ったような顔で、
「ジェイが言ったんでしょう。」
それを聞いてエレノアも驚いた顔で、
「あなた、ジェイドさんに口止めしてなかったの?」
「してたわよ。約束は守る子だから、まさかエイナーさんに言うなんて思ってなくて。あ~世間に知られたら私たち火あぶりにされちゃう。それは半分本当の半分冗談だけど。」
半分はジェイドの冗談だと思っていたので、二人に何のことかと笑い飛ばされるか、冗談が過ぎると怒られえるかのどちらかだと思っていたため、予想外に真剣な二人の答えに戸惑いながらも、
「ということは、本当に魔法使いなんですね。」
と確認すると、イレノアが低めの声で、
「魔法って言っても本に出てくるような箒で空を飛んだり、杖をつかってものを浮かせるとか、変身させるみたいな事じゃなくて、占い、心理学、薬学、動物行動学の類って思ってもらった方がいいかもね。エイナー、本当に誰にも言っちゃ駄目よ、このことは墓場まで抱えて持って行きなさい。さもないと、」
「分かりましたよ、誰にも言いませんよ。所でジェイドさんが言っていたのですが、監視のカラスってどういうものなんですか?」
イレノアは教えたくないようだったが、ミレンナは別に教えても構わないと言わんばかりに、
「カラスにヒナの時から特別な訓練をするの、その訓練が上手くいくと自分の指示にしたがって監視対象を尾行してくれて尾行が終わると自分のもとに帰ってきて、今まで見たもの聞いた者をイメージとして伝えてくれるの。訓練方法を習得できれば誰だって出来ることなのよ。私は習得に二年かかったけど、エレノアは半年もしないで出来てたわよね。」
「ということは、母上もそれが出来るんですね。」
「出来るけど、あなたに監視なんか付けたことないから安心しなさい。魔法って言われてるものは世の中の人が思っている程の凄い物じゃないけど、使いようによっては厄介な技術もあるから、技術を学ぶ前に心得をみっちり学ばされて、不用意に使うことは禁じられているのよ。だから私はもっぱらミレンナや実家との連絡手段にしか使ってないのよね。」
特別な能力があったとしても、その分楽して生きられる訳でもなくそれなりの制約やリスクも抱えるならば、そもそも特別な能力なんて持ってないほうが気楽なのかもとエイナーは漠然と考えながら彼女たちの話を聞いていた。とはいえ、動物に監視をさせるなんてかなり厄介な技術である、
「訓練された動物とそうじゃない動物って見分け方があるのですか?」
「はあ?そんなこと教えちゃったらこの技を使う意味なくなるでしょう。普通は教えられないわよ。」
「今回は特別に可愛い息子の婚約祝いってことで教えてくださいよ、ね、お母様。」
と甘えてみたが、気持ち悪がられた上に教えてももらえなかった。そう言えばジェイドはなぜそのカラスが監視だと気づいたのだろうか?そっちに聞いた方が早いかかもと思い、それ以上はしつこく尋ねなかった。
夕食の時間になってもジェイドが部屋から出てこないため、エイナー以外は先に夕食をとることにした。しばらくするとジェイドが部屋から出てきた。彼女が出てきたら何と切り出そうかと考えあぐねていたエイナーだったが、口から出たのはありきたりな言葉だった。
「お腹すきませんか?」
「空いた。」
「一緒に食べましょう。」
横並びに座って、今日は疲れたとか、好きな食べ物は何かとかそんな話をした。彼女はパンよりも米が好きで出かけるときは米を持参して、野宿するときにそれを炊いてボール状にして塩をかけて食べるのが楽しみだと話した。他にも東方の食べ物で麺や饅頭と言うものも好きなのだが、この辺りでは手に入らずイズミールと西山の国境辺りまで出向いて食べた事もあったが、両親に行ったことがばれてしまい、その後は、そちら方面に行くことを厳しく禁止されてしまった。そのため今はこの辺りでも手に入る米で我慢しているとのことだった。(あの両親がそこまで厳しく禁止するなんて、きっと何か理由があるのだろ。)と考えたが、今聞いても教えてくれないだろうから、おいおい聞き出す方法を考えようと思った。
何よりも彼女が普通に「一人で野宿」することに衝撃を受けたが、当の本人は当たり前のことと思っているらしく、
「出かけるときは仕方ないよね、宿がある道ばかりじゃないし。それに宿が安全とも限らない、野宿は動物や虫に注意すればいいけど、宿はどんな人間がいるかわからないからね。」
「一人で出かけないっていう選択肢はないの?」
その問いに、彼女は意味が分からないとでも言いたげな表情をしたので、
「出かけるときは行先を事前に教えてね。場合によっては一緒に行くから。」
「なんで来るの?用事もないのに。」
「一人じゃ危ないでしょう。」
「一人は一人だけど、旅のお供がいるんだ。ミレンナがくれた子たちで、彼らも一緒にルッカに行くことになるから後で紹介するね。エイナーの家の側に森ってある?」
「旅のお供?森?」
「そう、いつもは森の中で二匹で暮らしてるんだ。私が呼ぶと来てくれて、普段は犬くらいの大きさなんだけど大きくなることもできて、冬はその子たちに包まって眠るとふかふかで温かくて外でも全然平気で眠れるんだ。」
エイナーが意味が分からないという顔をしていると、
「私のこと頭がおかしいとか思ってるんじゃない?実際に彼らに会えばわかるよ。」
正直、彼女がさっき部屋に籠っている間に見た夢の話でもしているのかと思ったが、実際にその「彼ら」とやらに会わせてくれるというのであれば、この目で確認すればいい事なのでそれ以上は追及しないことにした。
「少し離れているけど森はあるよ。馬で軽く駆歩すれば十分くらいかな。」
「そのくらいならば許容範囲内だ。あと、自分の馬は連れて行かないつもりなんだけど、借りられる馬はいる?」
「普段あまり使っていないのが二頭いるから自由に使っていいよ。」
「ありがとう。」
彼女は兄の家に居候する妹のような感覚でうちに来るのかもと少し心配になったが、エイナー自身も夫婦になるのもそれも余り変わらないような気がして来て、結局まあいいやという気持ちになった。
休暇が終わり首都ルッカにある自分の家に戻ったエイナーは、執事のバートンと家政婦のマーサに事情を説明し諸々の準備を任せた。二人は突然の話に驚いたが、本当に喜ばしいことだと直ぐに準備に取り掛かった。
自室にもどり国外に住む姉たちに手紙を書くことにした。自分の結婚をあからさまに事後報告したとなったら、後からどんな仕打ちを受けるかわからない。結婚が決まったと同時に手紙を書いたという事実が重要で、二週間で届くかは分からないが今日付けの手紙を出すことが彼の平穏を守ってくれる。この歳になって本当に何か報復を受けることはないと思いたいが、子どもの頃に姉たちに植え付けられたトラウマは根強く、今でも彼女たちの機嫌を損なうようなことをすると、ひどい目にあわされる気がする。
姉たちは双子で、上の姉ロアンは五年前に十九歳でイズミールにある小国の王子の第二夫人として嫁いだ。国外の要人がガイアム国を訪れる際に領主の屋敷で持て成すことがあり、その王子がナーゲルス家に訪れた際にロアンがその王子に一目惚れしてしまった。そして、彼女はありとあらゆる手段を使って王子に結婚を承諾させた。彼にはすでに第一夫人がいたためロアンは第二夫人として迎え入れられた。今は女児を一人授かり平穏に過ごしている。
下の姉ハンナはロアンの結婚式に出席した際に、イズミールの別の小国の王子に見初められ、第一夫人としてその王子の元に嫁いだ。今は女児と男児を一人ずつ授かり、後継ぎ問題に巻き込まれて何かと大変だとは言っていたが、幸せそうに暮らしている様子だった。
手紙を書くと言っても報告が主な目的なので、とりあえず自分がドゥゴエル家の娘と約二週間後に結婚式を上げること、急ぎ決まった結婚のため式に姉たちを招待できないことの詫びと、半年後にはもっと大きな式を挙げる予定なのでその時に都合が良ければ来て欲しいことを端的に記載した。姉たちに手紙を出すことはほとんどないが、稀に手紙を出すと二人からの返事には「殺風景で心のこもらない手紙をありがとう。」と嫌味が書かれてくる。
半年後の正式な結婚式のことを考えると少し憂鬱になった。領主の長男が結婚する場合は最低でも三日三晩の寝ずの結婚式を催して、領民にも祝福してもらう。親類が国外にいる場合、半年前には知らせておかないと式には参加してもらえないため、準備は半年前くらいからするのが通常であった。
手紙の封印をしながら揺れる蠟燭の火を眺めていると、この数日間の出来事が全く現実味を帯びておらず、本当は夢を見ていたのかもしれないという気分になった。
今回はいかがでしたでしょうか?
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