おれはいい子なきみのサンタさん
「ひとしさん、今日もありがとう。気持ちよかったね」
俺のスーツのジャケットを差し出しながら、目の前で笑う、自分よりも一回り若い女の子。返事がない俺に首を傾げると、その豊満な乳房が揺れた。
「どうかしたの?」
「いいや。あ、危ない。忘れるところだった」
会社用のカバンから小さな包みを差し出す。パッケージに書かれた有名ブランドのロゴに、明らかに彼女の目が輝いた。
「ええっ、これマナに? 嬉しい! 開けてもいい?」
「いいよ」
わざとらしく大きな声で喜びながら、俺の返事よりも先に手入れされた綺麗な爪で封を開けていく。
「わあ! ピアスだ可愛い〜」
ブランドロゴのパールのピアスが彼女の手のひらの上でころりと転がった。
「でもこれ高かったでしょう? ほんとにいいの?」
「せっかくのクリスマスだからね。サンタさんぶらせてよ」
「嬉しい! ひとしさんはマナのサンタさんだねっ」
ぎゅっと抱きしめられる。彼女の甘いバニラの香りと、先ほどまで重なり合っていた柔いからだが押しつけられ、また昂りが戻りそうになる。
「マナちゃん……」
強く抱きしめ返そうとすると、そのからだはするりと離れていった。
「じゃあ、また待ってるねっ。メリークリスマス」
「うん、またくるよ。メリークリスマス」
薄れていく温もりに虚無感を抱きながら、店をあとにした。
二十二時をすぎたクリスマスの夜は異様な静けさだった。恋人は恋人同士で、家庭がある人は家族で、温かい夜を過ごしていることだろう。吐き出した重たい息は、白い煙になって夜空に溶けていく。
家に帰る前に夕食を買おうとスーパーに寄っていく。いつもの唐揚げ弁当は残っているだろうか。惣菜コーナーをうろつくと、唐揚げ弁当の横に半額シールをつけられたローストチキンが一つだけ売れ残っていた。
売れ残った末に半額シールをつけられたソイツをどうにも見捨てることができず、カゴに放り込む。ローストチキンを食べるのなら、少しクリスマス気分を味わってもいいかもしれない。
結局、ワインとチーズ。カップ麺に、二十パーセント引きになったショートケーキを買って家に帰った。
「いただきます」
レンジでチンしたローストチキンは、パサついていて売れ残った理由がわかる気がした。テレビをつけると、どこもかしくもクリスマスに関連した番組ばかり。家族や恋人同士で笑い合う姿があまりにも残酷だ。独りでワインをワイングラスでもなく、ただのコップに淹れて啜っている自分にどうしようもなく虚しくなってテレビを消す。
真っ暗になった画面に映る自分から目を逸らし、スマホをいじる。SNSにはクリスマスというイベントからあぶれた人たちが阿鼻叫喚しており、仲間がいるのだと気が楽になった。
「金払ってまで若い子とやりたいおじってなに? 人生虚しくないのかにゃ?」
ふと、SNSのおすすめにそんな投稿が流れてきた。コメント欄を開いてみる。
「まじおじって臭いしクソ客多い。そういう奴に限って金をケチるから滅んで欲しい」
「なんかクリスマスだからってケーキくれたんだけど。食べ物とか怖すぎて秒で捨てた」
「変なハートのネックレスもらったけど迷惑すぎた、彼氏面きもすぎ。金払わないと誰にも相手してもらえないくせに草」
コップの中のワインを一気に喉に流し込む。大丈夫、俺は違う。金だって惜しんでないし、臭いだって香水でカバーしてるし、彼氏面なんてしてない。見れば見るほど傷つくとわかっていながら、スクロールする手が止まらない。
「ブランドならなんでもいいって思ってるやつもきもい。お前からもらったアクセなんてつけるわけねえだろ」
「おじにもらった手料理を他のおじに『わたしの手料理』って渡したら、まんまと喜んで食ってた。地産地消」
ぐしゃり。持っていたフォークを力一杯ケーキに突き刺した。なんだよ。なんなんだよ。こっちはお金払ってサービスを受けているんだ。
「わたしは客にもらったアクセは全部フリマサイトに売ってるよん。きもいおじさんたちの相手してあげてるんだから、せめて小遣い稼ぎくらいにはなってくれないとねっ」
心臓がどくどくと大きな音を立てていく。明らかに酔いとは別の動悸だった。
慌ててフリマサイトを開き、マナにあげたピアスを調べる。おすすめ順に並んだ商品を出品順に切り替え、一つ一つ見ていく。
一番最新に売られたのは昨日の午後で、俺が渡したあとに出品されたものはないようだった。
ほっと胸を撫で下ろし、ショートケーキの苺を口に含んだ。
マナはSNSに悪口を書いているような女の子たちとは違う。あの愛らしい笑顔に何度も癒された。「会いたい」とメッセージを送れば「わたしも早く会いたいな。いつも『今日はくるかな?』ってひとしさんのこと考えながらお店にいるよっ」と返してくれるのだから。
さっきだって「ピアス大切にするね」と写真を送ってくれた。マナは大丈夫。あの子はとてもいい子なのだ。
ワインを飲み干し、ケーキの最後の一口をフォークで持ち上げたときだった。ピコンッと軽快な音を立ててフリマサイトの商品更新通知が鳴る。
「新品未使用。一度開封しましたが、着用していません。貰いものですが使用する機会がないので出品します。値下げ交渉不可」
商品画像をスワイプしていく。ピアスが乗せられた黒い光沢のあるテーブルは、マナが送ってくれた写真と全く同じように見えた。嫌な汗が背中を伝って流れる。
出品者のプロフィールを見る。「juたそ【プロフィール必読】」と書かれた名前。そして、出品物は全てブランドのものばかりだった。
名前は全然違う。でも、もしかしたら……。出品者のプロフィール欄をタップする。
アイコンはよくわからない魚の写真で、文体がマナとは全然違った。マナがこんなわけがわからないセンスのアイコンにするわけがないし、メッセージはいつも何個か誤字脱字があって可愛らしいものばかり。こんな固くて真面目な文章が書けるわけがないのだ。
「疑ってごめん、マナ」
スマホを閉じて、フォークに乗った最後の一口を頬張る。スポンジとクリームだけが残った甘ったるいケーキは、口の中ですぐに溶けて消えていった。
メリークリスマス。
みなさんに幸あれ。