ケーキのほうが食べやすい
放課後、裏庭でフィルと落ち合ったあと、そのまま裏門を出て王都の街を二人並んで歩いて行く。
てっきり放課後も裏庭のベンチで話すのかと思っていたら、「街に出てみないか?」とフィルから提案され、二つ返事で食い気味に「行きます!」と返事をしていた。
放課後に友達と遊びに行くなんて、前世の学生時代以来だ。
この王立学園は王都の中心街の一角にある。学園を一歩出れば、そこには様々なお店が立ち並んでいた。
「この辺りには来たことがあるのか?」
「実は王都に来てから街の中を歩いたのは初めてなんです」
私の言葉にフィルは少し目を見開く。
ルネはもともと王都ではなく、この国の西側にある田舎町で生まれ育った。
しかし、光魔法が発現したことにより、クレメント男爵家の養子となるため二年前に家を出て王都へとやって来たのだ。
残念ながら、クレメント男爵家では厳しい淑女教育が待ち構えており、王都の街を散策するような時間は与えられなかった。
「馬車では何度か通ったんですけどね。だから、入ってみたいお店がいっぱいあります」
主に飲食店に……。
前世では一人でも入りやすい飲食店が山程あったのに、なぜかこの街の飲食店はエスコートが必須……つまり、女性一人では入れない仕様になっている。
もちろん、全ての飲食店がそうなわけではない。王都の一部……中心街と呼ばれるここら一帯の飲食店だけの謎ルールだ。
そして、私はこの中心街より外に出ることを禁じられていた。
安全面での配慮のためということだったが、本当の理由を私は知っている。
(ゲームでの街の行動範囲が中心街のみだったのよね……)
ゲームのストーリーがある程度進むと学園を飛び出して街へ移動できるようになるのだが、そのゲーム内でヒロインが移動できたのがこの中心街だけだった。
(こんな時だけゲームの強制力……しかも、私にだけ……)
恐らく、このエスコートが必須の飲食店も、攻略対象者とカフェを訪れるイベントの理由付けのためだと思われる。
たしか、一人でカフェに入れないヒロインにブライアンが声をかけて……という街デート的なイベントがあったのだ。
けれど、転生悪役令嬢が主人公ならば、この設定はなんの意味もなさない。
ただ、ぼっちのヒロインが街の飲食店に入れないという虚しいイベントが起きるだけである。
遠い目になりながらそんなことを考えていると、隣を歩くフィルから気遣うような声がかけられた。
「じゃあ、今日はルネの行きたい店にしよう。遠慮なく言ってくれ」
「ありがとうございます!」
せっかくフィルと街に出たのだから、楽しい気分で過ごしたいと気持ちを切り替える。
「まずは、何か食べませんか?」
「そうだな」
今日の私はぼっちではない。隣には攻略対象者ではないが男性であるフィルがいるのだ。
ついにこの街の飲食店に入ることが許された。
私とフィルは歩きながら手頃なお店を探す。
「ここはどうだ?」
フィルが通りの向こう側を指差す。
そこに見えたのは真っ白な壁にドアや窓枠がピンク色の可愛らしいカフェ。
「カップル……いや、女性に人気の店だと聞いた」
「そうなんですね」
フィルは意外と流行りものに詳しいらしい。
「じゃあ、ここに……」
しましょう!と言いかけて、はたと気付いた。
(これ、イベントのカフェじゃない?)
たった一度のイベントだったので、はっきりとは覚えていないが、なんとなくこの甘ったるいピンクのドアに見覚えがあるような気がする。
「すみません。違うお店でもいいですか?」
「あ、ああ、大丈夫だ」
少しだけ残念そうな表情をしたフィルには申し訳ないが、なるべくゲームに関係する場所には近寄りたくなかった。
(人気店に入れなくてごめんなさい)
心の中でフィルには謝罪をしておく。
しばらく二人で歩いて行くと、深い青色のタイル壁に木製扉の落ち着いた雰囲気のカフェが見えて来る。
「あそこはどうでしょう?」
無事にフィルの了承を得て、私たちはその店の扉を開ける。
木と白色で統一された店内にコーヒーのいい香りが立ち込めていた。
愛想の良い女性店員に奥の席へと案内され、フィルとテーブルを挟んで向かい合わせで座りメニューを開く。
「うわぁ!ケーキの種類がいっぱいありますよ!」
「ああ、美味そうだな」
「フィル先輩は甘いものは大丈夫ですか?」
なんとなくだが、フィルはブラックコーヒーしか飲まないぜ!みたいなイメージがあった。
「大丈夫だ。俺はパンケーキを頼もう」
「いいですね!じゃあ、私は本日のおすすめケーキセットにします」
それぞれが注文を終え、しばらくすると先程案内をしてくれた店員が笑顔でパンケーキとケーキを載せた皿と紅茶を運んで来る。
フィルの前に置かれた皿には分厚いパンケーキが五段も積まれて、その横にはホイップクリームとバナナが添えられていた。
……なかなかボリューミーな一皿だ。
「フィル先輩……それ、食べきれますか?」
「ああ、問題ない」
そう言うと、フィルは器用に一番上のパンケーキをずらしてナイフとフォークで切り分け、もくもくと口へ運んでいく。
さすがは生まれも育ちも貴族である。テーブルマナーが完璧だ。
私なら、ここはあえての五段一気切りにチャレンジし、うまくいかずに崩れて取り返しのつかないことになるのだろう。
食べやすいケーキにして良かったと思いながら、私も目の前の苺のレアチーズケーキにフォークを刺す。
「美味しい!」
「ああ、美味いな」
ちらりとフィルに目を遣ると、ものすごいスピードでパンケーキが口の中へと吸い込まれていく。
相変わらず食べるのが早い。
お互いの皿が空っぽになると、今度は温かい紅茶をゆっくりと味わう。
満足そうな表情のフィルに声をかける。
「本当に甘いものは大丈夫だったんですね」
「そう言っただろ?」
「フィル先輩なら、本当は苦手でも無理して付き合ってくれそうな気がしたんですよ」
「俺は嘘は言わない」
そうきっぱりと言ったフィルは、少し考え込むような表情になる。
「いや、そんなこともないか……」
おっと、掌返しが早い。
「なにか嘘をついたんですか?」
「昼休みに……お前が話してくれたことを全面的に信じるような言い方になってしまったことだ」
「ええっ?本当は信じてなかったってことですか?」
なんてことだ。あんなに嬉しかったのに……。
泣いてやる!こんな場所でギャン泣きしてやる!
「そうじゃなくて……ちょっと説明を聞いてくれるか?」
涙目になっている私を見て、フィルは焦った様子でそう言った。私はジト目で睨みながらも渋々頷く。
「ルネの話を聞いて、この世界がゲームだと言われたことについては……正直まだ受け入れきれてないんだ。転生者だということも、お前が言うように荒唐無稽だと思う」
「………」
たしかに、いきなりこの世界はゲームの舞台で、あなたたちはゲームのキャラクターなんですよと言われたら、信じるよりも先に困惑してしまうだろう。
「だが、ルネが嘘を言っているとも思えなかった。いや、こんな嘘をつく必要がないと思った……というのが本音だ」
俺を騙そうと嘘をつくのなら、もう少しまともな嘘をつくだろう……と、そう思ったそうだ。
「フィル先輩を騙そうだなんて思ってないですよ」
ちょっと拗ねた口調になってしまった私の言葉に、フィルは軽く頷いた。
「ああ、わかってる。だから、シンプルに考えることにしたんだ。ゲームの世界だとかは一旦置いて、ブライアン殿下がルネに敵意を剥き出しにした理由は、一応納得ができた」
そう言うと、フィルはこちらを真っ直ぐに見つめる。
「だから、俺が信じたのは『ルネが何もしていない』ことと、『ブライアン殿下たちがルネに敵意を持つ理由』の二つだけなんだ」
「………」
「全部を信じてやれなくて、すまない……」
フィルは申し訳無さそうな表情でそう言った。
(真面目だなぁ……)
そんなこと黙っていればバレないのに。
それに、ブライアンたちが敵意を持つ理由はゲームや転生を前提にした話だ。
それを信じてくれているということは、私の話の大部分を信じてくれているということになる。
(やっぱり、フィル先輩に話してよかった)
私は涙目のまま今度は笑ってしまう。
「それだけ信じてもらえたら十分です」
私の言葉にフィルは安堵したように表情を緩めた。
「ありがとう」
「あははっ、それは私のセリフですよ」