ちょうどいい距離
読んでいただき、ありがとうございます。
※長くなりましたので本日は三話に分けて投稿します。
(これは本日一話目の投稿です)
※ルネ視点に戻ります。
よろしくお願いいたします。
紅茶の入ったカップを持つ手が緊張で震える。
ちなみにこの紅茶を淹れてくれたクレメント男爵家のメイドの手も震えていた。
それは、テーブルを挟んだ向かいのソファに座る彼の容姿のせいである。
艶やかな黒髪、その上げた前髪からは形の良い額が見え、弓なりの整った眉の下には強い光を放つ金の瞳、そんな美し過ぎる彼がこちらを愉しげに見つめていた。
顔面国宝……そんな彼にぴったりの四字熟語が頭に浮び上がる。
(な、なんでこんなことに……?)
◇◇◇◇◇◇
約三週間前、学園の中庭に魔獣たちが現れ、お茶会を楽しんでいた生徒たちを襲うという事件が起きた。
なんやかんやで巻き込まれてしまい、魔力を使い切った私はそのままクレメント男爵家の自室でベッドの中の住人となる。
そして、学園は二週間の休校を決定し、私にはいくつかの問題が残されてしまった。
(私の退学どうなるんだろう……?)
お茶会でしっかりとブライアンから退学の言質を勝ち取ったのに、魔獣たちの襲撃のせいで忘れ去られているような気がしてならない。
学園や王城に確認を取りたくとも、事件については箝口令が敷かれてしまいそれもできないでいた。
そんな中、私の体調を心配したフィルがほとんど毎日のようにお見舞いに来てくれた。
正直、一晩ぐっすり眠ってしまった後には魔力がすっかり回復していたのだが、フィルに会えるのも嬉しいし、彼が持って来てくれるお菓子も美味しい……つまり、二度おいしいので何も言わずに楽しい時間を過ごしている。
学園を退学すればフィルとこのような時間を過ごすことは難しくなるだろう。
考えれば考えるほどに胸をしめつけるような苦しさに気付かない振りをして、私は残り少ないであろう二人の時間を楽しむ。
フィルによると、王城内がごたごたしているようだから私の退学が決定されるのは少し先になるかもしれないとのことだった。
自分の進退が宙ぶらりんな状態なのがなんとももどかしい気持ちになる。
そして、退学するならばおそらくは貴族令嬢として生きていくことは難しくなるため、クレメント男爵家にもそのことを伝えなければならない。
クレメント男爵家と私との関係は、簡単に言うとビジネスライクなものだった。
クレメント家の養子となり初めてこの屋敷を訪れた時、平民が貴族の養子となればどんな扱いを受けるのかと内心不安だった私にクレメント男爵夫人は言ったのだ……
『ルネさん。あなたは元平民だからといってこの家で遠慮することはないわ。なぜなら、あなたが我が家の養子となったことで国から補助金が貰えるの。あなたのおかげで我が家の家計は助かっているの。だから、あなたにはこの家で堂々と振る舞う権利があるのよ』
その言葉通り、クレメント男爵夫妻もメイドたちも私を邪険に扱うことなく補助金として大切にしてくれた。
『ふふふっ。このお菓子は貰った補助金で買ったようなものだから遠慮せずにたくさんお食べなさい』
『学園入学までにあなたを立派な淑女にすることが補助金を貰える条件なのよ。ごめんなさいね』
時に優しく、時に厳しくも、立派な貴族令嬢として育ててもらったのに途中でリタイア……補助金が打ち切られてしまうことを申し訳なく思ってしまう。
そんなすっきりしない気持ちのまま二週間が経ち、学園に登校する日の前日に『もうしばらく学園を休むように』という内容の伝令が王城から届けられた。
退学ではなく欠席を告げられたことを不思議に思いながらも、そのまま休むこと二日……今度はまさかのブライアンから手紙が届いたのだ。
その手紙の内容は、ブライアンとアデールの二人が会って直接の謝罪がしたいというものだった。
一体、この二週間の間に彼らにどんな心境の変化があったのだろう……。それとも謝罪と見せかけた罠なのか?
どちらにしても、私はもう彼らとは関わりたくないというのが本心だった。
これだけ当て馬ヒロインとして体を張ったのだから、私と関係のないところで二人で勝手に幸せになればいいと思う。
そんな気持ちをオブラートに包むような文章に変換して返事を送った。
それからさらに五日後、今度はクレメント男爵家にザイトニア帝国の第三皇子の来訪を告げる先触れが届いたのだ。
そして現在、クレメント男爵家の応接室には私とネイティール第三皇子殿下、そして、彼の座るソファの後ろにはネイティールと同じ黒髪金目の性別不詳な従者が控えている。
(この顔面は……どう考えてもゲームのキャラクターだよね?)
攻略対象者であったブライアンたちもかなりのイケメンだったが、ネイティールの容姿はそんな彼らよりも頭一つ飛び抜けていた。
テーブルを挟んでいるとはいえ、ここまでの美形が向かいに座っているとものすごく落ち着かない。
芸能人やアイドルのように画面越しで鑑賞したり、ライブのステージと客席の距離感がちょうどいいのではないかとすら思ってしまう。
「突然の来訪に驚かせてしまい申し訳ない」
「い、いえ……」
「実は、この三週間の間にクレメント嬢の処遇について、僕とこの国の王族とで話し合いをしていたんだよ」
「え?」
この国の王族はともかく、なぜネイティールが私の処遇を話し合うのか……。
そんな疑問が思いきり顔に出てしまったのか、彼が話題を変えてくる。
「君は、僕のことを知ってる?」
「ええ、お名前は存じておりました」
「じゃあ、僕が君と同じ王立学園に通っていたことは?」
「ええっ?」
あまりのことに淑女らしからぬ声をあげてしまった。
こんな美形が学園に通っていればかなりの話題になっていたはずだ。それなのに、誰にも気付かれていないということは……
「まあ、少し変装をしていたんだけどね」
そう言って、ネイティールの口元が笑みの形を作る。
(やっぱり!隠れ攻略対象者だ!)
以前、もっさりしていた頃のフィルが、隠れ攻略対象者で変装した第三皇子ではないかと疑ったことがあった。
結局、フィルの疑いは晴れたのでそのまますっかり忘れ去っていた設定だったが、疑う相手を間違えていただけで設定自体は生きていたらしい。
「だから、僕は君のことを知っていた。立場上、ただ見ていることしかできなかったんだけど、さすがに今回のブライアン王子の行動は目に余るものがあったから……。それに、君が退学を申し出たと聞いて、それならばと介入することにしたんだ」
「そうだったんですね」
そこで、はたと気が付いた。彼は隠れ攻略対象者なのに当て馬ヒロインの味方をするのはおかしくないだろうか。
しかし、ネイティールは学園でのブライアンたちの行いを王家に告発し、私の名誉回復を訴えたと説明を続けた。
どうやら、彼が私の後ろ盾となって、私に有利な状況になるよう交渉してくれていたらしい。
なぜか、ネイティールだけは転生悪役令嬢ではなくヒロインの味方のようだ。
「だから、ブライアン殿下が謝罪をしたいだなんて言い出したんですね」
「彼がクレメント嬢に謝罪を?」
「直接会って謝罪がしたいと手紙が届いて……」
それを断ると、今度はそれから毎日謝罪の手紙が届くようになったので、それらも必要がないという内容の返事を今朝出したところである。
そのことを話すとネイティールはその金の瞳を見開いた。
「彼は僕にも同じことをしているよ」
「え?謝罪の手紙が届くんですか?」
「いや、僕には嘆願書が届いている」
「嘆願書……?」
話の内容が見えない。
「君のその特別な能力についての話になるんだけど」
「特別……?もしかして、傷跡が消えるっていうあの……」
地味な能力のことだろうか?
「そう。唯一無二の素晴らしい能力のことだよ」
「………」
人によって捉え方は様々らしい。
「先日の魔物襲撃事件で多くの生徒たちが身体に傷を負い、その傷跡が残ってしまったからね」
「あ……」
あの鷲型の魔獣フレスベルグの鋭い嘴や爪を思い出す。
あんなもので攻撃を受ければ、光魔法で傷を塞いでも傷跡はどうしても残ってしまうだろう。
そして、傷跡が残ってしまった生徒たちは私の特別な能力を知り、どうか傷跡を治療してほしいと王家に嘆願書を提出した。そこにネイティールが待ったをかけ、そのままの状態が続いているのだと説明される。
「なるほど。そのためのブライアン殿下からの嘆願書なんですね」
やっと、私がダラダラと過ごしていたこの三週間に何があったのかを理解した。
ブライアンが、傷跡の残ってしまった生徒たちの治療の許可をネイティールに求めていたのだ。
「君の能力を求めているのは、あのお茶会に参加していた生徒たちばかりだ……。君にあれだけのことをしておいて、能力だけ利用するのは納得できなくてね」
「………」
「けれど、それは僕の意見だから。当事者である君の意見を尊重したいと思っている」
そう言いながら、美しい金の瞳がひたりと私を見据える。
「私の意見は……うーん、微妙ですね」
「微妙?」
「はい。彼らにされたことを許す気持ちは今のところありませんので、これから仲良くしましょうと言われたら絶対にお断りです。じゃあ、傷跡を見てざまあみろという気持ちは……まあ、ゼロではないですけど、一生傷跡で苦しめとまでは思わないです」
「………」
「だから……これから執着されたりするのも嫌なので、これで縁が切れるのならば別に治療をするのは構わないですよ」
もっと慈悲の心を持ったヒロインであれば良かったのだが、凡人の私は、もう退学するのだから余計な縁は断ち切ってしまいたいという思いのほうが強い。
「そもそも、私の能力で傷跡だけが消せるのかもわからないですし……」
今まで光魔法を使ったのは、傷を負ってすぐの状態だったものばかりだ。
一度傷を塞いで残ってしまっている傷跡に効果があるのかどうかすらもわからない。
「なるほど。ちょうどいい実験台になるな……」
「………」
右手を口元に添え、何やら考え込むような表情のネイティールからぼそりと不穏な言葉が聞こえた気がする。
きっと、練習台と言っていたのだろうと自分に言い聞かせながら、私はすっかり冷めてしまった紅茶を口にした。
残り二話は14時頃にまとめて投稿予定です。
(まだ書き終わっておらず……すみません)




