初めてのお茶会
一度言葉にすると、胸の奥から様々な感情や想いが溢れ出す。
「こんなことされてまで、私はここに居たくない!もう、当て馬なんて嫌なんです!逃げ出したいんです!なんで私がこんな目に合わなきゃならないんですか!」
私の瞳から再び涙が溢れ出した。
それは、先ほどのぽろぽろと零れ落ちるような可愛らしいものとは違って、とめどなく流れる濁流のような涙だ。
「そうだな。もうヒロインなんて辞めていい。こんな場所から逃げ出したっていいんだ」
「フィル先輩ぃぃぃ……」
フィルが私の本音をしっかりと受け止めてくれる。
その優しくも力強い言葉に安堵の気持ちが沸き上がり、フィルの名を呼びながらさらに泣いた。
そんな私に、今までずっと黙ったままだったネイトがそっとハンカチを差し出してくれる。
ヒロインだとか当て馬だとか、彼には意味のわからない言葉を喚きながら子供みたいに泣いているのに、何も言わずに寄り添ってくれているような優しさを感じた。
「ありがとうございます」
私はそのハンカチを受け取りながらお礼を言う。
「いえ、僕こそ今まで何も力になれなくて……」
「そんな!ビアンコ君はいつも普通に会話してくれたじゃないですか」
彼はクラスメイトとして偏見なく接してくれた数少ない人だ。謝る必要なんてどこにもない。
「それだけで嬉しかったんです」
私の顔は泣きすぎてぐしゃぐしゃで、鼻を啜りながらネイトの顔を見つめて笑顔で気持ちを伝えた。
◇◇◇◇◇◇
「よし、じゃあ……行くか」
ネイトから受け取ったハンカチを目や鼻に押し当てながら、なんとか涙と鼻水を止めた私にフィルが軽い調子で言った。
「どこに行くんです?」
正直、先ほどの階段全力疾走と本音をぶちまけて大泣きしたことで、私の身体にはすっきりとした心地よい疲労感が広がっている。
このまま帰ってベッドにダイブすれば、久しぶりによく眠れそうだ。
「中庭」
「は?」
フィルはさらりと恐ろしい言葉を吐いた。
「あの、フィル先輩?中庭ではブライアン殿下たちがお茶会をしてるって……」
「ああ。でも、その二年の奴らに招待を受けたんだろ?せっかくだから参加してやろうと思ってな」
「あの、それは私がちゃんと断ったので……」
そう言いながらフィルの顔をちらりと見上げる。
その口調はいつもと違ってひどく好戦的で、眼鏡の奥の切れ長の目は完全に据わっていた。
(もしかして……怒ってる?)
今まで見たことのない、フィルの新たな一面に驚く。
それと同時に、私のために怒ってくれているということが、不謹慎かもしれないが嬉しいと思ってしまった。
やはり私は清廉潔白なヒロインとは程遠い。
「ルネがずっと我慢して耐えてきたことはわかってる。でもな、もう俺が我慢できないんだよ」
そう言うと、フィルは廊下をすたすたと歩き出してしまい、私は慌ててあとを追いかける。
そんな私たちをネイトが黙ったまま見送ってくれた。
「殿下たちに会いたくなかったら、離れたところで隠れていればいい」
「いえ、一緒に行きますよ」
本当はブライアンたちに会いたくないし、顔だって見たくもない。けれど、そんな場所にフィルが一人で乗り込むことが心配だった。
それに、さっきまであんなに恐ろしいと感じた中庭が、フィルと一緒なら大丈夫だと……なぜだかそう思えたのだ。
「そう言えば、どうして図書室に来たんですか?」
「ん?あー、それは……俺と出掛けたくないから、放課後に図書委員の当番があるなんて嘘をついたのかと思ったんだよ」
「そ、そんな嘘言いませんよ!」
実は来週の居残り話のほうが嘘なんです……なんて言えず、私は必死で動揺を隠す。
「ああ。それがわかって安心した」
少しだけ怒りのオーラが消え、薄く微笑んだフィルを見て胸がきゅんとしてしまう。
居残りはなくなったと嘘に嘘を重ねてでも、来週はフィルと一緒にカフェに行こうと心に決める。
あれだけフィルに迷惑をかけないでおこうと考えていたはずなのに、フィルの言葉や行動であっという間にそんな気持ちは消えてしまった。
何があってもフィルと一緒にいたいとさえ思ってしまう。
私はそんなことを考えながら、フィルと共に中庭へと向かった。
◇◇◇◇◇◇
中庭にはいくつもの丸テーブルが置かれ、その白いテーブルクロスの上には白地に可愛らしい小花柄が散らされた揃いのティーセットに、いくつものお菓子が並べられている。
そして、それぞれのテーブルに五、六人の生徒たちが着席し、優雅な一時を過ごしていた。
その誰もが、私に対して悪意を向けていた見覚えのある生徒たちばかりだ。
(これがお茶会かぁ……)
この期に及んで、そんなくだらない感想しか出てこない。
それもそのはず、私はお茶会というものを見たことも参加したこともなかったからだ。
クレメント男爵家の養子となってから、淑女教育の一環でお茶会でのマナーについてはもちろん学んだ。
カップの音を立てるな、紅茶を啜るな、お菓子にがっつくなと、それはそれは厳しい指導だった。
けれど、なんとか家庭教師の先生から合格をもらえたのは入学式の直前で、実践の場であるお茶会に参加する機会がなく今日まで来てしまった。
(まさか、こんな形でお茶会デビューすることになるとは思わなかったな……)
そんな優雅な空間にフィルと私がずかずかと割り込んで行く。
今まで談笑していた生徒たちは何事かとこちらに視線を向け、私の姿を捉えると途端に眉根を寄せてその表情を曇らせる。
「なぜ、あなたたちがここにいるのです?」
すると、怒りを含んだ鋭い声が響いた。
声のほうに顔を向けると、そこにはアデールとブライアン、そして他の攻略対象者たちが着席しているテーブル。
若草色の長い髪をきっちり一つに束ね、銀縁の眼鏡をかけた男子生徒が立ち上がり、こちらを睨みつけていた。
それは、攻略対象者の内の一人で、宰相の子息だった……と思う。
残念ながら未プレイの攻略対象者の情報はあやふやで、やっぱりこの彼の名前も思い出せない。
フィルは私を連れ、そのままブライアンたちのテーブルへと近付いて行く。
「招待されたから来たんだが?」
「招待……?え、そんなはずは……」
宰相の子息は戸惑った様子で、同じテーブルのアデールに視線を送る。
その視線を受けたアデールも、同じような戸惑った表情で首を横に振っていた。
「ああ、彼ら三人から招待された」
フィルはそう言いながら再び歩き出し、アデールたちのすぐ隣のテーブル、橙髪の男子生徒の隣でぴたりと足を止める。
そこには、先ほど廊下で私に絡んできた男子生徒たち三人と、いつも私の悪口を聞こえよがしに大声で話す二人の令嬢が同じテーブルについていた。
「彼らが嫌がるルネの肩と手首を掴んで、無理やりこの茶会に参加させようとしたんでな。それ程までに来てほしいなら、是非とも参加させてもらうことにしたんだ」
フィルの言葉を聞いた参加者たちがざわめく。
貴族としてあるまじき行為を暴露され、私に絡んだ三人の男子生徒たちは青ざめている。
「君がルネを連れて来るように命令したのか?」
今度は咎めるような視線をブライアンに向けた。
ブライアンはため息を一つ吐くと、ゆっくりと口を開く。
「私はそのようなことを彼らに命令した覚えはない」
「そうか。じゃあ、どうしてルネをこの場所に無理やり連れて来ようとしたんだろうな?……なあ、なんでだ?」
最後の言葉は橙髪の男子生徒に向けて放たれた。
「そ、それは……ブライアン殿下が喜ばれるかと……」
「まさか、そのような行為をしたのが殿下の為であるとでも言いたいのですか!?」
言葉を濁す橙髪の男子生徒に、宰相の子息が吠える。
「実際そうだろ?お前らがルネに対してやったことを真似てるんだ」
「あなたも!不敬ですよ!」
「イライアス、構わない」
しかし、そんな宰相の子息の名を呼んで制し、椅子から立ち上がったのはブライアンだった。
「私たちがやったことはルネ・クレメント嬢への忠告だ。彼女に暴言や暴力を加えたわけではない」
「お前……本気でそんなことを思っているのか?」
フィルの榛色の瞳には煮えたぎるような怒りが宿り、その語気を強めていく。
「お前たちは誰だ?第一王子とその側近なんだろう?この学園は貴族社会の縮図だ。そんな場所で、トップであるお前たちが率先してルネを排除する動きを見せれば、それに皆が続くとなぜわからない?」
フィルの剣幕に誰もが息を呑む。
「そもそも、なぜルネがこんな目に合う?ルネが一体何をした?」
「それは……」
その時、初めてブライアンのそのアイスブルーの瞳が揺れ動いた。




