私の望み
読んでいただき、ありがとうございます。
今回も少し辛い表現がありますので、苦手な方はお気をつけください。(今回で終わりです)
よろしくお願いいたします。
それでも、日々は流れるように過ぎていく。
悪口は聞き流し、糾弾からは逃げ回り、手を出されて困る物はなるべく持ち歩くようにして自衛する。
胃の辺りが頻繁にジクジクと痛み、朝が来るのが怖くてなかなか眠れない。
けれど、フィルと過ごす時間だけを支えになんとか踏ん張っている。
「いよいよ明日が狩猟大会ですね!外野からこっそり応援していますからね!」
「ああ。俺がアリスターの足を引っ張り過ぎないように祈っててくれ」
「足を引っ張るのが前提なんですか?」
こんなふうに、フィルとなんてことのない会話をするだけで気持ちが軽くなっていく。
今までだったなら、辛くなったら愚痴を聞いてもらって、一緒に笑い飛ばして、たまに甘いものを食べに行って……。
そんなふうに過ごしていたけれど、流石に状況が変わってしまった。
今はアリスターと共に、フィルにも注目が集まっている。
本当は、そんなフィルの評判を傷付けないためにも、距離を取ったほうがいいことはわかっていた。
それなのに、フィルの隣は居心地が良くて、私はこの裏庭で二人過ごす時間を手放せないでいる。
「おい、何かあれば俺に言えよ」
「わかってますよ。大丈夫ですから」
せめて、彼に心配や迷惑をかけないように……フィルに何を聞かれても大丈夫だと言い続けることくらいしかできない。
「今日、久しぶりに甘いものでも食べに行くか?」
「あ……今日の放課後は図書委員の当番があるんです」
「じゃあ、明日は?」
「明日は狩猟大会なんですから、帰ってゆっくり休んだほうがいいですよ」
「来週は?」
「えーっと、来週は居残りがありまして……」
「……そうか。じゃあ、また今度だな」
「はい。すみません」
謝らなくていいと、フィルは優しい声で言う。
フィルと二人で人通りのある場所を歩いたら、この学園の誰かにその姿を見られてしまうかもしれない……。
そう考え、今日の図書委員の当番は事実だが、来週は居残りがあると嘘をついてしまった。
「なあ、俺に話すことはないか?」
「もう、フィル先輩は心配し過ぎですよ!大丈夫ですから」
今日も私は笑顔を作り、大丈夫だと言い続けた。
◇◇◇◇◇◇
放課後になり、一人で図書室へと向かう。
少し用事があると嘘をついて、ネイトには図書室の鍵を取って先に向かうようにお願いした。
ネイトと一緒に歩いているところを誰かに見られないようにするためだ。
アデールと出会ってしまった階段を上るのは避け、少し遠回りになるがもう一つの階段を使おうと廊下を歩く。
すると、三人の男子生徒が楽しげに会話をしながら、こちらに歩いて来るのが見えた。
(あ………)
それは、ブライアンの派閥に所属する二年生の男子生徒たちで、今までに何度かきつい言葉を投げかけられたことがある。
どうしようかと一瞬迷っている間に相手が私の存在に気付いてしまった。
私の姿を捉えた途端、彼らの表情がまるで獲物を見つけたかのように変化する。
逃げるタイミングを失ってしまった私はそのまま歩みを進めるしかない。
「ねえ、どこに行くの?」
「………」
私の行く手を阻むように、彼らが目の前に立ち塞がる。
「答えなよ」
「………」
何を言われても、私は俯いたままだんまりを決め込む。
こういった相手に言葉を返しても、得することは何もないからだ。
私はいつも、相手が言いたいことを言い終えて満足するまで、ひたすら無言を貫いていた。
今回もいつもと同じように、彼らの言葉をただ黙って受け止めようと身を固くする。
すると、彼らのうちの一人、橙髪に灰色の瞳を持つ男子生徒から思わぬ言葉が飛び出した。
「僕たち、今からお茶会に行くんだよ。君もどう?」
「………」
予想外の言葉に思わず顔を上げて、その男子生徒の顔をまじまじと見つめてしまう。
「大丈夫。場所は中庭だし、君の大好きなブライアン殿下も一緒だからさ」
そう言った彼の口元は楽しげに弧を描いている。
「明日は狩猟大会だろ?皆の健闘を祈ってアデール様が企画してくださったんだ。……きっと楽しいよ?」
彼の意図を知り身体が震えた。
そのお茶会にはブライアンやアデールだけでなく、彼らのような同じ派閥の生徒たちも集まっているのだろう。
そんな場所に連れて行かれた私がどんな目に遭うのか……考えただけでも吐き気がする。
「も、申し訳ありませんが、委員の仕事がありますので失礼いたします」
早口でそう言いながら、彼らの横を急いですり抜けようとする。
しかし、橙髪の男子生徒がそんな私の肩を掴んで引き止めた。
「なっ………」
「そんなこと言わずにさ、僕らは君に来てほしいんだよ」
そのまま右手首を掴まれる。
私はそんな彼の行動に愕然とし、同時に恐怖を覚えた。
婚約者でもない異性と適切な距離を取ることは、貴族として当たり前のルールだ。
親しいフィルですら、私に触れることなく、いつも一定の距離を保って接してくれている。
つまり、彼らのこの行動は、すでに私を貴族として扱っていないという意思表示であった。
「さあ、行こう」
その細められた灰色の瞳に苛虐の色が宿る。
「嫌っ!」
本能的に危険を察知した私の身体が全力でその手を振り払う。
そして、脇目も振らずに駆け出した。
「あっ、待ちなよ!」
彼らの声に振り向くことなく、私はただ必死に足を動かし続ける。
━━怖い、怖い、怖い
こんな目に遭うのがアデールだったなら、きっと間一髪で攻略対象者が助けに来てくれるのだろう。
けれど、当て馬ヒロインの私のことなんて、誰も助けに来てはくれない……。
廊下の突き当りにある階段を駆け上がり、息があがっても決して止まらずにひたすら上を目指した。
そして、階段を上りきり、廊下の一つ目の角を曲がると、ようやく図書室が見えてくる。
そこに、黒髪の男子生徒の姿が見えた。
一瞬、どきりと心臓が跳ねたが、それがネイトの姿であるとすぐに気付き、身体から緊張が解れていく。
ネイトがこちらに顔を向けた。
「えっ、クレメントさん?」
必死の形相で走って来た私の姿を見て、ネイトが驚いた声をあげる。
図書室の前でようやく足を止めた私は、荒い息を整えることに必死で言葉がまだ出てこない。
「大丈夫ですか?」
「は、はい。大丈夫です」
ようやく言葉を返せた瞬間に、私の目尻から涙が溢れ出す。
(あれ……?)
それは、ぽろぽろと零れ落ち、私の頬を濡らしていく。
「クレメントさん、何かあったんですか?」
そんな私の様子に、ネイトが心配そうに声をかけてくれる。
私は自分の涙に混乱しながらも、また「大丈夫です」と答えようと口を開いた。その時……
「ルネ!」
切羽詰まったような声が廊下に響く。
驚いて声のほうに顔を向けると、図書室のすぐ側にある階段からフィルがこちらを見ていた。
「え?フィル先輩……?」
突然の出来事に、私はぽかんと口を開けたままフィルの顔を見つめる。
フィルはその眉間にシワを寄せながらこちらに駆け寄ると、私とネイトの間にその長身の身体を割り込ませ、私を庇うように背に隠す。
そして、ネイトと向き合った。
「おい!ルネに何をした?」
「い、いえ、僕は何も……」
フィルからの詰問に、ネイトが困惑した声で答えている。
「あの、フィル先輩違うんです!ビアンコ君には何もされていません!」
ネイトが泣かせたと勘違いしたらしいことに気付いた私は、慌ててフィルの背中から声を張り上げた。
「……じゃあ、誰に何をされた?」
私の言葉を聞いたフィルが振り返り、今度は私とフィルが至近距離で向かい合う。
「あー、えっと、あの……大丈夫です。たいしたことじゃありませんから」
私はいつものように大丈夫だと答える。
すると、フィルが少し怒っているような強い口調になった。
「ルネ、今のお前のどこが大丈夫なんだ?」
「え?」
「自分では気付いてないのかもしれないが、お前はもうとっくに限界なんだよ」
「………」
「何があった?どうして泣いている?」
私はきつく結んだ唇に力を込める。
「……言えません」
「どうして?」
「これ以上、フィル先輩には迷惑をかけたくないんです」
「迷惑なんてかけられていない」
「駄目です。だって、先輩は優しいから……言ったら絶対になんとかしようとするでしょ?」
最初、フィルはゲームの悪役であったアリスターには関わらないほうがいいと言っていた。
それなのに、アリスターの相談に乗り、イメージを回復できるように協力し、今ではアリスターと同じチームで彼の交友関係を見守っている。
そんな優しいフィルが、私の状況を知ってしまえば、きっと解決しようと動き出すだろう。
そのせいで、フィルまでブライアンたちに目を付けられてほしくない。
「つまり、俺がお前を助けようと動くかもしれないから、事情は話せないということか?」
私は黙ったまま、こくりと頷く。
すると、フィルは唇の端を少しつり上げ、意味ありげに薄く笑う。
「だったらもう手遅れだ。俺はすでに動いている」
「え?」
「当たり前だろ?お前がここまで酷い目にあってるのに、俺が黙ったまま何もしないわけがない」
至極当たり前のことのように、フィルはあっさりとした口調で言い切る。
「そうは言っても、俺自身にたいした力はないからな。祖父の力を借りて王家にクレームを入れるぐらいが精一杯だ」
たしか、フィルの祖父は前国王陛下の主治医を務めていたと言っていた。
まさか、フィルの家族まで巻き込んでしまっているとは思わず、一気に背筋が寒くなる。
「どうして、そんな勝手なことをしたんですか!?」
「俺が何を聞いても、お前が『大丈夫です』としか言わないからだろ?だから、こっちで勝手にやった」
「そんな……でも、だからって……」
私の非難めいた声を遮るように、フィルは堂々とした態度で言い放つ。
「そもそも、間違っているのは殿下たちのほうなんだ。それを正すことの何が悪い?」
「………っ!」
射抜くようなフィルの視線に目が離せなくなってしまう。
「さあ、これで事情を話せない理由はなくなったな。ルネ、頼むから全部話してくれ。俺はお前の話が聞きたいんだ」
フィルの視線と声に穏やかさが戻り、私の心がぐらぐらと揺れ始める。
「フィル先輩……」
「大丈夫だから」
その力強く頼もしい声に、私の口からぽつりぽつりと言葉が零れ出す。
「さっき、二年生の男子生徒たち三人に、中庭に連れて行かれそうになったんです……」
「中庭?」
「ブライアン殿下たちがそこでお茶会をしているから、私も来るように言われて……。でも、断ったら、その場で肩と手首を無理やり掴まれて……」
「は?」
フィルの声と表情が一瞬で変わる。
しかし、私はそんなことにまで気が回らず、懸命に先ほどの状況を説明する。
一通り説明を終えた私に、フィルが真剣な声で問いかけた。
「ルネ、お前はこれからどうしたい?」
「これから……?」
「お前の望みを聞かせてほしいんだ」
私の望み……それは、この学園に入学してからずっと願ってきた、たった一つのこと。
叶わないだろうと諦めながらも、心の奥底でその願いは燻り続けていた。
「私は……もう、ヒロインをやめたいです」




