ヒロインと階段は相性が悪い
なろうに投稿を始めてから(昨日で)ちょうど一年になりました。
いつも読んでくださる皆様のおかげで書き続けることができているのだと思います。
本当にありがとうございます。
そして、今話はイライラ回になりますので苦手な方はご注意ください。
アデールは私の姿を見つけた途端にその美しい青の瞳を大きく見開き、驚きを顕にする。
きっと、私も彼女と似たような表情をしていると思う。
そして、距離はあるが階段の途中で向かい合ったまま互いに足を止めてしまった。
(これは……)
私は自身の状況を把握し、じんわりと嫌な汗をかく。
学園が舞台の乙女ゲームでは、階段というありふれた場所が重要な事件発生ポイントになることがある。
いや、もう事件の大半は階段で起きていると言っても過言ではないのかもしれない。
それくらい、階段では誰かが突き落とされている。
そして、その階段での事件がクライマックスの断罪シーンで証拠として取り上げられるのだ。
ただ、問題は誰がどのように突き落とされるのか、というところにあった。
普通の乙女ゲームならば、悪役令嬢が嫌がらせのためにヒロインを階段から突き落とす。
犯人は悪役令嬢。実にシンプルだ。
しかし、転生悪役令嬢が主人公の物語だと、ヒロインがわざと階段から落ちて、悪役令嬢を犯人に仕立て上げようとする。
つまり、ヒロインの自作自演。
……どっちにしても落ちるのヒロインだな。
そして、それを現在の状況に当てはめると、アデールは乙女ゲームの強制力によって自身がヒロインを落とす側になることを恐れている。
私は転生悪役令嬢が主人公の世界であることに気付いているので、当て馬ヒロインらしくアデールに冤罪をかける役割になることを恐れている。
つまり、そのせいで二人ともが階段で動けなくなってしまったのだ。
でも、考えてみると、すでに私の断罪は入学式で終わっている。
主人公のアデールが今さらヒロインに危害を加えようとはしないだろうし、私だって自作自演をやるつもりはない。
だから、このまま普通に階段を上って何事もなくすれ違えばいいのではないだろうか?
(………いや、ないな)
私は一瞬頭に浮かんだ考えを即座に否定した。
わざわざアデールに近寄ることに何のメリットもないし、何かが起こった時に被害を被るのは当て馬ヒロインである私だ。
少し遠回りになってしまうけれど、別の階段を使って図書室に向かうことにする。
そう決めた私は、一段上に乗せていた片足をそっと下ろした。
すると、それだけでアデールがビクリと身体を震わせる。
(そんなに怯えなくても……)
私はちらりとアデールの表情を盗み見る。
強張った面持ちに、心なしか顔色だって悪そうだ。
それほどまでにヒロインが怖いのだろうか?
攻略対象者が全員味方に付いていて、彼らが私に対してざまぁまでしてくれたのに?
まあ、心配症な転生悪役令嬢なのだろうと勝手に納得をして、私はくるりとアデールに背を向ける。
そして、そのまま階段を下りようと足を一歩踏み出したその時だった……
「貴様っ!そこで何をしているっ!」
怒鳴り声が私の背中側……つまり、階段の上から響き渡る。
私はその声に思わず振り返り……しまった、と思った時にはすでに遅かった。
右足は階段を下りようと踏み出しているのに、身体を捻ってしまった私はバランスを崩してしまう。
(あっ……)
反射的に左腕で手摺りにしがみついたが、バランスを崩してしまった身体を立て直すことはできず、結局そのまま階段を踏み外し踊り場までの数段を腰とお尻を打ち付けながら落ちてしまう。
「………っ!」
私はあまりに突然の出来事と痛みに、踊り場に座り込んだまま動くことができない。
「大丈夫ですかっ!」
今度は怒鳴り声とは別の声がして、誰かが慌てた様子で踊り場まで階段を駆け下りて来た。
「怪我は……いや、痛いところはないですか?」
そう言いながら私に駆け寄って来たのはネイトだった。
座り込んだままの私の側に膝をつき、心配そうに顔を覗き込む。
「ビアンコ君……?」
「なかなか図書室に来ないから心配で見に来たんです」
その時、階段の上から声が響いた。
「アデール、大丈夫か?」
声のほうに視線を向けると、アデールに駆け寄るブライアンの姿があった。
「わ、私は大丈夫です」
「良かった……」
ほっと安心したように息を吐いたブライアンは、今度はそのアイスブルーの冷えた瞳を私へと向ける。
「一体、アデールに何をした?」
怒りに満ちた声と表情のブライアンに見下され、私は息を飲む。
「殿下……お言葉ですが、階段から落ちたのはクレメントさんです」
すると、まさかのネイトが私を庇ってくれた。
「だから、クレメントさんがワウテレス嬢に何かをするはずがありません」
普段はおとなしく目立たないネイトが、第一王子であるブライアンに臆することなくはっきりと告げる。
「……では、アデールがそこの女に何かしたとでも言いたいのか?」
「いえ、そのような意味ではありません。殿下も見ていらっしゃったでしょう?クレメントさんはたまたま足を滑らせただけで、ワウテレス嬢はこの件には無関係です」
すると、ブライアンは形のいい薄い唇の端をつり上げる。
「ならば、アデールが無実であることをお前は証言できるんだな?」
「はい。もちろんです」
「そうか……。つまりその女は一人で勝手に階段を転げ落ちたということだ」
ブライアンのその言葉を聞いた私はひどく嫌な予感がした。
そして、ブライアンの怒鳴り声を聞きつけたのか、図書室へと向かおうとしていたのか、数名の生徒たちが何事かと階段に集まってきている。
「ルネ・クレメント男爵令嬢!これでアデールの無実は証明された。自作自演でアデールを陥れるつもりだったようだが……残念だったな」
「な、何をおっしゃっているのですか?」
ブライアンの発言にネイトが驚きの声をあげる。
「お前が言ったんじゃないか。アデールは無実で、クレメント嬢が一人で勝手に転げ落ちたと」
「ですから、それは事故だということを申し上げただけです!それに、クレメントさんが落ちたのは殿下の怒鳴り声に驚いたからで……」
「どこにそんな証拠があるんだ?」
「は?」
「この女がアデールを陥れるつもりはなく、ただの事故であった証拠は?」
「それは……。でしたら、殿下こそクレメントさんが自作自演だとどのように証明するのです?」
ネイトがブライアン相手に必死に食い下がる。
そんなネイトにブライアンが苛立たしげな表情で鋭い視線を投げつけた。
「お前は知らないようだが、ルネ・クレメントはそういうことを平気でやるような女なんだ」
「殿下!それでは証明になら……」
なおも食い下がろうとするネイトの服の端を私は慌てて引っ張った。
驚いた表情でこちらに顔を向けたネイトに、私は無言で首を横に振る。
相手は王族だ。これ以上は不敬になってしまうかもしれない。
「ブライアン様……あの、私は何ともありませんし、そんなに怒らずとも大丈夫ですから!」
この場を収めようとしたのか、今度はアデールが必死にブライアンへと訴える。
すると、ブライアンはその表情をやっと緩めた。
「……ああ、わかった」
そして、私たちを一瞥したあと、柔らかな笑みを作りながら心配そうにアデールに声をかける。
「さあ、行こうか」
しかし、アデールは戸惑った様子でこちらにちらりと視線を投げかけた。
「心配することは何もない」
再度ブライアンに声をかけられると、彼女は私たちから目を逸らす。
(あ………)
その瞬間、アデールの唇がわずかに笑みの形を作り……そのまま何も言わずに彼女はこちらに背を向けてしまう。
そして、ブライアンとアデールの二人が階段を上がって姿が見えなくなると、私たちの様子を伺っていた他の生徒たちも、そのまま階段から離れて行く。
ただ、二人の男子生徒が、踊り場に座り込んだままの私を侮蔑に満ちた視線で睨みつけながら横を通り過ぎて行った。
「………はぁ」
私は深い深いため息を吐く。
先ほどの去り際に見せたアデールの微かな笑み。それが無意識であろうと無かろうと、彼女はこの状況を悪く思っていないということになる。
私に対しての怯えた様子や、ブライアンの怒りを収めたことを見るに、ヒロインを積極的に攻撃しようとは思っていない。けれど、ヒロインを助けようとする気もないのだろう。
(これは……完全に詰んだ)
私は思い知らされる。
ざまぁが終わっても、当て馬ヒロインはアデールとブライアンの愛を確かめ合うための舞台装置としてこれからも働かされるのだと……。
「あの、僕が余計なことを言ったばかりに……申し訳ありません」
そんなネイトの声に我に返る。
「そんな、謝らなくて大丈夫ですよ。それより、庇ってくださってありがとうございました」
「いえ、でも結局はブライアン殿下のいいように解釈されてしまって……」
「あー、誰が何を言っても無駄だったと思いますよ?」
私はそう言いながら苦笑いを浮かべる。
「それでも、あれはさすがにおかしいですよ。……王族としてあるまじき姿だ」
「………」
ネイトの声に静かな憤りを感じる。
先ほどの、ブライアンに物怖じせずに意見をぶつけていた姿といい、いつものネイトのイメージとはずいぶん違っていた。
「あ、そうだ。怪我は大丈夫でしたか?」
「えーっと、ちょっと見てみます」
私はゆっくりと立ち上がり、腕や足をその場で確認する。
手摺りにしがみついた左腕には打撲の跡と擦り傷が、そしてぶつけた腰とお尻が痛む。
頭は打っていないし、足にも痛みはなかった。
「とりあえず腕だけ治しときますね」
さすがにこんな場所で腰やお尻を確認するわけにはいかないので、一番目立つ左腕だけを治療することにした。
右手で魔力を練り上げ、現れた光の粒子が傷口と打撲の跡を覆っていく。
しばらくして光の粒子が消え去ると、傷口も打撲の跡もはじめからなかったかのようなきれいな肌があらわれた。
「よし、終わりました」
「………」
すると、そんな私の左腕を食い入るように見つめたまま、ネイトがぽかんと口を開けている。
「どうかしましたか?」
「いえ……クレメントさんの光魔法はいつもこのような効果が?」
「ええ、いつもだいたいこんな感じです。まあ、実際に怪我の治療をしたことは数えるくらいしかないんですけどね」
これまで光魔法を使う機会がほとんどなかったのだ。
光魔法が発現したのはルネが十三歳の頃。
そのまますぐに魔力測定器で魔力量を調べて、王城へと報告がいき、あれよあれよという間にクレメント家の養子になることが決まった。
それからの二年間は魔法よりも淑女教育を詰め込むことに専念し、学園に通うようになってからようやく本格的に魔法の扱い方を学べることとなった。
それでもまだ授業は座学の段階で、この学園で光魔法を使用したのは体育祭くらいだ。
そんな私の話をネイトは真剣な様子で聞いていた。