その涙に弱い
読んでいただき、ありがとうございます。
本日2話目の投稿となります。
よろしくお願いいたします。
今日の放課後は図書委員の当番の日だった。
私は図書室の受付カウンターに座りながら、自習スペースに視線を向ける。
そこには、並んで勉強をしているフィルとアリスターの姿があった。
その珍しい光景に、図書室にいる生徒たちがちらちらと視線を送り、何やらこそこそと話している。
数日前の作戦会議でアリスターが前期試験で好成績を取れるように勉強をすることになったのだが、やはり一人では行き詰まってしまったようで、フィルが試験勉強を手伝うことになったのだ。
ついでに、もし好成績を取った時に不正などの噂が流れないよう、あえて生徒たちの目がある場所で勉強をしたほうがいいだろうということになった。
優しい二人は私のことも誘ってくれたのだが、残念ながら私もアリスター並み……いや、それ以上に好感度が低い。
そんな私がアリスターと友人であることが知られてしまえば、ギャップ萌え作戦に支障をきたすかもしれない。
そう思い、泣く泣く勉強会の誘いを断ったのだ。決して毎日勉強をするのが嫌だったからではない。
「今日の図書室はいつもより騒がしいですね」
隣に座る同じ図書委員であるネイトが小声で話しかけてきた。
彼はクラスメイトのネイト・ビアンコ。
子爵家の三男か四男だったかで、もっさりとした黒髪に、分厚いレンズの黒縁眼鏡をかけたクラスでもあまり目立たないおとなしい男子生徒だ。
背はそれほど高くはないが、イメチェン前のフィルに少し雰囲気が似ていた。
入学してから二週間が経った頃、クラスで委員を決める際に、私は女子の輪からあぶれて図書委員に決まった。
そんな私と同じように男子の輪からあぶれて図書委員となったのがネイトだった。
同じ図書委員ということもあり、必要があれば時々会話をするくらいの仲だ。
それでも、私を避けるクラスメイトがほとんどの中、普通に会話をしてくれるだけでも珍しい。
私はネイトに言葉を返す。
「たぶん、フィル先輩とアリスター殿下が一緒に勉強しているからですね」
「たしかに、珍しい組み合わせですね」
そう言って、ネイトも自習スペースに視線を向けた。
「お二人とは仲がいいんですか?」
「え?」
あの二人と会っているのは人目に付かない裏庭だったのに……と、ネイトの質問に驚いてしまう。
「いえ、クレメントさんが『フィル先輩』と名前で呼んでいたので……」
「あ……」
名前に敬称も付けずに呼ぶのは親しい間柄だから許されることだ。
「えっと、実はそうなんです。アリスター殿下と交流はありませんが、フィル先輩には日頃からお世話になっておりまして……」
危ない危ない。アリスターとも交流があることは隠さなければ。
「そうなんですね。羨ましいです」
「羨ましいですか?」
「はい。僕はあまり人付き合いが得意ではなくて……」
ネイトはそう言いながら、自信無さげに俯いた。
たしかに、ネイトはクラスでも一人で本を読んでいる姿をよく見かけていた。
私は周りからハブられているぼっちだが、ネイトは選択ぼっちだと勝手に思っていたが違ったようだ。
「それは、得意になりたいんですか?」
「え?」
「いえ、得意じゃないなら無理にやらなくてもなぁ……なんて思っただけです」
「………」
しまった。ネイトが無言で固まってしまった。
こういう相談事を聞くのが私はなにより苦手なのだ。
アリスターの場合はフィルがいたので横から口を挟んでいたが、一対一で相談をされて相手の望む言葉を言えた試しがない。
フィルのような精神科医スキルが私には皆無なのだ。
「失礼なことを言ってしまい、申し訳ありません……」
とりあえず、家庭教師仕込みの謝罪の言葉を繰り出しておく。
すると、ネイトがクスクスと小さく笑い出した。
「こちらこそ、すみません。……クレメントさんは面白いですね」
「そうですか?」
「ええ。人付き合いが得意じゃないと伝えれば『じゃあ私と友達になりましょう』と言ってくれるのかと思いました」
「そういうもんなんですね。じゃあ、次からはそう言うようにします」
私は失敗をちゃんと次に活かすタイプだ。
「ふふっ……次からはお願いしますね」
◇◇◇◇◇◇
前期試験まで残り一週間を切った。
周りも試験勉強モードとなり、ピリピリとした雰囲気になっている。
この学園に通っているのは貴族だけだが、貴族にもランクがある。
下位貴族の子息は、この試験で上位成績者に名を連ねれば文官として王城に勤めることだって夢ではなくなるし、下位貴族の令嬢ならば自身に箔を付けて婚約者選びを有利に進めることができるのだ。
皆が将来のために必死になっているので、有り難いことに私への嫌がらせめいた言動も今だけは鳴りを潜めていた。
ちなみに、私は光魔法が使えて魔力量の測定値も高かったので就職は王城勤務でほぼ間違いがなく、周りのピリピリムードに巻き込まれることなくマイペースに過ごしている。
今日は雨だったのでいつものように女子トイレの個室で昼食を楽しんでいたのだが、そこでアリスターの噂話をする女子生徒同士の会話をよく耳にした。
『最近、雰囲気が柔らかくなった』『重い荷物を運ぶのを手伝ってくれた』『真面目に勉強を頑張っているらしい』『あの胸筋が見えなくなったのは寂しい』などなど……どれもが好意的な噂ばかりだった。
ただ、胸筋の件は、あれだけそのままの服装でと言ったのにもかかわらず、アリスターが中のシャツのボタンを上まで留めるようになってしまったのだ。
このことについては、胸筋フェチの皆様を代表して私がきっちりとアリスターに進言しようと思う。
(うまくいってるみたいで良かったぁ……)
私はトイレの個室で一人表情を緩めてニマニマしていた。
(あとは、試験がうまくいきますように!)
せっかくアリスターに対して好意的な噂が出回り始めたのだから、このまま試験の結果もうまくいくようにトイレの個室で祈っておいた。
そして、五日間に渡る前期試験がやっと終わり、いよいよ試験結果が発表される日がやって来た。
私は自分の結果以上にアリスターのことが心配でそわそわしてしまう。
昨日、アリスターに試験の手応えを聞いてみたところ、『やるだけのことはやったから……』と、曖昧な笑顔で言われてしまったので余計に心配だった。
『ゲームでは悪役だったから』という理由だけで今まで辛い思いをしてきたアリスターが、第三騎士団という自分の居場所を見つけたのだ。
どうか、これまでの彼の苦労と努力が報われてほしい。
そんな落ち着かない気分のまま午前中の授業が終わり、ついに中庭に試験結果が貼り出された。
いつもなら、人の目を避けるために教室からダッシュで食堂に直行していたが、今日だけは食堂には寄らずに中庭に急いで向かった。
皆、試験結果が気になるのだろう。私と同じような生徒がすでに集まりはじめている。
私は大きく貼り出された二年生の試験結果を一位から順に目で追っていく。
(一位、二位、三位、四位………あっ!)
「あった!」
私が叫ぶ前に後ろからアリスターの大きな声がした。
『八位 アリスター・マリフォレス』
堂々と成績上位者十名の中にアリスターの名前が載っていた。
アリスターの声に反応してか、その場にいた多くの生徒たちがアリスターと貼り出された試験結果を見て驚きの声をあげている。
しかし、そんな周りには目もくれず、アリスターは一人の男子生徒に向けて声を張り上げた。
「フィル!俺やったよ!」
「ええ。おめでとうございます。よく頑張られましたね、殿下」
そんなアリスターの側にフィルがゆっくりと歩み寄る。
ここは裏庭ではないのでフィルは貴族口調だったが、その表情は喜びが顕になっていた。
「あんたのおかげだ。ありがとう……」
そう言いながら、そのアイスブルーの瞳にはうっすらと涙が浮かび上がる。
慌てたアリスターは恥ずかしそうな表情で、乱暴にごしごしと右手で目元を擦っている。
私はアリスターやフィルに見つからないようにこっそりとそんな二人を眺めながら、心の中で盛大な拍手を送る。
皆もそんなアリスターに注目し、その様子をじっと見つめていたが、そこには驚きと共に好意的な視線ばかりが集まっていた。
◇◇◇◇◇◇
流れが少しずつ変わっていた。
それが、アリスターの前期試験の結果で、より決定的なものとなった。
ただし、八位という結果そのものよりも、中庭で男泣きをした姿が好意的な目で見られるきっかけとなったようだ。
ふと、前世での記憶を思い起こす。
バラエティ番組にたくさん出演していて好感度も高い、とあるお笑い芸人がテレビのCMに出ていた。
それを見た母が『この人、昔はすごく嫌われていたのにねぇ……』と呟いたのだ。
それを聞いた私はひどく驚いた。
そのお笑い芸人が昔嫌われていた理由は外見や芸風で、好かれるきっかけとなったのが彼の素の性格がとてもいい人であると知れ渡ったからだそうだ。
アリスターは芸能人ではないが、この世界では芸能人並みに周りから注目を浴びている。
そして、ネットのないこの世界では『噂』が一番早い情報の伝達方法だと言える。
まあ、そのぶん好感度の高かった人物がたった一度のスキャンダルで地の底まで落ちることもあるのだから、諸刃の剣とも言えるのかもしれないが……。
そして、そんなアリスターの男泣き現場にいたフィルに対しても注目が集まるようになっていた。
図書室などでアリスターに勉強を教えていたフィルの姿を目撃していた生徒も多く、アリスターが変わったのは彼の影響ではないかという噂が流れたのだ。
まあ、私に対しての周りの評価は相変わらず超低空飛行を続けていたが、それでも大切な友人であるフィルやアリスターが周りから認められている状況に、私はかなり浮かれていた。
━━そう、自分が当て馬ヒロインであることをすっかり忘れて浮かれてしまっていたのだ……。
その日は放課後に図書委員の当番があり、鍵を開けるためにネイトと共に図書室へと向かう途中で、担任の教師から呼び止められて課題の提出期限が今日までだと告げられた。
慌てた私はネイトに先に図書室へと向かうように頼み、課題を提出してから遅れて図書室へと向かう。
(あっ……鍵!)
その時に、図書室の鍵を私が持ったままだということに気が付く。
ネイトが図書室の前で困っているだろうと、私は周りに他の生徒がいないことを確認してから廊下を猛ダッシュした。
息が上がりながらも図書室へと向かう階段を駆け上っていると、上から階段を降りてくる人の気配を感じた。
もしかして、ネイトかも……と思いながら深く考えずに顔をあげる。
そこには、ストレートの長い銀の髪に深い海のような青の瞳の美しい……転生悪役令嬢の姿があった。
補足になりますが、ネイト君は第2話に少しだけ文章内に出てきた図書委員のメガネ男子と同一人物です。
本当はもっと短いお話になる予定だったので、登場までかなり空いてしまいました。
終盤に向けて(やっと)物語が動き出します。