先見の明
アイスブルーの瞳が私を睨みつけている。
(………ん?)
どう見ても目の前の彼は怒っている。
(………なんで?)
さっきまで無愛想で態度は悪かったが、怒ってはいなかったと思う。名前を聞いたら急に怒り出したのだ。
(名前を聞いたのが地雷だった?でも、聞かなきゃわかんないし……)
残念ながら、この学園の体操着には前世のように胸元にゼッケンが付いていない。
(もしかして、初対面じゃないとか?)
彼の顔をまじまじと見つめ返す。
(あれ?誰だっけ……?)
どこかで見たような……でも、何かが違うような……。
しかし、この学園での私の交友関係はかなり狭い。
狭いというよりも友人はフィルしかいないし、まともに会話をするのもフィルしかいないので、完全なるフィル一強だった。
必死に考え込む私に痺れを切らしたかのように、目の前の彼が早口で名を告げる。
「アリスター・マリフォレス」
「あ……ありがとうございます。じゃあ学年とクラスもお願いします」
「二年C組」
私は慌てて名前欄にアリスターの名と、学年とクラスも記入していく。
「次は、怪我の状況と処置内容……これは私が書いておきますね。えっと、転んで両膝ずる剥け……処置は、洗浄して光魔法。これで、よし!」
あとは日付と時間、そして処置をした私の名前を記入して終了だ。
「全て終了です。では、お大事に」
私は笑顔でアリスターにそう声をかけた。
なぜ怒っているかはわからないけれど、もう相手にするのは面倒くさいので早く終わらせよう。
しかし、彼はパイプ椅子に座ったまま立ち上がろうとしない。
「ええっと、終わりましたけど……?」
私はもう一度声をかけてみる。
「なあ?」
「は、はい」
「やっぱり兄上にしか興味ないんだな」
「兄上……?」
「兄上に色目使ったからハブられてんだろ?」
「色目……?」
どういうことだ?と思ったその時、利用者名簿の名前欄が視界に入る。
『アリスター・マリフォレス』
自分で記入したその文字を改めて見て、一気に鳥肌が立つ。
マリフォレスはこの国の名前、その名前を持つということは王族である証だ。
「あ、アリスター第二王子殿下……」
「やっと気づいたのかよ」
不機嫌そうな口調でそう言われる。
そうだ、ゲームにも登場していた第二王子の名前はアリスターだった。
「すみません。お名前は存じておりましたが、お姿を拝見しましたのは初めてでして……。無礼をお許し下さい」
私がそう返すと、アリスターは驚いた表情をする。
一応、二年間の淑女教育でこれくらいのセリフは言えるようになっていた。
むしろ、淑女教育を担当してくれた家庭教師が、私がやらかすであろうことを見越して、相手に失礼な態度を取ってしまった時の対処方法を中心に指導してくれたのだ。
先見の明があり過ぎる。
「まあ、別にいいけど。他の奴らも兄上のことばっかりだし」
「………」
「どうせ、あんたも俺のことなんてたいして興味ないんだろうから」
「………」
アリスターはパイプ椅子に座ったまま、グチグチと文句を言っていじけている。
彼が第二王子であることに気付かなかったから怒っていたようだ。
(それにしても……キャラ変わり過ぎじゃない?)
ゲームでのアリスターは、ブライアンの心の傷を作る元凶となった人物だ。
ブライアンの実母である王妃が流行り病で亡くなると、側妃であったアリスターの母が王妃の座についた。
二人の夫婦仲は良好で、その二人から愛されるアリスター。
一方のブライアンは、その優秀さを褒められることはあれど、なんとなく疎外感を感じて家族の輪に入ることができないでいた。
そんなブライアンに近付き、愛されている自身の姿を見せつけながらアリスターは囁く。
『父上は、本当は僕の母上だけを愛していたんです。けれど、身分のせいで正妃になることは許されなかった……』
『本当です。だから、父上は僕ばかり可愛がっているんですよ』
『兄上が必要とされるのは、その身に高貴な血が流れているから……ただそれだけ』
そんなアリスターの言葉を鵜呑みにし、傷付いたブライアンは自分から家族と距離を取るようになっていく。
それがゲームで語られていたブライアンの過去だった。
ゲームのアリスターはブライアンと同じ金髪にアイスブルーの瞳で、肩までのストレートヘアー。
一人称は『僕』で、丁寧な口調で常に笑顔を振りまいている。だけど、裏では精神的にブライアンを追い詰めていく……そういうギャップのあるキャラクターだったのに……。
目の前にいるアリスターの姿は……いや、姿だけでなく口調も雰囲気もゲームの彼とは全く違っていた。だから、気づけなかったのだ。
━━なぜ、アリスターはこんなにもキャラ変してしまったのだろう?
可能性として考えられるのは、やはりアデールが関与しているかもしれないこと。あとは、アリスターが転生者かもしれないということだが……。
どちらにしても、私はすでに出オチ済みの当て馬ヒロインで、このままブライアンたちが卒業するのを待つだけの身。
今さら第二王子と関わる必要はないだろう。
というわけで、彼が何者なのかもわかってすっきりしたので、早く立ち去ってもらいたい。
「アリスター殿下に興味がないわけではありませんよ。突然のことで気付かなかっただけなんです」
とりあえず宥め賺してみる。
「……でも、あんたは兄上のことが好きなんだろ?」
「嫌いですけど?」
「え?」
「あ!」
しまった。うっかり本音が出てしまった。
「嘘つけ。兄上に色目使って言い寄ってフラれて嫌われたって聞いたぞ?」
噂が酷いな。もうちょっとオブラートに包んでほしい。
「色目も使っておりませんし、言い寄っても、フラれてもおりません」
嫌われているのだけが真実だ。
「じゃあ、なんでこんなに嫌われるんだよ」
「……わかりません」
仕方なく、私はそう答える。
いや、理由はわかっているけれど、そんなことをアリスターには言えない。
「わからない?兄上が人を嫌うなんて、めったにないんだぞ?」
「わからないものはわからないんです。入学式の日に正門をくぐったら、突然『二度と近づくな』と言われましたので」
「突然……?」
「はい。初対面で突然です」
アリスターは少し考え込むような仕草をする。
「色目は?」
「だから、使っていませんよ。入学式に向かうところでしたし、ブライアン殿下の側にはアデール様や他の生徒会メンバーもいらっしゃいました。その状況でどうやって色目を使うんです?」
「まあ……それなら確かに……」
「ですので、もし理由をお知りになりたいんでしたら、ブライアン殿下に直接お聞きください」
「………」
もう面倒くさいので、全てをブライアンに投げることにした。
しかし、アリスターは何かを堪えるような表情になる。
「聞けないからあんたに聞いてるんだろ……」
「え?」
聞けない?兄弟なのに??
「もしかして……仲悪いんですか?」
「………」
アリスターは無言だ。
「『兄上が人を嫌うなんて、めったにないんだぞ?』って、ついさっき私に言ってませんでした?」
「………」
アリスターはバツが悪そうな表情だ。
「それなのに、仲悪いんですね」
「………」
アリスターはちょっと涙目になった。
……言い過ぎてしまったのかもしれない。
(どうして仲が悪いんだろう?)
ゲームとは違って王妃は健在。ブライアンは愛情に飢えていない。アリスターだってゲームのようなキャラではない。
こんなにもゲームとは違う要素があるのに、兄弟仲は変わらず悪いままだなんて……。
「あのさ……」
考え込む私に、意を決したようにアリスターが声をかけてきた。しかし……
「クレメントさん!一人でお留守番させちゃってごめんなさいね」
ふくよかな身体に白衣を羽織った養護教諭がテントに戻って来たのだ。
「あら?殿下!どこか怪我をされたのですか?」
「……もう治ったから大丈夫だ」
そう言うと、アリスターはパイプ椅子から立ち上がり、そのままグラウンドの中央へと向かって行く。
私はその背中を黙って見送った。
読んでいただき、ありがとうございます。
これからは二日に一回更新になります。
次話は日曜日に、アリスターの事情をもう少し詳しく書いていく予定です。
よろしくお願いいたします。