調伏師 ~エピローグ~
――角杙邸に響く女性の怒鳴り声。連日、修学旅行のような騒がしい療養生活を送っていた。ゆっくり体を休ませることのできない状況に八雲は頭を痛めていたが、もう一つ気がかりなことがあった。それは、未だ姿を見せない道雪のことだった。奈留美によると、学校にも来ていないようだった。おそらく、道雪の傷も癒えていないのだろうと思い、焦らず待つことにした。
――結局、安静にできなかったせいで、一週間も寝込むことになった。
動けるようになった八雲が、居間でテレビを観ていると、怪しげな臭いが漂ってきた。
「やっくん、もうすぐ菊里ちゃん特性のお粥ができるからね」
黄色のエプロンをつけた菊里が、台所で料理を作っていた。その隣で、水雉も料理を作っていた。
「……ちょっと菊里ちゃん、何を作っているの?」
漂う刺激臭に、水雉は顔を歪める。
「菊里特製愛情たっぷり健康になるお粥だよ」
前回、八雲を殺しかけたテロ飯を今回も作っていた。
「面倒は、姉であるあたしが見るわ。八雲のオムツもあたしが替えてあげたのよ」
「ちょ! 何言ってんの!? ねつ造してんじゃねーぞ!!」
まさか、高一になってオムツの話をされるとは思わず、飲んでいたコーヒーを吹き出す。
「やっくんのオムツ姿……かわいかったんだろうなぁ~、いいなぁ~水雉ちゃん」
菊里の羨ましがる姿を横目に、誇らしそうに料理の準備を進める。
そんな水雉の態度に、八雲は戸惑っていた。水雉の深層心理へダイブした時に、八雲のことを憎んでいたという本音を知り、それでも、お互いの気持ちをぶつけあったことで分かり合えた。だが、療養中水雉とどう接すればいいか悩んでいたのだが、水雉はいつもと変わらないブラコンぶりを発揮していた。それを、どう解釈すればいいのか分からず、八雲は戸惑っていた。
「――なになに? 八雲くんのオムツがどうしたのぉ?」
ボディーラインの分かるワインレッドのスーツは深いスリットが入り、そこから伸びる足が、男の妄想を駆り立てた。お色気先生と噂にたがわない容姿を持つ奈留美が、スーパーの袋を提げ入ってきた。
「もう回復したから、あんたは来なくていいわよ!」
五月蠅いハエでも追い払うかのように、菊里は激しく手を振る。
「ッンフ~ン、恩知らずなガキねぇ……。ねぇ、八雲く~ん」
八雲は居間で、「俺は関係ないから」とテレビを観て知らぬふりをしていた。
「八雲くんのツンデレさん」と覆いかぶさり頬を寄せる。
――カチャ、と奈留美の後頭部に菊里が『千早』の銃口を向ける。そして、水雉は大鎌を八雲の喉元につきつける。
「まてまてまてええええ!?」
冷や汗を大量に流しながら、八雲は大鎌の刃に触れないよう叫ぶ。
「あんたにやっくんを取られるぐらいなら、やっくんごと吹き飛ばす!」
「女癖が悪くなる前に、姉さんが粛清してあげるわ八雲」
水雉と菊里の目は据わっていた。
「マジでまてえええ、お前らその目ヤバイぞ、こわいこわいこわいよ」
怯え震える八雲とは違い、奈留美は、「八雲くんと死ねるなら本望よぉ~」と八雲の頭の上に、豊満な二つのふくらみを乗せウインクする。
――ヴァチン!! と水雉と菊里のこめかみ辺りから、太いワイヤーが切れるような音がする。ヨーコと対峙したとき以上の殺気を発する。
「……あのぉ……お取込み中申し訳ありません。しばらく待っていたのですが、なかなか奈留美殿が戻られないので、失礼とは思いましたが、勝手に入らせていただきました」
そこに現れたのは、紺のスーツに大人しめの化粧を施した友恵だった。
「友恵さん元気そうで良かった~。しばらく見かけていないって聞いたから心配しましたよ……道雪も元気ですか?」
いつもと様子は違っていたが、友恵の姿を見れて胸を撫で下ろす。
「ありがとうございます。――今日は、先日お約束したことでお伺いしました……」
堅苦しく挨拶をする友恵の背後から、ヒョコという効果音が聞こえそうな感じで後頭部が現れた。
「おお! 道雪!」
一様に安堵の吐息が漏れる。
それに対して道雪は、友恵の後ろに隠れたまま一言も発しなかった。
「……道雪さま」
いつまでも黙ったままの道雪に、友恵が優しく背中を押す。
姿を現した道雪は、俯いたままだが怪我は完治している様子だった。
「……あ、あの……ごめんなさい、みんな……」
他人行儀な道雪を見て、八雲の心に不安がよぎる。
――地球に来た目的ってなんだ? 侵略? 人類滅亡? それとも、やっぱり頼光の言ったことは、全部ウソなのか?
――色々聞きたいことはあったが、知る事が恐ろしくもあった。
沈黙が過ぎる。
痛いほどの静寂が続くなか、「道雪さま――」とまた、友恵が声をかけた。
その声に勇気をもらったように、道雪が重い口を開いた。
「…………僕は……人類を滅亡させる尖兵としてきました……黙っていてごめんなさい」
八雲たちは、きっと道雪なら否定してくれると信じていた。だが、道雪の口からはっきりと「人類滅亡」と聞き、胸がギュッと締め付けられた。
「……な、なにか理由があるんだろ?」
それでもまだ、道雪にはそうせざる負えない事情があるのだろうと、期待を込め問う。
「……実は、もう一つ任務を受けていて……それは、兄様から父様の企てを妨害するようにもいわれたの……」
「それは、どういうこと?」
水雉が眉間にしわを寄せ説明を促した。
「今まで黙っていてごめんなさい! もっと早く言おうとは思ったんだけど、八雲くんたちと過ごす時間が楽しくて……その時間を失うのが怖くて……ずっと僕……怖かった……」
語尾の方は涙声に変わる。まだ心の整理ができていないのか、道雪の言葉は要領を得ていなかった。そんな道雪を、友恵が優しく抱き寄せた。その姿に、水雉も強く聞き出せずにいた。
しばらく考えていた八雲が、気づいたことを口にする。
「お前の家族も、人類滅亡と阻止する派に別れているってことなのか?」
妖厄仙の世界も人間界と大して変わらないように感じた。
「……道雪さまは、尊敬するご家族から、別々の命令を言い渡され地球へ来ました」
道雪に代わり友恵が答えた。それで、道雪が二重スパイのようなことをさせられていたのは分かった。では、道雪はどちらの命令を順守しているのか、八雲たちはそちらが気になった。
「……出発前兄様は、僕に一言加えたの、お前の目で人類を確かめてから、どちらの命令を実行するか決めなさい、って……。はじめは、父様の命令は絶対だと思っていた。けど、八雲くんたちと出会い接しているうちに……人って悪い人ばかりじゃないって……それでも、父様の命令は絶対だと、そう思った。……だけど……友恵から聞いたんだ。八雲くんたちは友達のために、命を賭け戦ってくれたと。それを聞いた時、僕は嬉しかった。すっごく嬉しかった。……けど……辛くもあったよ……人類を滅ぼそうとする手伝いをしている僕なんかの為に、命を賭けてくれて……それに、そんな八雲くんたちを騙していた。僕は……」
堪えきれず大粒の涙を零す。
あの戦いから一週間、道雪が何を思い何を考えていたか、想像するのは難しくなかった。
もし、自分たちが弾正台の命令で、『まほろば』を滅ぼすよういわれてから道雪と出会い、同じように仲良くなったら、同じ苦しみを味わっていたであろう。それが分かるだけに、苦しみ抜いたであろう道雪にかける言葉がみつからなかった。
こうして道雪が八雲たちに会いに来たということは、なんらかの結論をだしたのであろう。それを自分の口で伝えるため、道雪はここまできたんだと。道雪の出した結論が、例え最悪の結果だったとしても、八雲たちは道雪を責めるつもりはなかった。
「……なぁ、道雪……例え、別々の道を進もうが、俺たちは友達だ! と思っている」
絞り出した言葉は、はたしてちゃんと道雪に伝わったのだろうか、もっと気の利いた言葉があったんじゃないか、と八雲は自分の未熟さをしみじみと痛感した。
「……ありがとう八雲くん……兄さんが言った言葉が、ようやく解ったんだ。……僕は僕の友達を守りたい! 人類とか妖厄仙とか関係なく、大切な、かけがえのない人を守りたいんだ! だから父様の命令は破る! ……こんな僕が、友達でもいいかな?」
毅然と言いきった道雪だが、その目には不安が溢れていた。
「もっちろんだよ道雪くん!」
「弟が、もう一人できたようなものね」
満面の笑顔を浮かべ、菊里と水雉は道雪を迎えた。
「また、一緒に秋葉原へいこうぜ!」
親指を立てウインクしてみせる八雲の姿に、道雪は安堵の表情を浮かべる。その頬に大粒の涙が伝わり、感極まった道雪は飛び付くよう八雲に抱きついた。そして、「ありがと、ありがと」と何度も感謝を伝えた。泣きじゃくる道雪を抱きしめながら八雲は思う――妖厄仙とは理解しあえないと思い込んでいたが、今回の事でそうじゃないんだと、お互い誠意を見せしっかり話し合えば、分かり合えるんだとそう思えた。
安堵の涙を何の遠慮もなく流す道雪と、それを受け止める八雲の感動的な抱擁シーンを、友恵も涙ぐみながら見つめる。常に道雪のそばにいて、その苦しみや葛藤を間近で見ていただけに、その思いもひとしきりだった。その姿を見ていた水雉も、もらい泣きしそうになり、友恵への思いも改めようと思いはじめた時だった。涙を拭いながらも、やはり写真は撮っていた。
「――ったく、これだから、腐女子って生き物は手に負えないのよ」
水雉の発言に、友恵は真っ向から腐女子と近親相姦のどちらが悪かという、不毛な言い争いをはじめた。いがみ合う二人を見て安堵したことに、八雲は複雑な思いにとらわれた。
「ッンフ~ン、男同士で抱き合うなんて、不健全よん。さぁ、わたくしの胸で泣きなさい」
シャツのボタンを豊満な胸でタップアウトさせながら、八雲と道雪を抱きしめようと近づく。それを阻止しするため、菊里が奈留美の前に回り込み両手で胸を掴む。
「この胸は、下品さと厚かましいさが詰まって膨張しているようね!」
奈留美の胸を揉みながら、菊里が睨みを利かせる。
「あ~ら、あらあら、他人の胸を揉んでも、自分の胸は大きくならなくてよ」
「重力に負けて、垂れ下がっている胸がみっともなくて、支えてあげているのよ」
「――誰の胸が垂れているですってーーーーーー小娘があああ!」
「大きければいいってもんじゃないでしょ、この色ボケババァがあああ!」
菊里と奈留美が毛を逆立て猫のケンカのようにいがみ合う。その隣では、水雉と友恵が腐女子と近親相姦のどっちが悪かについて言い争っていた。
女同士は口げんかをはじめ、男同士は涙を流し抱き合う。異常としか表現のできない状況が角杙邸で繰り広げられていた。こんな混沌とした状況に、さらなる混乱が飄々と現れた。
「おーーい八雲に水雉ちゃんと菊里ーー、回復したって聞いたから祝いに来たぞッ!?」
元気よく居間に現れた新延と、その後ろから薄っすら化粧を施した河瀬が、目の前で起きている惨状に目を丸くして驚く。それでも、新延はすぐに八雲と道雪の輪に加わり熱い抱擁をする。ますます事態は混迷を極め、収まる気配がなかった。
それを見事収めたのは、河瀬の一言だった。
最初は戸惑っていたが、意を決した表情を浮かべ、大きく息を吸うと――
「ストーーーーーーーーーーーーーーーープッ!」と叫んだ。
その声の威力は、ガラスのコップがあれば割れていたであろうほどの高音域ボイスであった。その破壊力で、屋敷にいた全員が殺虫剤をかけられた虫のように痙攣しながら倒れていた。
「ケンカは、ダメ、だよ!」
河瀬は少し頬を赤く染めいつもの声で注意する。
「……有希の声、殺人的だよ……」
「一瞬霊界が見えた……」
「妖厄仙でも、そんな声出せるものはいないわ」
「あなた本当に人間ですか……」
全員がヨロヨロと立ち上がる。
「回復のお祝い……しよ!」
河瀬は頭を斜めに傾けたまま笑顔でケーキの箱を掲げ見せた。その仕草に、お色気先生こと奈留美ですら、「あら、かわいい……」と呟かせるほどだった。
「――ハ、ハハ、ハ……っっしゃああああああ、とにかく、回復祝いしようかあああ!」
河瀬の殺人ボイスには遠く及ばないが、八雲は精一杯の大声で音頭を取る。その掛け声に合わせ、みんなでパーティーの準備にとりかかった。
――あちこちで笑い声が響く屋敷の中は、今、不思議な空間といえた。普通の人間に調伏師、その調伏師と敵対する妖厄仙。普通では、絶対に交わることのないメンバーが集い、仲良くする姿は、まさに理想の姿といえた。個人単位では、仲良くできる人間と妖厄仙だが、集団になるとなぜ争いだすのだろう。そんな疑問が八雲の頭によぎった。
「どうしたの八雲? 珍しく考え事して」
「……人間と妖厄仙、俺と水雉、それぞれ考え方は違っても、お互いを理解しあえたのに、なぜ、争いは絶えないのかな……なんてな」
「……なぜ、争いを止めないのかについては、色々あるけれど、あたしたちが戦う理由は、ここにあるんじゃないかな」
笑いあったり、いたずらしたり、時にはケンカしたりしながらも、楽しそうに回復祝いの準備を進める光景を目を細め見つめる。
「……そうだな、もう失いたくない。この手にある大切な人たちを」
八雲は、改めて水雉の言う通りかもしれないと思った。世界なんて大きくなくていい、身近にいる人たちを守りたい。それでいいんだと、八雲はそう思い誓う。
両親を失ってから、八雲と水雉はお互いの事だけしか考えてこなかった。だけど今は、新たに守るものが増えた。それは心配事どころか、より励みになるだろう。
「今度は守りましょう、あたしたちの大切な人たちを……」
和気あいあいとパーティーの準備をすすめる仲間たちを見つめ、水雉も八雲に同調する。
八雲と水雉――生まれてからずっと一緒に過ごしてきたが、今日ほど近くに感じたことはなかった。
「お~~い高鉾姉弟、何見つめ合ってんだ? そろそろ始めようぜ!」
テーブルを囲み、みんなの笑顔と目が高鉾姉弟に注がれる。
それぞれがグラスを持ち、乾杯の音頭を待っていた。
「ほらほら、やっくん、早く早く!」
「八雲、ばっちり決めてくれよ!」
「さぁ、八雲くん!」
「八雲殿の勇姿も収めますよ」
「ッンフ~ン、八雲く~ん、じらさないで、は・や・く」
「八雲くん」
みんなの視線をうけ、八雲は照れくさそうに頭を掻く。
「……八雲、気合の入った音頭をお願いね!!」
水雉の催促が、一番ハードルが高かった。
八雲は、ここに集まっている多種多様な人たちの顔を丁寧に見つめ、そして――
「みんな最高だぜーーーー! かんぱーーーい!」
「かんぱーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!」
高々と上げられたグラスは、全員の未来を照らすかのように煌々《こうこう》と煌めき、グラスに注がれている液体のように未来も不安定に揺れていた。
屈託のない笑顔と談笑が飛び交い、回復祝いは夜通し続けられた。
~完~