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調伏師  作者: 葉月望
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調伏師  ~後編~


 ――い草の匂いが漂う畳に、戦国武将のフィギアが飾られている棚以外は、何もない殺風景な部屋の真ん中に、包帯だらけの八雲が寝ていた。

 少しうなされている様子で、眉をしかめていた八雲が、「――いくぞオオカミ野郎!」と叫びながら掛布団を押しのけ起き上がる。その状態でしばらく固まっていた八雲は、自分の置かれている状況が理解できずにいた。ようやく自分の部屋にいることを理解すると、頭を掻き布団に潜り込んだ。だがすぐに、背中に痛みが走り意識が戻る。


 「――そうだ! 俺たち勝ったのか? ……なぁ、水雉!?」


 名前を呼ぶが、反応はなかった。そこで、読心で水雉に呼びかけてみる。


 ――それでも、応答はなかった。不安に駆られた八雲は、痛みを無視して起き上る。


 「ちょうどよかった!」


 ふすまを開け、菊里が満面の笑顔で入ってきた。


 「く……菊里……!? 無事だったのか……。どうなったんだオオカミ野郎との戦い?」


 「私とやっくんのコンビネーションでやっつけたよ。それよりこれ……別に、あんたの為に作ってきたんじゃないからね!」


 照れ笑いを浮かべながら横に座る。手に持っているのは、湯気の立ち込めるおかゆであった。いつもと様子の違う菊里を訝う。八雲が探るよう窺っていると、菊里にしては珍しい淡いピンクのフレアのミニスカートを履いていた。しかも、寝ている八雲の目の前に座ったので、ミニスカートから伸びる白い太ももが視線に入り、慌てて起き上がる。


 「三日も眠っていて、このまま目覚めなかったらどうしようかと心配だったよ」


 安堵の表情を浮かべる菊里を見て、自分の身体のいたるところに包帯が巻かれていることに気づく。百目鬼に勝つことはできたが、傷だらけのうえ、みんなに心配をかけたのかと思うと、自分の弱さに、憤りを感じて俯く。


 「……大丈夫やっくん? なんだか辛そうだけど……!?」


 「いや、大丈夫。……それより、お粥いただきます」


 菊里からお椀を受け取ると、勢いよく口に運んだ。


 ――あぁ……俺、死んだ。


 この世の食べ物とは思われない複雑怪奇な味に、八雲は吐き出しそうになった。しかし、菊里が心配そうに覗き込んでいるのが見え、八雲は両手で口を押さえ堪えた。


 「……美味しく、なかった?」と不安げな顔で訊ねる。


 一生懸命作ったであろうお粥を、不味い、と言えるわけもなく、百目鬼との死闘や背中の傷の痛みなど、味覚以外の感覚をフル活動させ飲み込んだ。


 「……独特の味付けだな、これ……」


 自分が何を食べさせられたのか、怖いもの見たさで聞いてみた。


 「――でしょ! 疲れている時には甘いものがいいから砂糖を入れて、あと酸っぱいものも欲しいかなってお酢をいれて、香り付けにシナモンを少しと。元気が出そうなものを色々入れて、最後に愛情をたっぷりいれて……なーんて、愛情なんて、な、ないけどね! 名付けて菊里特性栄養満点元気になるお粥だよ」


 落としどころを見失ったギャグマンガのようなレシピ内容であった。八雲は手に持っているお粥から、百目鬼と戦ったとき以上の恐怖を覚えた。


 「――ッンフ~ン、お子様が考えそうな、貧困な発想のお粥さんだこと」


 わがままなスレンダーボディーを余すことなくアピールするタイトなワインレッドのスーツに、しっかりと巻いたロングヘアーを右手でかきあげ、左手にお粥を持つ姿は、まるでお粥をアピールをする広告モデルのような装いをした奈留美が現れた。


 「な、なんで加夜先生が、この家にいるんだ?」


 妖厄仙である奈留美が、『鎮守』の拠点である角杙家にいることに驚き戸惑う。


 「勝手に居座って、私も困っているのよ……」


 「言いがかりもいいところね。わたくしは命の恩人である八雲くんを看病をしているのよ」


 八雲を挟んで、菊里の反対側に奈留美が座る。そして、持ってきたお粥をレンゲですくい、八雲に食べさせようと差し出す。


 「私のも、もっと食べてよ!」


 菊里は八雲からお椀を奪い取ると、お粥をすくって差し出す。


 「ちょ、待て待て、あちちちちぃーーーー」


 両サイドから、熱々のレンゲを無理やり口に入れられた。これは、看病という名の虐待に違いない、と八雲は思った。


 「あら、ごめんなさい」


 奈留美は肘で、菊里の肩を押しのける。


 「ちょっと何するのよ!」


 菊里は押された肩で、奈留美を突き飛ばそうとしたが、するりとかわされ、お粥の入ったお椀を落としてしまう。それを見た八雲は、ほっと胸を撫で下ろす。


 「あらら、もったいな~い。――でも、あなたのお粥は畳に食べさせるぐらいが丁度いいかしらね」


 ほほほほ、と奈留美が高笑いを浮かべる。


 「よくも!」と菊里は立ち上がり、奈留美の持つお椀を天井へと蹴り上げた。


 「あんたのお粥は、天井に食べさせるぐらいが丁度いいわ!」


 「ちょっと、あなたが勝手に転んだのを、わたくしのせいにしないでくれる!」


 「そっちが先に、手を出してきたんじゃない!」


 二人は野良猫のように毛を逆立て威嚇しあう。目の前で起きている悲劇に、夢なら早く醒めてくれと、願うばかりだった。


 「――もう、菊里ちゃんも加夜先生も騒がない。八雲がゆっくりできないでしょ!」


 野良猫のようなケンカを仲裁するのは、紺のエプロンをつけた水雉だった。


 「そんなつもりはないもん」


 「わたくしは、看病してただけだから」


 菊里と奈留美の下手な言い訳を聞き流し、水雉が口を挟む。


 「……八雲、簡単な食事だけど食べるんなら居間に来て。来れないようならお姉ちゃんが、食べさせてあげるわよ」


 菊里と奈留美が慌てた様子で部屋を出て行った。――嫌な予感しかしない八雲は、不安を消すよう言葉を紡いだ。


 「今までどこに行ってたんだ?」


 「……その話は、降りてからにしましょう」


 水雉は一階へと降りて行った。何も言わなかったが、水雉の左目には真新しい眼帯がつけられていたので、弾正台に行っていたのだろうと察しがついた。さらに、八雲は思考を進めた。今回の無頼集団は、過去にないほど大きな組織と化していた。妖厄仙の中で、何か変化でもあったのか? と感じた。それがなんなのか、弾正台に行った水雉に詳しく聞こうと起き上がる。そして、着替えようとしたとき、天井からお粥の欠片がぼとりと落ちてきた。天井と畳に散乱した善意のお粥を気にしないよう八雲は手早く着替え一階へと向かった。


 「おーい、水雉――」


 居間のふすまを開け中に入った瞬間、両手に粘着物が貼りつき動きを封じられた。


 「こ、これは……!?」


 それは奈留美の糸だと分かったが、その粘着の強さに八雲は本気で動けなかった。


 「ッンフ~ン、今度こそはわたくしのお粥を食べてもらうわよ~八雲くん」


 「やっくんは私のお粥だけを食べるの、色ボケ妖厄仙!」


 菊里がまた、お椀を蹴り飛ばそうと足をのばす。それを、奈留美はスルリとかわす。


 「十年やそこらしか生きてないお子様に、大人の女の実力を見せてあげるわん」


 「その厚化粧が落ちて、正体がバレる前に帰ったらオバさん!」


 二人が本気で戦えば、角杙邸も百目鬼の屋敷のようになりかねない。大惨事になる前に、二人を止めようとしたが、奈留美の糸で八雲は身動きが取れなかった。


 「はい、そこまでよ! それ以上やるなら、あたしが相手よ」


 エプロン姿の水雉が、大鎌を構え二人の間に割って入る。


 「……ッンフ~ン、仕方ないわねぇ。小姑には逆らえないわ……」


 「誰が小姑ですか!」


 「そっか! やっくんと結婚したら、水雉ちゃんが小姑になるのか!」


 「菊里ちゃんまで、やめてよね」


 「ッンフ~ン、まあいいわ。次は必ず八雲くんを頂くから、覚悟してなさい!」


 奈留美は居間から出ていった。


 「今度屋敷に入ってきたら、調伏してやるからねぇ!」


 肩をいからせながら、菊里も居間から出て行った。


 「……やれやれね。テーブルにあたしと菊里ちゃんと加夜先生のお粥があるから食べなさいよ。――さて、あたしは洗い物でもしようかな」


 「ちょっと待てええええ! これほどいてくれーーー」


 ――水雉の手を借り、すべての糸を取り除くことのできた八雲は、人心地つこうと座布団に座った。だが、八雲には試練が残っていた。それは、テーブルに置かれている三つのお粥の中で、どれが水雉の作ったものか見分けなければならないのだ。もし菊里の作ったお粥を選んだなら、死線をくぐるほどの苦痛を味わなければならない。まさに命がけのお粥選び、ロシアンルーレットだと、自分でツッコんでみた。八雲はお粥を見比べながら、「弾正台で、何か情報はあったのか?」と尋ねる。


 「――あったわよ」


 「なんて!?」


 「今回の件、ご苦労。あとは、こちらで情報を精査するから、指示があるまで待機せよ。だって……あと、師匠が今度は八雲も連れて帰って来いっていってたわよ」


 「師匠元気だった?」


 「ええ。あの調子なら、あと半世紀は生きそうよ」


 「俺たちより長生きしそうだな。――で、父さんの消息はつかめた?」


 八雲は少し躊躇いがちに確認を取った。


 「……いえ、まだ消息は掴めないですって」


 洗い物をしていて、水雉の表情は窺えなかった。


 「……そういえば、オオカミ野郎が水雉の呪印を見て、何か言ってなかったか?」


 八雲は『焔天錫杖』の攻撃を受け、真空状態の中にいたので、何も聞こえない状態だったが、口の動きで百目鬼が何か言っていたのはわかっていた。


 「別に、何も言ってなかったわ」


 「……本当か?」


 「本当よ、何か下品なことは言ってたかもしれないけど、忘れたわ。そんなにお姉ちゃんのことが心配?」


 「そんなんじゃないが……」


 誤魔化されたような気はしたが、それ以上問い詰めても答えないだろうと思った。


 「ねぇ、あたしたち待機だけど……。しばらく学校でも行ってみる?」


 洗い物を済ませた水雉が、八雲と向かい合うように座る。


 「……そうだなぁ、学生生活も悪くないもんな」


 「あなたは、ヲタク仲間がいるもんね」


 含みのある水雉の言い方に、八雲は片眉を上げる。


 「フィギアをなめるなよ! あのクオリティーの高さは、世界に誇れる技術力なんだぞ!」


 「戦国武将ものならまだ解るけど、新延なんて硬派ぶってるけど、美少女系? フィギアも好きじゃない……あなたも、そのうち部屋に飾り出すんじゃないでしょうね?」


 「飾るわけないだろ!」


 「美少女フィギアを飾るぐらいなら、あたしのフィギアでも飾っておかずにしなさい!」


 「何ぶっこんでんだーーーーー!?」


 「ぶっこむだなんて、一応本当の姉弟なんだからね……」


 水雉が頬を染める。


 「そんなぁ、やっくんまで近親相姦の気があったなんて……」


 居間に戻ってきた菊里が、泣き崩れる。

 「誤解だああああああああ!!」

 またも、角杙邸に八雲の叫び声が響いた。




   ♦   ♦   ♦   ♦   ♦   ♦   ♦   ♦   




 青空に巨大な入道雲が立ち込め、人々の声が無秩序に街中で反響する。通学路を歩く学生たちに混じり、包帯を巻いて登校する八雲たちの姿があった。


 「親戚のおじさんの車で事故ったらしいな。無事でよかったぜ」


 「入院した病院がわかったらお見舞い行こうって、みんなで話してたんだよ」


 教室に入るとクラスメイトが心配そうに近づいてきた。学校を休んでいたことを不審がられないよう、弾正台からウソの情報が送られていたようだ。そのお陰で、クラスメイトからは不審がられることはなかった。


 「ありがとう、たいしたことなかったから」


 菊里は笑顔を浮かべ対応した。それに比べ、水雉は何も言わず席についた。八雲も、適当に相手しながら席につく。


 「……お帰り八雲くん」


 セミロングの髪を一つに束ね、それを淡いピンクのシュシュで飾った河瀬が、笑顔で迎えてくれた。


 「ただいま……わりいな、河瀬にまで心配かけちまって」


 「ううん。でもよかった、またこうして一緒に授業受けれて」


 軽く頭を傾け微笑む。その仕草に見惚れる八雲の元に駆けよる足音が聞こえた。


 「うわーーーーん、八雲くーーーん、心配したよーーーーー!!」


 教室中に響き渡るほどの泣き声を道雪が上げる。


 「だ、大丈夫だから……ごめんな、心配かけて……」


 子供のように泣く道雪の頭を、八雲がなでる。それを見た一部の女子が色めき立つ。


 「八雲殿、そこで道雪様を抱きしめ、せ、接吻ですよーーー」


 窓の外から写真を撮る友恵に、教室が騒然とする。


 「ここ三階なんだけどーーーー! どこから顔出してるんだあんたは!?」


 普通の人間じゃないと気づかれるのではないかと、八雲の方がハラハラとする。


 「道雪そうじゃないぞ! 男同士の友情は、こう現すものだ!」


 いきなり現れた新延が、八雲と道雪の肩を掴み三人で抱き合う。その瞬間、悲鳴のような歓声が上がる。友恵も奇声を発し、シャッターボタンを高速で連打する。


 「始業のベルは鳴ったぞ、さっさと席に就け。――ったく、また新延と高鉾弟か!?」


 八雲が反論しようとした瞬間、「そうでーす!!」と、生徒たちが声を揃えた。


 「俺たちスケープゴート!?」


 八雲が驚嘆の表情を浮かべ教室を見渡すと、ほとんどの生徒が肯定するように何度も頷く。


 「まぁ、無事で良かったよ高鉾弟。先生は嬉しいよ」


 「先生……」


 担任からの優しい言葉に、八雲は少し目を潤ませる。


 「ストレスのはけ口が無事で……」


 「何それ、俺は先生のサンドバックーーー?」


 「その言い方は語弊ごへいがあるな。いうなれば精神安定器だな」


 「聴いたことないよ、そんな機器!」


 「ごちゃごちゃ男がうるさいなぁ、さっそく一発いっとくかぁん?」


 握り拳を作って脅す姿は、もはや教師ではないように思えた。


 「フフフ……」


 あれ、今あたし笑った? と水雉は自分の感情の在り方に驚き戸惑う。

 幼い頃から両親の復讐だけしか考えてこなかった水雉にとって、普通の生活が非日常的であったはず。それが、数週間学生生活を送っていただけで、懐かしさを感じるなんて、心が弱くなったように思い、気を引き締めようとした。

 それは八雲も同じで、まだ復讐は終わっていなかった。

 そして、二人の戦いはまだ、終わりではなかった。




 「――退院パーティー?」


 午前の授業が終わり、屋上で八雲たちと一緒に昼食をとる道雪が提案した。


 「いいな! パーと派手にやろうぜ!!」


 新延が賛同すると、河瀬も頷いた。


 「でも、どこでやるの?」


 「そんなの角杙の家だろ!」


 「な、なんで私の家なのよ?」


 「お前の家、でかいからいいだろ! 八雲や水雉ちゃんも一緒に住んでるし」


 新延の意見に、誰も反対しなかったので、菊里の家ですることが決まる。


 「じゃ、今週の土曜日角杙家に集合な!」


 新延が仕切り〝退院パーティー〟の日にちが決まる。そんな中、八雲だけが浮かない顔をしていた。無頼たちに変化が起きている状況で、遊んでいる場合なのだろうか。強くなる妖厄仙に対抗するには、もっともっと修業を積んで強くならなければならない。その思いが日増しに強くなっていた。それを感じているのは水雉も同じはずだと。しかし、水雉はパーティーに反対をしなかった。そのことに疑問を感じ、八雲が問いただそうとしたときだった。背筋が寒くなるような殺気を感じる。


 「火炎流し!!」


 屋上面に炎が溢れる。それはまるで、絨毯を敷くように伸びてきた。屋上には、新延や河瀬など一般の生徒が多数いた。全員を助けるには間に合わないと思った瞬間、風景がセピア色に変わる。それと同時に、八雲たちは飛び上がり、炎の絨毯をかわした。


 「キキキキー、この程度じゃ、やられてくれないか調伏師共」


 フェンスの上に座り、右手で刃渡りの広い中国刀のような剣を担ぎ、小柄だが敏捷性のありそうな体躯と、短い髪を立たせた少年のような男が、薄ら笑いを浮かべていた。

 まさか、昼間の学校に妖厄仙が現れるとは思っていなかったが、間一髪で『絶界陣』を張ることができたので、生徒たちに被害が出ずに済んだ。


 「ナイス水雉」


 炎の絨毯から逃れた八雲たちは、金網のフェンスの上に立ち妖厄仙と対峙する。


 「――ったく、これだからサルの面倒はイヤなのよ」


 八雲たちのいるフェンスと反対側に現れた女は、中学生ほどの体格に、顔はド派手な化粧を施していた。特に、釣り目の周りは黒く塗りたくられていた。


 「第一印象は大切だからよ。しっかり覚えてもらおうぜ羅刹天らせつてん


 「そう言うのをサル智恵って言うのよ火天かてん


 羅刹天の口から光るものが吹き出され、火天はフェンスから飛び上がり、中国刀を振り回し襲い掛かってきた。羅刹天から吹き出されたものは、正確に水雉の眉間を狙い飛んできた。それを水雉は難なくかわす。すると、コンクリートに銀色の針状のものが数本突き刺さる。


 「キキキキー、オメエの攻撃も見事にかわされたな」


 火天は満面の笑顔を浮かべながら、八雲に向け中国刀を振り下ろす。八雲は前方に跳んでかわす。振り下ろされた中国刀は、フェンスをバターのように切り裂くと屋上面に当たり、亀裂を走らせた。


 「サルもかわされてるじゃないのヴァ~カ!」


 羅刹天も、嘲るように言う。

 ――こいつら仲間じゃないの? と疑いたくなるほど、連係がとれていなかった。しかし、それはそれで八雲たちにとっても戦いやすかった。まずは火天から倒そうと包囲を敷く。


 「キミをボコボコにしてやるから覚悟してなさい!」


 菊里が先陣を切って攻め込む。


 「百目鬼どうめきを倒したお前らの実力、見せてもらおうか」


 火天の口から出た名前に、菊里は驚き躓きそうになる。それは八雲たちも同じで、動きが止まる。


 「――キミたち、百目鬼とどういう関係?」


 「知りたかったら、オイラたちを倒して聞き出しな」


 「言われなくても、そうするところよ」


 菊里は『稲妻』を使い火天との間合いを詰め、近距離から銃の引き金を引く。それをしゃがんでかわし、中国刀を横に払う。菊里は後ろにステップしてかわす。だが、中国刀の刃が菊里の服をかすめた。それに対して舌打ちした菊里は、後ろに下がりながら銃の引き金を引く。飛来する『霊験』の弾を、火天は十メートルほど後方へ跳んでかわした。まるで、跳躍力を見せつけるかのように。フェンスの上に着地した火天は、満面の笑顔を浮かべる。まるで戦闘を楽しんでいるかのようであった。


 「そろそろ戻るよ、火天」


 「まだ、目的を達成してねーじゃねえか」


 「ヴァカザルが遊びすぎたせいでしょ。これ以上やったら、あの方に叱られるよ」


 「……チィッ、しょうがねーか。またな、調伏師ども」


 「『絶界陣』から、逃げれるわけないでしょ!」


 「キキキキー、逃げれるんだよなー、これが」


 自信に満ちた表情で火天が答えた。それに嫌な予感を覚えた八雲と水雉は、それぞれ武器を出し追撃態勢に入った。


 「そこまでよ調伏師。うちたちが時間までに戻らなければ、仲間があんたたちの学校を襲う手はずとなっているわ」


 羅刹天の言葉に八雲たちは鼻白む。


 「……どうせブラフでしょ」


 水雉の問いに、羅刹天は笑みを浮かべる。


 「うちたちはどちらでもかわないのだけど。はたして、『絶界陣』を解いたあと、死体の山が築かれてないといいのだけど」


 残忍な笑みを湛え、水雉を挑発しながら悠然と立ち去る。


 「キキキキー、また遊ぼうぜ」


 羅刹天の後を追うよう火天もセピア色の街に消えていった。

 屋上に残された八雲たちは、苦渋に満ちた顔で思案する。このまま妖厄仙を追うか、急いで『絶界陣』を解き、学生たちの安全を確認するか――。


 「……仕方ない。『絶界陣』を解こう水雉」


 悔しさを滲ませ八雲が吐露する。それは菊里も水雉も同じだった。まんまと妖厄仙に踊らされ、負けたような気がしたからだ。

 セピア色の風景に鮮やかな色彩が戻り、喧噪が青い空にまで届きそうな屋上には、大勢の学生が楽しそうに会話を繰り広げていた。全員が安堵の吐息を吐く。だが、一緒に食事をしていた新延と河瀬はそこにいなかった。

 おそらく、八雲たちを探して校舎を彷徨っているのかもしれなかった。


 「ねぇ八雲くん、あの人たち何者なの?」


 首を傾げる仕草に、可愛らしい効果音が似合いそうな動きをして道雪が尋ねる。

 八雲がかいつまんで、今まで起きたことを話して聞かせた。


 「……同胞として恥ずかしいよ。僕たちに、何か手伝えることがあったら言ってね」


 「ありがと。でも、同じ同胞なら加夜先生の方が事情に詳しそうね」


 「そうだ! あの色ボケ妖厄仙がいた!」


 敵意を剥き出しに菊里が吐き捨てるよう叫ぶ。

 屋上で道雪と別れた八雲たちは、手分けして加夜先生を探しに向う。急いで奈留美を見つけ、百目鬼と関係のある妖厄仙について聞き出さねばならなかった。敵は八雲たちのことを調べていた。こうしている間にもまた、学校で襲ってくるかもしれない。早く手を打たねばならない。その為にも、敵を知るであろう奈留美を見つ話を聞かなければならなかった。急ぐなか、八雲が三年の教室へ向かう階段を降り切ったところで奈留美を見つけた。


 「良かった。先生に話があったんだ」


 「――ッンフ~ン、わたくしも八雲くんに話があるの……ついてきて」


 今日は、あまり体のラインが分からない大人しめの服装に、瞳に愁いを帯びていた。いつもと雰囲気の違う奈留美に、八雲は違和感を覚えた。だが今は、そんなことに気をかけている暇はない。奈留美に言われ黙ってついていく。

 そこは、誰もいない進路指導室であった。なかはカーテンが閉じられ真っ暗だった。八雲は慎重に足を踏み入れ、暗闇に目を慣らしていると、鍵がかかる音が鼓膜を揺すった。


 「せ……せんせい……?」


 暗闇にまだ目が慣れていない八雲は、気配で奈留美を探した。すると、手に温かみのある低反発枕のような感触を覚えた。さらにその感触を確かめようと、何度か揉んでみる。


 「あ、あ~ん……八雲くんって、積極的ね……」


 奈留美の甘い吐息が進路指導室に広がる。目が慣れてきた八雲は、手に納まっているのが奈留美の豊満な二つの膨らみだと分かり、慌てて手を離した。心臓がいつもの十倍ほどの速さで脈打ち、手にはまだ、奈留美の胸の温もりと柔らかな感触が残っていた。


 「ご、ごめん先生」


 「遠慮しなくていいのよ……」


 胸の谷間がよく見えるよう突出し、上目使いで挑発する。


 「そそそ、それより、さっき百目鬼の仲間らしい奴らが来て――」


 「分かっているわん……実は、あのやりとりを見ていたの……」


 「じゃ、やつらのこと知っているのか!?」


 奈留美の肩を掴み迫るように言い寄る。


 「ッンフ~ン、慌てないで八雲くん。まずはそこに腰掛けて、リラックスして……」


 言われるまま八雲は椅子に座る。すると、奈留美は長机に寝そべった。


 「ッンフ~ン、まずは、さっきの続きをしましょうか、や、く、も、くん」


 ブラウスのボタンを一つ外した。その仕草に、八雲は顔を赤らめ慌てて目を逸らす。


 「せ、先生の冗談に付き合っている暇はないんだ!」


 その言葉に、奈留美は少し寂しそうな表情をする。


 「……冗談じゃないんだけどね」


 長机から降りると、電気を点ける。明るくなって、八雲はほっと胸を撫で下ろす。


 「……それじゃ、本題に入りましょうか。わたくしがいえることは……黒幕には手を出さないことね」


 「どういうことだ?」


 「噂では、その黒幕自身か、またはその仲間に、あの〝六師外道ろくしげどう〟がいるらしいの……」


 「六師外道?」


 八雲にとって、初めて聞く名だった。


 「……あきれた、その名も知らないで、調伏師をやってるの?」


 「どんな敵だろうと、倒すだけだ!」


 強がる八雲に、奈留美は含むように笑う。


 「ッンフ~ン、やっぱりきみは、早死するタイプね」


 「なんだって!」


 「凄む前に聞きなさい。〝六師外道〟とは、妖厄仙の中でも最強とうたわれる六匹で、この世の最悪を具現化した妖厄仙と呼ばれているのん」


 今までにない真顔で話す奈留美に、かなり危険な妖厄仙だと理解する。


 「〝六師外道〟の行動を掣肘できるものは、〝三神さんしん〟しかいないと言われているほど、とんでもなく恐ろしく、そして強い妖厄仙なのよん」


 「〝六師外道〟……だが、それってあくまでも噂なんだろ?」


 「……ッンフ~ン、それもそうなんだけどねぇん。ちょっと、きみのことが心配になって」


 一瞬、奈留美の瞳に哀愁が宿ったように見えた。


 「……どうせ、何か企んでいるんだろ?」


 「ゥ~ン、企むだなんて酷いわん……でも、ちょっとね……」


 奈留美は、髪の毛をいじりながら思案気な表情をする。八雲は無理に聞こうとはせず、次の言葉を待った。しばらく待っていると、おずおずと話し始めた。


 「……きみは、似ているのよねぇ……」


 「俺が誰に?」


 「わたくしって、復讐するため百目鬼に近づいたって言ったでしょう」


 百目鬼との戦いの最中、そんなことを言っていたことを思いだす。


 「その人は、わたくしが愛した唯一人ただひとりの人間なのん」


 暗幕の引かれた進路指導室で、遠くを見つめながら奈留美は自身の昔話を話しはじめた。




 ――八年ほど前、わたくしは窮屈で面白みのない『まほろば』を抜け出し人間界に来たのん。人間界に来たわたくしは、この美貌を存分に生かし、男たちから金銭や生気を奪い遊び回ったわ。そのうち、もっと効率よく生気を奪おうと、学校という機関に目をつけたのん。わたくしは教師になりすまし、学校に潜り込んだわ。――ちなみに、初めて潜り込んだ学校は、ここじゃないわよ。

 学校はわたくしが思った通りの場所で、若い生気に事欠かなかったわ。そんな中、熱血指導だけど生徒から人気のあった深堀要という先生と出会ったのん。最初はただの獲物としか見ていなかったけど、彼は優しく、下心で近づく男と違っていたわ。本当に、わたくしのことを大切に思ってくれていた。そんな彼に、わたくしも徐々に惹かれていったわ。でも、運命はわたくしたちを、いえ、好き勝手に生きたわたくしを許さなかった。平和だった学校に、百目鬼の手が伸びてきた。当時勢力を伸ばそうとやっきになっていた百目鬼は、わたくしを配下にしようと、生徒を使って恐喝や恫喝を駆使して追い詰めてきたの。そろそろ潮時かと思った時だったわ、彼がわたくしのため、百目鬼の手下の生徒に立ち向かったの。結果は、ボロボロにされただけだったけどねん。でも、わたくしの為に体を張ってくれた人なんて、一人もいなかったから嬉しかった。だけど、辛くもあったわ。こんなわたくしのために、彼が傷つくのが……。だから、どうせお別れするなら、わたくしの事を嫌いになってくれたほうがいいと思い、わたくしは自分が妖厄仙だと打ち明けた。

 彼は最後まで黙って聞いてくれた。そして、わたくしに言ってくれたの――


 「きみが誰だろうと、僕はそんなきみを好きになった」って、笑顔でね。


 「……もの好きもいるものだな」


 八雲は、彼の気持ちが痛いほど分かった。そして、この話の結末も見え自嘲気味に言葉を紡いだ。


 「そうでしょ。わたくしみたいな蜘蛛女を好きだなんて変でしょう」


 奈留美は笑顔を浮かべるが、その目には薄らと涙が浮かんでいた。それを八雲は見逃さなかった。いや、気づかない方がよかったと思った。


 ――それからも、百目鬼の執拗な恫喝どうかつは続いたけど、わたくしと彼は力を合わせ、それらを乗り切っていったの。だけどついに、百目鬼は強硬手段に出た。彼を人質にして、わたくしに傘下へ入るよう要求してきたの。彼を放って逃げても良かったんだけど……それは出来なかったわ。今逃げ出せば、彼の顔を二度と見れなくなる、そう思うと、恐ろしくて逃げ出せなかったの。そこで、百目鬼の手下になるかわり、彼の身の安全を約束させたわ。しかし、用心深い百目鬼は、彼を軟禁することで、わたくしの行動を掣肘せいちゅうしたの。だけど、わたくしは食事を運ぶ役を引き受け、彼の顔が見れるだけで幸せだった。その思いが、わたくしの目を曇らせ、彼の異変に気づかせなかった。

 幽閉が始まって二週間が経ったある日、いつものように食事を持って部屋に入ると、彼が首を吊っていたわ。驚いたわ……そして、泣いたわ。胸が引き裂かれるぐらい苦しい涙を流し、わたくしは永遠に埋めることのできない喪失感の中で、彼の遺体にしがみついた。

――わたくしは、あの人を理解できていなかった。彼に会えるだけで良かったけど……彼は違ったの。自分が捕らえられていることで、わたくしの自由を奪ってると感じ、そのことに悩み苦しみ、そして、死ぬことでわたくしを解放できると信じ、自ら命を絶った。


 「結局、わたくしは自分の事しか考えていなかったの……。それがわたくしの昔話で、あなたが彼に似ているって言った意味よん。分かったかしら?」


 全てを聞き終えた八雲は、彼の気持ちが手に取るように理解できた。――が、認める事は出来なかった。


 「大切な人を守ることの、何が悪い!」


 「死んだ人はそれで満足だろうけど、生き残った人は死んだ人の枷まで背負って生きなければならないのよ。あなたが姉を大切に思う気持ちは大事だけど、あなたが死ぬことで、悲しむ人がいることも忘れないでねん」


 「……あんたに何がわかる。俺たち姉弟に打ち込まれた呪いのくさびを!」


 知ったような口ぶりで説教するこの妖厄仙を、八雲は今ほど憎らしく感じたことはなかった。


 「だったら話してみてよん。あなたたち、姉弟が背負った運命のかせを――」


 今まで誰にも話したことがなかった。例え姉弟でも、十年前のあの日のことを話し合うことはなかった。そんな過去を、八雲は話そうと考えていた。奈留美が過去を話してくれたので、八雲も誠意を見せなければならないと感じた。

 十年前に起きた運命の時を――。


 今から十年前、当時六歳だった俺と水雉は、親父の任務の都合で各地を転々とする生活をしていた。あの日俺たち家族は、調伏師たちが臨時で使う山の中にある小屋で、一週間ほど生活していた。その日は、俺と水雉が近くの沢で遊んでいた帰りだった。


 「水雉待ってよ~うわっ」


 水雉に負けまいと必死に走っていたが、木の根っこに足を取られ転んだ。


 「もう、八雲はドジなんだからぁ~」


 そう呟きながらも、水雉は擦りむいた膝小僧にハンカチを当ててくれた。


 「……もうすぐ家だけど歩ける?」


 俺はおもいっきり首を横に振り、歩けないと意思表示をした。


 「……もう、しょうがないなぁ~、はい」


 呆れながらも背負ってくれた。


 「よ~し、いけぇ~、水雉ぃ~!」


 これで楽ができると、水雉の背中ではしゃいだ。


 「そんなに元気なら、自分で歩きなさいよぉ!」


 「足が痛いから歩けない~」


 水雉は、俺が甘えるとほとんどのことを聞き入れてくれた。だから、事ある毎にその手を使って甘えていた。そんな調子でおぶられながら小屋に着くと、美味しそうな匂いがした。

 それは今でも、鮮明に思い出せる。


 「ただいま~、父さん、母さん」


 「どうしたの八雲? 大丈夫?」


 水雉に背負われている俺に気づき、母さんが心配そうに近づいてきた。俺の母さんは、艶やかな長い黒髪に、柔和で温かい眼差しをいつでも俺たちに向けてくれる人だった。


 「帰り道の途中木の根っこに転んで、足を怪我して動けないって言うから、あたしがおぶってきたの」


 「ご苦労さま」


 母さんに頭を撫でられ、水雉は嬉しそうな顔をしていた。俺は羨ましく、不機嫌な顔をしていると、後ろから母さんに抱き上げられ部屋に連れて行ってくれた。

 小屋の中は二十畳ほどの広さで、真ん中に囲炉裏いろりがあり、入り口と反対側に小さな台所があった。そこには水道はなく、近くの沢から必要な分だけ水を汲んでくる。小屋の外にトイレとお風呂場があるだけの本当に簡素な造りのものだった。


 「八雲! お前は高鉾家たかほこけの長男だから、もっと強くならないといけないぞ!」


 囲炉裏の前に座り、護符に何かを書いている親父は、顔全体に無精ひげを生やし、筋骨隆々の体付きをしていた。幼い頃の俺には、それはまるで鋼のように見えた。


 「……僕だって、本気になれば水雉に負けたりしないもん」


 「よく言うわ。あんたはいつも、あたしに負けて泣いてばかりじゃん」


 「なに~、もうお前なんかに負けたりしないやい!」


 悔しくなり、俺は水雉の肩を押した。


 「何すんのよ、泣き虫八雲!」


 水雉が両手で俺の肩を押す。


 「やったなぁ~」


 ムキになって、水雉に掴みかかろうとした俺を、母さんが抱き上げた。


 「はい、そこまでよ二人とも! さぁ、八雲は傷の手当をしましょうね」


 母さんに抱き上げられた瞬間、凄くいい匂いが鼻腔を刺激して、俺の心を和らげてくれたのを今でも覚えている。俺は母さんの膝の上で、傷の手当てをされた。


 「八雲、男の子はね、女の子に優しくしないとダメよ」


 「なんで?」


 「それが、格好良い男の子のやることだから」


 「ふ~ん……じゃあ、女の子に優しい男になる! で、母さんを守ってみせるよ」


 「ふふふ、ありがとう。でも、母さんだけじゃなく水雉も守ってあげなさい」


 「え~、水雉は男っぽいじゃん。あいつは大丈夫だよ」


 「あの子は絶対に弱音を吐かず、気丈に振る舞っているけど、本当は無理しているのよ。だから、水雉が本当に困ったときには助けてあげてね」


 この時の俺は、母さんの言っている意味を理解していなかったが、「……母さんが言うのならそうするよ!」と、安請け合いをしていた。


 「今は分からなくても、大きくなればきっと、母さんの言ったことが分かる時がくるわ」


 ――そんな会話をしていた時、扉をノックする音が聞こえた。

 親父が扉を開けると、そこには黒いマントのようなものを頭から被り、自らの存在を少しでも消そうとしている男が二人立っていていた。俺と水雉は、いつもと様子が違う雰囲気に怯え、母さんにしがみつく。

 ――しばらく親父と話していた二人の男は、親父に会釈をして、そして俺達にも軽く会釈して足早に去っていった。


 「……あなた?」


 「急な呼び出しだ。すぐに出かけないといけないから、食事はお前たちだけでしてくれ」


 心配げに親父を見つめる。


 「お前たち、母さんの言う事ちゃんと聞いて、大人しくしているんだぞ」


 親父は俺と水雉の頭の上に大きく温かい手を置くと、力強く撫でてくれた。


 「……じゃあ行ってくる、子供達を頼んだぞ」


 「いってらっしゃい、気をつけて」


 母さんの言葉に、親父は小さく頷き出ていった。俺たちは窓から親父を見送った。


 ――今でも、あの時の親父の後ろ姿は、俺の目にしっかりと焼きついている。


 親父の姿が消えても、しばらく俺たちは窓辺から離れなかった。


 「……さぁ、父さんなら大丈夫だから、ご飯を食べましょう」


 母さんに言われ、水雉はすぐに窓辺から離れたが、俺はなぜだか離れ難かった。


 「ほら、八雲ご飯食べるわよ」


 「……うん」とテーブルに向かう。


 それから誰も口を開かず、沈黙の帳が降りた囲炉裏で食事をしていた。


 「……二人とも、父さんは強い人なのは知っているよね。だから大丈夫!」


 母さんが、しきりに親父の無事を話してくれた。その言葉に俺たちは安心した。

 食事を終え食器を運ぶと、水雉は洗い物の手伝いをして俺は風呂に入った。その日の星空は綺麗で、今でも鮮明に覚えている。俺が風呂から上がると、水雉が風呂に入り、母さんはまだ片付けをしていた。俺は何度も読んだ漫画をまた読み返す。さっきまであれだけ親父の心配をしていたのに、漫画に夢中になっていた。水雉と母さんが交代でお風呂に入り、母さんがお風呂から出る時には、読む本の奪い合いで水雉とケンカしていた。


 「はい、ケンカはよしなさいね」


 「だって、八雲があたしが読もうとしていた本をわざと取るのよ」


 「違うよ。あとで読もうととっていたのを、水雉が取ろうとしたんじゃないかーー」


 他愛のないことで、よくケンカしていたなぁと思う。


 「水雉はお姉ちゃんなんだから、我慢しなさい」


 母さんが水雉の頭を撫でる。


 「もう、そればっかり」


 ふてくされ、水雉は違う漫画を手に取る。俺は勝った気でいた。その時だった。

 近くで大きなものが倒れる轟音と振動で小屋が揺れ、風圧が窓を激しく叩いた。この辺りは山合なので、大きな物が倒れることはなく、ましてや人通りのない場所だったので、轟音の出処は見当もつかなかった。母さんはすぐに俺たちのもとに駆けつけ、抱きしめてくれたが、母さんも震えているのが分かった。俺と水雉も、ただならぬ雰囲気に怯える。


 ――それからしばらく静寂が続き、何もなかったのかと少し安心した時だった、玄関のノブがゆっくりと回りだす。俺たちは息を飲んだ。ノブはある程度回ると止まり、そして、「ガチャリ」と鍵の開く音が部屋中に響いた。


 「と、父さんかな?」


 俺は怖さのあまり、喋ることで気を紛らわせようとした。


 「父さんじゃない! 父さんは鍵を持っていないもん」


 はっきりと水雉が断定した事で俺たちの恐怖はピークに達した。さらに母さんが強く俺達を抱きしめる。やがて、扉がゆっくりと開く。


 「あなたたち、私の後ろに隠れていなさい!」


 今まで見たことがないほど俊敏な動きで、母さんが俺たちの前に出た。


 「じゃーーす。って、なんだ女子供だけか~よ」


 現れたのは、黒を基調としたゴシックファッションに、ポイントごとに深紅を扱い、装飾品をジャラジャラと付けた服装に、ピアスで全身を飾りたて、肩まで伸ばした髪とやつれた顔に青く塗った唇が印象的な長身の男が立っていた。男の出で立ちは異様だったが、それよりも特徴的だったのが、その目だ。目全体が黄色で、瞳が黄金色に輝いていた。

 その男は、入り口で俺たちを物色するよう見ていた。


 「ここにいるのは弾正台所属の調伏師高鉾家です。調伏されたくなければ、直ちにこの地から立ち去りなさい妖厄仙!」


 いつもの穏やかな母さんの声色とは違い、凛として、それでいて威厳のあるものだった。


 「おっかないねぇ~、おっかな~い。でもさ、手ぶらで帰るわけにはいかないんだ~よ」


 意味深なことを言い、黄色い目の男は気怠そうに部屋に入ってこようとした。

 ――その瞬間、男の全身を青白い電気のようなものが囲い、その外周を赤い円柱の薄い膜のようなものが、二重で黄色い目の男を覆った。


 「なんだぁこ~れ?」


 さして驚いた様子もなく、男はのんびりと自分に起こった現象を確認していた。


 「天井と床に貼られた護符と彫り込まれた呪式の効果により、お前は絶対にそこから出られない! 大人しく『まほろば』に戻るか、調伏されるか選びなさい!」


 毅然として言い放つ。その後ろから、妖厄仙が捕まるのを見た俺と水雉は、顔を合わせて胸を撫で下ろした。


 「……雑魚には通用しただろうけ~ど、俺には無意味だ!」


 子供の俺でも分かるほど、黄色い目の妖厄仙の『霊仙』が膨らんだ。そして、青白い膜の結界に亀裂が入る。それは徐々に広がり、やがて、激しい爆音とともに真っ白な世界が視界と鼓膜を支配したのを最後に、意識を失った……。



 

 「……くも……や……くも……」


 意識が少しずつ回復してくると、静寂だった世界に音が戻る。微かに聞こえる音に意識を集中する。


 「……八雲! 八雲しっかりして!」


 「……み、水雉?」


 体のあちこちが痛み、うまく動かすことができなかった。


 「大丈夫八雲?」


 俺の服についた埃を落としながら体を調べる。その間、埃と煙で靄のかかった部屋を見渡すが、何も見えなかった。しばらくして、埃と煙が落ち着くと部屋の様子が分かってきた。それを見た俺は愕然とした。部屋のほとんどが崩れ落ち瓦礫と化していて、屋根には大きな穴が開いていた。そこから星空が見えるほど。


 「水雉、母さんは!?」


 俺の問いに水雉は首を振る。俺たちのいた場所は、まだ爆発による埃で白くもやがかかった状態で、母さんと妖厄仙の姿は見当たらなかった。


 「………………げなさい……」


 白いもやの向こうから、呻くような、かすれた声が聞こえ、目を凝らしてみる。そこにはあったのは、男の黒い影が天井方向を見て、何かを持ち上げているものであった。俺は悪い予感に心がざわつき、祈る思いで見つめた。


 「――母さん!」


 目に飛び込んできたのは、妖厄仙によって首を掴まれ持ち上げられている母さんの姿だった。何も考えず駆け寄ろうとした俺の腕を、水雉が掴まえた。


 「……何やってんだよ水雉、早く母さんを助けないと!」


 振り向くと、唇を噛み締め、必死に自分を抑えようとする水雉の姿に、俺は動けなくなった。


 「……水雉、八雲、は、早く逃げなさい……」


 母さんが、絞り出すよう言った。


 「母さん……母さん……母さん……」


 妖厄仙の圧倒的な『仙力』の前に、俺は母さんにかけよることはもちろん、水雉の腕を払いのける事すら出来なかった。


 「多少修行した人間はしぶとい~な。だが、これでど~よ」


 何かが折れる鈍い音と母さんの悲鳴が、俺の全身を貫くように響いた。母さんの腕は、決して曲がらない方向に曲がり、力なくぶら下がる。それを見た瞬間、俺を引き止めていた水雉が、母さんの元に駆け寄ろうとした。


 「水雉! 早く八雲を連れて逃げなさい!」


 母さんの悲痛な怒鳴り声で、水雉の動きは止まった。今まで聞いたことのないその声に、俺は胸をかきむしるほどの苦しみを味わった。


 「……いつまでも、あなたたちを、見守っているわ」


 首を絞められ苦しいはずなのに、腕を折られて痛いはずなのに、そしてなにより、死の恐怖があるだろうに、母さんは俺たちのため、最後は微笑みを見せてくれた。


 「うわああああああ、かあさん、かあさん、かあさん!」


 感情を押し殺していた水雉が、大声で泣き叫ぶ。そして、俺の手を掴み逃げ出した。俺は母さんを助けようともせず、ただ、水雉に腕を引かれるまま走った。


 ――俺たちは、月光に照らされるだけの山道を、半狂乱状態で走った。走って走って走り続けた。どこをどう走ったか覚えてないぐらい闇雲に走り、木の根っこに躓き倒れても、水雉は俺の腕を引っ張り走らせた。どれぐらい走ったのか分からなく、意識が朦朧としたころ足がもつれ転んだ。


 「早く立って八雲!」


 俺を引っ張る水雉の腕にも力がなかった。


 「……もう、動けないよ」


 「早く逃げないと追いつかれるわ!」


 「ちょっと休もうよ水雉!」


 強引に立たせようとしたが、俺は意固地になってしゃがみこんだ。


 「……もう、少し休んだら行くわよ」


 いつものように水雉が折れ隣に座った。水雉と肩を合わせ座る。夜は肌寒く心細かったが、触れ合う肩の温もりが強く感じれ、寂しさを緩和してくれた。虫の鳴き声以外、何も聞こえない山の中で、母さんの事が気になったが口に出すのは怖かった。口に出したら、不安が恐怖に変わりそうなほどで、しかも今の俺たちは、世界から取り残されたような孤立感と、闇に飲み込まれそうな恐怖に押し潰されそうになっていた。


 「大丈夫、八雲はあたしが守るから……絶対」


 そう言った水雉の肩も震えているのが分かった。


 「母親を置いて逃げるとは、薄情な子供達だ~な」


 その声に、心臓を鷲掴みにされたようで呼吸ができなくなった。俺たちはそれが誰なのか、嫌でも分かった。見るのも怖いはずなのに、何かに操られるよう声のする方へと顔を動かす。

 月をバックに妖厄仙が俺たちを見下ろしていた。あいつの黄色い目は、悦に入ったように歪んでいた。まさに、恐怖と絶望の権化のような妖厄仙を見て、俺は蛇に睨まれたカエルのように竦んでしまった。そんな俺を嘲笑うかのように、妖厄仙はゆっくりと眼前に降り立つ。


 「どうしたの~さ? ほら、鬼ごっこの続きしよ~よ」


 月光の元でも、妖厄仙の黄色い目だけが不気味に光る。その目に怯えて動けずにいた。


 「八雲逃げて!」


 水雉は落ちていた木の棒を拾い上げると、俺の前に立ち妖厄仙と対峙した。


 「おいおい、なんだこの家族、やたらと女がつえ~な」


 妖厄仙が感嘆の声を上げる。


 「うわあああああ」と木の棒を振り回し、水雉が妖厄仙に向かって行く。


 お、俺だって、水雉に負けられない……。そう思い転がっている木の棒を拾い構えた。だが、恐怖で体が動かなかった。無様な俺とは違い、水雉は次々と妖厄仙に殴りかかる。


 「早く逃げなさい八雲!」


 水雉の攻撃を避けることなく、妖厄仙は下卑た笑みを浮かべすべてを受けていた。


 「どうしちゃったの弟く~ん、ほ~ら、姉ちゃんだけに任せてていい~の?」


 俺を手招きする。そこまでされても、俺の体は動かなかった。今思い出しても情けない。


 「八雲逃げなさい、はやく!」


 がむしゃらに殴っていたが、やがて木の棒が折れ転びそうになる。その水雉の首を、妖厄仙がつかみ持ち上げる。


 「さて~と、そろそろ母親のように殺してやるか~な」


 水雉の姿が母さんと重なり、恐怖を吹き飛ばした。


 「水雉をはなせぇええええ!」


 猛然と妖厄仙に殴りかかった。


 「いまごろ~? もう、終わらそうとしてたの~に、空気よめねぇ~な」


 僕だって、父さんから修行をつけてもらっていたんだから戦える!

 そう思っていたが、そんな思いはすぐに粉砕された。妖厄仙の蹴りを腹にくらい、今まで味わったことのない苦しみと痛みにうずくまる。


 「……や…くも……」


 水雉は、折れた木の棒を妖厄仙の腕に突き立てた。さすがに妖厄仙も痛みを感じたのか、微かなうめき声を上げ水雉を離した。地面に落ちた水雉は、咳き込みながらも俺に駆け寄った。


 「大丈夫八雲?」


 「……一緒じゃなきゃ嫌だ水雉」


 水雉を放って、逃げれるわけがない。逃げたくなかった。


 「二人じゃ無理。だけど、あなただけでも逃げなさい!」


 こんな絶望的な状況にもかかわらず毅然と言い放つ水雉は頼もしく――そして、悔しかった。


 「もちろん、逃がすわけないだ~ろ」


 妖厄仙が俺たちの行く手に立ち塞がる。その姿はまるで、闇そのもののようで、今にも飲み込まれそうで恐ろしかった。


 「あたしが時間を稼ぐから、あなたは弾正台まで逃げなさい!」


 水雉はまた、木の枝を掴み俺を護るよう妖厄仙と対峙した。


 「――ねぇねぇお姉ちゃん、なんでそこまでして弟くんを守る~の?」


 「……母さんに、八雲のことを任されたの。母さんの最後の願いをあたしは守る!」


 大粒の涙を流しながらも、水雉の眼光は闇の権化である妖厄仙を相手に、なおも輝きは衰えてはいなかった。


 「その幼さで母親の死を受け入れ、なおかつその思いを遂げよ~と……絶対に勝てない相手にも怯まないか――すごいね! お姉ちゃんお名前は?」


 鈍く光る黄色い目で、水雉の顔を覗き込む。


 「……高鉾、高鉾水雉!」


 「高鉾水雉……よし! その名前覚え~た。今、お姉ちゃんを殺すのは惜し~な」


 そう言うと、黄色い目の妖厄仙は右手を水雉の左目に添え、本当に無造作に、水雉の左目を奪った。

 ――水雉は声にならない悲鳴を上げる。苦しむ水雉を尻目に、手に入れた左目を丸飲みにする。水雉の動揺や恐怖が、俺の心に届いた。それなのに俺は、水雉の為に何もしてやれず、ただ、恐怖で怯え震えているだけだった。


 「これで、何処に隠れても水雉ちゃんの居場所は俺に判るか~ら! それと、水雉ちゃんが他の奴らに取られないよ~に、俺の物である証を身体に刻んでおくから~ね」


 妖厄仙は、左手を高々と上げると、蹲る水雉の背中に向け振り下ろした。水雉の悲鳴が夜空を切り裂くように、そして俺の心も切り裂くように響き渡る。

 ――妖厄仙の左手が水雉の背中から離れると、水雉の肌に何かの文様が刻まれていた。


 「水雉ちゃ~ん、俺は君をず~と見ているから~ね。んで、水雉ちゃんがもっと好い女に成長したら、その命をもらいにいくか~ら、期待して待っててねぇ」


 息も絶え絶えに苦しむ水雉の頭を撫でる。

 その瞬間、俺の頭は怒りで真っ白となり、「よくも水雉おおおおおおお!」と我を忘れ妖厄仙に向かって行く。――だが、また妖厄仙の蹴りを腹にくらう。


 「水雉ちゃんのおかげで拾った命、大切にしろ小僧」


 薄れていく意識の中、妖厄仙が闇に溶けるよう消えていくのを見つめていた。


 「――八雲大丈夫? しっかりして……」


 自分の方が酷い目にあったにもかかわらず、水雉は俺の心配をしていた。そんな水雉に何もしてやれない自分に、怒りと悔しい気持ちで心が深く傷つき、気を失った。

 目が覚めた時には、高い天井と白を基調とした鶴の絵が描かれた和柄のふすまのある部屋にいた。手触りの良い布団に包まれていることに気づき、ここが弾正台だと理解した。


 「よかったわ、もう大丈夫よ」


 割烹着を着た見たことのない年配の女性が、安堵の表情を浮かべ俺を見ていた。


 「……ここは?」


 「ここは、弾正台よ」


 おばさんの言葉に、全身から緊張が解けるのを感じた。


 「…………そうだ、水雉!? 水雉はどこ!?」


 「お姉さんは大丈夫だから、ゆっくり休んでいなさい」


 割烹着の女性が、優しく諭すよう話してくれた。それによると、水雉は弾正台にある医療施設で治療を終え、今は休んでいるそうだ。


 「ねぇおばさん、水雉に合わせてよ! 水雉に……」


 俺の哀願に、割烹着の女性はしぶしぶながら水雉の元へと連れて行ってくれた。

 そこは、病院の集中治療室のような部屋で、そこに水雉が眠っていた。


 「……ねぇ、水雉は助かるんだよね!? そうだよね!!」


 割烹着の女性は、「大丈夫よ」と諭すように言った。それが、とても大丈夫のように聞こえず、俺は集中治療室の前で、水雉の回復を祈り続けた。その時、近くを歩く人の話し声が聞こえた。その話によると、水雉は俺をおぶって、弾正台までたどり着いたそうだ。そして、真っ先に言った言葉が、「弟を、八雲を助けてください」と、ボロボロの自分より俺の心配をし、途中で気を失ったらしい。その話を聞き、自分の不甲斐なさに怒りを覚えた俺は、眠る水雉と母さんに誓った――

 今度は俺が、水雉を守る! と。



 「これが俺達姉弟の絆で、俺の贖罪なんだ……」


 十年前の思い出を語り終えた八雲は、沈痛な面持ちで奈留美を見つめた。


 「あなたたちの背負っているものの重さは分かったわ。だからこそ言い切れる。そこが、あなたたちの弱点だってことを」


 「俺たち姉弟の絆が弱点だって?」


 生死を乗り越え築かれた二人の絆は、誰にも負けないと自負していた八雲にとって、奈留美の発言は聞き捨てならなかった。


 「加夜先生とは言え、許さないぞ」


 「まぁ聞いて、水雉ちゃんがきみの代わりに死んだとしたら、きみはどうする?」


 「そうなったら、死んでも水雉の仇は討つ!」


 「……でしょうねん。だったら、水雉ちゃんもきみが死んだら、どうするかしらん?」


 奈留美に言われ、八雲ははじめてそのことに思い当たった。八雲の死は水雉の死、水雉の死は八雲の死――二人の生死は一緒であって、決して別々のもではなくなっていた。それが、お互いの生き方を縛っているのだと。


 「わたくしと深堀先生のことは、もうやり直せないけど、きみたちはまだ生きているのだから、お互いと自分自身を大切にしなさい。これは先生としてのアドバイスよん」


 ウインクをしてみせ、いつものお色気たっぷりな奈留美へと戻っていた。奈留美の過去を知った今、その言葉は重く心の奥深くまで届いた。

 予鈴のチャイムが進路指導室に流れる。憑き物が落ちたかのような晴れやかな顔をする。


 「……ありがとう先生」


 「ッンフ~ン、また、男が上がったみたいね八雲くん。それじゃもう一つ、妖厄仙としてのわたくしからのアドバイスよ。黒幕は弾正台に任せ、しばらくは身を隠していなさい」


 化粧とシャンプーの香りを残し、奈留美が進路指導室から出て行った。残された八雲は思う。今までは、刺し違えてでも黄色い目の妖厄仙を倒すつもりだったが、水雉の性格を顧みると、八雲を犠牲にしたまま生きていかないだろう。それは確信めいていた。だからこそ、今後について大きく予定を変更しなければならなくなった。

 少し遅れて進路指導室から出ると、水雉と菊里が奈留美と言い争っているのを見とめる。話からして、奈留美は黒幕について知らないと言い張っているようだった。奈留美がなぜ、八雲にだけ話したのか分からないが、おそらく、あなたがどうするか決めなさい。という事だと八雲は解釈した。もし、水雉がこの事実を知れば、八雲たちを守るため暴走する危険があった。菊里にしても、相手が〝六師外道〟だと知った所で、『鎮守』の仕事を放りだすわけがなかった。それならば、黙っておこうと考えた。




   ♦   ♦   ♦   ♦   ♦   ♦   ♦   ♦   




 「――なにを呑気に、退院パーティーなんてやってるんだ!?」


 いつものメンバーが角杙邸に集まり、食事やパーティー用の飾り付けの準備にとりかかっていた。いつ、敵が襲ってくるか分からない状況だというのに。


 「他の奴らはともかく、水雉まで一緒に何やってんだよ! 俺たちの置かれている状況わかってるだろ!?」


 「……姉さんだってそのくらい分かっているわよ。でもね、八雲の退院祝いなら、やらないわけにはいかないじゃない!」


 パーティー用の派手な三角帽をかぶった水雉は、唐揚げを並べながら真顔で答える。その隣で、菊里も三角帽をかぶりジュースを並べていた。


 「べ、別にあんたのためだけにやってんじゃないからね!」


 「ああそうだろうな、退院したのは俺だけじゃないからな!」


 「状況だのなんだのって、何言ってんだ八雲? ははは、楽しもうぜ!」


 「新延は、屋上で急にいなくなってすまん」


 新延は気にしてない様子で、飾りつけを進める。


 「僕、人間界でパーティーなんて初めてだから、すっごい楽しみだよ!」


 道雪も三角帽をかぶり、新延と楽しそうに飾り付けをしていた。そんな光景を見ていると、反対しづらくなっていた。


 「道雪さまあああ、そのお帽子もお似合いですよおおお!」


 友恵は相変わらず道雪の写真を撮りまくる。


 「あんたはちょっと手伝え!」


 「何をおっしゃっいます!? 私はみなさんの記念撮影をしているのですよ!」


 道雪以外は、適当にシャッターを押して終わらせていた。


 「せめて、ファインダーぐらいは覗いてくれよな~」


 一通りツッコんだ八雲は、大きなため息をつく。


 「ご苦労様、八雲くん」


 畳に胡坐をかいて座る八雲に、河瀬がジュースを差し出す。


 「ありがとう……。ふぅ、この中で安らげるのは河瀬だけだよ」


 「えっえっえっ、そ、そんなことないよ~」


 河瀬は狼狽え顔を赤くする。


 「そうだって、なんだろうな……落ち着くというか、安心するっていう感じかな」


 真っ直ぐ言われ、河瀬は目を逸らし少し笑みを浮かべる。


 「ッンフ~ン、八雲くんのはじめてを、もらいにきたわよぉん」


 勝手知ったる他人の家、といわんばかりに奈留美が姿を現した。


 「お呼びじゃないわよ、このド変態教師!」


 奈留美の姿を見た途端、菊里が食って掛かる。


 「先生に八雲くんを取られるからって、そんな言葉使いは感心しないわよ」


 あくまでも上から目線で話す奈留美に、毛を逆立てるような態度で菊里が威嚇する。


 「さぁ、パーティーの準備も終わったことだし、そろそろはじめるかあああ」


 新延が音頭をとる。


 「――では、水雉ちゃんと八雲と菊里、退院おめでとうおお、かんぱ~~い!」


 「かんぱ~い」


 ジュースグラスを掲げパーティーがはじまった。新延が持ってきた声優の音楽CDを流し、見事なダンスを披露する。


 「さぁ、道雪も踊れ!」


 座ってジュースを飲んでいた道雪を立たせると、振付を教えながら一緒に踊る。


 「愉しいよ八雲く~ん。一緒に踊ろうよ!」


 上機嫌に道雪が踊る。


 「さぁ、八雲殿も道雪様とご一緒に……ははは、激しく、腰を振ってくださいいい」


 友恵の目は、完全に下心を映していた。八雲は断ろうと口を開きかけた時、水雉に頭を押さえられる。


 「ほんと、腐っているわねあなた……あたしは八雲に近づくなと言ったはずよ!」


 友恵を睨みながら、八雲の頭を押さえる手に力が入る。

 メリメリ、と八雲の頭蓋骨が悲鳴をあげた。


 「やばい音が出てるって水雉!! いてててて!」


 痛がる八雲に、周りは同情の視線を送るしかできなかった。


 「これだから偏見に凝り固まった人間は嫌なのです。BLはもはや一つのアイデンティティーを獲得しているのですよ! それより、近親相姦は最大の禁忌と太古から決まっているのです。それをあなたは犯そうと、いえ、犯しているのですよ!」


 友恵は直立不動で演説をする。


 「近親相姦こそ至高! どの民話や童話、神話に至るまで近親相姦は描かれているのよ、そんなぽっとでのBLなんかと一緒に語ること自体ナンセンスなのよ!」


 こんなにも熱く語る水雉に、全員が驚く。驚きつつ、成り行きを見守る。

 そんな熱い論争が繰り広げられている隙に、奈留美が八雲を奪い去る。


 「ッンフ~ン、八雲く~ん。さぁ、これをお飲みなさい」


 奈留美から差し出されたグラスを受け取り、一息つこうと八雲が口を近づける。


 「うわっ、これ酒じゃ?」


 受け取ったグラスを突き返す。


 「大丈夫よ~ん、先生が許可するから飲みなさい!」


 奈留美は、突き返されたグラスを、さらに押し返し八雲に飲ませようとした。


 「先生が許可しても、未成年は飲んじゃダメだろ!」


 必死に抵抗する八雲にしびれをきらせた奈留美は、「……ッンフ~ン、こうなったら……」と八雲からグラスを奪いお酒を口に含み、口移しで飲ませようと迫った。


 「まてまてまてええええ、二重の意味でダメだろ!」


 口紅とお酒で艶やかに光る唇から、お酒が少し零れ、それが奈留美の首筋を通り、大きく開け放たれた胸元にキラキラと流れた。目のやり場に困る八雲の隙をつき、奈留美がついに押し倒した。したたかに頭を打った八雲が目を開けると、そこにはお酒で艶美えんびに輝きいた唇が、息のかかる距離まで迫っていた。


 「やっくんは、わたしのジュースを飲むのよ!!」


 菊里が奈留美に体当たりして入れ替わる。そして、八雲の上に馬乗りになる。トロンとした目で、手に持っていたグラスの中の液体を口に含み八雲に口移ししようと迫る。


 「ちょっとまてえええ、お前も酒飲んでるのか!?」


 鼻から漏れる息が、アルコール臭かった。


 「バッたしぃのはぁ~、お酒じゃにゃくれ、ジュースだも~ん」


 口に含んでいたお酒を、全部八雲の顔にぶちまける。


 「うわっ、きたねぇ」


 顔を左右に振り、お酒を振り払う。


 「きたらいなんてぇ、失礼だぞおおお」


 頬を膨らませ怒る姿は、いつもの菊里ではなかった。


 「いいから、水でも飲んで酔いを覚ませ!」


 八雲が菊里を押しのけると、大声で泣き出した。


 「あーー、女の子を泣かせちゃーダメよん。そんな子は、お仕置きだあああ」


 奈留美の豊満な胸が、八雲の頬をぶつ。何が起きているのか理解できず、しばらく呆然と殴られていた。


 「ッンフ~ン、八雲くんは、おっぱいビンタが気に入ったようねぇん」


 悦に入ったように、奈留美はおっぱいビンタを何度も繰り出す。


 「――いやいやいや、ダメだろう!!」


 我に返った八雲は、急いで逃げ出した。その先に仁王立ちした水雉が八雲を睨んでいた。


 「……八雲、あなたいつからそんなだらしない子になったの。姉さん悲しいぞおおお!」


 水雉に胸倉を掴まれ、往復ビンタを食らい張り倒される。


 「加夜先生はそこに座りなさい!」


 そこから水雉の説教が始まった。それを倒れたまま聞いていた八雲は、あることに気づく。それは、水雉の息からアルコールの臭いがしたのだ。おそらく、間違えてお酒を飲んだのだろう。それにしても、と八雲は思う。見た目には全然酔っているようには見えず、しかも、水雉は酔っぱらうと説教癖があるのだと、この時初めて知った。


 「よぉおおおおおおおし、角杙家秘伝お座敷芸奥義いいいい」


 両手一杯にジュースやお酒の空き缶を抱え、倒れている八雲の足元に立つ。


 「ちょ、ちょっと待て菊里、お前、何するつもりだ?」


 八雲は悪い予感に怯える。


 「乱れジャグリングうううう!」


 持っていた空き缶や空き瓶を、全部放り投げた。とても、全部拾えるレベルの量ではなかった。案の定、ほとんどキャッチできず、八雲の顔面に次々と当たる。


 「いてぇいていていてえええよ!」


 八雲の抗議を無視して、少しだけキャッチした空き缶で、笑いながらジャグリングを続ける。酔っぱらいの相手に疲れた八雲は、溜息を吐きながら畳に散らばる空き缶を集める。


 「……これ本当に退院祝いか?」


 そう呟きたくなるほど、パーティーは混沌としていた。それでもみんな楽しそうにしているので、まぁいいかと思うようにした。


 「……災難だったね八雲くん」


 河瀬が、空き缶を拾うのを手伝ってくれた。


 「河瀬は飲んでいないようで助かるよ」


 「私も飲んだら、八雲くんに対して積極的になれるかな……」


 「いやいや、お前まで酔っぱらわれたら身体がもたないよ」


 「……あははは、そ、そうだよねぇ~」


 二人して微笑む。外野の騒ぎを無視して空き缶を拾っていると、八雲と河瀬の手が触れる。二人は目が合い、そして慌てて手をどける。


 「――クンクンクン、なんですか~、このベタベタなラブコメ臭は?」


 八雲と河瀬の間に友恵が割って入る。


 「なんだよ急に!?」


 「私は近親相姦とラブコメ臭が、どうも肌に合わず嫌悪感を抱くのです」


 八雲と河瀬を交互に嗅ぐ。二人は赤面して離れる。


 「まだ、あたしとの勝負はついてないでしょ!」


 「うわッ!? 私の嫌いな近親相姦とラブコメが揃ったああああ」


 髪を振り乱しのたうちまわる友恵を見て、「ラブコメ?」と水雉が首をかしげる。


 「え? まさか、ふ、二人、付き合ってるの!?」


 驚いた表情で八雲と河瀬を見る。


 「そんなことないよおおおおお水雉ちゃんんんんんん」


 全力で河瀬が否定する。八雲の胸が、チクリと痛んだ。


 「……ぁあ~、びっくりしたぁ。ほんと、この腐れ女はどこまでも腐ってるわね」


 のたうちまわる友恵を踏みつけようと、水雉は狙いを定める。


 「――うんうんうん、実に楽しそうだね」


 まるで降って湧いたように、シルクハットと燕尾服を着た阿久斗頼光あくとらいこうと、赤を基調とした袴姿のヨーコが、宴会の真ん中に現れた。

 完全に意表を突かれ、誰もが臨戦態勢をとれなかった。


 「――何者!?」


 素面だった八雲が、かろうじて問いを発することが出来た。


 「わたしが企画した宴会に、みなさんをご招待しようと思ったのですが、すでに宴会を催されていたようだ。……うんうんうん、こうしましょう、二次会は是非わたしの別荘で」


 敵陣のど真ん中だというのに、頼光は笑みを浮かべ悠然としていた。


 「ご招待いたみいるけど、別荘まで出向く必要もないわ。ここで二次会といきましょう!」


 一番早く臨戦態勢をとったのは水雉だった。


 「まさか、妖厄仙から来てくれるなんて、手間が省けたわぁ、ブフッ」


 ふらつく足どりで、菊里が立ち上がる。


 「うんうんうん、部下を手配してもよかったのですが、一度失敗しているし、血の気の多い者ばかりで、宴会の前にあなたたちを殺してしまうかもしれなかったので、うんうんうん、私自らご招待に伺いました」


 「返り討ちにあう、の間違いじゃないのかじいさん!」


 女たちに振り回されことのフラストレーションを発散するかのように挑発する。


 「うんうんうん、いい表情だ。さすがに、あの百目鬼くんを倒しただけはありますね。『絶界陣』を張られては厄介なので、ヨーコくん」


 あっという間に道雪を捕らえていた。


 「道雪様!」と友恵が動く。


 それを封じるよう、ヨーコの手が道雪の細い首を掴む。その苦しさにうめき声をあげる。


 「うんうんうん、『まほろば』の王子を殺されたくなければ、動かないように。うんうんうん、それでは、場所を記した招待状を置いていきますね」


 テーブルの上に、可愛くデコレーションされた招待状を置く。そして、シルクハットを脱ぎ軽くお辞儀をすると、忽然と消えた。


 「道雪様あああああ!」


 友恵が飛び出していった。


 「……うおおおおお、すげええ演出だな! どんな仕掛けなんだ!?」


 鼻息を荒くして新延が叫ぶ。サプライズ演出だと思い興奮していた。これは都合がいいと思い、誰も本当のことを話さなかった。


 「今日は、これでお開きよ」


 興奮する新延を無視して水雉が告げる。


 「なんでだよ水雉ちゃん、あんなすごいサプライズ用意して盛り上がってきたのに!?」


 事情の知らない新延だけが抵抗を示す。


 「また、日を改めてやりましょう。そのための準備が必要だから」


 水雉が笑顔を浮かべた。はじめて見るような水雉の笑顔に、新延はもちろん八雲も驚く。


 「またここで、みんな集まって退院祝いの続きをしましょう」


 哀愁を帯びた水雉の言葉に、八雲と菊里は身が引き締まった。道雪を助け、全員が無事に戻る。その時は、帰還を祝うパーティーをしようと思った。

 不本意な形で終わり、八雲たちは新延と河瀬を玄関まで見送った。


 「また、集まろうぜ!」


 「おう、またな」


 男同士で力強く握手する。


 「八雲くんに水雉ちゃんに菊里ちゃん……私にはこんなことしか言えないけど……気を付けていってらっしゃい」


 河瀬の目には涙があふれていた。それでも無理に笑おうとする姿に、八雲も微笑み返す。

 何度も振り返る二人を見送る。


 「ッンフ~ン、それじゃ、わたくしも帰るわねん」


 「ちょ、ちょっと! なに帰えろうとしているのよ!?」


 「わたくしの目的は百目鬼を倒すことで、その上のボスまでは興味ないのよねぇ。無事に帰ってきたら、またパーティー開いてあげるわ。じゃあねぇん」


 ハイヒールの音を響かせ帰っていった。


 「……これだから、妖厄仙なんて信用できないのよ!」


 吐き捨てたるように言い、菊里は戦いの準備をするため部屋に戻った。

 八雲と水雉は、誰もいない暗闇を黙って見つめていた


 「……何も言わなくていいわよ八雲。あなたは姉さんが守ってあげるから」


 水雉が腕を伸ばし抱きつこうとした。それを、八雲は後ろによける。


 「……弾正台で何か言われたんだろ。何を隠しているんだ水雉?」


 じっと、真正面から水雉の顔を見つめる。


 「そんな熱い視線で見られると、姉さんもその気になっちゃうぞ」


 水雉は目を逸らす。


 「何を隠してるんだ。父さんの事か? その左目の事か? 他に何かあるのか、なあ教えてくれよ水雉!」


 「外で迫られても、姉さん困るわ……」


 不自然なほど、話を逸らそうとしているのが分かった。そこで、八雲は読心で水雉の深層を覗こうと試みた。だが、水雉は心を読ませなかった。


 「……分かったよ、今は聞かないでおく。だけど、この戦いが終わって帰ってきたら、話してもらうからな!」


 不機嫌に言うと、八雲は屋敷に入っていった。その後姿を見つめ、「帰ってこれたらね」と微笑を浮かべ囁く。

 それぞれの思いを宿し準備を済ませた三人は、招待状に記された場所へと向かった。




   ♦   ♦   ♦   ♦   ♦   ♦   ♦   ♦   




 ――鬼や魔物が行き交う丑三つ時、月の光が優しく淑やかに降り注ぐ。その光から隠れるよう三つの影が素早く移動していた。その中の一つは、小さな白い物体と宝石のような輝く瞳をせわしなく動かしていた。


 「……この付近ね」


 艶やかな唇から、メロディーを奏でるような澄んだ声で水雉が呟く。


 「……友恵さんいないね」


 八重歯を怪しく光らせる菊里の声色は、不安の色が含まれていた。

 先に出たはずの友恵だが、その痕跡はどこにも見当たらなかった。不安のなか探しつつ、敵の罠を警戒しながら進む。自然の豊かな森のなかを移動していた三人の視線の先に、明らかに挑発しているだろうと思われる建物が現れた。


 「……ツッコむべきか、あれ?」


 綺麗な顔立ちの中に精悍さも兼ね備えた雰囲気を持つ八雲が困惑顔で呟く。

 それは、ヨーロッパの宮殿のような建物に、イベントが行われているかのようなほどの照明が当てられ、その存在をアピールするように建っているのだ。このような演出に、どのような意図があり、どんな罠が仕掛けられているのか、まったく想像できず困惑しながら見つめる。そんな三人を、さらに困惑させたのが友恵の行方だ。ここまで、戦闘らしい痕跡や人の通った痕跡すらみあたらなかった。不気味なほど静まり、八雲たちの心に不安がよぎる。


 「……ねぇ、まさか、友恵さんやられちゃったのかな?」


 恐る恐る菊里が問う。すると、水雉が鼻で笑う。


 「手間が省けて助かるけど……そう簡単にやられる妖厄仙ではないでしょね」


 仲は悪いが、友恵の実力を知る水雉らしい言い草に、八雲と菊里も頷く。


 「道に迷ってるんじゃないか? 場所を知らずに飛び出していったからな」


 「それより、あれをどう考えるか……ね」


 ライトアップされた洋館を、水雉は苦々しく見つめる。


 「とりあえず、『絶界陣』を張って、こちらの有利なフィールドを作らない?」


 菊里の提案に、八雲がやんわりと首を振る。


 「また、『絶界陣』を封じられていたら、こちらの居場所がバレ、不利な展開で戦わなければならなくなる。そのリスクは避けたいな……」


 八雲の意見に、「う~ん」と菊里が唸り声をあげる。


 「このままじっとしていても埒があかないよ。挑戦してみようやっくん!」


 「あたしも、菊里ちゃんの意見に賛成だわ」


 リスクをとる方を選ぶ水雉に、八雲は訝る。


 「それで、あたしが『絶界陣』を張るから、二人は離れた場所から敵の動向を見張っていて」


 「ちょっと待て! それって、水雉を囮にするってことだろ!」


 水雉の企みに気づき声を荒げる。


 「水雉ちゃんが囮にならなくても、私たち三人で戦おうよ」


 「そうだ。この少人数をさらにバラけさせるのは愚策だろ。水雉らしくない!」


 「いいえ、三人で罠にかかるより、二人が無事な方が、道雪くんを奪還できるチャンスが高くなる」

 いつもと様子が違う。そう感じた八雲は、水雉がどこか遠くに行ってしまうような、そんな不安を感じ胸がざわつく。


 「ダメだ! オオカミ野郎を倒した時も三人だった! 今回も俺たち三人で、この危機を乗り切るぞ!!」


 八雲の鬼気迫る思いに、菊里もただならぬ雰囲気を感じ取った。


 「力を合わせようって、水雉ちゃんが私に言ったんだよ。今回も力を合わせ道雪くんを助けよう!」


 水雉の手を取り力強く握りしめた。その温もりに水雉の心が揺れる。師匠から両親の仇の正体を聞いたことで、水雉は戦うことにナイーブになっていた。しかし、今回の敵は〝六師外道〟ではない。それに気づき、焦っていた自分を滑稽に思い微笑を浮かべる。


 「そうね、どんな罠があろうと三人で協力し、道雪くんを奪還するわよ!」


 「よっし、やろう水雉!」


 いつ、黄色い目の妖厄仙が命を奪いに来るかわからない。死と隣り合わせの人生だけど、残りの時間を少しでもこの二人と、出会ったみんなと一緒にいたい。そう、水雉は思うようになっていた。決して、八雲も踏み込めない深層心理内で。


 「三人で協力して乗り切ろう!!」


 元気に手を上げる菊里。それに倣うよう、八雲は円陣を組もうと提案する。最初は嫌がっていた水雉だが、二人の説得に折れる形で円陣を組んだ。


 「――それじゃあいくわよ」


 話し合いの結果、ここは譲れないとばかりに、『絶界陣』を張る役を水雉が固執したので、譲ることにした。

 一瞬の静寂の後、水雉が『絶界陣』の呪式を展開した。――だが、予想通り『絶界陣』は発動しなかった。その代わり、想定外のものが動き出した。

 八雲たちのいる場所から洋館との間に位置する地中から、高さ十メートル、横幅は数十メートルに及ぶ範囲を囲う水のスクリーンが現れた。どうやら、あらかじめ『絶界陣』に反応するよう仕掛けられていたようだ。さらに、水のスクリーンは三か所で出現した。それはまるで、どこからでも見れるよう考慮されているようであった。三人は、唖然とその光景を見つめていた。すると、スクリーンに頼光の姿が映し出される。


 「うんうんうん、遅かったねぇ、もう来ないのかと思ったよ」


 「……あのニヤついた顔を、絶対ぶん殴ってやる!!」


 水雉も菊里も力強く頷いた。


 「きみたちが、この『まほろば』の王子を見捨ててもよかったのだけどねぇ」


 「見捨てるわけないだろう!」と画面に向かって怒鳴る。


 「ただ、この王子様の真の目的を知ってからでも、助けにくるかは興味深いので、ぜひ話を聞いてもらおう」


 スクリーン越しに、一方的に話される不快感に苛立ちを募らせる。


 「王子様の地球来訪の目的は、人間界の内情と人類を滅亡させる為の情報収集なのだよ」


 あまりにも荒唐無稽な話だったので、八雲たちは呆然とした。


 「いきなり人類滅亡だと言われても理解できないだろうが、妖厄仙と人間は、地球が誕生して以来の天敵同士。過去に、何度も地球で激しい戦いを繰り広げてきた」


 「厨二病乙」


 「なにこのオジサン、かなりの誇大妄想家?」


 八雲と菊里は忍び笑いをあげる。そんな中、水雉だけは笑わず頼光の言葉に耳を傾けていた。


 「その戦いにおいて、人類は全戦全敗して何度か滅亡の危機を迎えた。だが、それを乗り越え今に至っているのだが、生き残るため不平等な条約を飲まされている」


 忍び笑いをしていた八雲と菊里も、徐々に頼光の話に引き込まれていった。


 「その中で顕著なのが、『不殺の条約』だ。それは、人間が妖厄仙を殺せないって条約なのだよ」


 「バカいってんじゃねぇ! 俺たち調伏師の技は、妖厄仙を殺すための技だろうが!!」


 自分たちの存在意義を、完全に否定された発言に八雲は怒りを露わに叫ぶ。


 「本当にそうかな?」


 まるで、八雲の言葉が聞こえているかのように頼光は話す。

 その言葉に不安を覚えた三人は、今までの戦いを振り返る。確かに、妖厄仙の力を削ぎ『まほろば』へと送り返していた。ここ最近でも、アオメアブやオオハキリバチや水牛にトカゲに重永亮磨のシオカラトンボと戦い、元の動物に戻したが、どれも死までには至ってなかった。


 「でも、百目鬼はどうなの?」


 菊里の言う通り、百目鬼は塵のように消えていった。だが、本当に八雲たちが殺したといえるのだろうか。あれは、百目鬼が動物として生きるより、死を選んだだけではなかったのか、その思いに至ったとき、三人の心に戦慄が走った。そして、お互いの顔を見合わせ、誰か否定の言葉を紡いでくれることを期待した。だが誰も、何も、発することはできなかった。


 「他にも『まほろば』から人間界には行けるが、人間界から『まほろば』には入れない。さらに、人間界の法律を決めるのも妖厄仙の許可を得てからで、内情はつぶさに報告されている。人間界の国の中枢には、必ず三人以上の妖厄仙を入れるなど、完全に人間界は『まほろば』によって監視監督されている。それが実情なのだよ」


 今までの常識が根底から覆された話に、足元が心許なくなる。


 「妖厄仙たちは人間界を半分以上支配しているのだが、本当は人類を滅亡させたくてしょうがないのだよ。それが、妖厄仙の宿願と言っても過言ではない」


 「……ウソウソウソよ! おかしいじゃない妖厄仙が人類を滅ぼしたがってるって、それだけの力があるならなぜ、今まで放置してたのよ!? あなたの話はデタラメよ!」

 菊里は、悲鳴にも似た叫び声を上げてスクリーンに向かって叫ぶ。


 「人類を、すぐに滅亡させられない理由があるのだよ」


 それも想定していたかのように、頼光は話を続ける。


 「それは、神の存在が彼らの楔になっているからだ」


 どこまで話が大きくなるのか、八雲は逆に興味が湧いた。


 「神が作った人間を、勝手に妖厄仙が滅ぼすことはできない。だが、人間が神に逆らったとき、はじめて強権をふるい人類を滅亡させることができる。そう仕掛けるための尖兵として、この王子が地球にやってきたというわけだ」


 静寂が戻ったが、それはまるで、絶望のはじまりを告げる前触れのようであった。



 仄かな灯で映る頼光の顔は、悪魔が笑みを浮かべているような薄気味悪さがあった。


 「うんうんうん、どうでるかな彼らは?」


 カメラからフェードアウトしてから、嬉しそうにヨーコに話す。


 「おまえさんは、相変わらず嫌な性格している。いっぺん死んでみるかぇ」


 無機質な表情のまま、ヨーコは瞳だけ動かし頼光をみる。


 「うんうんうん、ヨーコくんになら殺されてもいいよ」


 「キモイ、死ね!」


 頼光の軽口に顔をそむける。

 動向を愉しむ頼光とは対照的に、八雲たちは先ほどの話が消化できず、沈痛な面持ちで俯く。


 「……こんなの全部、私たちを惑わす作戦よ。そんなバカげた話を私は信じない!!」


 鎮守ちんじゅの家に生まれてきた菊里にとって、弾正台の教えは絶対で、その矜持きょうじを守るために生きてきたようなものであった。それを否定され、その否定に反論できない状況に、顔から血の気が引き、八雲と水雉に助けを求めるよう瞳が揺れる。


 「……わざわざ、そんなウソをつく必要があるのかしら? あたしたちをおびき寄せ、こんなヨタ話を聴かせるため、わざわざ道雪君を人質にする必要はないと思う」


 水雉は冷静に頼光の行動を分析する。

 「そ、そんな…………あ、そうよ! きっと、拉致ったのはいいけど、私たちを迎撃する陣容が集まらなかったから、それでこんな甘言を使ってきたのよ」


 あきらかに無理のある弁論であったが、菊里はすがるように水雉を見る。


 「あの男が何を狙っているか分からないけど、あたしたちをおびき寄せた目的の一つに、この話を聞かせることがあったのは間違いないわね。これだけの装置を用意していたのだから」


 「……な、なんで、水雉ちゃんはそんなに冷静なのよ!?」


 ことごとく水雉に否定され、怒りを向ける。それを、ダイヤモンドの瞳で弾き返す。


 「……ねぇ、やっくんも何か言ってよ」


 先ほどから、黙り込んでいる八雲に助けを求めた。


 「……あのオッサンの言葉、全てが真実かどうか分からないが、俺は、俺たちは、友達を救うためにここまできたんだ」


 八雲の言葉は、水雉と菊里の心に重く響いた。


 「道雪が地球に来た目的や動機は、助けてから本人に聞けばいいだろ。その為にも俺たちは、全力で友達を助けるだけだ!」


 迷いを断ち切るよう八雲が言い放った。


 「……そ、そうだね! 私たちの友達を助けに行こう!」


 「さすが、あたしの最愛の弟だわ……」


 まっすぐ迷いのない八雲の目を見て、頼もしくなったと思う。


 「キキキキー、その言葉待っていたぜえーーー」


 聞き覚えのあるバカ笑いする声が鼓膜を揺らし、頭上から西遊記に登場した猿の妖怪に似た妖厄仙が現れた。


 「こいつ学校で襲ってきたやつか!?」


 火天と名乗った妖厄仙が持っていた武器と同じ刃渡りの広い中国刀で攻撃してきた。八雲は素早く愛刀『一竿子忠綱』を取り出し中国刀を払う。


 「あのブァ~カ、先走り過ぎよ!」


 また、聞き覚えのある女の声が頭上から聞こえた。火天と一緒に学校に襲ってきた羅刹天と名乗る妖厄仙と同じ声だが、姿はすでにアシナガバチの妖厄仙へと変態していた。羅刹天は小柄な体系を活かし、木々を縫うよう飛行しながら水雉に照準を定め襲い掛かってきた。


 「戦意があるようなら攻撃せよとの命令だから、問題ないな!」


 爆音とともに木々をなぎ倒し現れたのは、全長三メートルは有にある巨大なイノシシであった。丸太のような巨大な角を鈍く光らせ、一直線に菊里に向かっていく。


 「チェッ、一番乗りしたのオイラなのに男が相手かよ」


 不満をぶら下げ、火天は木々の間を渡って移動しながら八雲に襲い掛かる。


 「俺は丁度良かった。妖厄仙とはいえ女は斬りたくないし、角付きは飽きていたところだからな」


 八雲は水牛妖厄仙と戦い、得意の『刹那』を角で弾かれたことを思い出していた。

 そんなことはお構いなく、火天は木々を使い変則的な動きで翻弄するよう斬りかかる。それを受ける度に、耳をつんざく金属音と火花が激しく散らばる。

 同じように、アシナガバチの姿の羅刹天と戦っていた水雉は、見事にバラケさせられたと、冷静に戦況を分析していた。


 「なにその眼帯、かまってちゃんなの?」


 羅刹天の口から、毒針と毒舌が飛び出す。その毒針を全て叩き落とすと、水雉は右の目を三日月のように歪ませ、「ブンブンと五月蠅いから、蠅かと思ったわ」と毒舌には毒舌で返した。


 「蠅と一緒にすんなこのブァ~カ、油断してるとうちの毒針でイチコロよ」


 その毒の元は、口の悪さか、毒針のせいか、本気で聞こうかと水雉は思った。

 暗がりで視界が悪いうえ、羅刹天の放つ毒針は小さく肉眼で捉えることは難しかった。それでも、放たれるときの音を頼りに水雉は戦っていた。有利に戦闘を運び、羅刹天は気分よく動き、舌も滑らかに動いていた。


 「地上をノタノタと逃げ回るあんたって、野ブタみたいで滑稽ね!」


 嘲りの笑い声をあげる。そんな羅刹天の挑発に、水雉は口では対抗せず、攻撃をよける度に微笑を浮かべてみせた。


 「……本当に、いけすかない女だよ!!」


 眉を吊り上げ水雉を睨むと、毒針を放つ。執拗に放ち続けた毒針が、ついに水雉の上着の裾を捉え木に縫い付けた。水雉は動きを封じられ、格好の標的となった。


 「覚悟しな、このブァ~カ」


 散々手こずったことで、とどめを刺す喜びに大きく息を吸う。ありったけの肺活量で肺に空気をため、一気に解き放とうとした瞬間、羅刹天は目を白黒させる。

 動けないはずの水雉が霧散したのだ。


 「ど、どこにいった!?」


 焦りを額に浮かべ、視線を忙しなく動かす。


 「調伏師の技の一つ、『幻影』よ」


 降って湧いたように水雉が現れ、大鎌を一閃させた。それに反応することのできなかった羅刹天は、大木もろとも斬られた。だが、大木が障害となり大鎌の軌道が僅かにそれせいで、羅刹天の肩甲骨と胸の間を浅く斬っただけだった。運に助けられた羅刹天は、大きく間合いを取った。


 「キキキキー、ざま~ねぇな羅刹天よぉ~」


 その様子を見ていた火天が、嬉しそうな声を上げる。

 カツン、と木に針が刺さる。大きな口を開け笑っていた火天の顔をかすめて。


 「このサル、次笑ったらマジ殺すぞ!」


 羅刹天は、水雉に出し抜かれた悔しさをぶつけるように火天を睨んだ。もろにとばっちりを受けたかたちの火天は肩をすくめる。


 「おっかねぇ~、地天も気を付けろよ」


 「わしゃ関係ないので、まきこまねぇでくだせぇ」


 羅刹天の怒りの飛び火を恐れた地天が予防線を張る。

 その地天と菊里の戦いは激しいもので、周りの木はほとんど倒され、見渡しがよくなっていた。倒された木の範囲の中心に、両手に銃を持ち仁王立ちする菊里の姿があった。


 「確かに、イノシシさんには関係ないかもね。もうすぐ私に倒されるんだから!」


 言い終えると同時に銃を撃つ。銃から放たれた『霊弾』の速度は音速を超える。それを、体長三メートルは超えるであろう巨体の持ち主である地天は、そう思わせぬほどの俊敏さで『霊弾』をよける。しかも、旋回能力も高く機敏に動き回って菊里を翻弄しようとした。強敵ともいえる地天を相手にしても、菊里は一歩も引けを取らず戦う。それもこれも、百目鬼と戦い生き残ったことが自信となっていた。とはいえ、地天の素早い動きに対応できても、遠距離では弾は足らなかった。無駄弾を撃ち体力を消耗するのは得策でないと判断した菊里は、フェイントと実弾を織り交ぜ攻撃した。地天を動かし疲労を待つ作戦をとったのだ。

 各所で繰り広げられている戦いは、膠着状態となっていた。その状況に憤りを感じていたのは、妖厄仙の方であった。


 「早くやっちまわねぇと、ヨーコがきちまうぞ」


 火天からでた名前に、羅刹天と地天は明らかに動揺していた。その異変に気づいた八雲は、ヨーコという存在が気になった。角杙邸で道雪を拉致した時の動きは、確かに尋常なものではなかった。だが、それ以上の脅威は感じなかった。それなのに、この妖厄仙たちを怯えさせるヨーコとはいったい何者か。


 「まずは、その腕もらったああ!」


 「しまった!?」


 ヨーコの存在に意識を取られていた隙をつかれた。火天の中国刀が閃くと、八雲の右腕を切り落とした。勝ち誇った表情を浮かべていた火天の顔が一瞬で曇る。腕を切り落としたはずの八雲の姿が霧散したのだ。それは、水雉が羅刹天に見せた『幻影』と同じであった。まさか、羅刹天を笑った技に、自分がしてやられるとは思わず、狼狽えた様子で辺りを見渡す。すると、側面に冷気の固まりのようなものを感じ、咄嗟によけた。だが、額に痛みを覚えた。それが何か確認しようとしたが、背後から冷気を感じ慌てて前に逃げる。今度は、背中に熱いものを押し付けられたような痛みを覚えた。逃れたのはいいが、勢いが余り木にぶつかる。


 「くそッ。なんなんだよおおおお!?」


 闇雲に動き回って逃れようとした。しかし、その全てを追尾され、攻撃を受けるたび傷が深くなっていった。


 「なんなんだよ!? 三人がかりで、どうにか百目鬼に勝った程度の奴らだろうが! オイラは百目鬼と同等なんだぞ!!」


 「あの時、俺はケガしてたからな」


 屋敷に潜入する際、八雲は菊里をかばって屋根と激突し、さらに複数回蹴られたりと、百目鬼と戦う前に重傷を負っていた。水雉もカメ妖厄仙との戦いで深手を負っていた。それゆえ、三人でどうにか倒せたようにみえたが、実際、無傷の状態で戦えば、水雉も八雲も百目鬼に遅れをとるような調伏師ではなかった。


 「人間ごときに、オイラが負けるはずがねぇえええええ」


 火天は、木々が生い茂る山の中で『火炎流』を使った。そんなことをすれば、瞬く間に辺り一面火の海と化し、自分自身も危険だということも分からないほど追い詰められていた。


 「あのブァ~カ、何やってるのよ」


 火天の血迷った行動を、少し離れた場所から見ていた羅刹天の意識が、一瞬そちらに取られた。だが、すぐに意識を戻したが、先ほどまでそこにいたはずの水雉がいなくなっていた。


 「チッ、うちとしたことが見失うなんて……」


 その場に留まる愚を避け、水雉を探して飛び回る。

 その頃、自分の周りが火の海と化していることにようやく気づいた火天は、事態の収束の図り方と見失った八雲の行方の探しかたを、その場に留まり模索する。羅刹天がやらなかった愚策を、火天は知らず知らずのうちに行っていた。それが火天の死期を早めた。炎の壁を破り、『鬼哭きこく』が唸りを上げ火天に向かって飛んできた。それを、横に跳ねかわす。


 「そんなもん食らうかああああ!!」


 勝ち誇った顔で笑う。その顔のまま、火天は下半身の感覚がなくなる。


 「な――なにーーー?」


 炎の壁の隙間から見えたのは、八雲ではなく水雉だった。そして、火天の背後にいたのは、『一竿子忠綱』を鞘にしまう八雲であった。


 「これが、高鉾姉弟の戦闘スタイルだ」


 火天の上半身がじんわりと下半身と離れていく。そこから、大量の『霊仙』が吹き出す。やがて、『霊仙』をだしきった火天は、小さい猿となって倒れる。


 「やったわね八雲。だけど、この炎は困ったわね……」


 「このままじゃ、大惨事になるな……」


 火天の置き土産ともいえる炎の海に、八雲と水雉は手をこまねいていた。


 ――その頃、菊里は木々の間を汗だくで走っていた。それを、地天と羅刹天が追いかける。


 「なんでこんなことになってるのよ~~!? やっくん、水雉ちゃんどこおおおお!!」


 それは、水雉を探していた羅刹天が、菊里と地天が戦っている場所に迷い込んだことが発端であった。


 「ちょうどいい、手を貸すわ地天」


 返事を待たず戦いに参加する。地天は気にするそぶりを見せず菊里に襲い掛かる。


 「え? なに? あんた、水雉ちゃんと戦っていたはず――まさか水雉ちゃんが……」


 羅刹天の突然の出現に不安がよぎった。だが、水雉が簡単にやられるわけがないと信じた菊里が考えたことは一つであった。


 「絶対やっくんとイチャついてんだーーーーー!」


 その思いにとらわれた菊里は、二人の密会の邪魔をしてやろうと、行方を探しをはじめた。

 そんな菊里の状況を知らない八雲と水雉は、炎の延焼を防ぐため草木を刈っていた。

 一通り刈り終えたころ、炎の勢いも弱まっていた。


 「これで大丈夫だろう……」


 鎮まりゆく炎を、額に汗を浮かべ見守っていると、八雲から離れるよう水雉が歩きだした。


 「どこにいくんだ?」


 「まだ火が残っていないか、確認してくる」


 その背中に、言い知れぬ不安を感じた八雲が、呼び止めようと手を伸ばした時、藪から足が飛び出してきた。しかもそれは、八雲の後頭部を確実にとらえた。鈍い音に気づき振り向いた水雉の目に、蹴り倒される八雲の姿が飛び込むように入った。藪から現れた足に続き、見覚えのある服と、忘れもしない幼い顔立ちをした菊里が飛び出してきた。


 「水雉ちゃんらと合流したら、絶対にキミたちゆるさないんだからねえええええ」


 菊里は羅刹天たちから逃れることに夢中で、自分の足が八雲に当たったことに気づかず走り抜けた。八雲の不運は、それで終わらなかった。菊里のあとに姿を現した体長三メートルを超える巨体の地天が、倒れている八雲を踏みつけ走り抜けたのだ。


 「やくもおおおおおおお!!」


 怒りと困惑の入り乱れた表情を浮かべ水雉が叫ぶ。


 「ああああ、水雉ちゃん発見! 酷いよ!! 私に全部押し付けていなくなるなんてええ」


 水雉に抱きつこうと菊里が近づく。それを裏平手で殴って阻んだ。


 「――な、何するのよ……!?」


 父様にもぶたれたことないのに! と言いたそうに目に涙をため水雉を睨む。


 「こっちのセリフよ!」と眉を吊り上げ水雉が指さす。


 菊里が振り向いたその先に、ボロ雑巾の様相を呈している八雲が倒れていた。


 「――誰にやられたのッ!?」


 目を見開き驚く。


 「あ・ん・た・よ!」と人差し指を菊里の額にねじ込む。


 「こんなとこに隠れていたのか!」


 羅刹天が水雉を見つける。同じく地天も水雉の存在に気づくと、もう一つのことにも気づく。


 「むっ? 火天がいやせんが……」


 「はん! どうせあのヴァ~カ、調子に乗りすぎてやられたんだろうよ」


 「なるほど」


 仲間が倒されても、顔色一つ変えない妖厄仙の非情さを露骨に見た気がした。目の前の敵を倒すことに生きがいを覚えているような羅刹天たちが、舌なめずりするよう水雉たちを見つめる。もちろん、妖厄仙たちを警戒しなければならないが、水雉はそれどころではなかった。妖厄仙たちの後方で、八雲が倒れたままなのだ。今のところ、妖厄仙たちは八雲に気づいていない様だが、もし気づかれれば助けることができない。危機的状況だが、水雉は焦りを顔に出さないように気をつけていた。


 「あのヴァ~カのことはどうでもいいけど、結果的に敵討ちになるのか――この小僧を殺しちゃったら!」


 羅刹天が振り向き、八雲に狙いを定めるよう口を尖らせた。毒針を放つのだと気づいた水雉は、一直線に助けに向かった。その行く手を巨体の地天が阻む。


 「どきなさい!」


 大鎌を振り回し斬りかかる。それを、地天の角が弾き返す。何度やっても地天の角を折ることができず、諦めて回り込もうとしたが、それすら地天が邪魔をした。


 「やっくんに手をだすなあああ!」


 菊里が銃を乱射しながら突っ込む。羅刹天は地天の巨体に隠れた。水雉は『稲妻』で一気に間合いを詰めようとしたが、足元がぬかるんでいて発動できなかった。この距離を詰める手立てがなく、今にも羅刹天が毒針を放つかもしれない状況に、母親が目の前で殺された日のことが脳裏をよぎり、恐怖が血液に乗って水雉の全身を駆け巡った。


 ――ドオオオオオオオオン!


 まるで砲弾でも撃ち込まれたかのような衝撃と轟音が山全体に響いた。何が起きたのか、その着弾点を全員が凝視する。なぎ倒された木々と、砂煙の間から動くものがあった。


 「……こんなところにいたのか…………道雪様は、どこだぁぁぁぁ!!」


 凄みで声が低くなっていたが、水雉と菊里には聞き覚えのある声だった。その正体が分かった水雉は、妖厄仙の気が逸れている隙に、身を屈め地天の横を通り抜けた。

 これならいける! と思った瞬間、羅刹天と目が合う。それが勝ち誇った目となり、八雲を攻撃しようとした。八雲と水雉の距離はわずか五メートル程だったが、それがとてつもなく遠く感じられた。

 ――また、目の前で家族が殺される。あたしは誰も、何も救えない、守れないのか。

 水雉の心は、ただ一人残った肉親を失う恐ろしさで、張り裂けそうになった。

 水雉の右の目に血飛沫が映る。全身の血液が一瞬で脳まで上がった。気が狂わんばかりに、黒光りした大鎌を振り回した。鈍い感触が手に伝わる。それが、羅刹天の首を刈り落とした合図であった。斬られた首から大量の『霊仙』が血のように吹き出し、やがて羅刹天は小さなアシナガバチへと姿を変えた。

 水雉は大地に跪くと、「やくも……やくも……」とうわの空で呟く。最後の家族を失った悲しみと喪失感で、深い闇に心を沈ませた。戦う気力をなくした水雉と関係なく、戦いはまだ続いていた。さすがに、一体となった地天の心に動揺が生まれた。その隙を見逃さず、菊里は地天の角を狙い集中砲火を浴びせた。


 「よくみて水雉ちゃん! やっくんは無事よ!」


 虚無という牢獄に囚われていた水雉の心を、菊里の言葉が助け出そうとした。その声に操られるよう、壊れかけの機械のごとくぎこちなく顔を動かした。虚ろな目に映ったのは、倒れたままの八雲の姿だった。だがよく見ると、八雲の肢体は上下に動き呼吸していた。うれしい反面、なぜ? という疑問も浮かんだ。確かに、血飛沫が舞うのを見たはずだった。それでは、その血飛沫はいったい誰のもの? という疑問が浮かんだ。その答えは、すぐに見つかった。黄褐色の毛で覆われたピューマの擬人化となっている友恵が、左腕を投げ捨てるところを見て気づく。水雉が見たのは、友恵によって左腕を斬り落とされた羅刹天の血飛沫だったのだ。それが分かり、水雉は安堵して地面にへたり込んだ。

 「……よかった……よかった……」と何度も何度も、噛み締めるよう呟いた。そんな水雉の元に、戦闘による喧噪が届く。もう一度気持ちを奮い立せ、大鎌を握り立ち上がる。

 「――もうちょい!」と菊里が唸る。五月雨のように銃を連射し、地天の角を執拗に攻撃していた。それに耐えていたが、ついに、甲高い音を上げ折れた。その反動で、地天の喉がガラ空きとなる。そこ狙って、友恵の爪が深々と抉る。傷口から大量の『霊仙』が放出する。


 「た、ただでは死にやせんよ……」


 小刻みに震えながらも、地天は八雲めがけ突進する。


 「ちょっと、大人しくやられなさいよ!」


 地天の突進を止めようと、菊里が銃を乱射する。地天はよけようとはせず、『霊弾』を受けて傷口から『霊仙』を流しながらも、進むのを止めなかった。


 「八雲には、手を出させない!」


 突進する地天の背中に、水雉が飛び乗った。素早く大鎌を地天の首元に突きつけると、下から上に引き上げ首を切り落とした。首がなくなった地天は数歩進み、地響きを立て八雲の直前で倒れた。


 「…………いたたたた……一体何がどうなったんだ?」


 地天の倒れた地響きで、八雲が目を醒ます。


 「やくもーーーー!」


 大鎌を放り投げ抱きつく。八雲は状況が理解できず狼狽えていたが、水雉の身体が小刻みに震えていることに気づき、それでまた、心配かけたのだと理解した。


 「……ごめん」と謝る。


 「いいえ、あたしこそごめんね。八雲を危険な目に合わせて……」


 さらに力強く抱きしめた。


 「相変わらず気持ちの悪い姉ですね」


 友恵が白い目を向ける。


 「……ちょうどいいわ、他の妖厄仙と一緒にあなたも調伏してあげる」


 水雉は底光りする瞳で睨む。


 「待て待て。道雪を助けるのが先決だろ!」


 「そうです! 道雪さまああああああ!」


 吼えると同時に友恵の『霊仙』が膨らむ。それは、火天たちよりも遥かに強く巨大なものであった。友恵の実力を知り、八雲たちにも希望が見えた。小躍りしたい気分となっていた八雲たちを置いて、友恵は走り出した。その後を追い屋敷に向かった。



 ――朧げな蝋燭ろうそくの明かりが優しく照らす部屋には、屋敷の外を様々な角度から映すモニターが二十台整然と置かれていた。部屋の中央には、大人が三人ほど入れるぐらいの巨大な試験官が置かれ、その中に眠るよう横たわる道雪の姿があった。


 「うんうんうん、さすがは王族の護衛役だ。あの子たちでは、手に負えなかったようだ」


 ワイングラスを片手に、革張りの黒いソファーに腰掛け、笑みを浮かべながら八雲たちの戦いを観戦する頼光と、その横で、ちょこんと座る無機質無表情のヨーコの姿がった。


 「……さて、そろそろヨーコくんの出番かな――ん?」


 「……んん~、友恵ここどこ?」


 眠っていた道雪が目を覚ました。まだ意識はしっかりしていない様子で、女の子座りで首をかしげる。


 「うんうんうん、お目覚めのようだね王子様」


 「……あ、あなたたちは誰? 友恵は? 八雲くんたちは?」


 現状を把握しようと辺りを見渡す。


 「おまえさん、このお坊ちゃんを殺すかえ?」


 無機質な表情と口調で話すヨーコだが、その奥にある殺気は、武道をたしなんでいない道雪でさえ感じることができた。それに怯え、試験管の中で丸まって震える。


 「うんうんうん、今はまだいいよ。それより、きみはあちらの始末をお願いする」


 頼光は、モニターに映る八雲たちを指し示す。


 「あ、友恵に八雲くん! それと水雉ちゃん菊里ちゃん」


 歓声を上げる。


 「……ねぇ、全員殺してきてもいいかえ?」


 「好きにしたまえ」


 頼光の言葉が終わる前に、音もなくヨーコは姿を消していた。薄暗い部屋に頼光と二人っきりとなった道雪は、勇気を振り絞って話しかけた。


 「……ねぇ、僕を解放してくれたら、このことは報告しないよ。だからお願い助けて……」


 猫撫で声で心地良い響きのする道雪の言葉だったが、顔をモニターに向けたまま、「きみのことなど、どうでもいいのですよ」と道雪とは対照的に、冷酷な響きのある声色で話す。恐ろしさを感じた道雪は怯んだ。だが、モニターに映る八雲たちから勇気をもらい前に出る。


 「どうでもいいなら、僕をすぐに解放しておじさん」


 「これは失礼、きみの生死はどうでもいいってことですから、お間違いないように」


 くぐもった笑い方をする頼光に、からかわれたと悟る。


 「……僕になにかあったら、どうなるか解ってるのおじさん?」


 頼光の態度が気に障り、今度は脅してみた。


 「まぁ、人間界が少し大変なことになる。それだけですよ。あなたが死んだくらいでは、大戦にはいたらないでしょう……ぐらいではね」


 「それって、どういう意味?」


 「さあ、お友達の見納めですよ。見逃さないように……王子様」


 薄ら笑いを浮かべモニターを指さす。道雪が視線を上げると、ヨーコと対峙する八雲たちの姿が映っていた。


 「……八雲くん、水雉ちゃん、菊里ちゃん……友恵……ごめん、僕……」


 何もできず捕らえられている自分に対して憤りと悔しさを感じ、道雪は涙を流す。




 ――燦々と降り注ぐ月光を頼りに、友恵、八雲、水雉、菊里という順番で山間を疾走する。あれから不気味なほど抵抗はなく、目前まで屋敷を捉えた時だった。まるで隕石が落下したような衝撃と爆音が、八雲たちの行く先で起こった。


 「……妖厄仙の攻撃か!?」


 油断していたつもりはなかったが、不意を突かれたのも確かであった。慌てて臨戦態勢をとる。緊張のなか、濛々と砂煙が立ち込める前方を凝視する。


 「見てやっくん!」


 緊張した菊里の声が響く。目の前に、直径五百メートルほどのクレーターができていた。その中心に何か動くものがあることに気づく。


 「気をつけろ、敵がいる!」


 全員に緊張が走る。砂煙でよく見えなかったが、動く影は人の形をしていた。その人影らしいものは、機械仕掛けのような動きで近づいてきた。

 徐々に姿を現したのは、頼光の傍らにいた袴姿のヨーコであった。


 「……あの時は、気づかなかったのですが……あなたまさか、〝六師外道〟ですか?」


 友恵の言葉に全員が固まる。

 水雉が、体の芯から湧き上がる得体の知れない感覚に懼れを覚えた時だった。刺すような、凍てつく視線を感じたとき、左目の眼窩が激しく脈打ちだした。それが血液に乗り全身へと広がる。


 「くあああああ!?」


 激痛が水雉を襲った。


 「だ、大丈夫か水雉!?」


 異変に気づいた八雲が、水雉の体に触れた。

 「熱い!?」と咄嗟に手をどけてしまうほど、水雉の身体は熱を帯びていた。水雉に何が起きているのか分からず、八雲はただ狼狽えるだけであった。

 水雉の異変で、混乱状態の八雲たちにかまうことなく、ヨーコは歩みを緩めず進んできた。


 「誰から、死ぬですかえ」


 凍てつくような視線を向ける。その迫力に、友恵が一歩二歩と下がった。だが、ヨーコの着物の柄が視認できると、友恵は後退するのを止めた。冷や汗を拭きながら、ヨーコを凝視する。すると、何かに気づき目を細める。


 「……あなたに何があったか知らないですが、今なら少しは勝てる可能性がありそうですね」


 ヨーコの歩みが止まる。


 「――うんうんうん、ずいぶん舐められたものですねヨーコくん」


 木々の間から、頼光が姿を現した。その途端、友恵は何かを確信したように頷く。


 「人間の手先になったせい、かしらね?」


 その指摘に、頼光は微笑を浮かべた。ヨーコも黙ったまま、立ち止まって友恵を見つめる。

 二人の間に緊張感が漂うなか、水雉は異常なほどの大量の汗をかき、荒い息遣いで痛みに耐えるよう丸まっていた。


 「水雉、水雉、しっかりしろ水雉!」


 八雲は、敵を前にしても水雉の身を案じる。


 「水雉ちゃんどうしたの?」


 菊里は水雉の身を案じながらも、ヨーコに対する警戒を解かずにいた。


 「分からない、こんなこと初めてで……」


 焦りを瞳に宿し水雉を見つめる。


 「……あ、あたしは、大丈夫だから……八雲は、敵に集中して……」


 左目付近を、左手の指が紫になるほど深く突き立て水雉は痛みに耐えていた。


 「うんうんうん、どうやらあの娘さん、ヨーコくんの『霊仙』に反応しているみたいだね。なにか、心当たりでもあるかい?」


 「……あの小娘から、ゲロテツの臭いがプンプン臭ってくるわ」


 「……どういうことですかねぇ?」


 「知らないですわよ。ググれカス!」


 無機質無表情での毒舌は、心を切り刻むような破壊力があった。


 「ヨーコくんの口の悪さは、時々本気で傷つきますよ……。しかし、言う通りですね。では、あの娘さんの眼帯を取って確認してみましょうか」


 頼光の言葉に、八雲は鬼のような形相をする。


 「水雉には指一本も触れさせないぞ!」


 八雲は立ち上がり、『一竿子忠綱』を構えた。鬼気迫る八雲を、歯牙にもかけない様子でヨーコが前に出る。その行く手を阻むよう友恵が立ちはだかる。


 「これはチャンスなので、〝六師外道〟の一角を殺らせてもらいます」


 『霊仙』を膨れ上がらせた。その膨張による振動が空気を介して、木々と大地を揺らす。八雲たちは、友恵の桁違いの『霊仙』に驚く。


 「……な、なんだ、アレ?」


 八雲は自分の目を疑った。友恵の全身を、赤い粘膜のようなものが覆い、それが徐々に膨らんでいく。


 「さすがは王族の護衛、『煌螺おうら』ぐらいは使えるようですね。これは楽しみです」


 頼光は口角を上げ微笑む。


 「煌螺?」と八雲は聞きなれない言葉を口にする。


 「父様から聞いたことがあるわ。上位の妖厄仙は、体内を巡る『霊仙』を体外に出現させ、攻防一体の鎧と化すと。それを『煌螺』と呼ぶって……」


 菊里も目にするのは初めてで、驚きを隠さず友恵の変化を見つめていた。

 赤い『煌螺』は膨らみ形を変えていった。

 やがて、友恵の身体の二倍ほどの『煌螺』が、ある形を模る。それは、両肩の辺りと腰のあたりから腕が生えたようになっていた。それはまるで、阿修羅の様相を呈していた。


 「〝六師外道〟が相手です。はじめっから全力でいきます!」


 友恵の『煌螺』を見た八雲と菊里は、これなら「勝てる」と確信した。

 ヨーコも、友恵の『煌螺』に触発されたのか、『霊仙』を膨張させた。空間内に膨大な質量が出現したせいで、大地が大きく揺れる。ぐんぐんと膨らんでいくヨーコの『霊仙』を目の当たりにして、八雲や菊里はおろか、赤い『煌螺』を纏った友恵ですら言葉を失う。


 「……ほ、ほら、このチャンスに〝六師外道〟の首を取るんでしょ友恵さん!」


 軽口をたたこうとした菊里の声はうわずっていた。


 「や、やりましゅわ……。当たり前にゃないですか」


 友恵は二度ほど噛んだ。


 「……もういいよ二人とも、見てるこっちが辛くなる……」


 「ああああ、何よ! やっくんだけいい格好して!」


 「そうですよ八雲殿! 偉そうに言うなら男らしく先陣をきってください!!」


 友恵の言葉に菊里もうなずく。二人に言われたからではないが、水雉を助けるためには目のバケモノを倒すしかないと腹をくくる。


 「待ってろ水雉、すぐに楽にしてやるからな!」


 八雲の横を何かが通り抜けた。


 「水雉ちゃん!?」


 菊里の声で、それが水雉だと知る。

 右手で大鎌を握り、左手で左目を押さえながら突進をする水雉を止めようと菊里が追う。


 「あのバカ!」


 八雲も遅れながら、水雉の後を追う。


 「うんうんうん、その禍々《まがまが》しい『霊仙』は、人間のものではないようだね。……ヨーコくんは、他の人たちの相手を頼むよ」


 頼光は老齢さを感じさせない動きで、水雉の前に回り込む。邪魔をするものは誰だろうと容赦しないという勢いで大鎌を振るう。それを杖で受け流す。

 全員の意識が水雉に集中していた。その間隙をつき、友恵はヨーコの背後へ回る。


 「少しでも『霊仙』を削らせてもらいます!」


 赤い『煌螺』の右手を、ヨーコの背に向け振り下ろす。その刹那、銀色に輝く『煌螺』が友恵の前に出現する。それは狐の尻尾の形をしていた。そして、ハエでも払うかのように友恵の赤い『煌螺』を落とす。軽く尻尾を振っただけのように見えたが、それを受けた友恵は、地面に激突すると十メートルも吹き飛ばされた。

 ヨーコは、さらに二つ尻尾を具現化させると、それを使い八雲と菊里を捕まえた。


 「くそ、離せ! み、水雉いいいいいいい」


 尻尾のなかで抵抗するが、びくともしなかった。


 「さて、その怪しげな『霊仙』の正体を暴きましょうか」


 鬼のような形相で振り下ろされた大鎌を、頼光はしなるようにかわすと、水雉の左目の眼帯を奪う。その瞬間、地獄の底から響く亡者の叫び声のような轟音とともに、水雉の左の眼窩がんかから赤紫色の『霊仙』が噴き出した。その勢いは、星に届くかと思うほど上空まで舞い上がると、次の瞬間、水雉の身体を覆った。あまりにも衝撃的な光景に、全員が手を止め見守る。

 やがて、水雉を覆った赤紫の『煌螺』は、翅の形をとりキラキラと輝く鱗粉を撒き散らす。それはまるで、羽化した蝶のようであった。その美しさに全員が息を飲んだ。

 赤紫の『煌螺』を纏った水雉は、三日月のように口を開き、貼り付けたような薄ら笑いを浮かべ、両の目は昏い闇のようであった。八雲の知っている水雉ではないようであった。


 「やはり、呪印と共に左目を介して所有者の〝六師外道〟の『煌螺』が溢れていたのですね。それを、この眼帯で封じていたわけですか」


 水雉から奪った眼帯と、蝶のようにひらひらと舞う水雉を交互に見つめ頼光が分析する。


 「しかし、あれだけの『煌螺』を人間が覆っては、あの小娘の命長く持たないですわえ」


 「ど、どういうことだ!」


 ヨーコの呟きに八雲は取り乱す。


 「あたいたちの膨大な『煌螺』の負荷に耐えきれず、すぐに「ぐちゃ」っと、圧死するだけ」


 興が醒めたように、捕まえていた八雲と菊里を離す。突然離されたせいで、うまく地面に着地できなかった。だが、すぐに起き上がった八雲は、水雉に駆け寄ろうとした。


 「ダメよやっくん、下手に近づいたら!」


 菊里が八雲を羽交い絞めにして止める。


 「離せ! 早く水雉を助けないと水雉が、水雉が――」


 地面をかきむしり水雉の元へ向かおうとする八雲を、菊里がなんとか引き止める。


 「道雪様をかえせえええええ」


 復活した友恵が、右の三本の腕でヨーコに殴りかかる。それをバク転でかわしたヨーコは、頼光の元に戻ると纏っていた銀色の『煌螺』を消した。すでに、戦う気を失っていた。


 「……久しぶりにヨーコくんの銀色の『煌螺』を拝めたのに、もう終わりかい?」


 「あの人たち、あたいを見ていないからつまらないわえ……」


 「うんうんうん、拗ねているヨーコくんもかわいいね」


 嬉しそうに微笑む頼光の眼前で、銀色の尻尾で地面を叩く。波打つほどの衝撃が走った。


 「……うんうんうん、ヨーコくんを茶化すのも命がけだね」


 「なにを余裕ぶってるんですか!!」


 友恵はヨーコに狙いを定め攻撃を仕掛ける。その横から、妖厄仙と化した水雉が、赤紫の『煌螺』の拳で殴りかかった。それを左腕で受けたが、その打撃力に友恵は弾き飛ばされた。


 「やめろ水雉、その人は仲間だろ!」と八雲が叫ぶ。


 しかし、今の水雉には届いていなかった。『煌螺』の鱗粉を撒き散らし、煌々と発光しながら漂う水雉は、美の女神すら嫉妬するほど美しかった。


 「正気に戻れ水雉! 水雉しっかりしろ!」


 八雲は何度も叫び続けた。その声が煩わしくなったのか、八雲めがけ襲い掛かる。


 「逃げてやっくん!」


 水雉の攻撃を、真正面から受けようとした八雲を、菊里が無理やり引っ張って避けた。


 「離してくれ菊里! 水雉を戻さないと!」


 「もう水雉ちゃんじゃない。妖厄仙なんだよやっくん」


 その言葉に、八雲は菊里を睨みつけた。だが、菊里は一歩も引かない覚悟で見つめ返す。


 「……水雉、正気に戻ってくれよ……俺の、たった一人の姉さん……」


 捨てられた子犬のような心細い声で、ひらひらと漂う水雉を見上げる。その顔には眼帯がなく、ダイヤモンドのような輝きを放っていた双眸は、今は闇のように昏く沈んでいた。


 ――く……も……――


 水雉の声を聞いたと思った。その瞬間、煌びやかな翅が一振りされた。それはまるで、台風のような勢いとなり八雲と菊里を吹き飛ばした。体を捻り着地した八雲の顔は綻んでいた。


 「今、水雉の声が聞こえた!」


 「私には何も……多分それは……」


 「いや、俺たちにはテレパシーのようなものが……。とにかく、俺は水雉の心にダイブしてみる!」


 「な、何を言ってるのやっくん、落ち着いて!」


 八雲は冷静な判断ができなくなっていると菊里は感じた。


 「信じてくれ菊里!」


 肩を掴みまっすぐに見てくる八雲の目は、正気を失っているようにはみえなかった。むしろ、確信のある力強いものであった。


 「……分かったわ。やっくんを信じる! で、私は何をしたらいい?」


 「ありがとう。俺は水雉に集中したいから、その間の護衛を頼む」


 「了解! この土地と同じく、やっくんには指一本も触れさせないよ」


 二丁拳銃を構えウインクして見せる。


 「それと友恵さん。水雉をこの辺りに釘づけてくれないか?」


 ふいに声を掛けられ、友恵は間合いを取った。


 「……何をなさるか知らないですけど……アレ相手では、長くはもたないですよ」


 「分かりました。お願いします」


 準備が整った八雲は、印を結び意識を集中する。


 「うんうんうん、何かするようですね……」


 離れたところから観戦していた頼光にも、何かするのは分かった。


 「邪魔するですかえ?」


 「…………よしておきましょう。何をするか興味深いですしね」


 頼光は愉しそうに笑う。その頼光の気まぐれのお蔭で、八雲たちは水雉に集中できた。

 八雲は今までにないほど、意識を水雉に集中させる。そのうち、意識が深い瞑想状態となる。すると、闇の中に光の軌跡を見つけた。それがまっすぐ水雉に伸びているのを確認した八雲は、「いくぞ!」と気合を入れた。

 今まで、一度も入ろうとしなかった水雉の深層心理内への侵入を試みた。


 ――八雲の目の前が、真っ暗となった。それよりもっと、深く昏い闇が広がっていた。そこは、どちらが前で、どちらが後ろか、上下左右、自分の存在すらあやふやであった。そんな中を、八雲は漂うように進む。――と感じていた。とにかく、水雉の事だけを考え想うのだと、意識を集中した。その想いのまま、感覚だけを頼りに深淵なる闇の中を進む。

 進んでいるうちに、昏い闇が自分を飲み込もうとしている。そんな恐怖に心が染まる。


 ――俺はここにいる! いるんだ!! と確認するよう大声で叫んだ。だが、その声すらも闇に飲み込まれていくようであった。恐慌状態に陥りかけた。それでも、水雉を救いたい! と繰り返し想った。それが、闇に溶け込みそうな精神をかろうじて繋ぎ止めていた。


 ――ここにきてから、一時間が経つのか? それともまだ数秒なのか? それとも、もう数年は経過しているのか? 時間の感覚もなくなりはじめた。やがて、自分が八雲という事すら分からなくなりかけた時、僅かな光と囁き声が聞こえた。そちらへ向かおうと、もがいて、もがいて、もがき続けた。


 ――やがて、小さな光の元までたどり着いた。八雲は迷わず光に飛び込んだ。

 そこに広がる光景は、父親と母親がいて、子供の頃の水雉に八雲がいる一家団欒のものだった。とても懐かしい光景だったが、なぜか、居心地の悪さを感じた。


 「水雉はお姉ちゃんだから――」


 「しょうがないわねぇ八雲は――」


 「八雲おいで!――」


 「水雉、八雲の面倒みてあげてね――」


 父親や母親に幼い頃の水雉の声が聞こえた。

 なんで、父さんや母さんは八雲ばかり可愛がるの? あたしは甘えちゃダメなの?


 ――これは、今の水雉の心の声?


 今まで触れることの出来なかった水雉の思いだった。

 それは、怒り、嫉妬、悲しみなど、どれも負の感情に溢れかえっていた。

 すぐに一家団欒の風景が消え、また深淵なる闇に覆われた。

 八雲は光を探すと、また水雉の声が触れた。


 ――八雲が憎い、憎い、あたしより父さんや母さんに愛されて……。母さんは、あたしに八雲を託して死んだ。最後まであたしより八雲のことだった……。あたしはいらない子だったの? あたしは八雲の為だけの存在なの? あたしはあたしよ!


 今まで、弟を溺愛する姉の役を水雉が演じてきた理由は、八雲に本当の気持ちを悟られぬためと、もう一つは、自分の心を偽るためであった。八雲を愛していると思い込ませることで、上手くやっていけると考えていた。だがそれは、心を闇の牢獄に閉じ込める結果となった。

 深い闇の中心で、膝に顔をうずめ呪祖のように呟く水雉の姿は朧気であった。


 ――何言ってんだ。父さんも母さんも水雉を愛していたよ。俺なんかより水雉を頼りにしていたんだ!


 負の感情に染まり塞ぎ込んでいる水雉を助け出そうと、八雲は手を伸ばす。


 ――近寄らないで!


 水雉の周りから赤紫の触手が無数現れ、八雲を絡め取る。


 ――なんだこれ? は、離せ! 水雉、水雉いいいい!


 赤紫の触手は、八雲の身体に絡みつき、水雉から引き離そうとした。それに抵抗しようと、手刀や蹴りなどを繰り出した。だが、数が多すぎた。


 ――水雉、俺の話を聞いてくれ!


 ――あたしは、もうあんたから解放されたいの! あたしは、あたしは……。


 水雉を覆っていた光は、まるで自らの存在を消すように、少しずつ小さくなっていった。それはまるで、死を望む者のような儚い輝き、いや、もう輝きとはいえないほど、小さなともしびのような虚ろいだものとなっていた。


 ――いくな水雉……行かないでくれ……。ごめん……ごめんな水雉……。


 消えゆく輝きに、八雲は涙を流す。その涙に触れた触手は、動きを止めた。


 ――あの日、母さんから水雉を守ってやってくれって言われたのに、俺はお前を守ることがでなかった。そのうえ、お前にばかり辛い思いさせてきた。……母さんを失い、さらに、お前も失おうとしている。それなのに、俺はまた何もできない……。本当にダメな弟だ。


 冷え冷えとした闇の中で、八雲の流す涙だけが、暖かく、そして輝いていた。


 ――謝って済むとは思っていないが、今の俺にできることは、お前に……母さんに……父さんに……謝ることしかできない……ごめん、本当にごめん。不甲斐ない弟で、ごめん……。


 八雲が水雉の記憶に触れたように、水雉も八雲の記憶に触れていた。そこにある父親と母親の記憶は、二人を同じぐらい愛していた。それが水雉の心に広がる。さらに、八雲の持つ父親との思い出、母親との思い出、水雉との思い出、角杙邸での思い出、すべての思い出が冷めきっていた水雉の心を暖めてくれた。消え入りそうだった水雉の光が、輝きを取り戻す。

 無数の触手は、その光を嫌がるよう徐々に姿を消していった。触手から解放された八雲だが、まだ俯き涙を流していた。その頬に暖かいものが触れた。顔を上げると、水雉の顔と手がすぐそばにあった。


 ――いつまで泣いてるの八雲……本当、あなたはあたしがいないとダメなんだから。


 水雉の目元も赤く、頬には涙の跡がくっきりと残っていたが、口元には笑みを浮かべていた。それは、今まで見たことがないほど穏やかな笑顔だった。

 八雲にとって水雉は、絶望の権化である黄色い目の妖厄仙にも果敢に挑み、決して弱音を吐かない強い女だと思っていた。だが、今回の事で、それは間違いだと気づく。そして、母親の言った言葉を思い出し、理解することが出来た。


 ――物心つく前から、あたしはあなたのお姉ちゃんをやってたものね。お姉ちゃん役が染み付いちゃったわ。


 ――かもな。……だけど、弱音や甘えたくなったらいつでも俺を頼ってくれていいんだぜ。


 八雲ははにかんだ笑顔で水雉を見返す。


 ――その上から目線は気に入らないけど、あの妖厄仙の呪祖じゅそを封じるには、あなたの力も必

要だから…………お願い……助けて……八雲。


 生まれて十六年、初めて水雉が八雲に助けを求めた。それに対して、八雲は言葉じゃなく、満面の笑顔で答えた。今度は、水雉がはにかんで視線を逸らした。


 「そろそろ限界ですが、まだですか!?」


 現実世界では、見渡せる範囲の木がすべて倒れるほど、激しい戦いが繰り広げられていた。友恵と水雉の戦いは、互角のように見えていたが、殺す気で戦っている水雉に対して、どうしても手加減をしてしまう友恵とでは勝敗は見えていた。


 「まだ、やっくんがもどってこない……」


 意識のない八雲を介抱する菊里の顔は不安に染まり、今にも泣きだしそうになっていた。

 苦虫をつぶしたような表情を浮かべる友恵の顔面に、水雉の拳がヒットする。地面を抉るよう吹き飛ばされる。すぐに起き上がることができないほどのダメージを受けていた。


 「うんうんうん、失敗に終わったようだね……期待していたのだけど、ガッカリだ」


 肩をすくめ立ち去ろうとした頼光の背後から、神々しいまでの発光がおきる。それは、水雉の体から発していた。まるで、真昼のような光が、荒れ果てた山林を浮き彫りにした。


 「……何事かね!?」


 常に冷静沈着であった頼光が、この異変には驚きの声を上げる。頼光だけじゃなく、ここにいる全員が水雉の異変に注目していた。


 「……う、ううん……」


 「や、やっくん!?」


 意識が戻った八雲を見て、菊里は喜色を浮かべる。意識がまだ混濁こんだくしている八雲は、思うように身体を動かすことができずにいた。そんな八雲に、菊里が手を差し伸べる。その手を借り、八雲は起き上がった。そして、よろめきながら発光する水雉の元へと歩いていく。


 「……危ないよ、やっくん」


 心配そうに呼びかける菊里に、八雲は手を振って大丈夫だと応えた。

 歩みを進める八雲の先に、発光体と化した水雉が横たわるように宙に浮いていた。溢れていた光は、やがて点滅を繰り返しはじめた。その光が苦手なのか、赤紫の『煌螺』が小刻みに震える。まるで、光の点滅が赤紫の『煌螺』を押さえようとしているようだった。赤紫の『煌螺』も、それに抗うよう形を変え暴れ出した。

 光と赤紫の『煌螺』の攻防が行われている中、歩みを進めていた八雲の手が水雉の手に触れた。その手を掴むと、力強く引き寄せた。横たわるように浮いていた水雉が、八雲の腰の位置まで降りてきた。そこで八雲は、右手で水雉の左手を握り、左手を『煌螺』の溢れる左の眼窩がんかに当てようとした。それを阻むように、『煌螺』が勢いよく吹き出すと、八雲の左手を押し返した。それでも八雲は、歯を食いしばり『煌螺』を押さえこもうとした。

 均衡する二つの力。そこに、水雉が右手を八雲の左手の上に重ねた。二人の視線が合うと、微笑みあう。すると、水雉の体から発する光が、影すら消し去る程の輝きを放った。

 水雉の口がわずかに動くと、『煌螺』を抑えはじめた。二人の気持ちが一つになり、赤紫の『煌螺』を凌駕りょうがしたのだった。重なった八雲と水雉の手が、徐々に左の眼窩に近づく。

 そしてついに、赤紫の『煌螺』を抑え込むことに成功した。すかさず、封じの呪文を八雲が唱えた。それでも、赤紫の『煌螺』はあがきをみせた。翅を鋭い錐状に変化させると、八雲の背後から襲い掛かった。静寂な山林に銃声が響く。

 赤紫の『煌螺』の破片が舞う。


 「やっくんと水雉ちゃんは、私が守る!」


 水雉の眼窩から溢れる『煌螺』の触手を、菊里の銃が次々と吹き飛ばし八雲と水雉を護る。

 八雲は、菊里に笑顔を向け頷く。菊里もまた笑顔で返す。これで、後顧の憂いがなくなった八雲は、水雉とともに『煌螺』を封じることに集中した。

 呪文を唱えて間もなく、徐々に効果が現れだした。宙に浮いていた水雉の体が、地面近くまで降りてきた。それに比例するよう、激しく抵抗していた『煌螺』の触手も弱まっていった。

 そしてついに、水雉の体から赤紫の『煌螺』が消えた。だが、八雲と水雉は呪文を唱えるのを止めなかった。あくまでも、呪文の効果で『煌螺』を押さえこんでいるだけで、解決には至っていないのだ。しかも、水雉の体は熱く息づかいも荒かった。


 「……水雉ちゃん大丈夫かな、やっくん?」


 心配そうに菊里が覗き込む。


 「……が……がん、たい……」


 水雉が絞り出すように言う。


 「がんたい? ――あ! あの眼帯を取り返せばいいんだね、分かった!」


 水雉の眼帯は、頼光が持っていた。それを取り返すべく頼光に銃口を向けた。その菊里の額に、ペシッ、と白い物体が当たる。


 「素晴らしい姉弟愛をみせてもらいました。うんうんうん、これはそのお礼です」


 頼光の言葉に、菊里は投げ返そうとしたものが眼帯だと知る。それを八雲に渡すと、素早く水雉の左目にかけた。


 「ふ~~~~、これで一安心だ」


 八雲は地面にへたり込み、大きく息を吐いた。


 「……ありがとう、八雲、菊里ちゃん」


 荒い息遣いで、二人に感謝の言葉を述べる。その水雉の額を、八雲は軽く指で弾く。


 「お前、このことを知っていて、それで、らしくもなくセンチメンタルになっていたのか」


 「らしくないは、失礼ね」


 胡坐をかく八雲の膝を力なく叩く。その弱弱しい手を八雲は握った。


 「今度は俺がお前を守る。それが母さんの願いでもあったからな」


 「その上から目線、気に入らないけど……」


 「わたしもいるよやっくん」


 八雲の手に、菊里も手を添えた。


 「……ああ、そうだな。そういうことで、俺たちでお前らをぶっ倒し、道雪を取り戻す!」


 『一竿子忠綱』の切っ先を頼光たちに向け、高らかに宣戦布告する。


 「うんうんうん、本当に分かっているのですか? あなたたちが助けようとしているのは、人類を滅ぼすかもしれない存在なのですよ」


 「ウワサやかもしれないで、友達を見捨てれるか! 道雪の口から本当の事を聞くまでは、友達を信じて進むだけだ! 分かったかこの野郎!」


 「うんうんうん、若い頃はそれぐらいまっすぐじゃないとですね。さて、あなたたちの茶番に付き合ったんですから、あっけなくヨーコくんに殺されないで下さいよ」


 頼光は、杖で地面を二度叩いた。それを合図に、ヨーコは銀色に輝く九つの尻尾を出現させた。その途端、爆発的な空気の膨張により、全身を突き抜けるような爆風が、八雲たちを襲った。その衝撃にかろうじて耐えることはできたが、銀色の輝きを全身から放つヨーコの圧倒的な『煌螺』の前に、生唾を飲み込む。


 「……ねぇ、やっくん……何か、作戦はあるの?」


 「作戦って……あるといえば、そうだな……全員死ぬ気でいけ! ぐらいかな」


 「ちょっ!? 何、その作戦!?」


 これでもかといわんばかりに目を見開き驚いてみせる。


 「……じゃあ、聞くけど、アリが象に勝つ作戦って、考えつくのかよ!?」


 「……そ、それは……」


 アリとは八雲と菊里のことを指し、象はヨーコのことであった。

 そもそも、八雲と菊里は頭を使う戦闘より、直感的に動き戦うタイプであった。


 「当たって砕けろ精神だね!」


 菊里は、ペロリと舌を出し親指を立ててみせた。それにつられ、八雲も笑顔を浮かべ親指を立てたが、無理に笑おうとしたので引きつったものとなっていた。


 「……キモいよやっくん」


 「いや、お前の顔も十分変だったぞ!」


 「女の子の顔を変だなんて、ヒドい! 傷ついたああああ!!」


 菊里が頬を膨らませ怒ってみせると、二人は同時に笑い出した。そんな二人の様子を見て、気が触れたのかと思い頼光とヨーコは肩をすくめた。

 八雲と菊里はひとしきり笑うと、吹っ切れたような表情を浮かべていた。二人は、出会って一か月ほどしか経っていないのだが、その間に、何度も死線を乗り越えてきた。それが、八雲と菊里と水雉の絆を深く結ばせた。だからこそ、そんな仲間となら一緒に死んでもいいかと思えるようになっていた。もう、八雲と菊里に迷いや躊躇いの心は微塵もなかった。


 「よっしゃあああああ! 出し惜しみなしでいくぞ菊里!」


 先陣を切ったのは八雲であった。


 「オッケー、いこうやっくん!」


 菊里は両手の拳銃にキスをすると、八雲の背中を追いかけた。

 その背中を見つめながら、今まで一人で背負ってきた重荷を取り除いてくれた八雲と水雉に、心の底から感謝していた。そして、それに報いるため引き金を引いた。

 菊里の思いの込もった『霊弾』を、ヨーコは避けることなく正面から受けた。その行為を訝しく思ったが、次の光景を見て愕然とする。ヨーコの身体に弾が突き刺さるが、すべて『煌螺』によって吸収された。それに驚く八雲と菊里だが、「今さら!」と良い意味で開き直っていた。次々と聞こえる銃声に、八雲は気持ちを高めながらヨーコに近づく。あと三メートルというところで、八雲は『稲妻』を使った。一瞬でヨーコの懐に入る。その瞬間、八雲はヨーコと目が合い戦慄する。何か仕掛けてくると思われたが、ヨーコは無防備に立ち尽くしていた。おそらく、太刀を受けても平気だと思っているのだろう。傲慢な思いごとヨーコを斬り伏せようと、渾身の『刹那』を放った。重い手ごたえに、ヨーコの着物の破片が闇夜を舞う。


 「よしッ!」と八雲は小さく喜んだ。


 そして、顔を上げた瞬間、目を疑った。ヨーコの体はもちろん、衣服にすら傷一つついていないのだ。八雲は、愛刀を握る手の感触を確かめた。間違いなく、斬った手応えは残っていた。


 「どうしたかえ? 止まっていたらプチッと潰すぞえ」


 ヨーコは九つある尻尾の一つを地面に叩きつけ脅してみせた。


 「……余裕ぶっこいてると、痛い目に合わすぞゴラアアアアアア!」


 まるで人格が変わったのように、菊里はドスを効かせた声で叫ぶと、『稲妻』を使ってヨーコとの間合いを詰める。これも、ヨーコは容易に懐に入らせた。それを計算してか、菊里は躊躇うことなくヨーコの顔の前に銃口を向けると気を高めた。


 「――菊里おまッ!?」


 今まで見たことがないほど、菊里の『霊弾』が膨れ上がっていく。八雲は転がるように逃げ出した。このままでは菊里の暴走に巻き込まれ、八雲も無事では済まなかった。それほどの威力を蓄える。八雲は姿勢を低くし、木々を縫うよう急いで退避する。


 「砕け散れえええええええ!!」


 大人一人を軽く飲み込みそうなほどの、巨大な『霊弾』がヨーコの顔面に直撃する。

 昼間のような閃光が山間を駆け抜けるとすぐに、内臓を揺さぶる轟音と衝撃波が一気に押し寄せた。さらに、高温の風が八雲の背中を蹂躙する。


 「――あいつ、無茶しやがって!」


 地面に伏せながら毒づく。

 危なく焼け死ぬところだったのだから、八雲の気持ちもわからなくもなかった。

 巨大な『霊弾』の衝撃が収まったころ、八雲は眉をしかめつつ爆心地を見た。そこはまるで、迫撃砲でも撃ち込まれたかのような大きな穴が空いていた。朦々と煙が立ち込め、辺りに点々と火種がくすぶる。その爆心地の中心でへたり込む菊里は、二丁拳銃を持った手を重そうにだらりとたらしていた。


 「……ど……どうよ、やっくん」


 菊里は体全体で息をするほど喘ぎながらも、手応えを感じていた。そして、得意げな表情を浮かべ小さくガッツポーズをしてみせた。その背後に立つヨーコの姿があった。


 「菊里いいいいいいい!」


 八雲は、爆煙を掻き分けヨーコに向かっていく。その中で気を高める。

 慌てふためき走る八雲に、嫌な予感を覚えた菊里がゆっくりと振り向くと、そびえるようにヨーコが立っていた。あれだけの『霊弾』を放ったにもかかわらず、無傷で立つヨーコに戦慄が走る。そんな菊里を奮い立たせるように、『鬼哭』がヨーコに当たる。さらに近づいた八雲が、連続して『刹那』を放った。苛烈を極める八雲の攻撃に勇気をもらった菊里は、疲労困憊の体を奮い立たせ銃を構えると、空っぽになる覚悟で『霊弾』を撃つ。夜空に届くほどの銃声と斬撃の音が、荒れ果てた山間に響き渡る。

 いつ止むと分らなかった轟音も、やがて残響となって鳴り止んだ。

 硝煙と砂埃のなか、激しく息を切らす八雲と菊里の姿が現れた。二人は、立っているのがやっとといった態であったが、口元には笑みを湛えていた。


 「……多少は、こたえたでしょ……」


 「余裕ぶっこいてたこと、後悔しろ!」


 倒すまではいっていないまでも、かなりのダメージは与えていると確信する。傷つき悔しがるヨーコの姿を楽しみにしていた。だが、その期待は、儚いほど脆く崩れ去った。

 二人の渾身の攻撃を正面から受けたにもかかわらず、ヨーコの服はもちろん髪の毛一つ乱れていなかった。


 「……勘弁してくれよ……な……」


 予想はしていても、現実にその力の差を見せつけられた八雲と菊里は、まるで泳いでも泳いでも水平線しか見えない大海原を泳ぐような徒労感と絶望を味わう。


 「いえ、まったく効いていないわけではないです」


 深淵に飲み込まれそうになっていた八雲と菊里の心を、友恵の声が引き上げた。


 「それなりにダメージは受けていますが、あいつも、自分の『煌螺』が巨大過ぎて気づいていないだけなんです」


 赤い『煌螺』を纏った友恵が、八雲と菊里のそばに立ち、手を差し出した


 「あなたたちの武器を出してください」


 二人は顔を見合わせた。友恵が何を企んでいるか分からなかったが、信用して武器を出した。それに友恵が触ると、刀と銃に赤い『煌螺』が流れ込む。


 「こ、これは?」


 「『煌螺』は、人間には毒ですが、調伏師の武器には強化となるのです」


 その言葉を裏付けるように、八雲の『一竿子忠綱』と、菊里の『千早』と『千鳥』から、力を感じた。


 「すごい! これなら、互角に戦える気がする」


 「確かに……だけど、俺たちに力を分け与えて大丈夫?」


 「あなたたちが戦っている間、回復に専念していたので、その御裾分けです」


 八雲と菊里は微笑を浮かべ、「ありがたく頂くよ」と素直に受け取った。


 「うんうんうん、多少は、面白くなりそうですかヨーコくん?」


 「雑魚は雑魚でしかねえですわえ」


 ヨーコは、たいして興味もなさそうに吐き捨てる。

 八雲たちは、新たに戦闘態勢に入る。


 「正面は私が行きます。お二人は、後方からお願いします」


 友恵の指示に従い、八雲と菊里は散開する。

 ヨーコは、八雲たちの動きを黙って見守っていた。

 八雲と菊里が配置につくのを確認した友恵は、「では、いきます!」と先陣を切った。

 ヨーコとの間合いを一気に詰めた友恵は、六本ある腕を駆使して殴りかかった。それを、ヨーコは三つ尻尾だけで防ぐ。友恵とヨーコの戦いによって起きた風は、やがて小さな台風ほどとなり、常人を近づけないほどの攻防を展開した。そんな戦いの渦中に、八雲と菊里は飛び込んでいった。荒れ狂う風に押されながらも、八雲と菊里はヨーコの背後から渾身の一撃を何度も繰り出す。今までのヨーコなら、好きに攻撃させていたが、今回は尻尾を振り向け防ぐ。明らかに、赤い『煌螺』を纏った武器の攻撃を嫌がっているのが分かった。

 手応えを感じた八雲たちは、軋む体にムチを打ちながら攻撃を続けた。

 倒れている大木を巻き上げるほどの風を起こす戦いは、互角の展開を見せていたが、菊里の機転で均衡していた戦いが一転した。

 八雲と戦う一本の尻尾に、『千早』の銃口を向け放った。それを受けた尻尾は、僅かに怯む。その隙を逃さず、八雲が『刹那』を走らせた。

 ぼとり、と尻尾が落ち、ヨーコはバランスを崩す。そこを、友恵の六本の腕が襲い掛かる。ありったけの力を込めた拳を、ヨーコに叩き込んだ。よけることも、受けることもできなかったヨーコは、すべてをその体に受けた。地面を抉りながら吹っ飛ばされていき、十メートルほど飛ばされたところでようやく止まると、そのまま動かなかった。


 「ナイス菊里!」


 「これが高鉾姉弟の戦いでしょ! 私だって、一緒に戦ってきたんだからね」


 菊里がウインクしてみせる。


 「うんうんうん、ヨーコくんが吹き飛ばされるのを、初めてみましたよ。うんうんうん、監視カメラの録画は、永久保存ですね」


 頼光は笑みを浮かべていた。仲間が窮地だというのに、軽口をたたく頼光の態度を八雲は許せなく思う。それに、水雉をあんな目に合わせた原因を作ったのは誰でもない、目の前で薄ら笑いを浮かべる頼光である。それなのに、未だ飄々と傍観者気取りでいる。


 「――てめぇだけは、俺の手でやる!」


 八雲の咆哮が夜空に響き渡る。そして、八雲は『一竿子忠綱』を強く握ると、『稲妻』を使い頼光との間合いを詰めた。あっけなくほど簡単に、頼光の懐に入れた。冷静であれば、そのことに警戒を強めたはずだが、怒りで我を忘れた八雲は、そのまま『刹那』を放とうとした。鞘から刃が覗いたところで、銀色の尻尾が八雲の体に巻き付き動きを封じた。降って湧いたように現れたヨーコの服には、少しの汚れが付着しているだけで、無傷でそこに立っていた。友恵と菊里は、八雲を助けようとそれぞれで動いた。それに対してヨーコは、菊里には尻尾で撃退し、友恵には八雲を投げつけた。さすがに判断に迷う。八雲を受け止めるか、よけるべきか。その迷いをヨーコは見逃さなかった。すかさず、三つの尻尾を駆使して袋叩きにした。

 まさに、あっという間であった。形勢は一気に逆転され、八雲と友恵は尻尾に捕えられた。


 「……おまえさん、録画を残したら、内臓を引きずり出して殺しますわえ」


 頼光も尻尾で締め上げる。


 「うんうんうん、めったに見れないものを……もったいない……」


 さらに締め上げた。さすがの頼光もビデオを諦めるしかなかった。


 「やっくんたちを離せええええ!」


 菊里は倒れたまま銃を撃つ。それを尻尾で防ぐと、そのまま振り下ろした。轟音とともに尻尾が地面にめり込む。その下敷きとなった菊里の周りは、吐血によって赤く染まっていた。さらに尻尾を振り下ろす。その激しさで菊里の身体がはねるほどであった。


 「やめろおお、てめえええ!」


 尻尾の中で八雲が暴れる。だが、ビクともしなかった。友恵も抗うが、八雲と同じく抜け出すことはできなかった。暴れる八雲と友恵が煩わしくなったのか、二人を地面に叩きつけた。全身の骨がバラバラになったような衝撃で、二人はかろうじて意識を保てている状態であった。


 「やれやれやれ、このヨーコくんにやられるとは不甲斐ない……ん?」


 屋敷の方から爆音が轟く。そちらに顔を動かした頼光の横を、赤い閃光が走り抜けた。それは、まっすぐヨーコにぶつかる。空気を一気に押し出すような爆発音が響く。

 不意を突かれたヨーコだったが、かろうじて尻尾一本で体当たりを受けていた。しかし、無機質無表情の顔に苦痛を浮かべていた。


 「よくもよくもよくもおおおおお」


 真紅の『煌螺』を纏った道雪が、怒りの形相を浮かべ殴りかかる。少女のような外見とは裏腹に、その一撃は銀色に輝く『煌螺』の尻尾を削るほどであった。


 「……うんうんうん、さすがは『まほろば』の王子といったところですかね。……ですが、そんな攻撃、いつまで続きますか?」


 頼光は、ヨーコと道雪の壮絶な戦いを悠然と見守っていた。

 ヨーコを圧倒する道雪の攻撃は、銀色の尻尾を次々と撃破していく。このまま押し切れるかと思われたが、頼光の予言通り、道雪の攻撃に勢いがなくなり、息が上がっている状態となっていた。そう、道雪の力の源は、その怒りであった。だがそれは、諸刃の剣でもあった。感情のまま暴走しているせいで、体力の消耗は激しかった。

 ヨーコは、獲物の動きが止まるその一瞬を虎視眈々と窺っていた。

 怒涛のような攻撃を繰り出すさなか、道雪は地面から這い上がる友恵の姿を見とめ、そちらに気を取られる。その僅かな隙をヨーコは見逃さなかった。這うような低い位置から、道雪の顎を尻尾で打ちぬいた。一撃で、道雪の意識を飛ばす。勝負は決したが、それでは気が収まらないのか、意識のない道雪を殴った。その攻撃は苛烈を極め、道雪の体を一度も地面に落とすことなく殴り続けた。


 「――道雪さまああああ」


 友恵の悲鳴が響く。それはとても、胸を締め付けるもであった。這いながらも助けに向かう友恵の前で、道雪は雑巾のようにボロボロになっていく。しばらく殴り気が晴れたのか、ヨーコの攻撃が止まる。体が浮いていた道雪は、頭から地面に落ちた。なんとか道雪の元にたどり着いた友恵は息を飲んだ。道雪の姿は、肉が裂け骨が折れ全身血まみれ状態となっていた。その姿に嗚咽を漏らしながら、そっと抱きしめた。その時、道雪の息が微かに聞こえ、少し安堵する。それを見下していたヨーコだが、突然膝をついた。その顔には薄っすらと汗を滲ませ、呼吸も荒く、九つあった尻尾が四つまで減らされていた。


 「まさか、ここまでヨーコくんを追い詰めるとは……」


 頼光は感心したように、ボロボロの道雪を見る。


 「さて、フィナーレといこうかヨーコくん。全員に引導を渡してあげなさい」


 荒い息遣いのまま立ち上がると、残った四つの尻尾を振りかぶった。

 暗がりが広がる山間に、銀色の輝きが飛散し辺りを照らした。バランスを崩したヨーコだがすぐに立て直す。そして、残り三本となった尻尾を見つめた視線を、流すように動かす。


 「あなたが九尾の狐の〝六師外道〟ね。……思った以上にダメージを受けていてくれてよかったわ。饕餮どうてつの記憶通りだったら、勝てる気がしなかったもの。だけど、今のあなたならなんとかなりそうね」


 大鎌を左手で持ち、月光を受けて輝く黒髪に、均整の取れた美しい体を覆うボロボロの洋服ですら華麗に着こなし、月の光よりも燦然と輝く右の瞳と、左目には薄汚れた眼帯を付け、その隙間から赤紫の『煌螺』が炎のように溢れていた。月を背に立つ水雉の姿は、まるで古の戦乙女のような神々しさがあった。


 「うんうんうん、一度〝六師外道〟の『煌螺』を体内に宿しただけで、はたして自分の物にできているのかな?」


 神々しまでの水雉と銀色に輝く『煌螺』を纏ったヨーコとを見比べる。その視線を感じたヨーコは、「なにかえ」という顔で頼光を見返す。それを、微笑を浮かべて首を横に振ると、どちらが勝つか、興味深く見守る頼光であった。

 静寂が漂うなか、水雉が動いた。月光を大鎌で弾くように構える。それに対して、今までは無構えだったヨーコが四つん這いとなり迎撃態勢を取った。それは、はじめてヨーコが本気になったということであった。

 しばらく睨み合っていた二人だが、先に動いたのは水雉だった。大鎌を縦横無尽に振り回し、勢いをつけ斬り込む。ヨーコは尻尾で大鎌を弾くと、別の尻尾で反撃に出た。水雉は素早く大鎌を持ち替えると、尻尾を弾き返した。その反動を利用して柄の部分で突く。それをヨーコは二本の尻尾で受けた。防がれはしたが、そのまま大鎌の柄で尻尾を下に押し込む。その勢いを利用して刃の部分をヨーコの頭上から振り下ろす。二本の尻尾を封じられた形となったヨーコは、残った尻尾で大鎌の軌道を逸らす。バランスを崩した水雉が地面を転がる。しかしそれは作戦で、ヨーコの背後に回ろうとしていた。ヨーコの方も、わざと隙をつくり水雉を誘い込んだ。二人の思惑が、意外な形となって現れる。立ち上がった水雉の背後にヨーコが、ヨーコの背後に水雉が来るといった背中合わせの態勢となった。それでも、二人は慌てる事なく、まるでお互いが見えているかのように動いた。水雉は、右手に持つ大鎌で後ろのヨーコを薙ぎ払うよう斬りつけ、ヨーコも右側の尻尾で水雉を薙ぎ払うよう振う。その攻撃をお互い左手で受けた。まるで、鏡写しのように二人は動いていた。だが、使える得物の数はヨーコの方が勝っていた。すかさず、二本の尻尾で水雉に攻撃を仕掛けた。それをかわすため、ヨーコを中心に円を描くよう側転する。そして、ヨーコの前に出た水雉は大鎌を高々と上げた。


 「今よ!」


 ヨーコの背後から、八雲と菊里と友恵が襲い掛かる。四人の攻撃に同時に対応するには、ヨーコは尻尾を失い過ぎていた。優先順位に迷った結果、全員から攻撃を受けた。


 「勝った!」と思った瞬間、内臓を揺さぶるような重い衝撃波が全員を襲った。それは、山間に残っていた木々を根こそぎすべて吹き飛ばすほどであった。その衝撃に耐える力はなく、全員が地面に激突する。全身の骨が粉砕されたような痛みだが、一体何が起きたのか確認しようと顔を上げる。そこには、『煌螺』の尻尾を二本に減し、美しい黒髪も乱れ、片膝をつき疲労困憊のヨーコの姿があった。


 「うんうんうん、尻尾を瞬間的に膨張させ爆発させるヨーコくんの捨て身の技を受けても、まだ立ち上がるとは……いよいよ私の出番かな」


 今まで傍観者を気取っていた頼光が、シルクハットの帽子を脱ぎヨーコの傍に立つ。


 「――千条縛陣」


 濡れたように輝く無数の糸が、ヨーコと頼光を幾重にも絡み縛った。


 「今ごろ来たの、加夜先生!?」


 水雉の呆れた声を、その豊満な胸で弾ませ、真っ赤な唇を三日月型に開いて微笑む。


 「ッンフ~ン、タイミングを計っていたのよ。さあ、八雲くんたち行きなさい!!」


 指揮官気取りで指示を出す。呆れるほど太々しい態度をとる奈留美に、文句の一つや二つは言ってやりたい気分だったが、このチャンスを逃すわけにはいかなかった。


 「八雲、菊里ちゃん、『あれ』をやるわよ!」


 水雉の『あれ』で理解した八雲と菊里は、それぞれ印を結び呼吸を整える。


 「こんな糸で、わらわが……」


 ヨーコが、『霊仙』を膨張させ糸を斬ろうとした。その力で糸が悲鳴のような軋みを上げる。


 「――逃がさないですよ!!」


 立ち上がった友恵が、奈留美の糸を掴み、自らの『煌螺』を糸に流した。見る間に糸全体へと行き渡り頼光たちを包んだ。先ほどまで鳴っていた軋む音が止む

 奈留美の糸が友恵の協力で強固なものとなり、頼光たちの動きを完全に封じたころ、印を結んでいた八雲たちの体にも変化が現れていた。髪の毛が逆立ち、目の色が深い紅となり、肌も赤黒く変色する。それに合わせるよう体格も膨張していた。身体の変化が終わりを迎えたころには、まるで、仏教の守護者にして魔を滅するといわれる――

 〝不動明王〟のような姿になっていた。


 その奥義の名は――『逢魔おうま』――


 八雲と菊里は変化を終えていたが、水雉はまだ、髪の毛が逆立っているだけだった。

 この奥義は、『霊験』を活性化させ、それを毛細血管に至るまで巡らせなければならないのだが、水雉の体内に残る『煌螺』が邪魔をして、『霊験』を上手く体内で巡らすことができなかった。焦れば焦るほど、『霊験』の操作がうまくできなかった。

 諦めかけた時、両肩に温もりを感じた。振り向くと、八雲と菊里が水雉の肩に手を置き、『霊験』の巡りをサポートとしようとしていた。二人の優しさとその手の温もりに心を落ち着かせた水雉は、二人の協力で『霊験』のコントロールに成功した。そこから、一気に不動明王へと変化を果たす。変化の終えた三人は、八雲を起点に二等辺三角形の形の位置についた。そこで、水雉と菊里はさらに気を高めようと大地を踏みしめた。その膨大なエネルギーの影響で、大地に亀裂が走る。充分気が溜まった所で、『鬼哭』を八雲に向け放った。二つの『鬼哭』は、その膨大なエネルギーは大地を抉るほどであった。

 大地を抉りながら進む二つの『鬼哭』は、徐々に近づき螺旋のように絡みながら合わさっていった。それは、巨大な『鬼哭』となって八雲の横を通過する。


 「『刹那』!」


 八雲の放った渾身の『刹那』が、水雉と菊里の思いを乗せた『鬼哭』と合わさる。

 その一瞬、超新星のような輝きを放った。


 『逢魔が三蓮華さんれんげ』!


 エネルギーの塊である『逢魔が三蓮華さんれんげ』は、爆発的に空気を燃焼させながら、頼光とヨーコを飲み込んだ。


 「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 頼光とヨーコの雄叫びが大地を震わせた。八雲と水雉と菊里は『霊験』を使い切り姿は戻っていた。道雪を抱える友恵に、糸を握りしめる奈留美。全員が『逢魔が三蓮華』の光を見つめ勝利を祈った。全員がすべてを出し切っていた。これで倒せなければ、八雲たちは明日を迎えることはできないだろう。三人はもう、『霊験』を使い切り指を動かす力も残っていなかった。

 燃えるように輝く『逢魔が三蓮華さんれんげ』の中で、頼光とヨーコの服や肉が蒸発する。それでも、二人の眼光は衰えていなかった。むしろ、より輝きを増したように感じられた。光のなかで必死に抵抗を示す二人の迫力に、八雲たちはたじろいだが、しっかりと行方を見つめる。

 一秒が一時間にも思われた中、八雲たちの祈りを嘲笑うかのように、『逢魔が三蓮華』の中から銀色の『煌螺』を纏った華奢だが美しいヨーコの右腕が現れた。

 その光景に凍てつくような戦慄を覚えた。


 「いけえええええええええええええええええええええええええ!!」


 三人は、ありったけの思いを込め叫ぶ。それに続くよう友恵も奈留美も叫んだ。その思いが、『逢魔が三蓮華』に再び力を与えたのか、輝きが増した。


 「――わ、わたしたちが、こんな、こんなやつらにいいいいい」


 頼光の最後の言葉とヨーコの右腕を飲み込み、この日最大の爆発が山全体を襲った。

 その光は真昼より明るく輝き、振動は大規模地震に匹敵するほど激しいものであった。



 ――大地の揺れが収まる。戦場だった大地に静寂が訪れた。爆心地には、隕石でも落ちたのではないかとおもわせるほどの巨大なクレーターができていた。


 「…………ゾっとするような威力ね」


 奈留美は、クレーターの中心に向かって歩きながら、その大さと深さに改めて、『逢魔が三蓮華』の破壊力に感嘆する。

 静けさが戻った大地に仰向けで寝っ転がりながら、満天の星空を仰ぐ八雲と水雉と菊里は、息も絶え絶えな状態ながら、晴れ晴れとした表情を浮かべていた。


 「……なぁ、俺たち勝ったのかな?」


 絶対に勝てないと思っていた銀色に輝く『煌螺』を纏ったヨーコを倒した、という実感の湧かない八雲はポツリと呟いた。


 「勝ったんじゃないかな? 勝ってくれなきゃ私たち、もう動けないよ……」


 幼さを引き立てていた菊里のお団子ヘアーも右側のお団子が解け、全身が汗と泥と煤だらけになっていた。


 「その時は、お色気先生と腐れ女に任せるしかないわね……不本意だけど……」


 水雉も菊里に負けないほど汗と泥と煤だらけとなり、陶磁器のような白い肌は生傷でボロボロになっていた。それでも右の瞳には、明けの明星を埋め込んだように輝いていた。


 「みんなぁ~、あの人たちの痕跡こんせきは、完全になくなっていたわよ~。私たちの大勝利ねぇ!」


 呑気な声を出し手を振りながら奈留美が戻ってきた。


 「最後の最後に現れただけで、何がわたくしたちよ! どれだけ面の皮と化粧が厚いの!?」


 「ッンフ~ン、わたくしがあいつらの動きを止めていたから、あんな大技が当たったんじゃないのん。そうじゃないきゃ~ねぇ~……」


 あんな大技当たるわけない、と言いたそうな目で見る。それが分かるだけに、水雉と菊里は余計に腹立たしかった。


 「色ボケし過ぎて、お花畑でも見えているようね」


 「回復したら、絶対にあんたを調伏してやるからあああ!!」


 身体が動かせない状態にもかかわらず、水雉と菊里の毒舌は健在であった。


 「……お前ら元気だなぁ。『逢魔』を使ったら、最低でも一日は身動きできないのに……」


 「そうなのん!? ッンフ~ン、じゃ、八雲くんの唇を頂こうか知らん」


 奈留美は八雲にまたがりキス顔で迫った。


 「まてまてまてえええええええ!」


 水雉と菊里が、抗議の雄叫びを上げる。

 そんな八雲たちの傍らに、沈痛な面持ちで意識を失ったままの道雪を膝に抱えた友恵が座る。


 「――八雲殿、水雉殿、菊里殿……御三方には私たちのせいでこのような事態に巻き込んでしまい申し訳ございません……そして、道雪さまを救っていただき感謝の言葉もありません」


 頭を深々と下げる。いつもと雰囲気の違う友恵に、なんて声をかけるべきか迷う。


 「……それで、王子のことですが――」


 「いいよ友恵さん……道雪の口からちゃんと事情を聞きたいから……待つよ」


 友恵はしばらく頭を上げなかった。友恵が何を考え沈黙しているのか表情から読めず、頭を上げるのを待った。


 「――わかりました」


 友恵は感情を押し殺すように無表情だった。そして、まっすぐ八雲の目を見てから、もう一度頭を下げた。


 「もういいよ」と照れくさそうに笑う。


 その頬に、奈留美がキスをする。


 「ッンフ~ン、今はこれで、我慢しておくわん」


 奈留美のキスに、水雉と菊里は顔を真っ赤にして抗議する。それを無視して、奈留美は立ち上がった。そして、クレーターの方を見て感嘆の溜息をもらす。


 「……本当に、あの〝六師外道〟の一角を落としたのねぇ、あなたたち……」


 奈留美の言葉に、水雉は同じことを思う。師匠から聞いた〝六師外道〟とは、神に匹敵する存在であった。そんなものと戦う事に絶望しか描けなかった。それが、力を合わせれば勝てると分かり、希望が見えた気分だった。


 「…………ところで、その、加夜先生に、お願いしたい事が……」


 歯に物が挟まったような、もったいぶった言い方をする八雲に、友恵と奈留美は、「なんでも言って」と飛びつくように近づく。


 「……いや、俺たち動けないんで、家まで連れて帰ってくれないかな……」


 苦虫を頬張ったような笑顔を浮かべ囁くように告白する。



 ――満天だった星空も、今は僅かに輝くだけとなっていた。白々としてきた空のなか、友恵が八雲と道雪を担ぎ、奈留美が水雉と菊里を担いで移動していた。


 「あ~ん、なんでわたくしが、こんな小便臭いガキを運ばなくちゃいけないのかしらん。これって悲劇!」


 空が白々しくなるまで時間がかかったのには理由があった。それは、奈留美が八雲を運ぶと剥きになっていたせいだった。


 「しかたないでしょ! あんた、やっくんだと一人しか運べないんだから、友恵さんだって三人は無理なんだから!!」


 「うるさいわねぇ、ここで捨てて帰ろうかしら?」


 「やってみなさいよ! あとで絶対に調伏してやるから覚悟してなさい!」


 菊里と奈留美の喧騒は、夢の世界にいる人たちを殴り起こすほど響き渡る。

 そんなやり取りを帰りの道中ずっと行い、世間に迷惑をかけながらも、どうにか無事角杙邸に帰り着いた。友恵は気を失ったままの道雪を連れて帰っていった。

 角杙邸に戻ってこれたが、八雲たちは動けない状態であった。これでは、日常生活に支障をきたしてしまう。そこで、八雲が提案した。奈留美に看病してもらうことを。だが、水雉と菊里は猛烈に反対した。そこを、八雲が懇々と説得し、ようやく納得してくれたのだった。その代り、奈留美が八雲に変なことしないよう見張るため、全員が居間で寝食を共にするという条件付きであった。それに関しては、八雲も不安があったので、満場一致でその意見は採用された。

 それを、奈留美は意外にも快諾した。


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