36. 水
お久しぶりです!
長とユーマがゴート(震える場所)での話し合いで提案したこと。
それは、温かい水をたくさん呼び、ためて、浸かる、というものだった。
「あのう……」
話し合いの場にいた者からの純粋な疑問。
「何のために、でしょうか」
長はこっくりと頷き、ユーマはにこにこと微笑んだ。
長は朗らかに語る。
「何のために。まさにわしも同じことを、ユーマ殿に尋ねたのだよ。そうしたらな、いやはや……わたしは愉快だ」そう言うと深く笑んで、隣に座るユーマを見た。
天蓋の明かり取りから射し込む陽光。
陽光は、ある者にとっては色に見え、ある者にとっては象に見えた。
音になって身を包むように感じる者も、人の姿になって遊ぼうと誘うように感じる者もいた。
ラ、ラ ……
リリリ …
陽の光は話し合いの場に降り注ぐ。
陽光に包まれる豊穣の預かり手。
ユーマは微笑む。
笑うたびに、肩まで伸びた墨色の髪が揺れている。
「楽しいからです!ええ、きっと楽しいです」
豊穣の預かり手は、笑った。
話し合いの場には長とユーマの他に10人いた。そのうちの半分はぽかんとして考えが止まり、あとの半分は “この方の目にはいったい何が見えておられるのだろうか” と思う。
いずれにしても、ここに居合わせた皆の “心” が動いた。
動いた心は波を放つ。
波は光を生み出した。
弱い光がゆっくりと瞬いている。
それは新しいものに出会ったときに生まれるもので、ユーマにとっては見馴れたものだった。
大丈夫なんだ。大丈夫なんだよ。
そう言って、皆から返ってくるものたちを胸に寄せた。
新しいものを受けとるとき、多くの人はこの光を放つ。
放っておくと、光同士は集まって大きくなった。
大きくなった光は同じ光を求めるかのように移動した。
それはとても泣いているように見えたから、ユーマは光を胸に抱いた。
ときどきそれは、ユーマの胸を焼く。
チリチリ…… 痛くて、寒かった。
僕がそばにいるよ。大丈夫さ。
声をかける。
声をかけると、抱いた光は発光してユーマの胸に吸い込まれていった。
胸の骨。
その少し奥の熱いもの。
豊穣が、光を招く。
恐いけど、大丈夫なんだ。
ユーマは語りかける。
怖いままでもいいんだ。
心が動いたときに生まれるその光は、おろおろとしながらも、ユーマの預かっている豊穣へ還っていく。
吸い込まれる光。
ヒカリ。
それらが還るときに、遠い雷鳴のような音が聞こえた気がした。
空が鳴った。
皆から集めた光を見届けると、ユーマは話を続けた。
「いいことを考えたんです。土と水の王から浴びるほどの水を頂くのは人だけのためではないんです」
温かい水に浸ることは楽しいと言われて困惑の表情を浮かべた皆は、その理由を知りたがった。
なぜ?今我々はなにも困らない。それに対しての答えが必要だった。
「僕たちの祖が残したもののように、僕たちの子の子供達へ残すために、水を頂きます。温かい水はいずれ冷えて湧くでしょうけれど、その湧き水の溜まりが子の子供達の行く先々を助けるでしょう。今頂いた水は、人も草も、獣も、助けるものに成ります」
ユーマの瞳は人のものではないかのような印象を与えた。
豊穣はこういう者に預けられたのだった。
ユーマの瞳は銅色。
明かり取りから射し込む陽光で蜜色になる。
ここにいて、ここにいない瞳。
話し合いの場にいる者には、この少年が我々には行けないところから話しているのだ、ということが見て取れた。
「豊穣の預かり手どのは、それをどちらで知ったのです?」
目の前の大切な少年を分かりたくて、でも分からなくて、それで静かになってしまった話し合いの場に、ひとりの声が響いた。
「水は下されものです。巡り続けてきたものです。星からはひと粒も、出たことのない…」
そう言うと、ユーマはいつもの少年の顔になって皆へ伝えた。
「僕は、根源の光の鳥であるルゥ・ラアと、十歳からこの星を巡って来たけれど、
その時たくさんのひとたちから、僕たちの祖の時代の出来事を教えてもらったんだ」
大きな亀の、リ・グウ。
人だった魚、レツ。
かみさまたち。
何度でも出会い、名付け、友となってきた、精霊王たち。
星を囲み光を巡らせる、粋たち。
「水をたくさん呼ぶのを恐ろしいと思うのは、自然なことなんだと思う。もしかしたら心のどこかで覚えているのかなと思ったのだけど、それはよくわからなかった」
皆は聞き入る。この少年の目にしているものを知りたくて。
「僕は、豊穣を使っていきたい。今の僕たちだけではなくて、その先の子の子供達と、生き物達へ、精霊の王たちへ、今の僕たちから送れるものは何だろう。そう思ったんだ」
「先見……ということですかな? ユーマどの」
長は尋ねる。
「先というか、今といつも共にある、何かなんです。環のように円く続いている、僕たちのこれまでと、これからなんです。その環を想うと、水を呼びたいと思いました。
そして、呼ぶのなら!」
「温かい方がいい」
なるほどなあ…という表情で、皆が続きを言う。
「そう!そして、楽しい方がいいでしょう? 楽しい気持ちは風を笑わせるからね!風が笑えば作物やお山も豊かに成る!」
「はっはっは!」
長は愉快に笑った。
「なるほど、なるほど! ユーマどのにはこのように見えておられるのじゃなあ。確かに、このダルシの丘の窪地の底に我々が住むことのできるは、先人達の残したもののおかげ。精霊たちと契り、お力をお借りし、鳥を使い、石を動かし、空を繋げる。そんなことが叶うのは、残してくれたからである。ユーマどのは、今の我らが残すものをお伝え下さっているのであるな。」
「そう。そうです。ほんとうにするかどうかはともかく、伝えたかった。僕は、豊穣を活かしたい。同じことを繰り返さない。伝えていきたい。……… 繋ぎたい」
はしゃいだ声を落ち着かせると、ユーマは皆の目を順に見た。
「水には魚が棲むようになるよ。ずっと、ずっと、あとにね。」
そう言うと、にっこりと微笑んで目を閉じた。
新世代が軽やかなのは、旧世代がどかした重荷があるから。
新世代は飛ぶのがおしごと。
いいぞ、もっともっと飛べ!
遠慮なんていらないよ?!