5.5 閑話・鳥谷少年、鳥谷下っ端になる
鳥谷少年いい子。
彼は、天満たちの1つ下の学年で、月海と同学年です。
この街の男なら一度は聞いたことがあるし、少なくとも憧れを抱く。いや、抱かなきゃおかしい。それくらい影響力があるし、派手な集団、“天武”。
鳥谷少年もそれに違わず、天武に憧れる中学二年生であった。
中学生といえばちょっとやんちゃになり、ワルに目覚める時期。先輩たちから天武の話を聞いては、天武が暴れているという噂を嗅ぎつけ野次馬に行き、魅せられる。
中には怖いと思いつつ、周りに流されているだけのやつもいるが、それでもだいたいは流されるがまま天武に関心を持つようになる。
鳥谷少年は、中学に入ってから持ち前の素直さとあどけなさで先輩に可愛がられ、先輩たちから天武のカッコイイ噂話を聞き、天武に憧れを抱くようになっていた。
当時、天武の総長は宗仁郎で、単体では強くない彼にちょっかいを出しては幹部が制裁を加える。そんな日々が続いていて、喧嘩の腕は強くなくとも、宗仁郎らカリスマ性やその見た目から色々な層から人気が高く、それなりに伝統深い天武の人気はとどまることを知らない。
人気のある彼らに嫉妬してか、下克上を狙ってか、夜の街ではぼちぼち抗争が起こることはあったものの、比較的平和な日々が続いていた。
そんなある日、“赤い鬼がでる”という噂が出回った。
ただ、赤い鬼とはなんなのか。2メートルを超える大男という噂もあれば、小さな少年だという噂もある。噂はあるのに姿まではよくわかっていない。どこかおとぎ話めいた話でもあった。けれど、噂は途切れることはなく、ただ、なんとなく赤い鬼には気をつけろと誰もが頭の片隅に留めるような、そんな泡のような噂。
その日、クリスマスも終わり、世の中はお正月ムードで、しんしんと雪の積もる夜道を鳥谷少年は1人、手を擦り合わせながら歩いていた。
この時期の学生は冬休みで、鳥谷少年もそれに違わず学校がない。毎日のように友達や遊び仲間の家に泊まり、夜通し遊ぶ生活を送っていた。
今日は運が悪い。昼間から飲み始めて、ポーカーから始まり大富豪、ババ抜き、神経衰弱、花札、麻雀、ことごとく全てに負け、かける者もなくなった鳥谷少年は仕方なく、全員分頼まれたお使いに出た。しかも、今日集まった友人の家は数いる中で大きな家を持っているが、場所が悪く、一番近くのコンビニまで少し歩かなければならない。
「ささささむい゛ぃ゛…」
時間は深夜で、少し風が吹くとあまりの寒さに顔が痛い。勢いで出てきて手袋もしていないからポケットに手を入れ、足は自然と小走りになる。
速い脚乗りで、コンビニまで行く道の途中、簡素な公園に差し掛かった。その公園から何か声が聞こえた気がして鳥谷少年は足を止める。この時間帯に、この寒さ。人が公園で遊ぶような時間帯ではない。気のせいかとも思ったが、小さな恐怖心は好奇心と正義感に潰され、彼の足は公園の中に進んでいた。
小さな公園だ。数歩歩けば中の様子なんて一瞬でわかる。
だから、鳥谷少年は一瞬でその光景を目にし、息を飲んで、呆然と立ちすくんだ。
白く降り積もった雪の中央に立っているのは1人の少年。どこか虚ろな目をして佇む姿は、そこだけ時間が止まっているような感覚を覚える。
不意に、虚ろな目が、鳥谷少年を捉えた。
感じたのはまぎれもない恐怖。蛇に睨まれたカエルはきっとこんな気持ちなのだと思う。そう思うしかない。それしかできない。少しでも動けば殺される、自分も、ソレらと同じように、酷い目を見ると直感した。
少年はただ雪の中に立っていたのではない。その足元にはボロボロで血だらけであろう男たちが横たわっている。本当に血だらけかは暗てよく見えないが、きつい血の匂いがそう確信させる。
なにより、唯一しっかりと視認できる少年、白金の髪をした少年の美しいであろう髪は赤く濡れ、その顔、体、全てに赤が付着している。
きっとその全てが足元に倒れているであろう男たちの返り血だ。刃物を持っている様子もないのにそんなに大量の血を浴びるなんて、いったいどんな暴れ方をしたらそうなるのか。自分のしている喧嘩とは格が違う。違いすぎる。
(動いたら、死ぬ。動いたら、死ぬ。動いたら、死ぬ。)
血にまみれた白金の少年は、雪の中ではよく目立ち、人間離れした姿から目が離せない。いや、眼球ですら動かせば殺される。
寒さと恐怖に視界が霞み始めた時、そんな状況は一転した。
白金の髪をした少年が、勢い良く地面に突っ伏した。それも一瞬で、少年は起き上がり、声を荒げる。
「てんめェ…ざけんな!!殺すぞ!!」
「あぁ、ごめんね?勢い余って、つい」
「つい、じゃねぇ!」
「だって君が今度こそ決着つけるとか言うからきてあげたのに。こんなんじゃ赤い鬼(笑)も泣いちゃうね」
「あぁ゛!?普通今来るわけねぇだろ!頭おかしいんじゃねぇのか!?!?つーか好き好んでんなだっせェ名前つけてねぇよ!!しかもいきなり飛び蹴りかましてくる馬鹿がどこにいんだよ!?!?てめぇはばかなのか!このクソ…ッッ」
飛び蹴りは流石にこたえたのか、白金の男がグラつき、咄嗟に、いきなり現れた黒髪の少年がその腕を掴んだ。
そして、鳥谷下っ端は逃げ出した。
赤い鬼がいた、赤い鬼を見た、赤い鬼が喋った、赤い鬼に睨まれた。
鳥谷少年はとにかく走ってその場から逃げ出した。それはあの白金の、赤い鬼と揶揄された血みどろの少年が恐ろしかったから。怖くて、おっかなくて、あの視線だけで人を殺せそうな鬼から逃げないと。と、とにかく恐怖心から逃げていた。
頭から赤が離れない。あんなに血の匂いを嗅いだのも、見たのも、生まれてはじめてで、自分とは違いすぎる世界だと思った。
何も買って帰らず友人の家に戻ってしまい、もう一度コンビニに行く羽目になったが、鳥谷少年はあの公園とは真逆にある違うコンビニに向かった。
その日は静かになればあの光景を思い出し、心臓の鼓動がよく聞こえる夜を過ごした。
それから1週間、2週間、1ヶ月と経ち、鳥谷少年はまだ忘れられずにいた。
友人、先輩、後輩、知り合いみんなに見た光景を話し、それでも話足りず、1ヶ月もすれば友人たちはみんな鳥谷少年の赤い鬼の話を面倒臭がるようになった。その中の友人の1人が、また性懲りも無く話し出した鳥谷少年にこう告げる。
「お前、そこまで話すならもうそいつのこと好きだろ。」
その前後で、友人はつまらないとか飽きたとか別のことを言っていたけれど、その言葉に鳥谷少年は嫌に納得してしまったのだ。
好き。
怖かった。確かに怖かった。あの時は怖いし寒いしで、震えてて、目も霞んで、もうダメだと思ったはずだ。ただ、怖いと同時に、あの人間離れした少年に魅せられていた。
圧倒的な強さと、あの虚ろな瞳、足元に転がる人間を人間とも思わないような目で見つめ、その目で見つめられて心底震えた。
それが恐怖心からなのか、興奮からなのか、今考えるとわからない。ただ、あの光景を忘れられない。できるなら、もう一度…見たい。
けれど、最近赤い鬼の噂は聞かなくなってしまった。金髪なんてどこにでもいるし、顔なんて薄暗くてあまり見えてない。声も聞いたが朧げだ。だから探すこともできず、もう一度見ることもできないまま、それでも忘れられないのか。と落胆した鳥谷少年。
それが3ヶ月後の四月、天武の代替わりで大きな喜びに変わる。
新しく総長を務めるのは前代未聞、異例の女。周りはそのことに騒ついていたが、鳥谷少年はそれどころじゃない。驚きと、感動と、喜びで言葉を失っていた。
新しく朱雀の異名を背負い、幹部になったという白金の髪をした男。仲良さげに黒髪銀メッシュの女総長と話している姿。
もう4ヶ月も前のことを、覚えているはずもなかった。
そう、あの時あたりは薄暗くて、顔は見えなかった。それなのに、その彼を見たとき、鳥谷少年はそれがあの時の赤い鬼だと確信した。
「蘇芳、翼。朱雀の、蘇芳翼…!」
その名前、その顔、その声、今度こそ忘れないように頭に刻み込み、鳥谷少年は決意する。
おれは、あの人の事をもっとそばで見ていたい。あの人の、かっこいい姿がもっと見たい。だからおれは、天武に入る。
そして一年後、彼は、朱雀直属のグループである雀隊に入り、鳥谷下っ端になったのだった。