3.「舌、噛むよ?」
月の明かりが照らす夜の河原。
町から離れたその場所には人工的な明かりが何もなく、夜目の効かない男たちが次々に倒されている。
「……ご飯」
残りも5人ほどになった時、不意に彼の口から出たのは気の抜けた言葉。
彼を囲んでどう倒そうか隙を伺う5人は固まり、次の瞬間、馬鹿にされたのだと思い一斉に襲いかかった。
一番大柄な男を壁に、避けきれない攻撃は受け身をとって一度受け流す。簡単に躱され面食らっている隙に、一気に2人の急所に蹴りを入れ、残りは3人。そのまま勢いに乗って3人に向かい、フェイントをかけると流れるように背後へ回り込んで1人の腕を捻って地面に叩きつけた。
嫌な音がして、男の絶叫が響く。
おかしな方向に曲がった腕を見て仲間の2人は怯んだが、後には引けない。
顔色も変えず、息も乱れない、儚げで線の細い男なのに、異様な強さ。
死を覚悟して殴りかかった2人は直後、意識を失い、数分後、その場所に起き上がっている人間は誰もいなかった。
「眠み」
体を動かしすぎて空腹を感じていたのに、それを通り越して今は気持ち悪い。食欲の次は睡眠欲が襲う。
せめて次こそは邪魔されないように、と人通りの少ない道を歩いてつもりなのに次から次へと誰かしらが構ってくる。
今日は厄日だ最悪だ。そういえばいつか大きな喧嘩があるって言われて…ああ、やっぱり眠い。もういい、そこらへんで寝る。
本能のまま、思うがまま、今日は睡眠欲のまま。紫呉は路地裏に捨ててあったボロボロの布の上に倒れこんだ。
***
「紫呉と連絡が取れない?」
「ああ。」
「んー」
彼と連絡が取れないのは良くあること、とはいえ4日後には一応いてもらいたいため電話を入れることにした天満。
前に連絡がつかなかった時は10日後に帰ってきたし。一応だ。
何度かコールをした後、機械的な声となり天満は通話終了ボタンを押す。
「…困ったな」
電話に出るのも気まぐれで、出ないことが多い紫呉だが、ただ1人、総長である天満の連絡には絶対に出る。
寝ていても起きるし、食べてる途中でも、女の子とナニをしているときでも、トイレ、お風呂、とりあえず天満がかければ絶対に出るのだ。それが、出ないとなると…。
「月海、全員にメッセ回して紫呉探させて。」
短く述べて、天満が部屋を出て行く。
普通に朝から学校に来ていたというのに、これで今日1日サボりということになるだろう。
天満の後ろにはいつものようにクマさんがついていき、身長差から親子のようだななんて、月海は2人の後ろ姿を見て思った。思いながら、天武全員に紫呉捜索の指令を出して自分も捜索のため学校を出た。
天武総勢で町一帯を探すと、全員個人の情報に加え、その友達、さらにはその友達と、結構深いことも調べられたりする。普通は。
昨日最後に紫呉が目撃されたのは日が沈む前で、いつものように繁華街を歩いていたらしい。紫呉は容姿から女の子にモテるので、逆ナンしたという女の子から得た確かな情報だ。
けれど、そこまで。それ以降、紫呉の目撃情報の一切が途切れていた。
そんなわけで、天武のたまり場であるガレージに集合した彼らの間にはお通夜ムードが漂っている。
「紫呉が消えるなんて…やばいって…」
「あー、あいつもとうとう死んだ、か。決着はつかなかったけど、まあまあいいや…いや、思い出しても腹が立つ奴だったぜ…」
「翼、今はそんな冗談言ってる場合じゃない。本当に死にかけてる可能性だって…」
「かなしーなァ、まぁ、俺らはあいつの屍を犠牲にのし上がっていくんだわ。ってなわけで、俺は日曜の決戦に向けて体作ってくっから、いーよなーテン」
「え、翼、本気か?どういう…」
「はいはい、いってらっしゃい。日曜日は遅刻しないでね」
「テン…?」
ふざけたことばかり言って出てった翼に、流石に腑に落ちない月海。しかも、軽い口調で送り出してしまった天満もよくわからない。
決して弱くない紫呉だ。でも、本当に攫われてたりしたらタダじゃ済まない。
攫われた目的が何かわからないけど、個人的な恨みとかだったら最悪だ。紫呉を攫うという時点でそれなりに腕が立つ人間がいるということだし、私怨だと情報がこちらから探るという一方通行なものになり、助ける手段も得難い。
それなのに、翼も天満もクマさんもいつも通り。下っ端の奴らを不安にさせないようにという気遣いだとしても、今この部屋に下っ端はいないのだ。少しくらい心配する様子を見せてもいいのに、こんなに焦ってるのは俺だけなの?と、月海はどんどん1人思い込みの深みにハマっている。
「月海くーん?大丈夫ー?」
深刻な顔をしたまま固まった月海に、天満は軽快に語りかける。
「なんで、テンはそんなに笑っていられるの。」
「もう少し仲間を信じなって。何も探すのをやめるわけじゃないんだし。」
「でも!翼は…?」
にこり。
姉の笑顔はいつからだったか、ふとそんな事に思いを馳せて、苦虫を噛み潰したような表情をした。
この人は、いつも笑顔で、いつも中心にいて、いつも上にいる。
「テンは、なんで何も言わないんだよ…」
「言う必要がないからだよ。あ、しばらく単独行動は避けるように連絡回しといてよ?月海」
飄々としていて、何を考えてるかわからない。ただ、昔から確かなことが1つある。彼女の言葉は絶対だ、と。彼女が必要のないということなら本当に必要のないことで、きっとそのうち月海は今納得できていないこと全ての答えを得られる。
それが自分でわかってしまうから悔しいし、情けない。
(俺は、テンより上にいなきゃいけないのに、上を行くのはいつのテン。女なのにそれでも男なんかよりずっと強くて賢くて要領も良くて、だから“あの人”もテンには目をかけてる。俺が、強くなきゃいけないのに)
理解することと納得することは似ているようで違う。理解はできても腑に落ちない。せっかく彼女と同じ土俵に立てたつもりだったのに、今までと変わらない。
月海は何もできない歯痒さで目を潤ませ、天満の前から立ち去った。
決戦は日曜日。
それなのに着々と仲間が離れて行く様子に、テンは笑顔を崩さずただ前を見据えてる。
「粘着質だなぁ」
ただ、ふとこぼしたその言葉には、少しだけ疲れが滲んでいたかもしれない。
***
決戦まで3日、2日、1日、と経ち、ついに当日の朝となった。
ちなみに、今日まであったことといえば。仲間たちが紫呉捜索で全く証拠をつかめず項垂れたり、突然気持ちを切りかえて月海が天満に色々と決闘を仕掛けられたり、クマさんのスイーツでお茶をしたり。すごく普通の日常を送った。
ちなみに月海は喧嘩じゃ最初から無理と判断したのかオセロやトランプ、ボードゲーム、テレビゲームと色々ふっかけてきて、天満も暇を持て余して全てに応え、そして全て勝ってやった。お陰で朝から月海の機嫌がどちゃくそ悪い。
あ、クマさんのお菓子は馬鹿2人がいないため凄く堪能できた。それくらいだ。
淡々としていて、血も涙もない非道な女のようだが、一応彼女にも彼女なりの考えがあるわけで、決して日頃うるさいメンバーがいないと静かで落ち着くな。なんて思ってない。思ってない。
そして、約束の廃棄工場は、現地集合にしたからか敵を前に天武の集合率はとても悪かった。
「あ?なめてんのかァ!」
おかげで不機嫌な人がまた増えている。色の総長で、赤髪の安座間だ。
総長だから、と互いに先頭に立っているがその距離は50メートルほど離れていて、天満からの景色にはすごい人数の男たちがむさ苦しく集結しているのに対し、安座間から見た景色は幹部3人に、明らかに半分以上がまだきていない少なさの天武。
「わるいなー!さっき連絡したんだけどー!後5分でこなかったら始めていーよー!」
「なめてんのかぁ!!!!待つに決まってんだろ!!!」
威勢のいい安座間に、天満はご機嫌だ。朝から日課のランニングを済ませ、朝ごはんを食べていつも通りのペースでここまできている。緊張感など全くない。
「ま、後5分で来るけどね。」
案の定寝坊した奴らが多数出たため、早くこないと罰ゲームが待ってるぞと全員にボイスメッセージをおくったら、凄い勢いで謝罪とすぐに行くというメッセージが来た。おかげで、メッセージアプリが重くて使えない。罰ゲームだな、これは。
5分後。やっと天武メンバーの幹部2人を除く全員がそこにいた。
全員揃ったので、始めようという意味を込めて天満は安座間に手を振るが、安座間は何か叫んでいる。
50メートルも離れているので何を言ってるのかよくわからない。わからないので、天満は1人安座間の方に近寄り彼の目の前に立つ事にした。
「な、なんだよっ」
何を勘違いしたのか、安座間は今にもやるぞという言葉を背後に侍らせて天満に睨みを利かせている。
「遠くて声が聞こえなくて。なんて言った?」
天満の言葉に安座間共々後ろにいた人間はガクッと漫画のようなリアクションをとった。ノリが良くてよろしいことだが、天満はそれに気づいていない。普通に聞きにきただけ。
「だから!」
「あ、もう遠くないからそんなに大きな声じゃなくて大丈夫」
「だあああああ!!調子狂うな!てめぇは!!幹部2人はどうしたんだよ!!」
「なんだ、そんなこと?細かいこと気にしないで始めようよ」
「あぁ?幹部の欠けたてめぇら倒して言い訳されたら困るんだよ」
「そんなことしないし、負けないし。そういうのは私たちに勝ってから言ってくれる?No.2の決着も付いてないのに私たちに勝とうなんて、余裕だね。素敵な赤髪のそうちょーさん?」
中指を立てて可愛らしい笑顔を向けた天満。プッチーンと、何かが切れた音がして、安座間は天満に殴りかかる。それを合図に、天武対玉と色の喧嘩が始まった。
族の喧嘩は基本が一対一。それは暗黙のルールで、歴史が古かったり、強い族ほどそういうの細かい暗黙のルールを徹底している。
勝つだけなら闇討ちでもなんでもして乗っ取れば早いが、そういうルールを決めてやれば対等な実力が測れるし、ただトップに立つのではなく、正面から向かって正攻法で勝つからこそ意味があるし、達成感を感じる。満身創痍で勝ったりなんかしたらそりゃもう英雄扱いだ。ボロボロでも勝つ、ただし、正面から。
そんなわけで、殴り合いを始めた天満と安座間を次々と通り過ぎる玉と色は、向こう側から突進してきた天武のメンバーと衝突し、廃棄工場は一気に喧騒に包まれた。
始まった喧嘩に少し後ろを見ながら相手をしていると急に死角から鋭い角度で蹴りが飛んできた。反射神経で避けたはいいものの、それを予測していたかのように避けた方向には拳。力では完全に勝てないため、最小限のダメージでそれを受けて、少しだけ相手と距離を置く。
「余所見か?余裕こいてるとその首へし折るぞ」
「…」
返答はない。ただ、余裕の笑みが心底腹の立つ女。その顔を歪ませてやる、とまた拳を前に出した。
「そもそもいけすかねぇ、女のくせに天武の総長とかなぁ!!」
右下から一発。避けて、牽制を入れる。
「余裕そうな顔しやがって!」
美しい軌道を描く回し蹴り、感心しつつ当たらない距離で止まる。
「聞いてた話と違うし!どういうつもりだ!!」
ふと、その言葉に引っかかりを覚えたが、深く考える前に距離を縮められ、咄嗟に急所を正確に狙う拳が出る。
「ッッ」
まだ息も乱れない。笑顔も崩れない。
喋り続けたせいで、安座間の方が息が乱れているし、動作にも粗が出てきた。女のくせに、それを見抜いてる。こんな小柄な女が自分より強い。とある先入観により、天満を軽蔑しているはずなのに、安座間は天満に少しずつ絆されそうで、苛立っていた。
拳は何よりその人間の本質を語る。
それなら、今受けてる拳はなんだ?これが本当に“あの”榊原天満の拳なのか?そんな思考をかき消すように、安座間はまた攻撃に出た。
「女のくせにッッ!!!」
なんかもう語彙力もないしとりあえず何か叫びたかったのか、口から出たのはその言葉。
すると、さっきまで攻撃を受け流し、避けるばっかりだったのが、急に近づいたと思えば左足を軸に、したから上、一直線に安座間の顎を狙った蹴りが放たれた。
「舌、噛むよ?」
雰囲気が、変わった。
宣戦布告をした時の、あの殺気。今度こそ自分だけに向けられたその鬼気はやはり鳥肌が立ち、身震いが止まらなくなる。
「夜叉…!」
勝つ。安座間の脳内にその言葉だけが浮かんでいた。
***
急に殴りかかった安座間を見て、月海はすぐに前に走り出した。
本人は無意識だが、その集中力は類まれな、才能と呼べるもので、月海が先陣を切って走っていなかったら天武は相手に遅れを取っていたことだろう。
月海はいつも天満と自分を比べて卑下しているが、もっと自分を認めてやればいいのにな、とクマさんはいつも思っている。残念ながら、本人に直接言ったことはないが。
そんなクマさんだが、見た目通り大きな体を生かした鋭い蹴りで雑魚を一撃必殺していると、それまでのものとは違う、質量のある蹴りが飛んできて思わず数歩後ろに飛びのいていた。
「熊谷武良…!」
相手は天満を見下した藍色の男だった。
クマさんと呼ばれるためか、一瞬自分の名前に反応できず、思わず首を傾げようになったクマさんだったがそんな場合ではないと目の前の男を見据えた。
(…ここでおれが倒したら後で天満に散々文句を言われそうだけど絡んできたのは藍色の男で、おれは仕方なく相手をしただけ。)
こんな感じのクマさんだが、藍色の髪の少年、名は 群青と言い、玉の総長を務めるちゃんとした実力者だ。
しかも、クマさんの熱烈なファンでもある。密かに。
正直彼のような喧嘩のセンスに恵まれた人がなぜ榊原天満なんかの下についているのか理解できないし、あわよくば玉に勧誘したいとも思っている。
「俺が勝ったら、アンタ、玉にこないか!」
「………いかない」
「あんたはあの女の下にいるには勿体なさすぎる!」
刹那、大きすぎる衝撃が群青を真正面から襲った。
咄嗟に手を前にし、後ろに下がることで衝撃は抑えられたはずなのに、腕がジクジク痛みを訴えている。
…ああ、折れたかもな。冷静な自分がそんな分析をする傍ら、見切れなかった攻撃への興奮に身体中にアドレナリンが放出された気がする。
(おれは、テンを尊敬してるし、何より感謝してる。こんなおれを、救ってくれたのはテンだ。それを、何も知らないおまえに否定されたくはない)
こんな長い言葉、テンや仲間じゃなきゃ聞いてくれないし、そもそもそんな彼らの前じゃなきゃ落ち着いて話せもしない。それなのに、仲間たちはいつでも暖かく自分を受け入れてくれる。
そんな思いを、わざわざ目の前の群青に伝えるつもりは微塵もないと、クマさんは雑魚を沈める勢いで長い足を前に下に、蹴りつけ、蹴り上げ、蹴りおろす。
本気になればテンの顔から笑顔を消すこともできる、そんな彼、クマさんを少しばかり本気にさせた群青少年に少しくらい、褒賞をあげたいものだ。