18-1.鎮まれ我が…
久しい、男は久しい<何時もの夢>を見ていた。
意識だけは宙を浮かび続け、その肉体は白く巨大な人影についばまれていく夢。
慣れた飽きた痛みが全身を駆け回り、そして左腕とそれに連なる臓物をちぎられ、引き抜かれて終る。
<専属>の冒険者として旅をしてから繰り返し見続けている夢。
だが、今日は目覚めが違っていた。
男が目を覚まし、その眼に映ったのは男の雇い主、ビルキースの屋敷の客間の天井ではなく、ここ最近間借りしている魔法学院の使われない更衣室のものであった。
目の前には無機質な照明筒だけが映り、寝ぼけたままで上体を持ち上げると、左腕から激痛が走りぬけて一気に目が覚める。
更衣室に設置された長椅子で床をとるようになって早数日、今では同じ部屋で寝泊りをしようとの女の誘いを断った事に後悔すら覚えだす。
そして、枕元の赤い襟巻きを手にしては首に巻き、長椅子に腰を掛け直すと痛みの走る左腕に目を向けたその時であった。
「おっはよーございまーす!さぁ、赤さん!今日も元気にはりきってまいりましょうッ!」
更衣室の扉が突如として開き、そこから1人の女が飛び込んできた。
それは長い赤い髪を横で縛った快活そうな女で、エイミというこの学院の教諭。
…
「ノワーーーッ!?」
「何がノワーッ、だ。朝っぱらか大声を…」
朝の挨拶と同時に、エイミの口から悲鳴が上が部屋の中を響き渡らせた。
自分と女とで朝からのテンションの差を感じながら、男は痛みの走る左腕の袖口をまくし上げようとする。
「って、うわらァー!?アーッ!?」
目を向けた瞬間、男の瞳に飛び込んだ光景は左腕の肘より先、つまりは前腕の異様さ。
それは今にも破裂せんばかりの風船の如く膨らみ、そして弾ける寸前にまで至っているように見えた。
「な、何じゃぁ、こぉりゃーーーーッ!?」
男は驚愕の声を上げつつ、思わずその場に立ち上がり、エイミは顔を抑えて直視しないよう後ろを振り向いている。
「す、すいませんッ。朝明けの殿方のアレがソレとは耳にはした事がありますけど、まさか、まさかその様なものになるとは…」
「いや、どう見ても上半身の部位だよね!?どう見ても左腕だよね!?お前さんが再三その正体に追求してきた左腕だよね!?」
エイミの言葉に男は勢い入れたツッコミを入れつつ、自分の左腕を持ち上げては恐る恐る眺める。
これまでに何度と無茶は確かにやってきた、左腕に重傷を負ったのも何度とある。
しかし、ここの街に来る直前ですら、腕が半ば磨り潰されておきながら翌日にはすっかり元通りになるのだ。
ならば、今回に限って言えば今までとは違う、何かしらの原因があるはずだと男は考えた。
…
「それで、乙女の純情をからかう、何のイタズラなんですか、ソレ。」
「早朝いきなり乗り込んでくるヤツの事考えて、誰がこんな身体張ったイラズラを好き好んで仕込むんだよ…」
男が難しい顔をしている最中、エイミは男の隣へ座ると、彼の左腕を手にとって軽い診断を始めていた。
男の言う通りなら、昨夜までは普通の腕だったものが一夜にしてこのような状態になっているらしい。
しかし、エイミの視点からすれば、そもそも腫れずとも男の左腕は元から漆黒に染まる異質異様なもの、<普通>との線引きが理解できなかった。
更に男は<不死身>で、その不死性をエイミ自身が目の当たりにしているのだから尚更だ。
「…しかたありませんねッ。気は進みませんが学院長にお尋ねしてみるしかなさそうです。」
エイミは男の腕に包帯を巻きつけ、固定すると男の左腕を音を鳴らし叩く。
「イッテ!オイ、丁寧に扱ってくれよな。」
そして、男の言葉を鼻で笑うとエイミは立ち上がっては部屋を出ると、男も簡単な身支度で後に続いて学院長の部屋へと向かう事となった。
―――
「そういえば、他の連中はどうしたんだ?」
学院長の部屋へと向かう道すがら、男はふと疑問を口にする。
「皆、朝から追い掛け回されてますよ。ソウシロウさんは剣術同好会、ユートくん薬草科に、ナナリナは何時の間にかできた彼女の女子ファンクラブ、フラナちゃんは今週末のテスト模試にですが。」
「…お忙しくて結構な事だね。」
男は肩をすくめ、ここに滞在し手数日の間、各々が生活に馴染むのも早いものだなと感じていた。
それは己自身にも言える事で、滞在数日の間で<専業>冒険者としての日々の感覚が薄れてきている事に気付く。
そして、学院長室の前に到着するとエイミは扉をノックして返答を待つ。
「…こんな朝早から何のご用かしら?」
扉のに取り付けられた宝玉から落ち着いた女性の声が発せられ、エイミは姿勢を律しその質問に答える。
「エイミ=ハウレットです。至急、学院長にお伺いしたい案件がございまして、早朝に大変失礼だとは思いましたがお訪ねしました。」
エイミの言葉の後、数秒の間を置いて「入りなさいと。」再び声がかかり、扉の施錠が解ける音がした。
「し、失礼します。」
エイミは緊張の面持ちで扉を開くと、その先にはストールを身を包む老女が応接テーブルの上に茶器を広げている所であった。
そして、扉が開く音を聞くと老女はカップを手に取り、静かに茶葉の香りを楽しむ。
「用事はエイミ先生ではなく。グランさん、貴方のようですね。」
老女、学院長はグランと呼ぶ男の顔を、次にその膨れ上がった腕を見るなり、そう言葉を投げ掛けると席を立ち2人へ向かってくる。
「は、はい。赤さ…、いえ、グランさんの左腕なのですが。診療所による治療はできないと判断しまして…」
エイミの言葉を聞き終わる前に、学院長は男の前まで来るとその腕を取り、包帯をめくり確認を始めた。
「まったく、こんな歳にもなって陽が昇りきるまえにこの様なものを拝み、触れる事もあるとは思いませんでした。」
そう溜息混じりに言いつつ、学院長は何か器具をかざしながら、の膨れた腕を観察していく。
「…このネタ学院内で流行ってるの?」
「…何がです?」
やがて、一通りの診察が終わると学院長はグランの左腕を放す。
その表情は、等々様々な感情が入り混じった複雑なもので、まるでこの事態が起こる事を予想していたかのような反応だ。
「グランさん、貴方のこの腕に埋め込まれたものを全て取り出して頂けますか?」
学院長の言葉にグランはただ黙して頷き、漆黒の左腕に埋め込まれた<何か>を1つ、そして掌からもう1つを引き抜く。
グランの手の上には2つの楔状の物体が乗っており、それを学院長へ差し出す。
学院長はそれを受け取るとまじまじと見つめるが、その顔色は芳しくない。
「これは、<あのコ>、ビルキースがこしらえたものですね?」
「まぁ、そうだとは思います。」
グランが曖昧な返事を返すと、学院長はグランへの了承は取らずに1枚の札を貼り付けた。
「この<楔>の効能は存じてますね?」
「えぇ、この腕の内に溜まる魔力を外に流す<孔>を作り出して調整するものと…。…あ、そうか、そういう…」
そう、グランは自らの言葉で何かに気が付くと、学院長はその答えに満足げにうなずき、次には厳しい視線で男を見据える。
「わかったようですね。つまりその腕がその様な状態なのは、単純にこの<楔>が足りていないからです。」
学院長が腕に貼り付けた札の効力か、グランの腫れあがった左腕が徐々に萎んでいく。
どうやらそれは腕内の魔力を調整する機能を持ったものようであった。
だが、それは歪となった魔力を均し戻すためのものであり、腕に蓄積された魔力そのものを外に放出するものではないと学院長は述べる。
グランの腕の<楔>が何故足りないのか当人は心当たりがしっかりとあった。
ここ魔法都・レテシアに入る街、そこでの亜空間内で行われた戦闘で左腕に対し一切気遣いをしなかったからだ。
そして、ここに着いて数日、新たな土地で右往左往を繰り返した為なのか、自分の腕の状態について何も考えていなかった。
「これは時間稼ぎの処置にすぎません。それにこの<楔>自身も限界に近いようですね。至急の代わりを見つけなければ、いずれその腕は…」
「そ、その腕は…どうなってしまうのですかッ!?」
エイミが喉を鳴らし、震えながら問いかけると学院長は小さく首を振る。
「…爆ぜます。」
「爆ぜるんです!?」
「あー、セバっさんがそんな事、言ってたな…」
その言葉にエイミは目を大きく見開き驚愕し、グランは後頭部を掻きながらの他人事のように呟く。
「なんで、そう自分の事に関心がないのですかッ!?」
「どうせ勝手に治るし爆ぜるくらいで済むなら、爆ぜちゃっても…」
「それは火のついた爆弾を脇に抱えて日常を送るものですよッ!?目の前にそんな人が居たら同じ事が言えますかッ!?」
エイミが凄むと、さすがにグランも押し黙るも、何所かで実感ないしは理解できていない節がある。
「えぇ、ですので貴方が今日中にその腕を鎮められなかった場合。…私はグランさんに幽閉、封印処置を行います。」
椅子にかけていた杖をとって石突を鳴らし、学院長はグランに向かって宣言をとる。
「…はい?」
「言った通りです。私はこの学院を預かる者、それに関わる在るもの全てを天秤に乗せ、貴方の腕を見過ごせとお思い?」
学院長の言葉には確かな重みがあり、有無を言わさぬ迫力があった。
「ぐ、ぐうの音も出ない正論…。しょうがない、ソウシロウにでもスパッと切り落とさせて、血を出し切った後にでもくっつけるか…」
「ぶ、ぶっそうな言い回しやめてくださいよッ。」
グランが呟く不穏な一言にエイミが悲鳴を上げるが、当の本人は後ろ髪を掻きつつでどこ吹く風である。
「それも止めておきなさい。腕が切り離された瞬間、どの様に外気のエーテルが刺激として反応するかわかりません。」
「いいッ!?そ、そんなにデリケートなんスか…、えーと、じゃあ、この腕から魔力<だけ>を抜き取るしかないと…」
グランが自身の左腕を眺めつつ言うと、学院長は静かにうなずく。
「あ、閃きました、名案です!魔法、バンバン魔法を使って消費しましょう!それなら何も問題はありません!」
「さっすが~、エミせん、冴えてるぅ~!よーし、なら早速、遺跡なりなんなりでバンバン魔法を…」
エイミの提案にグランは右手の指を鳴らし、早速行動を開始しようとするのだが、学院長が大きく咳払いをして2人を止める。
「…物は試しです。<フォース>が使えるのでしたら、あの扉に向かって放ってごらんなさい。」
学院長の言葉にエイミとグランは顔を合わせて首を傾げ、とりあえず言われた通りにやってみる事にした。
グランは腫れ上がった漆黒の左腕を扉に向かって掲げ、<フォース>を放つ。
…
「ウボェェェ…」
「赤さん!?」
「やはり<魔力酔い>ね。左手に収束させる前に、左腕から体内へ循環される過剰な魔力を体内で処理できず、吐き気を催したようですね。」
<フォース>は不発に終わり、変わりにグランが膝から崩れ落ちると口元を押さえながら体を震わせはじめ、エイミは駆け寄っては背中をさする。
「が、学院長、何か手立ては…」
「術者の魔力を伝送するものならば幾つか手段はあります。ただ基本は同じ、循環と収束。魔力のみを腕から取り除く必要があります。」
「…もしかして、事態が凄くヤバい方向にいってる?」
グランは崩れ落ちたまま顔を青ざめさせ、学院長は目を閉じ、エイミは涙を浮かべる。
「…グランさん。」
「何だよ、急に名前で呼び出すとか気持ち悪いな…」
「封印…されて、下さい…」
「AKIRAMENAIDE!?」
その言葉にグランは奇声を上げながら飛び起き、エイミの肩ににしがみついては揺らす。
「…こちらでも何か当たってみましょう、貴方達はまずこの<楔>の複製、ないし代用品を見つけなさい。」
学院長はエイミに2つの楔を渡し告げると、そのまま部屋を出て行ってしまった。
残された2人はしばらく呆然としながら顔を見合わせ、互いに頬を引きつらせながらも笑い合う。
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