39-8.暴嵐の流星
開けた青い空、大小の雲は草木が風で頭を垂らすのと同じ向きへと流されていく。
強い風が吹けば、姿形を勢いに添って変えては流れ、弱い風が吹けばゆっくりと大草原に影を残し通り過ぎる。
「…」
黒い色眼鏡をかけた男は<自動車>の前方、動力部箇所の上に寝そべり、雲の流れをただ眺めていた。
「カルマン様、昼食が出来ていますわよ。」
焼けた肉の脂、香辛料の匂いと共に男の名前を女の声が呼ぶ。
男はゆっくりと起き上がり、黒い色眼鏡を首とハデな前髪を振りながら取ると声の主へと顔を向けた。
「…流石に同じ串焼きがこうも続くとテンションも上がらないわネェ。」
女、ウィレミナが持つ皿に重なった串焼きを1本取ると、カルマンはそれに溜息を吐く。
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家畜類肉の串焼き
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「アラ、随分と我侭でいらっしゃいますのねっ!」
ウィレミナは串の1本を手にするとカルマンへ突き立てる様に向ける。
「悪気はナイわヨォ~、肉は羊、山羊、大鳥、こうして里側が種類を用意してくれたのはありがたい事ヨ。」
串の先から身体を逸らし、カルマンはウィレミナに口を尖らせ反論を始めた。
「味付けだって香辛料と塩の配分を細かく変えて、飽きさせない工夫も感じるワ。」
そうまで理解しているなら何故とウィレミナも口をへの字に曲げるが、カルマンはお構いなく話を続ける。
「野菜よッ!Healthyさが足りないのヨッ!」
そう言って自分の持つ串に齧り付くと、肉汁を滴らせながら串から肉を千切り抜く。
「<串焼き>とくれば肉野菜野菜肉野菜肉肉ッ!この黄金比が保たれてきてこそヨッ!見て頂戴ッ。お肉ばかりでお肌がもうオイリーでしかたないワッ!」
だが言葉の割にはその表情は何処か恍惚、肌をぬるりとテカらせては肉を飲み込む度にまるで恋を煩わせた吐息の表情を放つ。
「…そして、アタシ達は最大の失敗をこのキャンプ初日にやってしまったノッ…!」
「…失敗?何ですの、カルマン様。」
ウィレミナは肉を頬張りながら眉間にシワを寄せるカルマンの何かと首を傾げる。
「<ショーユ>ヨ!初日にあのヒノモトの<ソイソース>を使ってしまって以来、後のはどうしても味負けしてるのヨッ!ソウシロウちゃん、ショーユを頂戴ナッ!」
カルマンは別の串焼きに刺さる具材を一気に引き抜くと、そのままソウシロウへとそれを向けた。
「<醤油>はもう既に無いでござるッ!」
指名されたソウシロウはどうどうと、かつ、きっぱりとカルマンの要求が物理的に不可能である事を強く断言した。
「んン~もぅ~。1滴くらい残っていないの?1滴くらいもぉ~~。」
「雫も滴も無いものは無いでござるよ、カルマン殿。」
ソウシロウも自分の取り分けた串に手を着けながら、今は無き醤油の味を思い浮かべては涙を零す。
「…そもそも、ウィレミナ殿が初めの串焼き際、盛大に使わなければよかったのでござるぞ。」
「オ、オホホ、あまりに野菜に塗って焼いてみたらとても良い香りがしましたのでついつい張り切ってしまいましたのですわ。」
ウィレミナはソウシロウに指摘を受けると、串焼きを1本手にしながら視線を逸らしてそう答えた。
3人の談笑の間を静かに、だが強い風が通り過ぎる。
これから一行の前には<竜>が現れ、向かい合う事が定められている筈とは思えないのどかな情景。
判っていながらも、未だに<竜>の影すら感じさせずに日を跨ぎ流れる時間は焦りをどうしても募らせていた。
ウィレミナは視線を一度家馬車に向け、今この場には居ないグラン達の居る<転移門>がある窪地へと移す。
「…別にウィレミナちゃんは里の方に残っててもいいのヨ?」
「アラ?それはカルマン様も同じではありませんの?私はただ宛ての無い身、しかし、カルマン様は違いません?」
不安と焦りを誤魔化そうとしてか、カルマンもウィレミナと同じ窪地へ視線を移しながらそう話しかける。
「…そうねぇ、全くだワ。」
カルマンは色眼鏡を掛けなおし車体の上に寝そべると上空を流れていく雲の群れ、そこから差し込む光に目を細めながらそう呟いた。
色眼鏡越しに<大鉄道>の終着駅、あの街の塔で見上げた飛行艦の腹を思い浮かべ、現状を比較してしまう。
「拙者も国に土産話を持ち帰るだけの旅がまさか斯様な事になろうとは思いもしなかったでござるよ。」
ソウシロウは地平線の向こう、己の国、帰る故郷を視て想いそう話す。
この場から逃げてもいい筈の3人ではあるも、どうしても立ち塞がるであろう壁、その<竜>との対峙は例え選ばれぬ身で在っても、向かい合う必要を感じていた。
しかし、ならばこそ、3人はある男の心中に疑問を感じ窪地へと視線を戻してしまう。
例え運命というものが男を<勇者>と担ぎあげたにせよ、その不死性の身体をはじめ、剣に魔法、生存術、何より周囲の善悪に屈しない価値観。
それらがあれば尚の事この場で<竜>と対峙する必要など無いのではないか、3人はそう考えずには居られないのだ。
…
一方での窪地の底、<転移門>にはグラン、ラミーネ、ピア、老婆が集まっていた。
「…食べないのか?」
串焼きを1本、ピアの前に差し出すも、少女は首を横に振ってそれを拒む。
「では、我に、いや、この<身体>にその野菜というものを食わせてはくれないか?」
少女の腕の中、カワノスケ、河グリフォンの幼体を借りるスピリアはそう口にしては柔らかい嘴を開く。
「…」
グランは先端に刺さる肉を口で抜き取ると次の野菜部分をスピリアへと運ぶ。
「すまないな。どうしても<身体>というものがあると何かを摂取せねばいられないらしい。」
「…お前どうやって喋ってるんだよ。」
火の通った野菜に嘴を小刻みに動かしては舌鼓をうつスピリアにグランはそう声をかける。
「なら尚の事、ピアちゃんも食べないといけないんじゃないか?」
「ううん、大丈夫。スピリアから食べた元気が私にも巡ってきてる感じがちゃんとするから。」
そうピアは野菜をがっつくスピリアの頭を撫で、グランは串に残る残りの肉を食らう。
「も、もががっ!?何をっ!?」
「…」
だが、<同期>の力でこの1人と1匹が意識も肉体も同一共有しているのならばと、グランは他の串から具材を引き抜きスピリアの口に詰め込んだ。
「ちょっと、私の分も残ってるわよね?」
転移門の石柱で老婆から手解きを受けていたラミーネは手を止めてグランを注意する。
「首尾はどうだ?」
「首尾とは言われても…<転移門>を起動できてもアレは一方通行の門だからどうなるかなんて解らないわよ…」
グランの手から串焼きをもぎ取るとラミーネは眉を歪めてそう口にする。
「確認だが、この<転移門>は里を出た家馬車を転移はさせてるのだよな?」
「…はい。他にも多数、この地には<転移門>がございますが、どれもが相互に繋がっているものではございませぬ。」
グランは石柱を見上げながら老婆に確認を取ると、老婆は頷きながら補足を加えた。
「<竜>をここから追い出そうっていうの?」
「さぁてな。ま、格上は困ったら転移でぶっ飛ばすってのが絵物語の<常套手段>ってヤツなだけさね。」
肩を竦めてラミーネにそう返すと、グランは老婆へ顔を向けては口を開く。
「何、少なくとも起動できれば<竜>は飛ばせなくても最悪ピアちゃん達は逃がす事はできる。ありがたい事にここら一帯の外とくらぁ。あとは<予見>がどれだけ成就されるかだが…」
「ピアの視た未来でしたら恐らくはそう変化が訪れないはずです。この子にはそれだけの能力がある、それに…」
「それを裏付ける<瘴気>、<魔神の力>ね…」
ラミーネの頭には自分の追って来たものが関係してるとはいえ、非現実的な事象が過り、それを打ち消すように小さく頭を振る。
「なわけで、よっぽどが無い限りは俺の小細工は運命様の機嫌を損ねないのさ。なら、この時点で<勝ち>じゃねぇか。」
「そうは言うけど、私達人数分の<未来>は例え不確定でも確認がとれてないのよ?」
ラミーネは串焼きを頬張りながらそう反論し、老婆も小さく頷く。
「だからこそ、お前には少し<期待>があるんだぜ?ラミーネ。」
「私に!?な、何を!?」
唐突にグランから名指しで呼ばれ、ラミーネは口にものを詰め込んだまま戸惑いの表情をみせた。
「何だ覚えてないのか。あの<大鉄道>の終着駅の街でお前は次元の狭間だかに重体の身を隠してたんだぜ?なぁ?」
グランはスピリアに当時の状況を確認し、スピリアは少女の腕の中で頷いて答える。
「あ、あの時は無我夢中というか死に掛けてたというか…、結局は死ん…だから…」
しかし、ラミーネに<異能>の自覚は無く、あの時の事は力尽きてただ目の前の男と<竜化>を成した事、それすらも実感無いままに<記憶>だけしていた。
「だから、期待されても…その…その<力>は使えるのかどうか…」
「…なーんだ、無理か。じゃあいいや。」
ラミーネの言葉を全て聞かずにグランは肩を竦め、串焼きの残りを口にしてはそう言葉を返した。
「な…」
「ま、でもお前にはこの<転移門>とおまえ自身の<転移の異能>、しかも未来視等の<非干渉>の次元に繋がれる事は自覚してくれ。」
そう言うとグランは腹をポンと叩き、食事に満足した様子をとる。
「だからってねぇッ!」
「あー、食った食った、食った分、手合わせでもして来るかな。じゃあ、もしもの時は期待してるぜ<火事場の馬鹿力>みたいなもんをよ。」
そう手を振りながら言い捨てるとグランは丘を登って家馬車の方へと向かっていった。
ただ煽られっぱなしのラミーネは赤いマントを指差しては老婆に何か言って欲しいと告げるが老婆はただにこやかに笑う。
そうして、この日のその陽も地平線へ沈んで行く。
…
満天の星空も幾度と目にすると変らぬ光景に<飽き>が訪れていた。
日々の変化があるとすれば、双子月の僅かな満ち欠けにエーテルのオーロラの色が春の星雲に色気を与えていた事くらい。
広大な視野情報、大自然の芸術を目にしておきながら、ただ溜息が僅かに開けた口から漏れる。
明日もこんな退屈な夜が訪れるのか、そうであればそれはどんなに良い事なのだろうか。
だが、視てしまった<未来>には辿るための過程は必要とされる。
―――
<竜>は一行の目の前に鎮座していた。
大小不揃いの5枚翼、深い翠色に金属的光沢をみせる全身の鱗、先鋭かつ流線的で細長い身体はその名を冠するのに相応しいものだった。
<風と流星のフォウァスティラ>。
知る者ぞ知る、伝説に近しい存在が静かに、しかして大胆かつ不敵にその気配を知らしめていた。
朝露が掃けぬ朝時、雲が空で無く草原の上の中で<竜>は影を成し、姿を現す。
しかし、幸いにも一行には準備が整っている。
窪地にはラミーネが<転移門>の準備をし、ウィレミナもカルマンも視野には入らぬとも異常な雰囲気を放つ丘の上を見上げる。
そして、丘の上ではグラン、ピア、ソウシロウ、ゴリアーデ、老婆が<竜>との<対峙>を成す。
…
《サイナ、サイナ=ノーマよ、これはどういう事だ…?》
言葉を発したのは<竜>からであった。
老婆の名を呼ぶ声はヒトならざる者でありながら、父性を感じさせる深く澄んだ声が響く。
「フォウァスティラ様、どうか我ら、いいえ、ワタシめの話を聞いて欲しいのですッ!」
サイナと呼ばれる老婆はその場に跪き、祈るように<竜>へと懇願する。
《…》
<竜>の沈黙は周囲の草木や風すらも時を止めたかのように静かにさせ、老婆の言葉を待つ。
「…それは、ソれ、は、キサ、マがここで死ヌ、事だァーーーーッッ!」
しかし、その時であった。
家馬車の壁を引き裂いては砕き、呂律回らぬ口で叫ぶ女、ピアの姉サティが大鎌を振るう。
―――<夢幻殺し>ッッッ!!!!
彼女の大鎌が不自然なほどに軌跡を歪ませ、まるで空間そのものが引き裂かれるかのように、黒き斬撃が奔る。
「…サティ!?」
「お姉ちゃん!?」
老婆がその姿の名を、少女が姉の気配を呼ぶと同時に<竜>の身体は真っ二つに割れた。
「ヤっタ…まず、はひとツ。次、ツギはピアだ。…ピア、ピア、あぁどうしてワタシはピアを2度もコロシて、コロスた…うぅ…」
「サティッッ!しっかりしなさいッ!ソイツはまだ死んじゃァいないわッッ!」
「…ノイエン…!何故、お前まで…!」
次に家馬車の崩れた壁から里で老婆の横に居たノイエンがその姿を現した。
《…話にならぬ。》
更に一行の周囲が歪み始めだす。
「こ、コレは、勝手な<転移門>の起動!?…しかも私達を引き込むというの!?」
ラミーネは眼前の石柱が光を帯び、自分達を包もうとしている事に気付き、その異常性に気付き声を上げる。
…
瞬間、刹那が過ぎると一行は見知らぬ場所立っていた。
その証拠に窪地にいるはずのラミーネ達とその上の丘に立つグラン達が視線を上下せずとも互いを視認し合えたからだ。
―――ドゴォォォンッッ……!!
怒涛、仰天の終わらぬまま、一行には続いての衝撃音と共に家馬車が破壊され、その瓦礫に下敷きになったサティとノイエンが居た。
「…イヤァッッ!お姉ちゃんッッッ!」
そして、姉の姿を目にしたピアは嘆きの声を上げ、その場に腰を抜かして座り込んでしまう。
《…サイナ=ノーマよ、これはどういう事だ…?》
尾をしならせ、<竜>は静かに質問を繰り返した。




