38-5.虚と真
ラミーネは少女を背後に隠すよう前に出ると、間に合わせで身に着けていたナイフを抜く。
眼前にはそれだけで一身はあろうかという刃の大鎌を携え、その刃先を少女へ向ける少女と同じ種族の女。
流れる雲から覗く陽の光が刃に反射し、雲の影の下で短草を照らす。
「あぁッ、私の覚悟は私を祝福してくれているッ!」
女、少女の姉、<サティ>の呼吸は興奮かそれとも別の要因か、荒く乱れていた。
ラミーネはサティの過去を深くは知らないが、彼女がピアという少女に向けている殺意の意味だけは解る。
その刹那、ラミーネの目前には光を描く一閃が振り払われた。
―――ゴゥンッ!
金属を弾く音が鈍く響く。
一撃で肺の中に蓄えられた空気は瞬時に枯渇し、目眩と大鎌の質量による衝撃が全身を揺さ振る。
「…くふっ!」
魔術を用い、短剣に水と風の<精>を纏わせ直撃は避けたが、それでも術師であるラミーネの腕には痺れが伝う。
「お姉ちゃんッ!止めてっ!」
「…逃げなさい、ピアッ!会話ができると…っ!」
露骨な殺意を見せる<姉>に少女は呼び掛けるも、大鎌は再び次の一撃へと構えていた。
ラミーネは尾脚を伸ばし広げ、万が一に少女へ凶刃が届かぬよう、その身を盾にする。
「まァだ、私をォ<姉>と呼ぶかッ!<化物>ぉッ!」
ラミーネのその行為、ピアのその一声にサティは激高し、怒りと憎悪を嘆き叫ぶと凶刃が弧を描き、少女へと向かって振り払われた。
真後ろに居る姿の見えない少女の震えが背中越しに伝わり、ラミーネの心臓が冷える。
―――ゴフゥッ!
また鈍い音と共にラミーネの集中力は途切れ視界を歪ませた。
先の<大鉄道>での決戦で自身の<死>や傷を負う事への覚悟や構えは幾分かできた。
しかし、そのせいか、ラミーネにはかえって<死>の先が思い浮かべ、攻撃を受ける際に強張りが増す。
自分が死ねば後ろの少女はその後、あの凶刃によって倒れるだろう。
どんな思いでどんな顔で目の前の<姉>に手を掛けられてしまうのか一瞬でも脳裏に過ぎる己が憎い。
それが自身がピアと共に笑ってきた日々、ピアと初めて出会った時の事、少女の笑顔を自分で否定してしまう自分が憎い。
「フゥッ!フゥッ…!うっううッ…!」
「はぁっ、はぁっ!」
だが、幸いかサティの息の上がり方は尋常ではない。
理由を解している暇などない、しかしてこの好機を突いて形勢逆転を狙えるはずもなし。
ラミーネはこの細い僅かな<余裕>で余裕無き防戦を、ただ必死に続ける。
だが、それも限界は来るもの。
「あっ…」
幾度目かの攻撃を防いだ際、手に握られていたはずの短剣は弾かれ無くなっていた。
そして、サティは既に次の一撃への構えを終え、大鎌は既に一閃を描いている。
起死回生とまでは言わない、凶刃が辿り着く残る瞬間、刹那の間に少女を守りきれるものはないか。
その時、ラミーネの走馬灯にも近い思考はただ赤くなびく影だけがただただと浮かぶ。
―――
常に肌を触れては抜けていく湿り気ある微風が急激に乾いたものへと変わった。
「…赤マント。」
ゴリアーデは眼前に迸る、ピアとラミーネが居るであろう、自身が向かうであろう、その先に見えた発光に足を止めた。
「…」
呼び止めた赤いマントの男は風を受けてなびく赤い襟巻きを口元に寄せ、無言で光の方向を見据えている。
「急ぐか?」
ゴリアーデが聞き出した時点でグランは足を徐々に速め、マントを風にはためかせ掛けて行く。
その表情はラミーネの安否が不安なのか、怒りに染まったかの様に歪んでいた。
ゴリアーデはその横顔を覗くと少し速度を落とし、グランの後方へと回り、後を追う。
2人は地平線が視界を横切る草原を駆け、本来見えているであろう女と少女の影を捉えようと視線を走らせる。
だが、2人の影は見当たらず、先行して走るグランは先に窪地、丘の下りがある事を目視する。
「ゴリさんッ!俺を高く飛ばしてくれッ!」
そして、グランは足を止めては振り返ると左腕の小手の装甲を開く。
「…?こ、これでいいのか!?」
ゴリアーデは言われた通り、両手を組み、前に構えては腰を落とす。
小手から楔を抜き、グランは両足に細工を施すとゴリアーデへと向かって走り、組んだ手の上に足を乗せる。
グランの足から伝わる重量と圧にゴリアーデは一瞬たじろぐも直ぐに手と腕に腰の力を込めては伝え、赤いマントを空へと高く打ち上げた。
…
ゴリアーデは腕に痛みと痺れを残し、宙を舞いなびく赤い影を見上げていた。
それは予想を遥かに凌ぐもので、数身の高さで宙返りしながら窪地へと落ちるグランを目で追う。
グランは自身の身体能力では到底行うことの出来ない<軽業>を披露する。
そして、窪地、丘の下に映る規則的に配置された岩、その付近に居る3人の人影を捉えた。
自分が共にしている一行の中には居ない人影、<それ>に向かって躊躇無く左腕をかざす。
「…イグニ、フル、ハス、イル…!<ファイヤーボール>ッ!!」
詠唱により火の赤い<精>がグランの左腕に集い、魔法の名を叫び、魔力の火炎弾が放たれた。
―――
―――ドゴォンンッッ…!!
ラミーネの首元を風と音が掠める最中、視界の片隅に赤く照らう灯火が映り、次の瞬間に轟音と土煙が周囲を覆う。
―――ガァンッ!
熱気が放たれ、煙の中でぶつかり合う音の後、赤と白の斬撃一閃が2つ走る。
―――ゴゥンッ!
更に一際大きな音とが響き火花が散り、剣戟の圧に土煙が吹き飛ぶと2人の姿が現われた。
「また、オマエかッ!」
上伸びる長い耳、真っ白い髪の褐色の女、サティが対面する者の剣に火花を散らしてはの大鎌を押し合う。
「…」
更なる乱入者、赤い襟巻き、赤いマントに身を包んだ黒髪の男、グランは剣にしては長い柄の刃元と柄頭を握り、黙して大鎌を受け止めていた。
サティは押し切ろうと力を込めるが、グランの赤い剣身はビクともせず、その身は微動だにしない。
「グランッ…!」
「…赤マントさんっ!お姉ちゃんを傷付けないでっ!」
刃を合わせ硬直する2人に対し、ラミーネと少女の願いは懇願となって響き渡る。
「…悪い。そいつは無理だ、ピアちゃん。」
口を開くとグランはそのまま呼吸を1つ、2つと取りながらサティを見据える。
瞳は赤く爛々と灯っているものの、宿るのは怒りや憎悪といったものよりはただただ冷たいもので、サティはその目を見てはたじろぐ。
そして、グランはそのまま言葉を紡ぐと一息に吐き出し剣を押し込み、サティを突き飛ばした。
「ぐっ!」
体勢を崩し、サティは後ろへと2、3歩ほど後退するも、大鎌を地面に突き立て、その勢いを殺すと再び構え直す。
だが、グランはその一瞬の隙に距離を詰め、陽を受けて赤く煌く一閃がサティの首元へと走る。
大鎌の柄を滑らせてその身を逸らし、避けるもグランはそのまま剣を振り上げ、サティの大鎌は宙を舞った。
「二対一よ!観念なさいっ!」
短剣を見つけたラミーネは形勢逆転した事に安堵し、切先をサティへ向けて吐き出す。
だが、サティの瞳は怨讐に燃えるかのように、ラミーネの短剣を見据え口角があがる。
「…その程度で私が臆するとでもッ!」
腰から雑用のものであろうか、長串を引き抜き、サティは剣を振り切った後のグランへとその切っ先を突き繰り出す。
しかし、グランは先と同じ、微動だとせずにサティの刺突をその身に受ける。
「赤マントさんっ…!」
長串の先端はグランの小札鎧の隙間縫い、腹に吸い込まれ、血が滴り落ちる。
だが、グランは以前としてそのまま、サティの両肩を掴み、折り畳むかのように地面へ組み伏せた。
「手間掛けさせやがって、この程度で俺が死ぬかよ。」
グランの瞳は呆れを越し、赤く灯っていたものは普段のくすんだものへと変わり、サティを見下ろす。
「グランっ!いくらアナタの身体でもさっさと離れ…」
刺された事は致命傷にならぬと知ってもラミーネは焦り、グランの身を案じる。
「全くだ!これでまずオマエから、今度こそ殺してやるッ!」
だが、次の瞬間にグランに対するサティの目は黒く濁り、瞳は虹と金に妖しく輝きだす。
―――<夢幻殺し>ッッ…!!
黒い閃光がグランの背中突き破り、その背から血飛沫が舞い散る。
「…」
赤いマントの男は叫び声も上げず、ただサティの瞳を見据えその身を地面へと預け崩れ、ラミーネと少女はその光景に言葉を失い、2人して膝から崩れ落ちた。
だが、サティは被さるグランから身を抜き出し、その身体からは黒い靄のようなものが纏い、包みこむ。
「つ、次は、こソ、お、オマえ、タ、タちだッっ!?」
「お、お姉ちゃん…」
禍々しい靄を身に纏い、まるで獣のように荒い息を立てながらサティは血で塗れた長串を捨て、大鎌を手探りで手繰る。
少女はそんなサティに恐怖を覚え、目に涙を浮かべ、ラミーネの服をぎゅっと掴む。
「コ、今度、次ハ、コンドこソ…」
しかし、大鎌を手にするがサティの様子は正常から悪化の一途を辿り、その瞳は光を失っていく。
「…うぉえ、ゲボっ、ガホッ!」
そして、口からどす黒い血反吐を吐き出すと、膝から崩れ落ちては大鎌にしがみ付くように項垂れ崩れた。
「お姉ちゃんッッ!」
「グランッ!」
ピアはサティの身を心配し、ラミーネはグランを案じて叫び向かっていく。
―――
「油断が過ぎたか…」
過去を振り返り終えた男は事の顛末を悟り、自嘲気味に呟いた。
背中の割けた傷をなで、半ば他人事ではあるものの、傷は本物であると実感する。
そして、男はそのまま立ち上がり、辺りを見渡す。
「…」
「…」
すると、何時の間にか目の前には自分と同じ<欠けた>人影が1つ。
男の見間違いではない、確かにそこには自身によく似た影があった。
「■■□■□□□…」
人影は右腕が肩から欠けており、何かを口にしながらこちらへ左の掌をかざす。
「…?」
だが、男は一旦手を伸ばそうとするが、躊躇してはその手を下げた。
「■□■■□■□…」
しかし、その束の間、今度は別の方向から同じく<欠けた>人影が現れ、同じ掌をかざし始めた。