37-6.診えるが途、看えぬが先
風が吹くと一帯の僅かな湿り気が肌から抜け、続いて微細な振動が肌から伝わる。
グランの目先、白みがかる木々の枝が揺れ、葉を散らし、草を踏みしめる音が加わり、人影が1つ、グランとラミーネの前に姿を現した。
「…誰!?」
「…」
ラミーネは人影に驚き、グランの赤いマントを強く握る。
だが、返答はただ弦を響かせる音のみで、グランは舌打ちすると肩を揺すりラミーネを払う。
そして、赤いマントの中から赤く光を返す刀身の剣を覗かせ、刃先を人影へと向けた。
―――ビィイィン……
刃先の光が人影へと伝わったのか、先程から奏でていた楽器の弦が強く弾かれ、その場は静寂に包まれる。
…
続く静寂にグランは剣を下げ、地面へと突き立てる。
その様子を見ると、人影は羽織るコート、頭に被るフードへ手をかけ、その身を明かし始めた。
―――…ヒュッ!
しかし、次の瞬間、グランは左手に隠し持っていた太枝を人影へと放つ。
枝は回転、弧を描きながら人影へと迫る。
―――Pin…!
―――パンッ…
だが、太枝は人影直前で僅かな高い音の後、乾いた音が響かせながら破裂し粉々となった。
「随分なご挨拶だ。山中人と交わらば、言葉による挨拶が常道と思わないカ?」
首を回し、揺らしながらフードを脱ぎ去ると、赤々とした肩程の長さの髪が風になびく。
左右非対称、青い瞳、黄色の瞳、白い肌と容姿端麗な長身の男は首元を右手でさすりながらグランへと笑いかけた。
―――ビィン…
「オレの名は<テルィー=ヴィー=ダガーサンド>。ご覧の通り、旅の<遊楽者>というヤツさ。」
一番下端の弦を爪弾くと、テルィーと名乗る男は再び弦を弾く。
「…見たところ、キミ達もあの<老人>に用があるんじゃあないカ?」
首を大きく後方に傾げ、覗き込むようにグランとラミーネにテルィーは視線をやる。
「…」
「そ、それが、どうしたのよ!」
「何、オレ達はフラれた者<同士>というヤツさ。だったら仲良く…」
―――ギュウゥン、ウゥゥン…
そうテルィーと名乗る男は肩から掛け、両手に握った楽器の弦を気取った仕草と姿勢で弾いて響かせた。
そして、一通り弦を引き鳴らし終えると再び首を後ろに傾げては覗き込むような視線を2人へと向ける。
「…ン?」
しかし、多少なりとは友好的な姿勢だった様子は一変。
目付きは鋭く、向ける視線には強い敵意が宿りはじめた。
―――ギャッ、ギャッギャッ、ギャッ、ギュゥウゥン…!
「…オマエ、もしかして、<不死身の赤マント>カ?」
テルィーは何時の間にか背を向け、仰向けに上半身を逸らし天地逆転した顔面を見せて問う。
「違うが。」
グランは眼前の奇行ともとれる姿勢からの質問に即答する。
そして、テルィーは姿勢だけを戻し、背を向けてその答えを受けると楽器を持ち替えた。
―――ギャギャギャギャッ、キューン…
「赤い剣、赤いマント、赤い襟巻き、くすんだ赤い瞳、黒髪。どれもがオレの弟、妹から聞いた外見通りだ。」
弦を指でこすり、残響の波を立たせながら、テルィーはつぶやく。
「ち、が、う、が。」
「そうか、だが、そうだな、弟、妹の恨みよりもだ。オレにとって…」
グランはテルィーの呟きに強く否定の言葉を放つが、テルィーは気にした様子も無く、腕を天へと伸ばし、その身を翻す。
「オマエの<赤さ>が気に食、わ、ナ、イ♪」
首を左右に振り、髪を振り回しながら振り向きざまに楽器へと腕を振り下ろした。
―――GuuWoonnn…!
これまでの弦の音ではない、<何か>が込められた音色が響く。
その放たれた<音>にはあきらかに<指向性>があることが僅かになびく短草でグランは感じとった。
「…え?」
だが、向かう先はグランではなくラミーネ。
グランの後方に居るとはいえ、決して<真後ろ>に立っているわけではない。
その僅かな差を縫って、テルィーの放った<音>は彼女へと走る。
「…チィッ!」
舌打ちと同時に、グランはラミーネと音の向かう先の間に腕を伸ばす。
その瞬間、腕には何か<紐>、<鎖>のような<巻きつく>感覚があった。
―――GuWn…!GuWn…!
しかし、グランは違和感に詮索する間もなく、テルィーの次なる<音>が放たれる。
そして、ラミーネの前に立ち、向い迫る<音>を前にしたグランの体には更なる違和感が<巻きつく>。
「…!」
ラミーネは以前と呆然としたままで眼前のテルィーは奇妙な姿勢で楽器を構えているだけ。
テルィーが追撃に直接的な行動を起こさない事へグランの背筋には悪寒が走った。
「…クソがッ!」
待ち構えている事に危機感を受け、グランは咄嗟にテルィーへと向かって走り出す。
だが、姿勢も踏み込みも甘く、グランは半ば倒れ込む状態で剣を握る。
―――Woonnn…!
そして、新たな<音>がテルィーの楽器から放たれた。
…
―――ドォォォンッッッ!
次の瞬間、グランの身体から閃光が放たれ、辺りの空気が巨大な音と共に爆ぜる。
―――
「…それで、ご老人、<厄介な客>というのは如何様な者にござるか?」
ソウシロウは毛玉ドワーフを背負いながら木々の合間を縫うように駆けて行く。
「…ふぅ~む。それよりこっちじゃ。」
ソウシロウの束ねた髪を手綱のようにし、毛玉ドワーフは向かう先を示す。
「ご老人!」
「急くな、急くな。少しでも向きを違えばそれだけあの<空っぽ>とは離れるだけじゃ。」
自身の扱いに少々不満を持ったソウシロウは毛玉ドワーフへと苦言を申すも、逆に宥められてしまう。
「そやつは数日前、おンしらが尋ねる前に来ての。自分の<楽器>を調律して欲しいと頼んできたのじゃ。」
「…楽器…にござるか?」
僅かな段差、小岩、倒木片が迫る度に跳び避けながらソウシロウは聞き返す。
「うむ、<竜の髭>を弦にした<龍顎琴>。それの亜種、といえるものかのぉ?」
「話からするに拙者らと同じく<直さなかった>と見受けられるが…」
毛玉ドワーフはソウシロウの言葉に髭を擦りながら沈黙する。
「…なんというかのぉ、そやつ、おンしらとは違い意志の向きだけはしっかりしておってのォ。」
「…ははは。しからば何故?」
ソウシロウは軽く苦笑し、毛玉ドワーフの言葉に耳を貸す。
「単にそれが<邪>なものと感じたからじゃ。道具の扱い方も含めての。要するにワシが気に食わなかったんじゃ。」
「<邪>な意志に、<竜>の楽器にござるか…」
毛玉ドワーフに髪を手綱のようにされながら、ソウシロウは考えを巡らせながら足を速める。
―――ドォォォンッッッ!
そのとき、木々の向こうから轟音と共に、閃光が一瞬だけ眩く。
「ご老人!しっかりと掴まっていてくだされ!」
ソウシロウは毛玉ドワーフを背負い直し、閃光と轟音の方向へと足に力を込めて駆け出した。
―――
赤いマント、赤い襟巻きから白い煙が立ち昇る。
「…かはッ!」
「…五体は満足、黒焦げにもならない。やはり<調律>ができていないカ。」
グランはその場に膝を着き、赤黒い血を吐き出す。
「それとも、弟、妹の言う通りの本当に<不死身の赤マント>カ。」
「…グラン!」
剣を突き立て、何とか地面へと伏すのを堪えるグランにラミーネは駆け寄る。
その様子を見たテルィーは舌打ちし、再び弦の恥を弾いては構えた。
―――ギューゥンッ!
「気に食わないなァ、美しい<赤>はオレだけのものであるべきだ。」
左右に首を振り、赤い髪を乱しながらテルィーは呟く。
「…ラミーネ。俺の腰に手を当てろ…」
「何を言って…」
「…早くッ。」
グランはテルィーを睨みつけたまま、ラミーネへと指示する。
地を向く剣先は震え、足も覚束無い様子にラミーネはただならぬ雰囲気を感じとり、言われた通りにした。
―――ギャギャギャッギャッギャーン…
「…グライ、<アースシールド>ッ。」
グランの身体からグランの腰に手を当てたラミーネの腕へと伝わっていく。
「…構えて自分を守れッ!」
「で、でも…」
「早くしろッ!」
グランの身体はその不死性からか、回復や治癒の魔法、魔術を一切受け付けない。
戦いの渦中、親身に心配をするだけ無駄な行為である。
それを示すかのようにテルィーの奏でる音は止まらずにいた。
―――ギュゥゥン、ギュォン、ギュォン、ウォォォオン!
―――GuWon…!
「構えろッ!」
余裕をみせてか、しばらくの鼻歌とそれに合わせた伴奏の後、あきらかに違う<音>がテルィーの楽器から奏でられた。
その<音>は先のグランが受けたものと同様。
ラミーネはグランの指示通り、腕を前に出して構えた。
「…!?」
魔法盾が現れ、<音>を受ける。
しかし、魔法盾越しながら、<音>が<巻きつく>事、その違和感をラミーネは実感する。
「…盾を剥がせ!」
―――Wonnnッ!
グランの声と共に、魔法盾はテルィーの次なる<音>を受け止めた。
ラミーネは即座に魔力を流し、魔法盾との結合を解く。
―――ドォォオオォンッ!
「きゃああッッ!!」
魔法盾はその瞬間に爆ぜ、その衝撃はラミーネを吹き飛ばし、グランを地面へと叩きつけた。
「…チッ!」
直撃を免れた事に、赤い髪を振り乱しながらテルィーは舌打ちする。
テルィーの放った<音>によって、魔法盾は完全に崩壊し、その衝撃に耐えられなかったラミーネは吹き飛ばされた。
グランも今度こそは地面に伏し、顔面を短草にこすりつける。
―――ギャッギャッ、ギャンッッ!
「まぁ、ここまでくれば後はトドメを刺すだけカ。」
焦りに苛立ちに気付いたテルィーは、楽器を構え直し、演奏で気を涼めながらそう呟く。
テルィーは一歩ずつ、倒れるグランとラミーネへと歩み寄った。
「…イデッ!」
その時、テルィーの頭上からイガイガした刺激が頭部に走る。
それは、栗、<春栗>の殻の破片。
爆発の衝撃がテルィーの頭上にあった木々から実を落とす事となった。
「…あぎゃッ!」
そして、不意に踏み出した足にも殻のトゲが突き刺さり、テルィーは思わず声を上げる。
「…ク、クソッ!」
足先で<春栗>を払いのけ、テルィーは苛立たちながら進路を確保し進む。
しかし、トドメへと近づいていた赤マントの男の姿は既に身を起こし、その場に居ない。
グランは吹き飛んだラミーネへと半ば体、片足を引き摺る様に寄る。
「…ラミーネ。意識は?身体は動くか?」
「…ア、アナタよりは大丈夫なはずよ。」
額に、全身に血を滴らせる、赤マントの男をラミーネは見つめ返す。
「…じゃあ、やり返す気はあるか?」
「何か、手はあるの?」
グランの問いにラミーネは問いで返すが、グランはその瞳が爛々と赤く灯った状態で頷く。
「お前さんには少し痛い思いをするけどな。」
それを確認し、ラミーネはテルィーへと向き、頷き返した。
―――ギャギャ、ギャッギャッギャッ!
弦の音が刺々しく2人へと近づく。