36-6.浮き足立つ旅路
闇が覆いだす荒野の空、3人は為す術もなく突如現れた巨躯の影を見上げるしかなった。
翼、爪、眼、僅かな光と浮かび上がる陰影だけでも、それがヒト1人では適わないのを物語っている。
「くすぐったいよ!ベルダオブ!すっかり甘えん坊になっちゃったなぁ…」
しかし、次の瞬間、その影、その正体である<鷲獅子>、<グリフォン>のベルダオブは頭垂らしラーシェンに擦りつけだす。
「むー、折角、迎えに来てあげたのにッ!無視とかッ!」
その<鷲獅子>の上に跨り、頭の動きで豊満な胸を揺れ動かしながら、後ろ髪がハネた青髪の女、エリーデは腕を組んで頬を膨らませた。
「ははは、すみません。でも、ここに来てくれて、すごい心強いです。」
ラーシェンの困り気味に左右の触覚を交互に上げ下げする仕草と彼の言葉を聞くと、エリーデは表情を和らげる。
「ま、まぁ?稼ぎ頭の私がこうして来てあげたんだから、当然よね。」
フフン、と鼻を鳴らし、エリーデは機嫌が直る様子を見せると一行に気が付く。
「エリーデだったな。」
「あ、えへへ、その節はどうも、お騒がせしました。」
そして、ゴリアーデが声を掛けると、エリーデは以前列車での出来事を思い出し、緊張し頬を朱に染めて照れた。
「そ、それで?もうトゥルパさんのところへ戻っていいの?」
誤魔化す様に、本題を思い出したようにエリーデはラーシェンに話を振る。
「はい。目的のものも十分な量を確保できましたので。」
そうゴリアーデの抱え、背負う<砂鮫>を見せラーシェンは笑顔で頷き返す。
「…」
しかし、エリーデは何やら眉間に皺を刻み、目を細めラーシェンの顔を凝視し始める。
「…どうかしまして?」
「あー、う~~~ん。流石に定員オーバーかなぁ、って…。重さよりもこの子の背中的に。」
少し考えた後、エリーデはあごに指を当て唸ると、自分の後ろの空きに視線を向けた。
「がんばっても1人は乗せられないかなぁ、でも、幾らなんでもヒトを荷物みたいに運ぶわけには…」
「あぁ、それでしたら。」
「うむ、問題はないだろう。」
エリーデの悩みを理解したウィレミナとゴリアーデは同時に頷く。
―――
双子月が浮かび、星々が煌き、紫のエーテル流がオーロラとなって駆ける、幻想的な夜光の空ではあるが、地表はすっかりと闇に染まっている。
熾した焚き火の中で確保された僅かな視界、その中で座して時を待つ男は常に吹く風とは違う音を聞き取った。
「…お、戻ってきた様でござるな。」
男、ソウシロウは空を仰ぎ、その中を飛ぶ影を捉える。
同時に焚き火の灯りを頭部で反射させながらトゥルパが土埃にまみれて闇の中から姿を現した。
「おぅ、どうやら丁度良い頃合いだったな。」
手にしたシャベルを地面に刺し、カンテラで自分を照らしてながら埃を払いつつ、トゥルパはソウシロウの言葉に応じる。
そして、彼の視線を追うと巻き上がる風と共に影が付近に降り立つ。
「ニヘヘ、ボス、ただいま戻ってきましたよ。」
その影は女の人型を撮り、それはエリーデであり、続いてラーシェン、ウィレミナ、ゴリアーデと姿を見せた。
「あん?赤マントの野郎はどうした?」
トゥルパは戻ってきた一行に1人だけ欠けている事に気付き、エリーデに尋ねる。
すると、エリーデは頭に巨大な疑問符を浮かべた。
「あ。」
一言そう漏らすと急ぎ振り返り、ベルダオブの前足を覗く。
<鷲獅子>の鋭い鉤爪がある指の隙間からは雑草のような黒髪と赤い襟巻きがはみ出し、それは地面に埋まっている状態であった。
「あわわわッ!す、すみません!」
ラーシェンがエリーデよりも真っ先に反応し、ベルダオブの前足をどかせ、赤マントの男を掘り起こそうとする。
「あぁ、大丈夫でござるよ、ラーシェン殿。先に荷の確認をするでござる。」
「い、いえ、でも…!?」
焦るラーシェンに対しソウシロウは余りに冷静、いや、無関心で何度も見てきたかのような落ち着き具合。
「心配するな、伊達に<不死身>は通っていない。」
「えぇ、そうですわ。しばらくすれば勝手に起き上がってきますわよ。」
ゴリアーデもウィレミナもそれを見越した上でグランを雑に運搬させてきたのだとラーシェンは察した。
「ト、トゥルパさん!」
「あー、心配するな、心配するな。そいつは<飛竜>に身体を真っ向に噛み付かれて、尾撃を受けても死なんから。」
トゥルパに至ってはグランの状況を一目だけ見ると、失望気味に言い放ちエリーデの後ろ首を掴むと作業を進めだす。
「あー、戻ってきたの?どんな具合?」
続き、待機組みのラミーネが顔を覗かせると、ラーシェンの手元の赤い襟巻きを見るとすぐに他の仲間の方へ見る。
「…い、いいんですか!?」
「まぁー、何時もの事だから大丈夫よ。」
そう言って欠伸をしながら身体を伸ばし、ラミーネはラーシェンの背中を軽く叩くと薄翠色の長い髪を揺らしながら焚き火へと向かった。
「大丈夫だと思うかい?ベルダオブ…」
どかした前足を適当な場所に下ろすと<鷲獅子>は頭と翼を伏せて目を閉じ、ラーシェンへ応える。
「…」
「おかえりなさい。ラーシェンくん。」
次にピアが後ろから声をラーシェンに掛け、一行の赤いマントの男の扱いに困惑しながら振り向く。
「ご、ごめん、グランさんをこんな風にしてるのは…」
「…赤マントさん、起きてください。風邪ひいちゃいますよ?」
焦り言い訳がましい姿勢を見せてしまうラーシェンだが、ピアはただ眠たげな目をこすりながらグランの黒髪に手を触れた。
「…あいるびーばっくッッ!!」
そして、頭を数回撫でたかと思うと、一瞬グランの黒髪と赤い襟巻きが逆立ち、声と共に飛び上がる。
同時に驚いたラーシェンは後ろに倒れ、ピアは困った顔でラーシェンへ寄って背中をさすった。
「オレハドコ…ココハダレ…いや、ピアちゃんが居る、って事は戻ってきたのか…?」
身体の各所を捻りながら、現状を把握をしようと頭を回す。
「あ、あのー…」
「…言うな、言うな、キミが悪いのではないだろうし。…周囲からの俺の扱かわれかたは理解している。」
頭を軽く抱え、状況を察すると溜息を吐くグラン。
だが、やり場の無いもやもやがある事もラーシェンは感じ取れるも、それは少女の前で口にできない様子だった。
それをゴホンと咳払いをし、グランはラーシェンと正面を向く。
「ま、もしキミが俺に対し悪気を感じるならば、明日の朝には上手い飯でも食わせてくれ。それでチャラという事で。」
そうグランは言うとラーシェンの肩を気さくに叩き、ゴリアーデ達の居る別方向へ去っていこうとする。
「そういうワケで身体張った功労者の俺は一足先に寝かせてもらうぜ。」
しかし、暗闇に赤いマントが溶け込んで消えようとした途端、何かが光り輝き、腕が生えてくるとグランの肩を掴んだ。
「美味い飯が食いたいなら、お前もこっちだ。」
「…な!?」
グランは後ろを振り向くとそこにはトゥルパが頭部と前歯を輝かせて立っていた。
―――
「…だから、エラに刃を当てて切り込みを入れる。それで腹を割けば自然と開く、そこに臓物に青いものがあるだろ?」
「うーん…ン~?、ンー…」
トゥルパの指示のもと、吊るされた<砂鮫>に刃を入れていき、肉や内臓を分けていく。
だが、グランの手際はもどかしく、刃の入れ方1つですら下手であった。
「かーッ、下手だなッ!お前、本当に冒険者なのか?」
「…すいませんね。持ち合わせの携行食分きっちりで済ませる冒険ばかりしているものですから。」
作業をしつつ、グランはトゥルパの挑発をあしらうが、他にも自分の様な者もおるだろうと周囲を伺う。
しかし、同じ漁獲組のウィレミナはともかく、ゴリアーデすらラーシェンの指示のもと青い内臓を手際良く切り分けていた。
ソウシロウとラミーネも日常的にやり慣れた様な手付きであり、手際良く作業を進めている。
そして、何時の間にか居るカルマンは何時もの調子良い喋りもせず、目の前に吊るされ並ぶ<砂鮫>1匹1匹にまるで機械が如く工程を加え処理していく。
「…ほぉ~、やるじゃねぇか、あのオカマ野郎。」
「…」
寡黙に仕事を進めていくカルマンに唸りをあげて感心し賞賛するトゥルパ。
グランは自分が取り分けた青い内臓の量をみて寂しく溜息を漏らした。
―――
…
「さぁ、ホレ、焼きあがったぞ。」
作業を終え、各々は焚き火で炙った捌いた腕一本はあろうかという大きな串焼きを手にする。
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砂鮫の炙り串
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<砂鮫>の白身の肉は帯びた熱が脂を滴らせ、振るった塩を輝かせる。
匂いはクセのあるものだが食欲をそそるには十分であった。
「さぁ、遠慮するな食え、食え。」
―――いただきます。
一行はトゥルパが齧り付いたのを見ると、それに続くように食事を開始する。
「…」
「…」
しかし、料理を口にした一行からは不思議と何も言葉が出ず、ただもくもく、黙々と咀嚼する音だけが響く。
そして、その味の価値はラーシェンとエリーデが余り進んでない様子から合点がいきはじめた。
「うはは!言葉にでないくらい美味いか!」
「…えーっと、いえ、そのー。」
「…」
高笑いするトゥルパにウィレミナは言葉を濁す。ソウシロウも同じく、その味をどう評価していいものかと困った表情を見せる。
「…強いて言うなら、まずくね?」
だが、グランは率直な感想を、悪びれもなく言葉にし、その一言に一行が視線を向けるとトゥルパは立ち上がった。
「そ、それはお前が捌くのが下手だった身だからだろう!?なぁ!?お前達、前には美味いって。」
トゥルパはラーシェンとエリーデへと同意を求めるが、2人は互いに目を合わせては逸らす。
そして、ラーシェンは申し訳なさそうに口を開いた。
「すみません、トゥルパさん…以前はドレッシングがあって、それとはとても良く合ったのですが…」
「正直、身だけだと淡白すぎてちょっと…ねぇ?」
ラーシェンに続いてエリーデも降参する様に手を上げ、一行の消極的な感想にトゥルパは膝をついた。
「…致し方なしにござるな!」
見かねたトゥルパの姿とこの味気ない串焼きに意を決したソウシロウは声を大にして立ち上がるとトゥルパの元へ歩む。
「ささ、その串焼きを見せるにござる、トゥルパ殿。」
言うがままのトゥルパにソウシロウは袖口をまさぐると小さな小瓶を取り出す。
そして、手にされた串焼きの肉へ数滴垂らすと、それが光輝きだした。
「さぁ、召し上がられよ。」
促されるトゥルパはただ黙ってを口に運ぶ。
―――う、う、う…
串焼きを飲み込むと前のめりになるトゥルパ。
―――うーーーまーーーいーーぞーーーーーッ!
次の瞬間、まるで顔面の穴という穴から光が溢れるかのような表情をする。
「こ、これはまるで白身の肉に絹のベールを纏わせたかのような味わい!そして、肉の脂を引き立たせる塩味と酷ぅッ!」
トゥルパは膝を震わせながら立ち上がり、串焼きを頬張りながらラーシェンとエリーデの方を向く。
「それだけじゃない、何か似ている物は知っていながら<個>を感じさせ、鼻の中を漂うこの独特の風味!美味い!美味すぎる!」
夢中になるトゥルパを見たせいか、ラーシェンとエリーデも、その姿に自ずと興味が湧き、2人は施しを求めるかのように串焼きをかざした。
ソウシロウは笑顔を見せると、その2つに小瓶の雫を数滴垂らす。
「ンーッ!うまひ~~~~~ッ!」
「こ、これが極東の味!サブラヒのソウルなのですね!?」
2人も口に運んだ瞬間、トゥルパと同様に表情から光を放つ。
「ははは、大袈裟にござるなぁ。」
そう言いながらも満足に笑みを零しつつ、一行の方にも小瓶を見せる。
「ソウシロウ様、それは、まさか。」
「ま、まさか、それが噂に聞く<醤油>だというのか…!」
ウィレミナとゴリアーデも先の2人に習い、串焼きを掲げ、施しを待つ。
「…<ショーユ>?」
「ヒノモトの調味料だよ。豆から作った…漁醤みたいなもんだ。」
グランに尋ねるカルマンにヒノモトの調味料、<ショーユ>について軽く説明をする。
「豆なのか魚なのか解りにくいわネ。でも聞いた事を思い出したワ!それが<ミソ>ってヤツネ!」
「…それはまた違うのでござるが、まぁ原料と製法は似ているでござる。」
ソウシロウはそう言ってカルマン、ラミーネ、ピアの串焼きにも<醤油>を垂らした。
「赤法師殿はヒノモトの味に慣れた様子でござるが、必要にござるか?」
「モチのロンに必要!」
…
何やら香ばしい匂いの中、賑やかになった己の騎手達の姿に2匹の<鷲獅子>、ベルダオブとオブダベルは首を伸ばしその様子をしばらく眺めていた。
だが、自分達の食事は翌朝になってからと理解するや、疲れた翼と身体を休める為に、2匹はすぐに眠りにつく。
―――
翌朝、一行は早々に出発の準備を始めていた。
カルマンの<自動車>には大きめの膨らんだ風船状のもの、<エーテル浮き>が四隅に取り付けられ、既に<浮き>は宙の中を緩やかに揺れている。
「本当に浮かぶのかねぇ?」
「まぁ、待てって。大きくもなればそれだけ<浮き>が機能しだすまで時間がかかる。」
一行は<自動車>の座席に乗り込み、後は車体が浮かぶのを待っていた。
一方でのラーシェンとエリーデは<鷲獅子>に先日の<砂鮫>の身で遊ばせながら与えている。
「それにしても随分と早く、この<浮き>が作れたものにござるな?」
ソウシロウは<浮き>を見上げながら呟く。
「そりゃーお前、その<浮き>はエリーデに持って来させた分だからに決まってるだろ。そもそも<浮き>の材料はこれから土に埋めて精製し、数週間はかかる。」
「…は?」
トゥルパの発言に自分達が態々<砂鮫>を獲りに行った意味がないと知り、グランは口をぽかんと開けてしまった。
その疑問に呆れた溜息をついてトゥルパはすかさず答える。
「何言ってやがんだ、お前達が消費した分はウチだって必要なものなんだぜ?ましてや今後は<大鉄道>が機能しないんだ需要は高まる。」
「…うっ。」
トゥルパの正論、<大鉄道>が機能不全の一端を自分達が担っている事にグランはつい口ごもる。
「それに、貴重な<グリフォン>を2匹、騎手も2人使わせてるんだぜ?本来ならもっと報酬を貰わないといけないところだ。」
「コレばっかりは足元を露骨に見られていないだけ助かってるわネ☆」
さも何もかも見通した様に言うカルマンにグランは睨みつけるも、当人はただハンドルを握り、口笛を鳴らすだけだった。
その時、車体がぐらりと傾きだし、<自動車>が浮き始める。
「おーし、2人とも仕事だ、仕事!準備はできてるな?」
トゥルパの掛け声にラーシェンとエリーデは<鷲獅子>に騎乗し、準備が済んだ合図を送った。
<自動車>と2匹の<鷲獅子>がロープで連結され、後は<浮き>の調子が乗るのを待つだけとなる。
「お嬢ちゃん、コイツをもってきな。」
トゥルパは印がつけられた1枚の小さな地図をピアへと渡す。
「必要無いかも知れないが、ここら一帯を巡ってるフォウッドのキャラバンの位置を記してある。」
「あ、ありがとうございます!」
予期せぬ有力な情報にピアからは輝く笑顔が浮かび、トゥルパは恥かしそうに鼻を擦った。
「アラ、いいところだらけなのネ、ハゲのくせに☆」
「うるせーッ、ハゲじゃねぇって言ってるだろ!オカマ野郎ッ!」
そして、からかうカルマンにトゥルパは頭に湯気を立ち昇らせ、自動車と地面を繋ぎとめていたロープを切り離す。
車体はゆっくりと揚がり、トゥルパからは<自動車>の底が覗ける程となる。
「おい、赤マント!また女の子を泣かせるんじゃねーぞ!」
「泣かせてねーよッ!釈明とり難い状況で人聞きの悪い事を言うな!」
トゥルパがニヤリと笑うと頷き、2匹の<翼獅子>は大きく翼を広げた。
―――ブォンッ……!
そして、風を巻き起こすと、一瞬にして手を振るトゥルパの姿は小さくなる。
一行はその姿を見届けた後、今度は地平線から頭を出した陽に向かって飛んで行く。