35-7.新生
女が少女であった頃、少女には血の繋がりなど無い<姉>が居り、少女には自分より小さな弟と妹が居て、甘えを許してくれるのは彼女だけだった。
時は流れ、少女も一丁前で達者な口を利くようになった頃の事である。
少女が家路に着く際、姉は綺麗な帯と透き通る薄布を身にし、色とりどりの花弁に見舞われ祝福を受けていた。
彼女は<王>に嫁ぐ事となり、人々は自分達の住む場から妃が誕生した事を慶び、祝福と別れの言葉を贈る。
だが、家族よりも家族と居たような時間が失われた事に、少女は当然不満だった。
そのまま<宮>へ迎え入れられた姉とは二度と言葉を交わせなってしまう。
…
しかし、少女と姉は再会を果たす事ができた。
街の隅から海を挟んだ断崖絶壁、宮殿区画から僅かに覗かせるテラスが2人を巡り会わせてくれる。
海から吹き上がる潮風で互いの声は届かなかったが、姉は少女に気付く度、手を振っては何時もの笑顔を見せてくれていた。
だが、それも長くは続かない。
しばらくの間、姉が姿を現さない事が続き、姿を現しても顔には疲れが見えていた。
その後の彼女は少女に気が付く事もなく、ただ水平線の先を遠く眺める事が続く。
それでも少女は姉の姿を見れるならばと通うのをやめる事ができなかった。
…
少女が何時も通り、姉の姿が見える場所まで来ると姉はやはり何時も通りに海の向こうをただ見詰めていた。
しかし、顔には布が掛けられ、顔を見る事はできずにいる。
少女は例え届かなくとも、姉の名を何度も叫ぶが潮騒と波音に打ち消されていた。
その時、海の向こうから吹く突風が強く吹き上がり、姉のの顔を覆う布が風に舞い上げられて、隠されていた姿が露わになると、少女は言葉を失う。
姉の顔、その瞳はまぶたと共に抉られ、2つの空洞が少女をただ見詰める。
風が止み、姉が顔の布が無くなった事に気が付くと、彼女はテラスに身を預け、そのまま自身を投げ捨てた。
伸びた下半身の美しい模様と鱗が太陽に反射し、美しく光り輝き、姉は断崖絶壁を下る。
少女の瞳はその後を拒む事ができずに追ってしまい、崖下の岩礁へと落ちてしまった姉の瞳は、ただ少女を見詰めていた。
…
刹那を境に、少女は今の<世界>を捨てると決める。
―――
フェイルロゥは捕らわれた5人に向かって小杖を振り下ろし、<無頭巨人>に攻撃の命令を下す。
―――Oooooo…!! OOOOOOOoooッッ!!
唸り声を響かせ、<無頭巨人>の拳が塔に向かって振り降ろされ、轟音と共に塔の上部が吹き飛び崩れ落ちていく。
「ふむ、中々に爽快、快適だな。躊躇が無い、命令の通りに動く。」
「ア、アナタ、狂ってるワ。」
塔を攻撃するという事は自身も巻き添えを喰らう事、しかしフェイルロゥはただ笑うだけで5人を見下していた。
攻撃により綺麗に吹き飛んだ塔の天井部は開け、土埃と僅かな瓦礫が舞い散り、大空が顔を覗かせる。
そして、その大空には何処か違和感を感じさせるものがあった。
「心配はするな、今はまだ、お前達を処分する頃合ではないからな。存分に生き足掻いて貰う。」
小杖をゲウトへと返し、今度は別の<筒>がフェイルロゥの手に渡される。
手にした<筒>を確認し、視線をゲウトへと向けると、彼は眼鏡に指を立て、光らせながら頷いた。
フェイルロゥは機嫌良く鼻を鳴らし<筒>の端を押し込む。
すると、周囲は一瞬だけ強い雑音と圧の雑じり合った感覚に襲われるも、直ぐに治まった。
それと同時に開けたはずの天井部が再び影に覆われる。
見上げるカルマン達が目にするのは、船底。
「バ、バカな。あんな巨大な<飛行艇>が、空に停泊し続けていたじゃとぉッ!?」
スタイブは空に浮かんだ飛行艇を見て、驚愕の声を上げた。
別段、<空を飛ぶ船>が珍しい訳ではなく、大陸西部では既に様々な航空手段が用いられ、実用化され、<飛行艇>は内の1つに過ぎない。
だが、その<飛行艇>はスタイブ、見上げる者達全員の知る物とは大きくかけ離れていたのだ。
それは長期外航に用いる様な貨物船に匹敵し、<船>どころか<艦>と表現しても良い程の大型船。
そんな船が宙に浮かび、何よりもその姿をコレまでの間に誰も認識できずにいた。
「さぁ、見ろッ、ヴァレンツ!お前の夢画いた、お前の船だッ!ハハハッ!」
「Uuuu…Ahaa…」
無邪気に鉄仮面の男に肩を回し、寄り添い身体を揺らしてはフェイルロゥは満足そうに笑う。
カルマン達は状況に唖然とし、ただ見上げる事しかできなかった。
「…さて、余興はもう仕舞いにするか。街への混乱はどうみる?」
「かしこまりました。…そうですね、被害は十分出ているかと思われます。」
フェイルロゥはゲウトの報告に頷くと次へ向けた指示を飛ばし、ゲウトは手を叩いて合図する。
―――パンッ!パンッ!
…
―――ヴヴッ…ヴヴヴヴヴ…
乾いた音が塔の頂上部、周囲に響き渡るとしばしの間を置き、羽音のような音が徐々に大きくなり、その羽音の正体が姿を現す。
「…ゲウト様、参りました。」
蟲の羽を側面に供えた円盤状の台座、その上にはゲウト配下の女召使いが何処か気怠そうに手摺りに身を掛け、彼を見下ろしていた。
「ご苦労。…さぁ閣下、こちらへ。」
ゲウトの案内に従い、フェイルロゥは女召使いの近付けた円盤台座に乗り込み、鉄仮面とゲウトもそれに続く。
「…やはり5人は多いな、2人程減らすか。」
フェイルロゥはぼつりとつぶやき、ゲウトを視線を送ると、彼も静かに頷き返した。
ゲウトが手にしていた小杖を振ると5人を拘束していた<単眼蜘蛛>は次々に脚を開くと塔の外へと向かう。
「デデンくん、どうぞ、こちらに。」
ゲウトが先程から一切口を開いていなかったデデン=エデクゥスの名を呼ぶと、彼は突如として立ち上がり、ゲウトの居る円盤台座へと静かに歩みを進める。
「エデクゥス卿!どうして!?」
アンドンがデデン=エデクゥスを制止させようと声を掛けるも、彼はまるで聞こえていないかのように歩みを止めなかった。
「あぁ、ご心配なく。彼はもう意識がないでしょう、私以外の声を掛けても聞こえません。」
ゲウトは淡々と説明すると、それを示す装置のようなものがデデンの首裏に取り着けられているのが伺える。
「ゲウトッ!貴様ッ!」
余りに今日は無言であった彼の行動に心配していたアンドンは激昂するも、ゲウトはただ口角を吊り上げた。
そして、円盤台座は塔からゆっくりと宙に浮かび上がり始める。
「…何かご不満がございますか、閣下?」
表情が読み取れぬ中、ゲウトはフェイルロゥに顔を向けて問い掛け機嫌を伺い、フェイルロゥはただアゴを擦った。
「フム、こちらの意図でどちらにでも傾けられる者が1人居るなら他は要らぬな。残りは処分しろ、運が良ければ生き残るだろう。」
「…御意に。」
ゲウトは小杖を上に振り上げ、自分らを乗せた円盤台座が安全圏に入るのを待った。
―――Oooooッ… OooOOO…
その動作に呼応する様に<無頭巨人>は再び塔へと狙いを定め、構えを取り始める。
「ク、クソッ!」
身体が思う様に動かないカルマン達は、ただ塔を殴りつけんとする巨人を見上げる事しかできなかった。
「…ヒッ、ヒィイィィッ!ま、待て、待ってくれッ!いや、待ってくだされッ!従うッ!頭を垂れるッ!靴も舐めましょうッ!」
しかし、スタイブだけは立ち上がり、その老体と思えぬ機敏な動きで円盤へと走る。
「スタイブ卿!?」
「あの、クソジジィ…」
スタイブは円盤の縁にある僅かな手摺りへ飛びつき、必死に円盤台座へと両手で齧り付いた。
「この老体、<老犬>、今之より<閣下>の下僕と成りまするッ!儂も、儂も連れて行ってくだされッ!!」
スタイブは必死に懇願し、フェイルロゥへ慈悲を請う。
「…如何なさいますか?」
「フン、少しは<芸>ができるようになったか。乗船まで放っておけ、落ちれば死ぬ。」
フェイルロゥの返答にゲウトは頷くと、召使に円盤台座の上昇を早める様に合図した。
万事休す。
残されたアンドン、カルマン、ミカはただ<無頭巨人>の拳が塔を砕くのを見届けるしかない。
上空で此方を見下ろし、ゲウトの眼鏡がほくそ笑みを浮かべ光る。
…
だが、その時であった。
ゲウト達の背後、カルマン達の正面には強く光り輝く炎と水が混ざり合う柱が立ち上り、中に影が浮かび出す。
場の全員が<柱>へと注視し、柱の中の影がその形状を徐々に明確にさせていくと、柱の中の存在にゲウトは身を硬くした。
「<アレ>は破壊ッ!しなければッッ!!」
状況を楽しみ愉悦に浸りつつあったゲウトの心境は一変し、恐怖と焦りが胸を締め付ける。
そして、小杖を柱へと向け、<無頭巨人>に指示を出す。
―――OooOooOOOoooooッッ!!
<無頭巨人>は柱へと向かって拳を突き出す。
それは空を割く衝撃だけでも強い風を巻き起こすものであった。
…
だが、<柱>は拳を受けた部分が光り、弾けるだけでそのものは通さない。
ゲウトは舌打ちすると小杖を振り、身を引かせ、再び攻撃の支持を与える。
―――OOOOOOOOOOooッッッ!
<無頭巨人>が両手を組み、再度<柱>に向かって攻撃を加えようとする瞬間、<柱>の中で明確になっていく影が突然動き出す。
―――ゴォオォォンッッッ!!
巨大な衝撃音と閃光が放たれ、響き、柱が消滅したかに見えた。
しかし、土煙が消えると地に突き伏せられているのは<無頭巨人>の方であり、光る柱からは同じ様に組まれた両手、両腕が振り下ろされた状態で覗かせている。
柱から現れたもの、一同全員がその存在に喉を鳴らした瞬間であった。
輝く柱は縦に割かれ、中の影の正体が姿を見せる。
…
それは赤い仮面の様な嘴、長く薄翠色の鬣をなびかせた存在。
曲線を画くような身体のフォルムでありながら、柔らかさよりも攻撃的、刃が如し鋭さを表している。
「…<アレ>は、<アレ>が<竜>…?まさか、赤マントちゃんが!?」
カルマンは目を擦りながら、グランの述べていた変身能力を想起させていた。
だが、その<竜>は何か違和感、カルマンの知るグランとは通じる要素が薄いと感じる。
「<竜>…<ドラゴン>というよりはさながら<ナーガ>だね…」
ミカがよろめきながら、その塔の端に近付きながら呟いた。
「…確か、<サーペント>や<ワイワーム>等の蛇の様な胴長、長尾の竜種だったか。」
それに続き、アンドンもカルマンとミカの後を追うように歩み寄る。
全身を見渡せるようになると、下半身は大蛇が如く、太く長い尾を携えていた。
「…そう、うん、正しく<ナーガ>だ。下半身が蛇、上半身が腕を持つ古代竜、古代信仰が消え行く今の世で<ネレイド族>が<極大精霊>と共に未だその<信仰>を…」
ミカが記憶を探りながら、<ナーガ>について語ろうとした瞬間、その言葉は止まる。
「どうかしたのか、アケアルダ?」
「そうだ、そうか、<ネレイド>…、薄翠の髪、下半身の白い鱗、そうか、<アレ>はボクの部下の…」
ミカは記憶の中からある存在に気付き、目の前の<竜>の正体を悟った。
次の瞬間、<竜>の仮面の下嘴が左右に開き、中から直列する歯が並び、今度はそれらが上下に開く。
「…ラミーネッ!!」
そして、<竜>は天に向かい、ただ空を振るわせる声無き雄叫びを上げると、下半身に勢い付け<無頭巨人>を打ち上げた。