35-6.新生
息が切れだし、石畳を駆る足も限界を迎え始めた頃、周囲の荒れ果てる惨状はより増してゆく。
しかし、倒れる人々の姿は無く、<単眼蜘蛛>の残骸が転がる光景にグランは違和感を覚えていた。
「…こ、ここら辺は自警団が対処し終えたのか?」
周囲を見渡せば、何やら相応しい激戦の痕跡が見受けられるも、それらを裏付ける遺体や怪我人の姿は一切見られない。
だが、あの子供達の足となるとそう遠くからは逃げては来れるとも思えなかった。
そして、一部に目立つ流血の痕と<単眼蜘蛛>の残骸の量からここで戦闘があった事も確かであろう。
その痕跡にグランはかつての<魔法都・レテシア>での出来事を思い出し頭を押さえる。
「…そ、そうだ、<転移>!転移していればあいつが助かっている可能性も…!」
グランは希望がある事を思い出すも、同時に血塗れだった冒険者手帳を思い出し、再び頭が痛む。
それに例え<転移>が行えたとしても深手を負い遠方に飛んでしまえばそれこそ助かりはしない。
「案ずるな、あの女はここに居る。」
腕に抱かえる少女、その姿を借りた<スピリア>が似合わぬ口調でグランに告げる。
指を示す方向へ歩み寄るとグランは目を見開き周囲を見渡す。
「…ラミーネ!居るのか!?」
だが、耳に帰ってくるのは風邪と遠方からの喧騒だけ。
やがて、グランは足を止めるとそのまま項垂れた。
「そこだ。」
「…何?」
項垂れた目の前を指す少女の指を見返し、聞き返す。
「…その空間を我の呼吸に合わせて斬れ。」
「…」
グランは少女を抱え直し、右の腰に収まる剣を右手でゆっくりと引き抜く。
―――…スゥー…
そして、少女の息を吸う動作に合わせて剣を振り上げ。
―――…ハァー…
少女の吐く息に合わせて剣を振る。
…
赤い剣、その刀身の先に何か<膜>が掛かり、<穴>が開く。
ゆっくり、剣を振り下ろすとその<膜>は割かれ。
そして、赤い血が刀身を伝っては滴り落ちる。
―――スッ…
切先に抵抗が無くなると割け目からは血が流れ始め、押し出されるように<物体>が姿を現す。
それは、血塗られた薄翠色の長い髪、白い大蛇のような下半身の女、間違いなくラミーネを形どる物であった。
…
グランは石畳に少女をゆっくりと寝かせると、赤い剣を手にしたまま<それ>に寄ると抱かかえる。
「…」
色白だった肌の色は血色の艶も無くなり、青ざめ、いや、灰色に染まり、下半身の鱗も抉られ、惨たらしい傷口が覗く。
細い指先は触れて撫でるだけで砂が零れ落ちては削れていき、生命が尽きた事を物語る。
ただ、その<死>に言葉を失い、グランはラミーネの身体を抱き締める事しかできなかった。
「…見せたかったのは、<コレ>かよ…。お前が、お前が俺よりも、ピアちゃん見せたかったのは、コレなのかよ!?」
怒り、そして悲しみに声を震わせるが、ラミーネには届かない。
「…あぁ、今見えた。その女の終わりが、魂が無に帰す<先>が1つ確定した。」
「…テメェッ!」
ラミーネを抱き締めたままグランは<スピリア>を睨み付ける。
だが、その瞳からは変わらずに血が浮かび出すと涙のように流れ続けていた。
「だが、<先>の見えぬ<未来>が未だある。」
「…あるのか!?コイツを、彼女を<蘇生>させられる方法が!?」
しかし、<スピリア>はグランの怒りを余所に、淡々と言葉を告げる。
その言葉に希望を見出したグランは<スピリア>に詰め寄るが、少女は首を横に振った。
「…ッ!!」
「言葉通りだ、それはその女の<先>が見えない。だが、他に息を吹き返す<未来>は無い。<終わる>だけだ、肉体は果て、魂は霧散する。」
<スピリア>はそう告げ、グランの腕の中で眠るラミーネをただ見詰める。
「だったら!!」
「…今まで<先>が見えなんだのは、あの空間の狭間に女が居たからだ。それは、見える<未来>へと変わった。お前の手で見えるようになった。」
慰めではない、<スピリア>のその言葉にグランはラミーネを抱き締める。
「見える全ての<先>に<終わり>が示さぬ限り、我らは<見えぬ未来>を辿るしか道は無い。」
「なら、それは、どうすれば、いいんだよッ…!」
望み、賭けるに値する道に皆目見当がつかない事に、グランは奥歯を噛み締める。
「いいか、狭間の中で誰にも気取られず、朽ちていく<先>はなくなったのだ。」
ラミーネを見詰め、言い聞かせるようにスピリアは希望が託されているかのように告げる。
「いつぞやの<赤き竜>と成れ、赤き者よ。先の<見えぬ未来>は<我ら>が共に赤き竜と成る事で辿り着ける。今それが見える。」
だが、その言葉とは裏腹にラミーネの肉体はちりちりと燃え尽きた炭から舞う灰のように崩れて行く。
「<我ら>って…、それに、俺はもう<竜>には…」
懐からビルキースから手渡された特殊調合の<エリクシル剤>を取り出しすが、グランはそれだけでは無理な事を既に理解していた。
「…違うのか?」
「何?」
しかし、少女はグランが<出来ない事>に疑問を示す。
「存じている。お前が竜と成るのに2つの<鍵>を要するのは。」
そして、また、少女は指を向け、それはグランの持つ剣を差していた。
「元来、その<赤い剣>がお前を<赤き竜>と成す<鍵>ではないのか?我はあえて使わぬ理由があるのだと。」
「なん…だと…?」
グランは震える指で己の赤い剣、火の魔剣、<ファイアブランド>を握り締め、刀身を覗く。
この刀身は自身がミイラで出土された際に共にするものだが、純度はあれど材質はただの<火の晶石>。
謂れも曰くも刻まれていない魔力の塊のみで<魔剣>を号する代物、故に個を示す銘を持たず、汎用とした名を当てられたに過ぎない。
「この剣にあの楔のような力が…?いや、違うのか、<その程度>で俺は<竜>の力を引き出せたはずなのか…」
そして、収まるはずの無き心臓、実体を持たぬ<竜核>があるであろう胸をグランは掴む。
意図して竜と成った事は未だ数回。
しかし、一度たりとも体の内に<心臓>として実体を持った事は無い、己が無き鼓動を感じ取り、再び少女へと向き直る。
「迷いは失せたな。これでまた<見えぬ未来>へと近づけたといえる。」
「…どうすればいい、お前には<見えて>いるんだろう?」
少女は頷き、そしてラミーネの傍で膝を付くと、その胸へと手を当てる。
「我、お前、この女とで<同期>を行う。さすればお前のその<不死の肉体>の作用がこの女にも現れるはずだ。」
「その為の<竜>に?」
「…うむ。我は既に半身、更に我が母との<同期>が成され続けている。出来てこの<同期>は一時的なもの、その内で肉体にまで及ぼすには一体と成す為の<器>が必要だ。」
「…」
以前スピリアが見せた<同期>の力は意識を周囲の魔物含め、全ての意識が混ざり合うような感覚だった。
それを自分だけではなく、ラミーネ、更には今は眠るピアにまで行おうとしている事にグランは考える。
「…わかった。手順を教えてくれ。」
だが、グランは迷いを振り切ると少女へと尋ねると少女は頷き、ラミーネの傍から離れると立ち上がった。
「まず、その女に<鍵>の1つ、魔の薬を使え。肉体が例え仮初でも<生>を認識させる事が必要だ。」
少女の言葉通り、<エリクシル剤>の封を切り、先端の針をラミーネの首筋に当てると薬液を注入する。
すると、その血色の悪い肌にほんのりと赤みが差し始めるも、生命の息吹を感じられない。
「…次はどうする。」
「<同期>を開始する。我が合図をしたならば…」
少女はグランにそう告げるとラミーネの傍へと戻り、その胸に手を置き、次にグランへと触れる。
そして、少女の瞳が輝き始めると、それはやがて2人の身体をも包み込み始めた。
「お前とその女をその<赤い剣>で貫き、<縫い止めろ>。」
「…なッ!?」
少女がそう告げると、ただその眩い瞳でグランを見詰め、沈黙を続ける。
「な、ぜ…?」
「言ったであろう?一体を成す為と、幾ら魔力を補ってもそれは<骸>、そのままでは<異物>に過ぎぬ。」
冷酷な言葉を告げると、少女は瞳を閉じ、光はその輝きを増していく。
「それに<鍵>の1つを与えてしまったのだ、お前だけでは最早足りぬ。お前が迷えば<見えぬ未来>を辿れぬ、そして、その機会、再度作れるか?」
魔力をただ注ぎ込んだだけでラミーネの肉体は未だにじわじわと崩れる。
グランの指先には薄翠色の失せた彼女の髪が絡みつき、それも次の瞬間には風化していく。
迷う時間など、グランには与えられていない。
ラミーネを胸に抱き、身体を密着させると切先を彼女の背に当てる。
目を閉じていないのに、グランの脳裏には以前見た夢が、過去の光景が過ぎった。
それが柄を握る指を握力を震わせ、切先へと伝わる。
無いはずの心臓が高鳴り、刀身は脈を打ち始め、開かれた少女の瞳が赤く輝きだすと、グランの身体は自然と動き始めた。
「さぁ、やれッ!」
「…うぉぉぁァぁゎアぁぁッッーーーーッ!」
ただの骸、朽ちる肉の塊に切先を減り込ませ、グランは叫びを上げて柄頭を握り締め、強く固定する。
ラミーネの肉体にグランが突き立てた剣は深く食い込み始め、じわりと血が背中の髪を染めていく。
赤い剣は沈み、肉を割き、骨を掠り、臓を断ち、己の胸の中心へとラミーネを貫通させる。
骸の口からは鮮明さを失った血が吐き出され、その瞬間、グランの胸元に剣の先が当たり、力を込めて自身の胸へと突き立てた。
―――<竜化転身>ッ!!
そして、自身の心臓部を貫く剣を中心に周囲の空気が震えるような感覚に包まれる。
グランが剣を捻り奥へと喰い込ませると、剣からは紅蓮の光が溢れ、3人を包んでいった。
―――