35-5.新生
館の前に立つ3人の男達は中に戻るはずだった扉を背に、ただただ茫然と立ち尽くしていた。
「…何だ?アレは。」
「少なくとも祭りの余興ってワケじゃァ、ないわな。」
3人の内、全身鎧の大男、ゴリアーデは街の中心に聳え立つ2つの影を交互に見つめ、赤いマントの男、グランは皮肉りながらも、突如として<追加>された影に驚きを隠せないでいる。
元来あった影の1つである<塔>は上層一部が崩れ落ち、もう1つの影は荒涼とした状況示すよう、現れてから沈黙を続け、その場を動こうとはしない。
「…グラン様。」
背後の館の扉が開き、3人の側にウィレミナとエフィムが姿を現す。
「…」
「やっと昼飯にありつけると思ったらご覧の通り、緊急出動ときたものですよ。」
言葉を出せず、ただ瞳だけで訴えるエフィムにグランは肩を竦めて見せる。
「ウム、雇い主が無事でなければ拙者らはタダ働きになってしまうにござるからな。カルマン殿の救出に向かうでござる。」
続くグランの台詞を横取りし、異国風貌の剣士、ソウシロウが腰の曲剣を鞘をポンと叩く。
2人の言葉に女2人は安堵の息をもらし、エフィムはウィレミナに寄り添った。
「…だが、気が掛かることがある。」
ゴリアーデは館の扉へと視線を戻し、アゴに手を当てる。
それはこれまでの旅で数々の危険を予見した<少女>がこの事態に何も発言していない事であった。
しかし、それは少女へ疑惑や疑念を抱くのではなく、彼女への信頼から来るもの。
「でも、これがピア殿が見れなかった、ラミーネ殿の未来に何やら関わってはいるのではござらぬか?」
ソウシロウは館の扉を背に、腰に下げた得物に手にし、聳え立ち、沈黙する影を見る。
―――その通りだ。
その時、館の扉が開くと<少女>の声が聞こえる。
だが、その口ぶりはとても何時もの少女とは思えず、まるで別人の様にも聞こえ、振り向く5人はすぐさまに身構えた。
「…お前、<スピリア>か!?」
グランが少女へ少女ではない名を問い掛け、少女の名を呼ばれず少女はそれに頷く。
「我が母は我の中で少し眠って貰う事にした。なのだが…」
言葉を濁らせる少女に、グランは眉を潜める。
すると、少女の目尻からは血が溜り、頬へと伝っていく。
「た、大変!?」
エフィムは即座に少女へ駆け寄ると、自らのハンカチで血を拭う。
しかし、血は止まる様子もなく流れ続け、それが止められないものという証が少女の袖口に見受けられる。
「…」
「我が言葉を聞く気ではいる事に感謝をしよう。」
グランの一見は普段と変わらぬ表情であるも、眼は敵意を宿し、少女の中へと向けられていた。
他の一行も言葉にこそ出さなかったが、同じ様に敵を向ける。
「これは我が母の力が余りに強く、意識を眠らせても<視る>事を止めぬ状態なのだ。」
少女は袖で血を拭い、エフィムは少女の手を強く握ると、少女は視線だけエフィムへ向ける。
「グランさん。ピアさんは…」
「心配しないでください。その<悪霊>はあの子に悪さをする様なヤツじゃありませんよ。…それで?」
エフィムの問いを適当に流し、グランは赤い瞳を爛々として少女へ本題を問い掛けた。
少女は血涙を拭い、衣服を整えると一行を見渡す。
「あの女、我が母が<姉>と呼ぶ、ラミーネとかいったか、それを探して欲しい。我が母はあの女の<先>を憂い続けているのだ。」
そういうと膝を崩して少女は倒れかけ、グランは少女を支える。
「要するにアイツを探してピアちゃんを安心させろって事か。こんな時に断れない注文してきやがって。」
グランの愚痴に少女の表情は力無いながらも確信を得ていた不敵な笑みを浮かべた。
「しかし、<スピリア>…様?ラミーネ様の所在を知っているのですか?ラミーネ様を冒険者のコンパスでは追えぬのでしょう?」
ウィレミナはグランに抱かかえられた状態の少女に問い掛け、少女は小さく頷く。
「どうやら、この魔導具とかやらで我ならあの女の残滓を辿り追う事ができる。」
懐から板状の水晶体、<板水晶>を取り出し、少女は一行に見せると、ラミーネが居ると思われる方向へ指をさした。
「なれば、拙者とゴリ殿は反対の道を参ろう。あの塔の正門への道は丁度ここから対と成る位置にござる。」
「…そうだな、オレ達がもしラミーネを見つけた場合、そこで待機しているとしよう。赤マント、お前はあっちでラミーネの救出に専念しろ。」
ソウシロウの提案にゴリアーデは賛成し、2人はグランを気兼ねなく向かわせようとする。
「…わかった。あの<デカブツ>が動き出して俺達がどうにかできる筈も無しだしな。」
少女を改めて抱えなおし、グランは向かう道へと身を向けた。
「…赤法師殿がまだ<竜>に変化できるというのであれば、解決の糸口は簡単だったかも知れぬにござったな。」
「仕方あるまい、変化には限りがあったのだ。例え変化できたとて<怪物>に勝てるかはわからんのだ。」
ソウシロウのボヤキにゴリアーデが返す。
「…あの、俺を遠まわしに無能者扱いしてません?」
グランは視線を2人に向けるも、ゴリアーデとソウシロウの2人は顔を見合わせ、それに関して互いに口に出す事はなく、ただ笑うだけであった。
―――Gi、Gigigigi!
―――GiGi、gi?gigi!!
その時、物陰から一つ目に蜘蛛の様な脚を持つ異形の魔物が数匹姿を現わす。
「きゃあッ!?」
エフィムがうっかりと悲鳴を上げると<単眼蜘蛛>は一行に気が付くや速度を上げて襲い掛かる。
…
だが、その牙は一行に届かず、ソウシロウの腰から抜かれた曲剣の斬撃、ゴリアーデの持つ長金棒の打撃によって異形の魔物達は断末魔を上げる間もなく崩れた。
しかし、最後の1匹が飛び跳ね、エフィムへと襲い掛かる。
「GigiGya!?」
その前足、先端の鋭い鉤爪がエフィムへと届く前、<単眼蜘蛛>の眼球には数本の食器ナイフが突き刺さるとその場で撃墜された。
「ご心配なく、エフィム様は私がお守り致しますわ。皆様、お早く!」
そして、周囲からは悲鳴や怒号が響き渡り始めだす。
「ここにも簡易的な結界装置が設置されてるとカルマン様に聞いています。皆さんはできれば避難の誘導をして頂ければ。」
「既に予断を許さぬでござるな。」
「街の者はできるだけ街の者に任せ、オレ達はオレ達の目的だけに専念しよう。」
3人は互いに頷き、背を合わせて駆け出した。
―――
街の中は混乱の渦に巻き込まれ、あちこちで悲鳴、そして剣戟の音が上がり続ける。
幸い街の中心に聳え立つ影が1つ増えた時点でこの街の自警団が動きだしたのか、一方的な殺戮とは至っていなかった。
だが、決してそれは<平和>、<日常>とは程遠い。
火の手はあがらずとも、それはは時間の問題といえる。
道は血の臭いが漂い始め、グランの視界脇には倒れる街の住人や自警団員が幾つも見受けられた。
「…ラミーネにはまだ近づかないのか!?」
時折襲い掛かる<単眼蜘蛛>の鉤爪をいなしては、グランは腕の中の少女に問い掛ける。
「まだだ。だが、少なくとも向かう先に間違いは無い。」
「クソッ!」
戦地にて剣を抜けぬ状態、そのもどかしさにグランは悪態を吐きながら地獄絵図の中で走り続ける他無かった。
…
「…止まれ。」
「居たのか!?ラミーネ!?おいッ、何処だ!ラミーネ!」
少女の声にグランは辺りを見渡し、ラミーネの名を呼ぶ。
だが、彼女自身の返事は無く、ただ沈黙が辺りを包み込んだ。
「ぼ、冒険者の兄ちゃんッ!アンタ、ラミーネ姉ちゃんの知り合いなのか!?」
その時、声のする方へと視線を向けるとそこに居たのは物陰に隠れていた少年の姿であった。
どういう事だとグランは少女に視線を向ける。
「わからん。だが、あの者からは残滓を強く感じられる。」
しかし、少女の口からは要領の得ない事しか聞こえず、仕方なくグランは奥歯を噛み締めた。少年の方へと足へ向けた。
「な、なぁ兄ちゃん!助けてくれッ!その赤いマント、ラミーネ姉ちゃんを知ってるんだろ!?」
「…」
少年の助けを求める声にただ黙って近づくグラン。
「ち、違う。助けはオレ達じゃないんだ。この先、オレ達が来た方から、ラミーネ、…ラミーネ姉ちゃんが…それで、コレを、オレ達に…」
1冊の冒険者手帳が焦る少年の両手から零れ落ち、グランは冒険者手帳を拾い上げた。
少年の表情は混沌としたものと成っており、その精神が極限状態である事が窺える。
表面の革装丁にはまだ新しい血が付着され、<ラゥ=ミーネ=リダ>、中には間違いの無い彼女の名前が記されていた。
「…あのバカ。」
「おいっ!おいッ!姉ちゃんの知り合いだッ!姉ちゃんは助かるぞッ!」
グランが冒険者手帳を握りしる中、少年は飛び跳ねて喜びの表情を向け物陰へと駆けていく。
しかし、次の瞬間にはその声は悲鳴へと変わった。
物陰からは2人の幼子を手にしてた1人の少女が転がるように現れ、足を挫いてその場に崩れる。
続き、彼女が隠れていたであろう物陰からは<単眼蜘蛛>数匹が少女へと襲い掛かった。
「や、やめろーーーッ!」
少年の叫び声が響き渡るとき、彼の背後から赤い一閃が弧を画き、飛ぶ。
「GigA---gi!?」
その赤い一閃、グランの持つ赤い剣は<単眼蜘蛛>の1匹の眼球へと突き刺さりった。
だが、傷ついた眼は少女から赤マントの男へと変わり、他もそちらへと向き、直線状に居る少年が危険にさらされる。
「ジャック、逃げてッ!」
少女が叫ぶと2人の幼子が泣き喚きだすも、<単眼蜘蛛>の標的は変わらなかった。
…
加速する<単眼蜘蛛>の脚、その鉤爪が少年を呑み込まんとした時である。
目を瞑っていた少年が恐る恐る目を開くと、そこには1つの影を見た。
沈黙と衝撃が周囲を包み、次には崩れ落ちる<単眼蜘蛛>の全てが骸と化す様を見る。
その正体は覆面をしたドラグネス、竜人の軽戦士、グランはその姿を思い出した。
「アンタは確かラミーネの仲間の…」
グランがカルマンとミカから聞き込みを受けていた際、その場に同席していた竜人、アーカムはただ黙って頷き、赤い剣を持ち近づく。
「…ラミーネは見つかったか?」
アーカムの問い掛けにグランは冒険者手帳を彼に見せる。
「…いや、まだだ。」
「…そうか。」
短いやり取りを終えると、アーカムは少年少女の方を向いた。
「な、なぁ、俺よりも仲間のアンタの方がアイツを…」
グランはアーカムにラミーネ救出の引継ぎを頼もうとしたがアーカムは首を横に振る。
「コンパスにも反応がない。その上で俺の<目>と<耳>でアイツを見つけられなかった。…以後、俺はアイツの<意思>を汲むつもりだ。」
そう言って赤い剣を手渡し、グランから手帳を取ると、少年少女の方へと踏み出す。
どちらにせよ、グランが腕の中の少女を含め、あの人数を護衛するには荷が重い。
しかし、グランはこの先、このまま進む事に何か強い<不安>、<恐怖>を感じ身体が竦みだしていた。
「…だが、赤いマントの男。お前ならアイツを見つけてやれる、そんな気がする。」
アーカムはそう言って少年少女を立ち上がらせ、避難を促す。
「に、兄ちゃんッ!頼むよッ!姉ちゃんを、ラミーネ姉ちゃんを助けて、助けてくださいッ!」
去り際に少年は涙を流しながら深く頭を下げ、グランはただ、頷く事しかできなかった。
…
アーカムと少年少女が去り、その場に残るのはグランと少女だけとなった。
グランは剣を鞘に収めようとするも、何度と鞘口に刃先がぶつかり音を鳴らす。
「赤き者よ、グランよ。お前でなければならない。あの女、我が母が姉と呼ぶ者の<先>を見るにはお前が必要だ。」
「…わかったよッ!クソッ!」
不安だけが募りだす中、グランは何とか剣を納めると、少女を抱え直して再び道を駆けた。