35-1.新生
夜も更けた頃、男が周囲を伺いながら小さな館に入り、扉を閉める。
男は軽く身震いし、腕で身体を拭うと中の玄関両脇に飾られていた調度品を飾る台座の影から、ゆっくりと1人、別の男が姿を現した。
「首尾は如何でござったかな?赤法師殿。」
長い髪を後ろで束ね、額に2本の角を持つ異国風貌の優男の青年が爽やかな笑顔で赤法師と呼ぶ男へ声をかける。
「…ソウシロウか。少なくとも見回りで指定された場所に人の気は微塵も。まぁ、異常の判断が即席雇用の俺にできるかなんだが。」
呼ばれた男は身を包む赤いマントと襟巻きをたくしあげ、不満気に優男、ソウシロウへと言葉を返す。
「おかえりなさい、グランさん。」
「あ、エフィムさん。すいません、何か俺達の下働きみたいな事をさせてるみたいで。」
更に奥から姿を見せた美しい金髪の長い髪、眼鏡を携えた清楚な長衣の美女に、グランと呼ばれた赤マントの男は照れ臭そうに頭を掻く。
彼女の胸はそれは<豊満>で、それを前にするとグランはどうしても目を背けた。
「いえいえ、カルマン様にも仰せ付けられた事ではありますが、皆様の手伝いをしたい自分の気持ちもありますので。」
エフィムは上品に微笑むとグラン達に頭を下げるが、再び顔を上げるとその表情は心配を抱えたものとなる。
彼女が向けた視線の先、一室のテーブル、そこには頭上に延びるはずの長い耳を垂れ下げたまま落ち込んだ表情の少女が居た。
テーブルに置かれたカップは中が十分に残っていながら、湯気は消え、少女はただ静かにお茶を前に俯き、グランがソウシロウを見て理由を尋ねるも、彼は首を左右に振る。
「…アイツの事が心配なのかい?ピアちゃん。」
少女の側へグランが向かい、しゃがむとピアと呼ばれた少女は赤マントの男へ一度顔を向けるが視線を手元に落として俯き、静かに頷く。
手元にはガラス板のような<板水晶>と呼ばれた魔導具が握られ、その中には薄翠色の長い髪の女、グランがアイツと呼んだラミーネと少女の2人の中睦まじそうな姿が映されていた。
「…何か悪い<予見>でも得たにござるか?」
グランの背後からソウシロウが声をかけると、ピアは首を横に振り、再びラミーネの映る水晶板に視線を移し、それを両手で包むと少女は一粒の涙を零す。
「見えないんです。良い事も悪い事も、ラミーネお姉ちゃんだけ他の人と違って。まるでお姉ちゃんの<先>だけが削り取られてるみたいで…」
少女の言葉にグランは首を傾げ、後ろの2人と顔を合わせるも、首を振るって理解に苦しむ事を表す。
「…」
後頭部をしばし掻き毟りると少女の肩にグランは手を置く。
「なぁに、心配するなって。きっと何かあったら酒の臭いプンプン漂わせて突然現われるだろうからさ。」
少女の背中をポンと叩くとグランは立ち上がり、テーブルのカップを取ると一気に飲み干す。
そして、ピアの頭をゴシゴシと撫でては襟巻き越しながら笑い飛ばすと、少女に少しだけ笑顔が戻った。
「…エフィム。その子を寝かし付けるついでにアナタも休んでいいわヨ。」
3人が声の方へ振り向くと、そこには長身痩躯、身体の線を浮き上がらせた衣服に派手な髪型の男が黒の色眼鏡をずらしては、壁に身体を預けている。
「…カルマン様。わかりました。」
エフィムは一礼し、ピアの手を取ると奥の部屋へと向かおうとした。
「おやすみ。ピアちゃん、エフィムさん。」
「…おやすみなさい。赤マントさん。」
ピアとエフィムはグランと後ろの2人にも一礼し、部屋の奥へと姿を消す。
「意外だわねェ。赤マントちゃんって実は子供には優しいタイプ?」
「ガラにも無い事やってるとは自分でも重々承知だぜ。」
手にしていたカップを並べ、ポットから茶を入れるカルマンにグランは頭を更に掻き毟る。
そして、カルマンはカップを3つの席の正面へ置くと色眼鏡を外し着席し、グランとソウシロウも彼に習って着席。
カルマンは色眼鏡を胸元にかけ、カップに一口の後、頬杖をついては口を開いた。
「あの子の<予見>というの?<アレ>は信用していいものなのかしラ?」
「少なくとも道中、彼女が何度と事態の異常を察知してきたのは事実にござるな。」
「あっ、おい、ソウシロウ!」
疑問を投げかけるカルマンにあっさりと答えるソウシロウ。
それをグランは止めようとするも、カルマンは指を立てては左右に振る。
「ノン、ノン☆こっちはあの子のせいで一度は呼び出された通話を途切れさせられたのだもの、事情は知れて当然じゃない?」
「ケッ、俺はアンタみたいな連中と会話するときは隠せる事は全部隠し通したいクチでね。」
カルマンの言葉に肩を竦め悪態をつくグランにソウシロウとカルマンは口角を上げて笑う。
…
「…つまり。あの子が何かしら<見た>ものは現実に起こりうると捉えてもイイのネ?」
「如何にも。」
「ま、予見先の規模や時間は皆目検討つきませんがね。今もピアちゃんは俺達に不安を感じた様子は無かったしな。この仕事に利用するなんて考えるなよ。」
ソウシロウの頷きにカルマンはカップを再び手に取ると、茶を口にする。
「けども、<ラミーネ>、あの時、赤マントちゃんの隣に座っていたネレイドの彼女よね?ミカちゃんの部下、彼女にだけは何かが起きると。」
「大方ミカお師匠に無理難題でも押し付けられたとか、失敗でもして帰って来れなくなるのかもな。」
カルマンの疑問にグランは鼻で笑いカップを手にした。
「ふぅーん。…じゃあ、それでだけど、赤マントちゃん。」
「…なんだよ。」
カップに口を付けようとしたグランの動きが止まり、カルマンへ不満気に視線だけ向ける。
「…ナナリナちゃんと何で別れたのよ?」
―――ブーーーーッッ!!
グランは口に含んだ茶を勢いよく噴出した。
噴出すのが終わるのを見ると、ソウシロウとカルマンはテーブルのナプキンでそれを拭き取り、カルマンはポットの茶を自分のカップに注ぐ。
「げほっ…!げほっ…!聞きたいのは俺のボス、<ビルキース>の事じゃないのかよ!?」
口元を拭い、息を整えながらグランはカルマンに尋ねる。
「聞きたたい事の本命はアナタのボスよりこっちなのよネ~☆それで?それで?何故なのかしラ?」
嬉々とするカルマンは椅子に深く腰をかけると、肘をつき手に顎を乗せては悪戯な笑みを浮かべだす。
その態度にうんざりとした様子でカルマンの質問を逸らそうと頭を掻くも、ソウシロウに肩を叩かれては逃げ場がないと悟る。
…
「…お、大怪我させて、記憶が一部抜け落ちちまったんだよ。…それこそアンタを含めた転移門市での事とかな。」
観念した様子でグランが答え、それを聞いたカルマンは腕組をし、唇で如何にもな不満を表す。
「いいじゃないの、それでもアナタが手を引いてあげるだけで済んだ話ヨ?」
カルマンのその一言にグランは身が跳ね上がり、<もしも>の話が脳裏を過ぎる。
「……無理だろ。俺の顔を思い出すだけであんな苦しみ方されたら。」
だがそれは<適わぬ>、捨てた選択、その言い訳を赤マントの男はぼつりと呟いた。
カルマンは聞き取れないグランの釈明が言い直されるのを期待するも、男の口は黙るまま。
「もう許してやってくだされ、カルマン殿。それに件の魔物から受けた傷は<瘴気>に蝕まれ治療の為に留まるのは致し方なかったのでござる。」
ソウシロウが俯くグランに助け船を出すものの、それでも彼は言葉を発さなかった。
カルマンはその沈黙を理解に苦しむが、ソウシロウを立てて話の続きを促し、黙るグランを他所に<魔法都・レテシア>での一件、<巨大蛾>について語り始める。
…
「そう、アタシがあの街に訪れる前にそんな事があったのネ。エフィムは聖堂に入り浸っていたそうだから余り内情は詳しくなかったみたいで助かるわ。」
ソウシロウの説明にカルマンは腕を組んでは難し顔を浮かべ、1人納得した様子であった。
「じゃあ、その<巨大蛾>を討伐したのが赤マントちゃん達なワケね?」
だが、カルマンの確認に今度はソウシロウまでもが口を紡ぎ、沈黙を続ける。
「ちょっとぉ~。最後の最後にそれは無いんじゃない?ソウシロウちゃん。」
カルマンの責めるような声にソウシロウは目を閉じ、眉間にシワを作っては口を開く事に躊躇していた。
「…<竜>だよ、<巨竜>が<巨大蛾>を討伐したんだ。」
グランが両腕を頭の後ろに回しながら、やっと口を開き、ソウシロウの言葉の補填をする。
「赤法師殿、よいのでござるか?」
「…ま、ミカ師匠にある程度は察せられているだろうしな。何時知られるかよりこっちが話してしまった方が楽さ。」
ソウシロウはグランに確認をするも、男はカルマンへと向き直り、苦笑いを見せた。
「まさか!?ナナリナちゃんはドラグネスの<覚者>なの!?」
竜と成す能力に思い当たったカルマンは思わず立ち上がっては、両手で口を押えつつも口走る。
「いや、それとは少し話が違うのでござるが…」
「その時の<巨竜>は<俺とナナリナ>で<竜化>したと思うんだ。記憶は曖昧だから多分な。以後、俺は限定条件で<竜化>出来る様になった!以上!」
ソウシロウの言葉にグランは続け、茶を一気に飲み干すとカップを置き、一息吐いた。
そして、ソウシロウは<赤き巨竜>と<巨大蛾>との戦いの模様を語り、その結末、ナナリナのその後を語り終えるとカルマンは静かに席へと座り直す。
…
「…アタシ、少し茶化しすぎちゃったかしラ?ごめんなさいネ、赤マントちゃん。」
「ったく、見回りよりも疲れちまったぜ。<語り部>の料金は別途で払って貰いたいものだね!」
「ははは、口を動かしたのはほぼ拙者なのでござるが。」
嫌味と皮肉をたっぷりと込めた赤マントの男の言葉を受けて、カルマンは肩を竦める。
「赤マントちゃん、その<竜化>なんだけど。<期待>は出来そうなの?」
カルマンが真剣な眼差しで尋ねると、赤マントの男は視線を宙に投げて頭を掻く。
「諦めてくれ、<限定条件>はもう成立しなくなった。俺は単なる<冒険者>だよ。」
グランの返答にカルマンは残念そうに肩を落とす。
「いえ、そうね。<不死身の赤マント>が手札にあるだけ心強いかしラ?」
「買い被りだね。さて、俺はゴリさんが戻るまで寝させて貰いますよ。」
赤マントの男は立ち上がり、背中を向けたままを振ると部屋を出て行った。
―――