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紅い喰拓 GRAN YUMMY  作者: 嶽蝦夷うなぎ
・近朱必赤、見定めるは鉄の道の先
167/231

34-5.未来と涙を賭してまで

 少女が私を見つめる眼差しは強く鋭く、私の行動に対し厳格に裁定を下すものであった。

だが、何処か悪戯を仕込んだ子供のように口元は緩み、私はその企みにまんまと乗せられてしまったのだと気付く。


―――


布に包まれた酒瓶が僅かに覗かせる肩部が灯りの光を反射し、纏った結露が美しく輝いて私の視界に滑り込んでくる。

一方の私は雑巾を手にし、薄暗い地下室の床を文字通りに身体を這わせては画かれた図を拭き消していた。


「…これで4つ目。」

私は壁に寄りかかっては腰を落とし、脚を折り畳みんではそれに抱きつき独り言を零す。

手を伸ばせないよう酒瓶とは距離を置いてはいるが、かえって孤立させた事で存在感が増し、私はその誘惑に抗い続けるのが精一杯であった。

「…くっ!」

誘惑に屈しかける度、私は下唇を噛んでは水筒の水を含み、渇きを潤しては意識を引き締める。


ミカが私に下した裁定はこの<非常に極めて高級な酒瓶>を<携帯し続け>、一口もせずに与えられた仕事の完遂。

つまりは根競べをさせて、私が屈するか堪えるかの試練を課したという事だ。

非常にシンプルで私の何で失態を犯したのか、私への<躾>としては極めて効果的だった。

「うぐぐ、しかもただの雑巾がけって…」

任された仕事はこれまたやりがいの無い<雑務>というのがまた憎らしい。

私は酒の誘惑を断ち切る為に、この雑務に没頭する事にした。


―――


私がミカから下された仕事はこの街の各所に仕込まれた<魔方陣>の撤去。

恐らくは先の話に出ていた<転移>の為、ないしその<ブラフ>として仕込まれたものだろう。

「…まったく!えらいひとってのはッ!何においても手間が掛かって大変ねッ!」

鼻で大きく肺に空気を溜め込み、私は水の中へ潜るように床を這っては汚れを拭い取っていく。

だが、これはそれだけあの少女が日常的に危険の中に身を投じている証であり、私は少し哀れみを感じてしまう。



「いや、やっぱり、なしね!」

しかし、ミカがこの雑務を突きつけて来た際の事を思い出すと自身の問題とはいえ、私は感情を怒りにして、床を素早く擦っていった。


―――


更に去を1つ終え、次に向かおうと部屋から出ると、扉の先はすっかり暗闇に包まれてしまっていた。

これでは次の場所に移動するどころか探し当てるのも困難であり、私は扉を閉めて大きく呼吸を吐くと一夜を此処で過ごすと決める。


―――ぐぎゅるるる…


床に腰を落とした時、私の腹部は情けない音を鳴らして響く。

私は腹を押さえて急ぎシャオリーに持たされたバスケットの中身を確認した。

「侘しい…」

バスケットの中にはしっかりと焼き固められた大きなパンが1つだけ。

私は酒瓶を床に置き、距離を取り、改めて床に腰を落とすとそのパンに齧りついた。


***********************


幸い甘いパン


***********************


シャオリーが用意してくれたというこのパンは表面に糖蜜が塗ってあったのか、食むと口の中に甘みが広がっていく。

ただただ腹を膨らませるだけの食事がほんの少しの充実感を私にもたらし、彼女へ感謝を込める。

対面する酒瓶が目に入るが、私はフンと鼻を鳴らしてパンに齧り付き、その誘惑を断ち切った。


改めてこの酒による私への<枷>は強力だ。

仕事が終わるまで酒瓶を何処かに隠すか預けるかも考えたものの、土地勘の無い私にはそれも難しく、肌身離さず付き合わせるしかない。

特に空腹と疲労が重なると酒への誘惑が更に強くなってしまう。

「うぅ、何時ものなら晩酌に1杯、2杯とやってるのに…」

私は何時も以上にパンを口の中で噛み、含ませた唾液で必要以上に飲料を求めないようにした。



「…はぁ。」

食事を終えると私はそのまま床に倒れ込み、自分で磨きあげた床の石目を指でなぞっては溜息を吐く。

「転移かあ…」

そして、自分の<異能>について考え始めた。


<転移>、言葉通りに離れた場所へ過程の障害を無視して移動できる能力。

別に<転移>事態は高度な<魔術>とはいえ<奇跡>や<秘術>と呼ばれるものと比べれば、まだ<一般的>といえる。

冒険者の中には僅かな距離を<転移>し、奇襲や回避に応用した者達も中にはいると噂聞く。

しかし、その利用範疇は術者、つまりは<自身のみ>に限られ距離の制限も強い。

対象に術者以外が含まれるとその難易度は跳ね上がり自滅や事故、全滅の恐れすらある。


壁一枚、すり抜けるつもりが壁の中。

地下から地上への脱出に用いようとしたら雲の上。

慌て帰還に用いれば帰ってこれたのはこの身だけの無一文。

<転移>の事故と知られる有名な失敗談、これらは施設としての<転移門>が如何に対策を講じているかが分かる。

如何に優れた<魔術>であろうと、それが術者の思い通りに発動されなければ意味は無く、想定した場所から外れた場合はもっと悲惨だろう。


先の場所のイメージ、後の自分達のイメージ、これらを想像できなければ人の<意図した転移>は使えない。

故に個人で用いる場合は視野内、集団で行う場合は事前の準備を怠ってはならない。



だが、私は使えてしまった。

<魔神の卵>から溢れる<瘴気>の本流と、<酒>の助けがあったとはいえだ。

未知の場所でありながら、ピアの側に駆けつけたいという一心で少女の下へ<意図した転移>を達成した。

これが自由自在に使えるようになれば、私はこれ1つで<大魔導師>と呼ばれるお歴々と肩を並べるのも夢ではない。


そう、<夢>ではない。

その<可能性>が諦めていた敵、私の枯れた<復讐>を燻らせていた。



「…寂しい。」

冷たく硬い石の床がじわじわと私の体温を奪いだし、

私は横になって身体を丸くしてはぽつりと呟く。

<帰りたい>と願うも、身体はそのまま床に横たわるだけで何も変わりはしない。

「…迷っている?」

帰る場所とは、ミカの下か、ピアの下か。

「…それとも…?」

しかし、それは遠い。

私の脳裏を過る赤い影の背中は遠く、振り向く素振りも見せず、私はまぶたを閉じた。


―――


<眠ってしまった>事を意識できた瞬間、私は目を開き、勢いよく身体を起こす。

灯りは自然と消え、廃屋の中にも外からの光が差し込み、私はその光に目を細める。

身体を伸ばすと、顔を軽く叩き、空になったバスケットに酒瓶を入れては再び扉を開く。

扉の先は薄暗く、早朝独特の肌寒さと靄が漂い、私はその先へ足を踏み出し廃屋を後にした。


「ふぅ、残りは2つ、流石にミカちゃんの議会が終わるまでには済むわよね…?」

通りに出て地図を開き、見上げると街の中央に聳え立つずんぐりとした高さ15身弱はある塔。

あの<塔>にミカを含めた<錬金六席>が集い、その例の議会が開かれる。

そう思うと何処か常にミカからの監視がされているような落ち着かない気分になり、私は背筋を震わせた。

ともかく、これを目印に私は自身の立つ位置と目的地までの経路を思案し、地図を畳んで先を目指す。



通りにはまだ人の姿が殆ど無く、私は朝霧と静寂に包まれながら歩を進め、廃屋の目立つ裏路地の入り口に止まる。

これまでには危険らしい危険には遭遇しなかったといえ、<裏路地>は<裏路地>だ。

冒険者であろうと女1人の私では危険な場所である事に違いは無い。

地図を確認し、私は喉を一度鳴らしては意を決して中へと入り込む。


崩れた壁、手入れが無くなった木々や草がその隙間から茂り、汚水が溜まった割れた瓶壷が転がっている。

天を仰げながらも視界は不良。

さながら小さな迷宮となった主が散った街の一画は、埃とカビの臭いが立ち込めていた。

一練り二練り、脚を慎重に進め、私は廃屋と廃屋の間を縫うようにしては目的地を目指す。


しかし、この<裏路地>に踏み入れてからというものの、人の気配を感じない。

まだ日も昇り始めたばかりの早朝とはいえ、道に草が茂っていないのに何の気配もないというのは不自然に感じる。

いや、だからこそ、魔方陣を放置できているのだろうか。

疑問は浮かぶも、それは気を緩める理由にはならない。


―――カサカサ、ガタッ…


その時、風が吹いてで出るようなものではない、何かが動く様な音が私の耳に届く。

私はその場で足を止めては息を飲み、ゆっくりとその音源へと顔を向けると、そこには建物の壁の隙間から腕が伸びていた。



思わず悲鳴をあげそうになるも、私は口を咄嗟に塞いだ。

見間違いで無ければ、それは壁の中に埋まった腕であり、私はゆっくりとその腕へと近づいて行く。

「…何よ、もうッ!ただのガラクタじゃないの!」

だが、その正体は木の枝にかけられた古ぼけた小手で、私は怒りに身を任せてはその小手を蹴り上げる。


しかし、直後、私の背中には冷たいものが伝う。

「ふにゃぎゃーーーーーーっッッ!?」

まさに油断、私は小手に気を取られている隙に、足元から伸びていた<何か>に脚を掴まれてしまった。

直後、私の身体は宙へと持ち上げられ、そのまま逆さ吊りの状態にされる。


「うわっ、すっげっ!蛇女がひっかかった!もしかして魔物?モンスター!?」

「だ、誰が蛇ですって!?」

物陰から耳の長い、非常に生意気そうな<エルフ>の少年が姿を見せ、私を指差しては笑う。

「あれは<ネレイド>って種族よ、知らないの?」

そして、もう1人、赤髪の少女が姿を見せると少年に説明し、此方へと視線を向けた。


「残念ね、おねーさん。」

「へへっ、最近見知らぬ連中が出入りしてるから本当に掛かりやがった!やーい、マヌケ~。」

2人は私の腕から滑り落ちたバスケットを拾い、少年は中を覗きながら私に言葉を浴びせる。

私はズレ落ちそうな腰布を手で押さえながら、怒りに歯噛みをしては空に拳を振り回す。

「なんだぁ、酒瓶1つだけかよ。コレ、酒場で金にできるかな?」

「こ、コラぁ!そのお酒はダメ!それに、お、降ろしなさいッ!」

私は少年に向かって強く叫ぶ。

しかし、2人は私を無視してはバスケットの中身を物色し、酒瓶を1つに互いが首を傾げていた。


「ま、いいや!じゃあな、蛇ねーちゃん!さ、行こうぜ!」

少年は酒瓶をバスケットごと抱えると少女を誘い、その場を離れようと背を向ける。

私は手足を動かし抵抗を試みるも、その行動が逆に私の身体を揺さぶり、2人の笑いを誘うだけの結果となってしまう。

そして、2人は笑い終えると一切に私を見向きもせずに通りの方へ去ってしまう。




―――ブチンッ!


何かが千切れ、裂けたような音が私の中で響く。

<逃がしはしない>。

その想いだけが思考を支配し、目にはエルフの少年と赤い髪の少女だけが映る。



「う、うわぁッ!?なんでッ!?」

次の瞬間、私の両腕は少年の肩を掴み、その身体を地面に釘付けにさせていた。

「知らなかった?<大魔導師>からは逃げられないのよ。」

子供相手に大層なハッタリをかましながら、私は少年を見下ろし、にやりと笑った。


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