33-2.灰の夢の影法師
身が軽い。
就寝するワケでもないのに半ば常に赤いマントと襟巻きが無い事に俺は違和感が拭えないでいる。
首筋のむずむずに背筋が釣られてか、落ち着かず、代わりに帯剣ベルトを普段よりきつく締めると車内へ繋がる引き戸を開けた。
次に小さな台所、シャワー、両脇の二段寝台を抜けると簡易カーテンが天井から吊られ、俺の視界を遮る。
そして、そのカーテン端に手を入れ、俺は一息肺に満たすと横へと払う。
軽快にカーテンレールが滑走され、その先が見通せると俺は車両内へと足を踏み入れた。
…
今更ながら、そこは寝台車の車内とは思えない、まるで小さな宿、個室の様相。
狭いながらにテーブル、ソファー、カウンターに棚が備え付けられてている。
ソファーの上では耳が垂直に伸びた<フォウッド>の少女ピアが寝そべり、その小さな両腕の中には奇妙奇天烈な獣、<河グリフォン>のカワノスケが抱かれ、鼻提灯を膨らませていた。
「おや、お客人かな?」
車両後部の扉からソウシロウが戻って来ると、俺の顔を拝んだ側から他人行儀に尋ねだす。
「俺だよ、俺。」
俺は腕を襟巻き代わりに見立て、顔を半分隠し、普段の姿を模してソウシロウに呼びかける。
「ははは、ただの意地悪でござるよ、赤法師殿。いや、今は微塵も赤くはおらぬ故、<グラン殿>でござるかな?」
「…今まで通りにしてくれ、気味が悪い。」
俺は適当に腰を掛け、珍しくからかいに乗じるソウシロウに、そう頼むとソウシロウはにやにやとアゴをさすって思案ぶっていた。
…
一方から別の視線。
それはふんぞり返って寛ぐ俺の後頭部に刺さり続け、俺はその居心地の悪さに思わず、肩越しに振り返る。
視界に入るのは薄緑色の長い髪、下半身は大蛇のような脚をした<ネレイド>の女、先にも何度か顔が浮かび上がったラミーネだ。
既にこいつには俺の襟巻きを付けていない顔を何度か拝まれてはいるから、今更に驚く事など無いはず。
こちらの視線が向くやいなや、頬を膨らましてはそっぽを向き、何時もの不満面を見せてきた。
「…何だよ。」
「無事に戻ってきたのだから、何か最低限の一言はあるべきじゃない?」
俺がラミーネに声をかけると、彼女は不平不満を言葉にして投げつけてくる。
「ウィレミナには言った…」
「私はウィレミナじゃない。」
水掛け論をしても仕方が無い、俺はむず痒い後頭部に指を入れ掻きながら、ラミーネに向き直り口を開いた。
「へいへい、ただいま。」
「へいへいとか要らない。」
ラミーネは呆れと苛立ちを交えた顔で俺を睨み付け、俺は思わず額に手を当てる。
「ただいま帰りました。随分ご心配をお掛け致しまして、誠、申し訳ありません。」
「…」
俺はラミーネに謝罪の辞を述べると、彼女は口を尖らせたまま返答はせず、また顔を背けた。
ソウシロウへ視線を送ると彼は肩をすくめて小さく笑う。
俺は呆れて溜息を吐き、ラミーネの気が済むまでこの姿勢を貫く事にし、ソファーの背にもたれ掛かって天井を仰ぎ見た。
…
―――…様。
―――ン様。
―――グラン様。
「…グラン様!!」
耳元で響く大声。
俺はその声の大きさと、自身を呼ぶ声に思わず飛び跳ねた。
左右を見渡し、声の主を探るとウィレミナと目が合う。
「…お茶…持ってま…りま…た。お召…物はその…にお持ち致……す。」
「…あぁ、うん、えーっと…今、何て?」
彼女の言葉は何となく解るが、その細部が聞き取れず、俺は咄嗟に聞き返してしまう。
ウィレミナはポットをテーブルへ置くと、頬に手を添え溜息を吐く。
「大丈夫でございますか?まさか、お耳の調子でも?」
口の動きから言葉を補間し、意味を汲み取る。
「…そういえば土砂塗れだったからかな…、耳に何か詰まったのかも。」
頭を振るってはみるが、やはり耳の中は変わらずにすっきりとせず、もやもやだけが漂う。
「で、し、た、ら!」
これはまたとない好機とばかり、ウィレミナは目を輝かせ手を叩く。
そして、カーテンをめくり、一度奥へ消え、戻ってくると、その手には1本の棒を手にしていた。
見紛う事無く、耳搔き棒だ。
彼女はその棒を俺に見せつけると、何か反応を求めてニコニコと俺の出方を伺っている。
俺はその耳搔き棒と、期待に目を輝かせるウィレミナをしばし交互に見比べた。
「…ソウシロウ。頼む。」
「フフフ、お目が高いでござるぞ赤法師殿。拙者、これでも隊を勤めていた際は<耳搔きのソウシ>と呼ばれていたにござる。」
何がどう<これでも>なのかは知らないが、ソウシロウは俺がウィレミナの耳かき棒に視線を移したのを察すると、嬉々として俺の頼みを引き受ける。
一方でウィレミナはその反応に大きく身体を滑らせ、ラミーネは何故だか機嫌の良い顔をしていた。
「な、何故でございますッ!?」
「いやぁ、だって、お前さん<呪い>が…」
ウィレミナには<呪い>、恐らくとして自動的に<異能>が発動してしまう体質だ。
明確な発動条件は解らないが、何かこう<ムフフ>な出来事が起こるとタライが何処から降ってきては、頭部を強打する。
耳を掃除する最中にそれはとても危険だ、危険が危ないしかない。
もちろん彼女はこの<呪い>を自覚している故、俺の拒否に対し食い下がる事はできない。
「任されよ。」
しょげるウィレミナから耳搔き棒を受け取り、ソウシロウはピアちゃんの寝る対面のソファーへ腰を掛けると、慣れた手つきで耳掻き棒を回転させはじめる。
俺もソウシロウの横へと腰掛け、その膝に頭を置くと、耳の穴をソウシロウへ託す。
…
「…ちょっとまったー。」
しかし、その棒が俺に入る事は無く、ソウシロウに静止の一声をかける。
「如何いたした?」
疑問を浮かべるソウシロウだが、俺はその原因が正面にあるとアゴをしゃくって指し示す。
その正面には眠るピアちゃんを抱えたラミーネ、眠るカワノスケを抱えたウィレミナが何時の間にか正面に座っていた。
「何か御用でも?」
俺が2人へ声を掛ける。
「ただの見学よ。」
「ただの見学ですわ。」
ラミーネとウィレミナは澄ました顔でまじまじと俺の顔を覗き込む。
野郎2人が耳搔きをするのが珍しいのか、素顔を晒す俺が珍しいのか、理由は定かでは無いがまぁ邪魔にはならないだろう。
「…」
「「…」」
俺は2人のやり取りに納得したワケでも無いが、ソウシロウへ視線を送り頷き、目を閉じて再び耳を委ねる事にした。
…
ソウシロウの摘んだ耳搔き棒が俺の頭の中を探り撫でていく。
―――…痒い所は…あるにござるか…?
―――…ちょっと耳たぶら辺が少し…
―――…ここは少し硬いでござるな。
―――…ちょっと痛いから優しく、ゆっくりしてね…
「…してね。じゃなくてタンマ!ストップッ!」
俺は何か顔面に<圧>を感じるとソウシロウに手をかざし、彼を静止する。
そして、目を開けると、前のめりになってこちらを凝視するラミーネとウィレミナ。
「…見学だよね?…ただの見学なんだよね!?怖いのですけど!?…圧とか!」
「ただの見学よねぇ?」
「ただの見学でございますわ。」
俺に問われるとラミーネとウィレミナは身を引き、何時もの表情で俺を見据え、そう言い放つ。
とりあえず何も答えず考えない事にし、俺は再びソウシロウに視線を送り頷くと、苦笑した声で「承知。」と返答がくると棒が耳の中へと入っていく。
…
耳搔き棒は俺の耳穴の内壁を上から下へ撫でては微弱な力で搔きだす。
―――…ここは、前にござる?後ろにござる?
―――…そこは、後ろが、うん、そう、イイッ、イイネ。
―――…ここで、左回りはどうでござる?それとも右にござるか?
―――…そこは、そのまま、左、左…、いや、ちょい上に、ちょい下にも右に左に、右に左に…
「ビーッのエーーッ!スターーーップッッ!」
俺はまたも何かただならぬ気配を感じると目を見開いた。
目の前、俺の視界には変わらずラミーネとウィレミナが映る。
しかし、変わっていないのは人物だけで、2人は互いの両手を繋ぎ、恍惚かつ何か苦悶する表情を浮かべ腰を浮かせては揺らしていた。
「あー、お前さん方は耳搔き棒と俺の耳垢に対して罪を犯してるワケだが。何か釈明はあるか?」
自分でも何を言っているのか良くわからないが、冷静かつ高圧的な言葉を2人に延べる。
俺の声で我に返ったのか、ラミーネとウィレミナは互いをしばらく見つめ合った後、慌てて両手を離してはそれを後ろに隠して互いに顔を背けた。
「見学よ、見学、アナタの素顔なんて別になんというかもう見飽きてるに等しいけど、見学よ。」
「そうでございますわ。見学です。殿方が耳元で顔を寄せ合い囁き合う様の見学でございます。」
2人の口から何を喋っているのかと、さっぱりと理解が出来ないものであったが、俺はソウシロウに視線を送ると眉を上げ、肩を竦めた返事がされる。
…
「…とりあえず、何か特別に詰まっていた物はなかったでござるな。具合は如何にござる?」
耳搔きを終わらせ、ソウシロウの膝から頭を上げ、俺は左右の眉間を数回小突いては調子を測った。
「…まぁ、何処か耳の中は晴れた気分にはなったよ。ありがとう。」
そして、ソファーから立ち上がっては元の場所に戻り、目の前に置いてあったティーカップを手にする。
「…これは、ウィレミナが俺に淹れてくれたのか?」
「え、えぇ、先程耳搔きをなさる前に…」
ティーカップからはほんおりと湯気が立ち昇り、俺は一口喉を通す。
喉が渇いていたのか、それとも俺好みの味なのか、あっという間に飲み切ってしまった。
「…うん。美味しい。」
感想を述べ、カップを皿の上に戻したとき、3人の様子が何かおかしい。
まるで時間が止まったかの様に、今度は豆鉄砲を食らった様な顔をしては俺の顔を3人が覗いていた。
「あ、赤法師殿?」
「…どうしたんだ?急に皆して。」
反応に首を傾げ、俺は不思議そうに顔、頭に何かが起きたのかと思って触って確かめる。
すると、ラミーネがその<脚>を一気に伸ばし、俺の前へと現れると有無を言わさずに前髪を搔き上げ、額を重ねてきた。