33-1.灰の夢の影法師
空は黄昏に神々しくしく輝き、まるでこの世に<祝福>が降り注いでいるかのよう。
だが目に映る<現実>は瓦礫とそこかしこに垂れ流れる赤黒い染みが広がり、それまで栄華を誇っていた都市の無残な有様を物語っていた。
ある日を境に天が割け、文字通りの<鉄槌>が降り注いだ後、日常は、いや、多分、<世界>は滅んだ。
<俺>以外にも生き残りは居るかもしれないが、少なくともあれから数日、人口過密だったかつての都市の中で他人と出会った事は無い。
飢えと乾きと痛みだけが生きてる証として機能し、横目に入る<染み>よりは生きてる事がマシなのだと言い聞かせて歩く。
…
―――本当にそうか?
数日間虚無に苛まれ、ただただ歩いてきただけのせいだろうか。
ふとした疑問で自分を吊り上げていた糸のようなものが解れて切れ、俺は歩くのを止める。
そして、周囲を見渡し、せめてこのクソったれな<祝福>の当たらない場所を探す事にした。
―――
あらゆる建造物が潰された中、そのまま人が通れそうな地下人口の扉を発見する。
俺は急ぐ、といってもせいぜいふらつく身体の重心を利用し、上手く転がるようにして建物の中へ入り込んだ。
中は飲食店だったようで入って早々、でかでかと料理が印刷されたポスターが目に付く。
しかし、これは水と食料にありつけるのではと俺は気力を振り絞り、店の奥へと進もうとした。
だが、レジカウンターを抜けた当たりでそんな希望は打ち砕かれる。
店内は瓦礫と崩れ黒ずんだ<何か>が散乱し、厨房への道は徹底として潰されていた。
…
<現実>に溜息も吐けず、俺は反転しポスター前まで戻ると、そこに座り込んでは呆然とする。
もはや腹の虫も鳴かなかったが、目に映るポスターの料理はどれも美味そうなものばかりで喉が反射的に動く。
そして、残る僅かの貴重な水分をたった数滴のヨダレにし、この場、この時の<俺>は死んだ。
1999、強い日差しの季節、確かに、死んだ。
―――
…
「…無事か?」
意識が戻り、まぶたを開くと俺の目の前には白亜の鉄兜が視界を占めていた。
「…寝起きに見るのがお前さんの兜じゃ悪夢の続きかどうか判断がつかないぜ、ゴリさん。」
「すぐにその達者な口が利けるようなら無事のようだ。」
俺は土砂中から掘り出され、この全身鎧の大男、ゴリさん、ゴリアーデに保護されたらしい。
まだぼやける視界の中、俺は手を伸ばすと、ゴリアーデは躊躇なく掴み、埋まった身体を引きずり出してくれた。
そして、俺はそのままゴリアーデの肩へ麻袋のように担がれ、運ばれていく。
「足場が悪くてな、片腕は空けておきたいんだ。悪いな。」
「…俺も別に他人を丁寧に運んだりとかはした事ないんで、構わんですよ。」
そういえば、以前ラミーネをこうやって担いで運んだったか。
あの時、ラミーネはどんな気分で俺に運ばれていたのだろうかと、少し考えを巡らす。
だが、思い浮かぶのはこれまでも唐突に寝起きに現れては厚かましい態度で横槍ばかりを入れる、あの憎たらしいラミーネの顔ばかりだ。
「…どうした?」
「…何でも。いや、他の連中は?」
頭を振るい、呼び起こしてしまった雑念を振り払う様をゴリアーデに心配されたため、俺は平常を装い聞き返す。
適当な場所に一旦俺は降ろされ、ゴリアーデは腰から水筒を取り出すと俺に手渡してくれる。
「心配するな、他はもうあの車両に戻ってる頃合いだろう。しかし、ソウシロウから話を聞いてたが本当に無茶をするヤツだ。」
「…無茶?」
俺は水筒を受け取りながら、首を傾げ思い出すように聞き返す。
「覚えてないのか?」
「覚えてる…覚えてない…?」
どこから記憶を遡ればいいのか、俺はそもそも何をしていたかが見えて来ず、水筒を握り締めながら額に手を当て考え込んだ。
「もう自分で歩けるか?」
「あ、あぁ、何とか…」
水筒を返し、膝に手を当てて立ち上がろうとするも、俺は足を滑らせ再び地面に膝をつき倒れる。
身体の芯とでもいえばよいのか、身を引き締める何かが抜け落ちたかのような感覚で、自立は難しかった。
「…思ったより重症の様だな。お前の<不死身>はこの目でも拝見したが、気力に関しては別物らしいな。」
兜で表情は見えないながらもゴリアーデが俺に呆れているのがわかる。
そして、身体と地面の隙間に腕を入れ、俺を軽々持ち上げると肩に担ぎ、そのまま歩き出した。
「面目無い…」
その軽がるさが、今の自分を如実に表していると痛感し、俺は自虐的に詫びの言葉を吐いた。
…
「どうして<竜>に変身しなかった?そうすればこんな無茶もしなかっただろう。」
「…竜?あぁ、<竜>か。アレはもうできないんだ。必要なモノが尽きた。」
俺はゴリアーデの言う最後に<竜>となった状況、ピアちゃん、フォウッドの少女を抱えながら<風精灯>の生る森林帯での出来事を思い出す。
<竜>とはいえ、自身が自身の姿を見た試しは無い。
なので正確に把握しているわけでないが、全身の感覚と視界に入れられる範囲から人外ならざるものであるのは想像できる。
「<必要なモノ>?」
「俺自身、気合を入れればいいってワケじゃなくてね。その為の道具が必要だったのさ。」
俺の雇い主である錬金術師ビルキースから雑多に手渡された<赤い楔>と<専用エリクシル剤>、この2つが無ければ<竜化転身>は成せない。
そして、前回の変身で<赤い楔>は尽きた。
本来なら身体に埋まっている<竜核>だけで出来うると、曰くビルキースは踏んでいたが、正直俺には未だ躊躇するものがある。
「…」
<竜核>だけの変身、最初の変身を思い浮かべるだけで、波がかった長い青髪が脳裏を過ぎ、あの時の後悔の念だけが今もなお、あるはずの無い心臓を締め付けだす。
「自分の力だけで使える様にしないのか?」
見透かしたかのようにゴリアーデが尋ね、俺の背骨はびくりと跳ねた。
「お、俺には剣も魔法もあるし、別段、<竜>になるだけが全てじゃないし…」
「そういう事ではない。」
取り繕い、逃げようと言葉を紡いでみたが、ゴリアーデは即座にそれを遮る。
「そういった<力>を持つという事、お前には<やるべき事>、<使命>があるのではないか?」
「はっ!?<使命>?笑わせないでくれ。」
俺はゴリアーデの肩から身を引き剥がし、そのまま地へ足を着け吐き捨てた。
だが、ゴリアーデの兜越しから、まるで憐みの視線を向けられているかのような気配に思わず顔を背ける。
「…何でそう思うのよ。」
「オレが<ルゴーレム>だからか…。<ヒト>として認知を得られてようと、それ以前にオレ達は<魔法人形>だ。成すべき理由あって生みだされた存在だ。」
俺の問いにゴリアーデは被った兜のアゴ部分に拳を当て思案し答えた。
「お前達<ウィザーク>がどういった種族かは知らん。だが、少なくともお前には何かに予期され備えられた、そんなものがあるんじゃないか、赤マント?」
「じゃあ、何か、アンタは落ちぶれて裏路地街を暴力で支配する事が<ルゴーレムの使命>とでも言うんですかね、<チャンピオン>。」
俺はつい反射的に皮肉めいた嫌味を向け、ゴリアーデを追い抜き背を向け歩き出す。
だが、すぐにまた倒れそうになり、ゴリアーデに支えられる形となる。
「そうだな…。…出過ぎた事を言った、すまない。オレ達の使命は<覇王時代>に置き去りにされたかものだからな、何か使命の火が残っていそうなお前が羨ましかったのかもしれん。」
「…俺も言い過ぎた。悪かったよ。」
「フフッ、他の連中は人の善い者ばかりだからな。お前みたいなのが居た方がバランスが取れる。」
「…」
小恥ずかしい事を躊躇無く言うゴリアーデに俺は眉間と口角を歪ませた。
―――
しばらく俺はゴリアーデの肩を借りる形で歩き続け、視界の開けた先に、<大鉄道>のレールが見えてくる。
その向こう列車の最後尾、つまりは俺達が乗ってきた車両の後部の手摺りには長い髪を結わえ額に2本の角を生やす異国風貌の男、ソウシロウが腕を組み立っていた。
「…戻られたか。剣を握るものとして、立て続けに待つ側に回るのはむず痒い気分でござったぞ、赤法師殿。」
ソウシロウは何時もの調子で俺を<赤法師>という、蔑称で呼ぶ、苦笑ではあったが爽やかで清々しい顔を浮かべている。
「だが、お前でなければ女子供達を任せていられなかった。そうだろう?」
ゴリアーデがソウシロウの不満を宥める様に告げると、ソウシロウは仕方ないといった様子で表情を戻した。
「赤法師殿は乗車口の方へ回るでござるよ。その姿で車両に入ったらウィレミナ殿の雷が飛ぶにござるよ。」
「…わかった。」
俺はゴリアーデから手を離し、渋々ソウシロウの言う通り前方の乗車口の方へ歩を進める。
乗降口に辿りつくと青味がかった銀髪、耳の長い給士姿のエルフの女性、ウィレミナが出迎えてくれていた。
ウィレミナは俺を見るや、頬を膨らませ、両手を腰に当てこちらを睨む。
「お帰りなさいませ、グラン様!」
自身の落ち度に見当は付かないが彼女は俺の行動に対して怒り心頭のようだ。
「た、ただいま…」
「まったく!全身が泥だらけではございませんか!さぁ、早くお脱ぎになってくださいまし!」
そういうと彼女は俺のマントを毟り取るように掴みがかる。
「大丈夫だって、石鹸で落とすから。それにお前さんと初対面したときに比べたら全然汚れて…」
「言いワケは聞いておりませんッ!」
長い耳がピンと張り、さらに捲し立て怒り出すウィレミナに俺は思わず「はい。」とたじろぎ言う通りに脱ぎ始めた。
…
「乗車して突き当たりに着替えを用意しておりますから、しばらくはそちらでお過ごしくださいませ。それと…」
ウィレミナは俺が脱ぐ側から衣服を取り上げると乗車口の方へ押しやろうとする。
「その赤い襟巻きもお脱ぎくださいまし!」
「いいだろ、これくらい!?無いと落ち着かないんだよ!」
だが、彼女は俺の抗議を物ともせず、強引に襟巻きを掴むと脱がせにかかる。
俺はその場に踏ん張り、意地でも脱ぐものかと抵抗するが、今の状態ではウィレミナの力にすら敵うはずもなく襟巻きは彼女の腕の中へ巻き取られていく。
「では、ごゆっくりご寛ぎくださいまし。」
ウィレミナはシャツとパンツと腰に剣を下げた俺の姿に満足するや、俺をそのまま乗車口の中へと押し込むと上機嫌で車両から離れて行く。
そして、丸裸一歩手前となった俺は仕方なくその先に用意されていた衣服に袖を通し、深く溜息を吐いた。