30-8.禍つ黒き卵
薄布を纏っただけの姿で浴室を出た後、1本の酒瓶を手に戻ったウィレミナは、ラミーネに手渡す。
「大冬に身体を温める為の火酒ですが、こちらでよろしいでしょうか?」
ラベルには印がなされ、高純度の酒精の保障、酒の強さが伺える。
栓を抜き、匂いを嗅ぎながらラミーネはゆっくりと少量を口に含む。
すると口の中は瞬時に酒精で燃え広がり、喉が焼けるような強い刺激が食道から胃へ一気に駆け巡った。
「~~~~~ッッ!」
その酒の一撃にラミーネはその場で悶絶の声を上げるも、心配し近寄るウィレミナを片手で制止しながら、もう一口と酒を煽る。
身体は火照り、全身の穴という穴、管という管が酒精で燃え、強烈な刺激が走り回って痺れていく。
これはラミーネの仲間である大男のダッカはおろか、大の酒好きで知られるのドワーフ達ですら、これ1杯で顔を歪める事だろうと容易に想像がつく程。
酒精に問題ないと確信し、ウィレミナへ向かって軽く目を回しながらもラミーネは強く頷き、まずは黒く輝く卵へとその酒をゆっくりと注ぎ始めた。
そして、特に意味があるワケではない、ラミーネは直感で組み立てた意思集中の儀式を行い、残る酒を一気に飲み干す。
喉を鳴らし飲むというよりも、何かの注ぎ口へ直に流し込むような音を立てながら、ラミーネは酒瓶を空にしていった。
―――カハァ~~~~…、ヒックッッ!
酒瓶を空にしたラミーネは上半身をぐらりぐらりと揺さ振らせ、溢れるほど酒精の回った身体と顔は赤く染まる。
だが、そのまぶたは閉じる事無く見開かれ、瞳が卵へと固定され続けていた。
「ラ、ラミーネ様?」
「ら、らいじょぉ~ぶ、ふ、ふぃれみな、は、そこでまっへへ…」
早速、呂律はまわらなくなり、ウィレミナへの言葉にも一苦労な様子のラミーネ。
だが、黒き卵を前にし、先程の様に指を突き立てた。
指が沈み、ラミーネの脳裏に先程の聞こえた声の光景が再び浮かび上がり、胸の中を鷲摑みにされた様な感覚に襲われる。
同時に、全身の血液が逆流して行くような熱さと高揚感が襲いはじめ、自身の中に流れる魔力の流れが太く強く変化していくのを感じ取る。
そして、ラミーネの目的は変わり本来は<魔神の卵>を<瘴気>を封印する術式を己が<力>へと<変換>させるものへと組み替えて行く。
何故こんなことができるのか、ラミーネ自身はわからなかったがその扱いに不思議と確信が持てた。
…
グラン、ソウシロウ、ピア、そして大鎌を振るう女。
今この場に、この館に居ない者達がラミーネの足元より下に見え、見える光景と今の場の背景がおぼろげに重なり曖昧になっていく。
「ふぃ…ふぃれみにゃ…、ま、まてゃもどってくりゅから…ま、まってちぇ…」
ラミーネは<魔神の卵>に指を突き刺した状態で、ウィレミナに待ってるように告げる。
「は、はい?で、ですが、グラン様達は今何処に居るのか…」
ウィレミナがその言葉に頷き返す途中、ラミーネは再び卵へ視線を向け集中を始めた。
―――ザパンッ!
そして、ラミーネの身体は突如として水となり、浴槽の湯に混ざり合って消える。
―――
光帯びた大鎌を構える女を前にし、ソウシロウは曲剣を向けた。
だが、対峙する敵が狙うは唯一動くこの身ではなく、後方に居る無力な<同族>の少女。
ただ迎え撃つだけならばソウシロウには難と無い、光の斬撃を避け、懐に一閃を振り下ろすだけの事。
しかし、それでは少女ピアを守る事は叶わず、縦一文字に切り裂かれたグランがその身で証明していた。
敵を討つならば、敵の攻撃より早く、更に完全なる勝利は女の無力化。
ソウシロウは剣を目線と同じ高さに合わせて構え、腰を落とす。
自身最速の技はある、あるも、その剣速は同時に殺傷力でもあった。
女を殺さねば少女は守れない、かといって女に身を守らせ剣を受けさせるには剣速が余りに<ありすぎる>。
遅れれば技は先手は成立しない。
呼吸が震え、剣先にそれが伝わり、ソウシロウには技を曇らせる迷いが現れだす。
だが、女は大鎌を振り上げ、ソウシロウの迷いごと斬り裂こうと向かい合い、時間の猶予が消える。
次に瞬きすれば光の斬撃が一行を襲うは必然。
「…南無三ッ!」
剣先の揺らぎは消え、足先が地面に減り込み、ソウシロウは刹那の瞬間に踏み込んだ。
…
―――…たぁぁぁ、かああぁぁ、いぃぃぃィィィッッ!!
その時、ソウシロウは上空から突如として発せられた力なき声に剣技が一瞬鈍る。
「…なッ!?」
そして、女の動きも止まり、視線が上空へと向いてしまう。
上空には白と薄緑色が混ざり合う<流星>が浮かび、一直線に地上へと向かっていた。
「ラ、ラミーネ殿!?」
その正体に驚くソウシロウは急ぎ剣を引き、踏み止まるが、女は真上の存在にただ思考を固まらせてしまう。
「…おおおぉぉッッ!?」
―――ドゴンッッ!!!
<流星>は女に衝突し、その身は勢いよく地面に叩き付けられ、周囲は土煙と風圧により視界は奪われる。
しばらくして土煙が晴れるや、大鎌の女を下敷きにしたラミーネが目と身体を揺らしながら起き上がった。
「は、はらほろ、ひれ、ハレ…」
大鎌からは光が消え失せ、異能の攻撃は中断されたと見られる。
「…ラミーネ殿、ご無事か!?」
「しょ、しょうしろぉ…?じ、じゃあ、あたひ、ほ、本当に<転移>が…?」
ソウシロウの呼び声に反応し、ラミーネは虚ろな眼でそちらを伺う。
しかし、突如としてラミーネは胸倉を掴まれると、視界がぐるりと回転し投げ飛ばされた。
「…邪魔だッッ!」
下敷きになっていた女が意識を取り戻し、激昂してラミーネを突き飛ばす。
「お主ッ!まだ殺り合うというでござるか!?」
ソウシロウは急ぎ曲剣を向け身構え、女も震えながらに大鎌を持ち上げて立ち上がる。
「…今こそ、が、あの男の、姦計及ばない、最大の好機ッ…!…ガハッッ!!ゲホッ!…ゲホッ!!」
だが、女が啖呵をきったと同時に血し吐き出し膝を地に突け、その血は黒く、女の身体中からは黒い瘴気が吹き出していた。
「…痛み分けにござるッ。ここは互いに引く気にはならぬでござるか?」
それは己の身を蝕み、今もなお力を奪い続けている様にも見え、ソウシロウは剣先を向けながらも問う。
「…」
再び黒い血を吐き、女は面持ちならぬ表情で周囲を見渡し、懐から小さな容器を取り出す。
「…必ず。…次も邪魔するようであればお前達も…!」
そして、地面へと叩きつけると、割れた容器から黒い粉が周囲へ煙のように噴出し、立ち込めては女と辺りを包み隠していく。
「…煙幕。引いてくれたにござるか。」
ソウシロウは剣の切っ先を下げ、剣を収めると、安堵の息を漏らした。
「ラミーネ殿、無事にござるか?」
「あ、ありぎゃひょ…」
動きがないとわかるや、残る煙を払いながらソウシロウはラミーネの身を案じるが、ラミーネは未だ現実感が無いと感じつつ手を借りて立ち上がる。
「お手柄にござる。…しかし、き、強烈な酒気にござるな…」
「う、うへへ、あ、あひゃひ、ほんとうによっぱらっひゃら、飛んでこれるみひゃい…」
呂律が回らないままの舌、足腰がふらつくのをソウシロウに支えられ、ラミーネは頭をぐらんぐらんと揺らす。
「…そ、そうだ、ピアちゃん!!あと、グラン!」
そこでラミーネは我に返ったかのようにピアとグランの身を案じ、その姿を探し始めた。
「…誰が、<あと>…だよ。」
小さな声が大の字に倒れた赤い人影から聞こえ、2人は視線を向ける。
「気が付いたにござるか、赤法師殿。」
「…激痛で喋れなかったんだよ。ったく、危うくまた<異能>でAとBに分割されるところだったぜ。」
胴体の塞がりつつある傷を抑えながら、上半身を起こすグランは目を回すラミーネを睨みつけていた。
「…本当に<転移>の引き金が<酒>とはね。それと…」
そのままの目付きでグランは後ろへ振り向き、地に膝を着くピアの<姿>を覗く。
「誰だ、<テメェ>は。」
グランは既知の少女を別の存在と捉え問いかけるも、少女の表情は錯乱の様子をみせ動く気配は無かった。
その様子にグランは苛立つと舌打ちを鳴らし、激痛に眉間を歪めながらピアの元へ歩きはじめる。
「…い、今は、語れぬ。我が母の心が大きく揺らぎ、乱れている…我も意識が…」
「おいっ、待てッ!!勝手に飛び回っておいて潜るんじゃねぇッ!」
そこでピアは崩れるように倒れ、グランは慌てて駆け寄り抱き留めたがその時には既に、ピアの意識は無くなっていた。
戸惑いと怒りが混ざった複雑な顔で唇を噛むと拳を握り込む。
「赤法師殿!少なくとも<身体>はピア殿でもあるにござるぞ!」
その様子を見たソウシロウは思わず叱咤の声をあげ、グランもそこで我に返り、悔しさ交じりに拳を開き、ピアを抱え上げ立ち上がる。
…
一応に街中だというのに周囲からはざわめく声どころか、騒ぎ立てる声も聞こえては来ない。
「ウィレミナ殿の居る館へ戻ると致そう。カルマン殿とまだ話もつけ終えてないでござるからな。」
この場の事が幸いにこの場限りであると願いつつ、ソウシロウはラミーネを背負い直し、グランと共に館へと向かい歩き出した。
―――
「…Gm!」
館に戻ると着替えたウィレミナが河グリフォンの幼体を抱え、門の前で一行を出迎えてくれていた。
「あぁ、皆様、よかった。私めには詳しい状況が掴めず…」
「何、騒ぎに巻き込んだのはこちらにござる。お気に召されるな。」
「…俺だけは完全に巻き込まれている側なんだが。」
グランの嫌味にソウシロウとウィレミナは苦笑を浮かべる。
「それで早速なのでござるが、また<通話機>を拝借させては貰えぬか?」
ソウシロウは用件を伝えるとグランへチラリと視線を向け、グランはただ頷き返す。
「差し出がましい事ですが、今日はもうご休憩なさってはいかがです?ここには空いた部屋は幾つもありますから。」
「…それ、俺だけ休憩にならないとかないよね?大丈夫?」
重なるグランの嫌味につい先程の浴室の事を思い出し、ウィレミナは頬を赤らめ視線をはずした。
「…もうっ、グラン様ったら意地の悪い方ですのね。」
「先方が赤法師殿を待っている故、すまぬでござる。またへそを曲げ切って1人で不貞腐れられると手に負えぬでござるからな。」
「なんだよそれ、まるで俺が悪いみたいじゃん。」
嫌味が過ぎるとソウシロウはグランへ軽く釘を刺すがグランは納得がいかないと不機嫌さを隠さない。
ウィレミナはその様子にただ楽しげに笑みを浮かべ、一行を館へと案内する。
―――
再び通話機を前にし、今度はウィレミナが操作をし始め、カルマンを呼び出す。
「…思ってたより、早くそっちの問題が解決したみたいネ☆」
「こちらの都合で話を断った事、深くお詫び致す。」
カルマンは調子良く言ってのけるがソウシロウは謝罪と共に通話機越しに頭を下げる。
「いいのよ、いいのよぉ~☆アタシとソウシロウちゃんの仲って事で。それより、繋げ直したって事は…」
「…ご念願の赤マントちゃんならここにいますぜ。何の用事だか知らないが、さっさと用件を言ってくれ。」
カルマンが言い終わるより早く、通話機からグランの声が不機嫌交じりに割入ってきた。
「ヤレヤレ、相も変わらずネ。でも、それなら早速と質問をさせて貰うワ。」