30-5.禍つ黒き卵
幸いというべきか、大判の薄布でその身を包んで裸体をあらわにはしていない為なのか、エルフの女給士が持つ<呪い>の発現は見られない。
グランは周囲を見渡し、これまでの<呪い>で何を受けたか、それがこの浴室で起きるであろうかを探る。
配置された調度品は浴槽の周囲とは距離があり、<何かの弾み>で直接の接触は避けられそうではあるが、何かしらの干渉は想定して然るべきだろう。
「昔話を少ししてもよろしいでしょうか?」
そして、何時の間にか、またも隣に移動していた女給士のウィレミナが語りかけてくる。
グランはその声を聞くや否や、姿を直視する前にすぐさま、浴槽の縁にそって反対側へと移動し、距離を取った。
「…手短にお願いしたいが?」
身構えつつ、ウィレミナの方を直にして見ずにグランは返す。
ウィレミナは不満げに小さく頬を膨らませたが少し間を置いた後にはゆっくりと口を開く。
「では、なるべく手短に…。まず実は、この館の主人、私の旦那様はもうこの世におりません。」
グランはその言葉に驚き、思わずウィレミナの方を向く。
「…じゃあ、何故にアンタはここに留まっているんだ?」
「…」
僅かな静寂が、まだ話を折るべきでは無かったとグランは改め、続きをウィレミナに促す。
ウィレミナは目を伏せ湯を肩にかけながら、ゆっくりと話を続けた。
「私は10年程前は人売りに出されておりまして。ですが、幸運にも早くに旦那様に買われ、教育と作法を学ぶ機会を頂きました。」
それは然程珍しい話ではない。
領土平定がほぼされた大陸西部ですら人身売買はあくまで表沙汰になっていない程度。
特に住む場所を失い、周囲との互助関係が崩れる者達は故意、他意に関わらず裏社会に巻き込まれては犠牲となるのが常だ。
ウィレミナの種族、<エルフ>はそれこそ大陸西部でなら人口も由来の土地に恵まれる為、人売りに出るのはまずないだろう。
だが、それ以外となるとやはり<種族>の力は大きく影響する。
「そして、今日まで、この館の管理と旦那様の身の回りと世話をして参りました。」
<今日まで>、という言葉にグランは引っかかりを覚え、ウィレミナと視線を合わせる。
「このまま耳を傾けていたら、のろけ話と長湯で確実にのぼせてしまいそうだな。」
「…それはそれで、私としても都合がよろしいでございます。」
グランの嫌味に対し、ウィレミナは動じず、澄ました顔で返す。
「アンタ、やっぱり何か<狙い>があって俺をこの館に<誘い込んだ>な?」
その指摘にウィレミナは沈黙で肯定を示し、それを認識するとグランはすぐさま湯から身を引き上げた。
「…いい湯をどういたしまして。」
「いいえ、ご遠慮する事はございませんわ。」
浴槽から上がったグランはすかさず身支度をしようと動き出すが、ウィレミナは微笑む。
「…」
ただの挑発だろうか、グランはその表情に乗ることはせずただ出口へと足を向け速度を速めた。
その瞬間、何かがグランの足元に絡みつき、再び浴槽の中へと引き込まれてしまう。
「何ッ!?」
慌てて両手を底に着き、湯面から顔を出し、足元を見るがそこには既に何も存在しては居ない。
「…これは私の<呪い>ではありません。もう、グラン様は逃れられないのです。そして私も…」
対し、ウィレミナは立ち上がりグランを見下しながら告げる。
「どういう意味だ!?」
「…私の旦那様はこの館を長年調べていました。この<部屋>、その中に<秘宝>が有る事を突き止めたのです。そして、私はその為の<贄>でした。」
ウィレミナはグランへの質問に直接とした返答はせず、そのまま語り続けた。
何処かうっとりとした表情で天井を、そしてその先の曇ったガラスの天窓を見るウィレミナ。
「…<贄>?」
グランは昔話に乗っかり、問い返す。
そして、ウィレミナはグランへ視線を向けると、ニタリっと口を歪めて笑った。
「グラン様は冒険者なのですから、聞いた事はございませんか?」
「…」
出会った頃の、それまでの美しく凛とした表情が崩れ、隠す事無い醜悪な笑顔にグランは息を飲む。
―――<ヤらないと出られない部屋>…
「な、何だって!?此処が!?」
その名前にグランは驚きを隠せず、ウィレミナへと問いただす。
<ヤらないと出られない部屋>、噂に聞く魔のトラップの1つ。
その正当な脱出方法は男女のアレがコレして子供には見せられない光景が繰り広げられるというもの。
だが、それはあくまで噂であり眉唾な話だとグランは思っていた。
何故ならその発生例と解除例が曖昧な為、そもそも事実を確かめる術がないからだ。
正直、冒険者がパーティ内での男女関係の一線を越えた言い訳の理由というのが有力な説である。
その為<ヤらないと出られない部屋>の存在は確認されていないとさえ言われていた。
しかし、なればこそ、ウィレミナがこの部屋に自分を誘い込んだ理由は合点がいくと同時に矛盾点も生まれる。
「だったら、何故、俺とアンタなんだ?アンタが相手ならその<旦那様>、赤の他人を誘ってけし掛けるアンタが出向く必要もないだろう?」
「そ、それは…旦那様が…」
ウィレミナは頬を赤らめ、少しうつむきながら呟いた。
「…旦那様が?」
「…旦那様が、私と同じ<女性>だったからです。」
…
どうやらこの<ヤらないと出られない部屋>の噂は、相応の真実性はあるようだ。
「…ナルホドナー。」
「ご理解頂いて何よりです。でも、私としては旦那様が女性であっても試してみる価値はありますぜと申し上げてはいたのですが…」
もじもじと腰を僅かに揺らしながらウィレミナは語るが、グランは少しそんな彼女に一歩たじろぐが質問を続ける。
「じ、じゃあ、適当な男女にでも誘い込んでしまえばいいだろ!」
「それは普通にこの先の<秘宝>を知られない為ですわ。それに、私とこの館はもう<呪い>の評判が広まってしまったので、単に誘うのが難しいのです。」
いきなりの真顔と返答をみせるウィレミナにグランは若干気圧された。
「…ナルホドナー。…え、いや、じゃあ、何で俺!?」
そこでウィレミナはにっこりとほほ笑む。
「グラン様がお優しい方で、私の<呪い>に<耐えられる>と踏んだからですわ。」
そして、彼女はその身を包む大判の薄布の一部をめくりあげる。
隙間から覗かせる美しい腰から足先への脚線美が湯気で湿り、妖艶な輝きを放つ。
「あ、しまっ…」
うっかりとグランはその視線を追ってしまうが、周囲にはこれまで災難となるものは存在しない。
何かが起こりうるとすれば、せいぜい足を滑らせて浴槽の中で溺れる程度。
そうはさせまいとグランは浴槽から這う様に上がり、転がって距離をとった。
―――ガゴン!
止まった矢先、グランの頭上から<何か>が落ちて星を散らし、床には何処からともなく現れたタライが音を鳴らし踊っている。
「な、何だ?タライ!?タライ、ナンデ!?」
更に、不思議な事にそのタライは静かになった途端、その形を消していった。
だが、グランの身は即座にタライへと気を奪われている場合では無くなる。
浴槽の湯が膨れ、伸び、グランの方へと襲い掛かってきた。
「…<スライム>かっ!」
部屋の仕掛け、<出られない>要因は巨大な粘菌生物である<ヒュージ・スライム>。
魔力による制御を植え付けられた<巨大粘菌>がその条件を外れたものを引き戻しに襲い掛かる。
「イグニッ!…」
グランはとっさに魔法の詠唱を行おうとするが、先のタライの衝撃が残っていたのか舌が回りきらず<巨大粘菌>に包み込まれた。
そして、再び引き戻され、浴槽に落とされるとグランは湯面から顔を出し、大きく咳き込んだ。
まぶたを開くとそこには当然、ウィレミナが待ち構えており、彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「さぁ、もう解って頂けましたか?でしたら、…おヤりましょう!」
「おヤらんわ!」
グランは湯の中を泳ぐようにウィレミナから離れ、そして左腕を掲げた。
「…見ろ、この腕を!俺はただの<ヒューネス>じゃないんだぞ?こんなヤツとそんな、あんなとヤりたいか?」
楔が埋め込まれた漆黒の左腕、それはグランを異形と認識させるには十分な物証。
しかし、ウィレミナは動じるどころかグランへと近寄って来る。
「何か問題がありまして?」
それは即答であり動揺の欠片も無い返答であった。
「それに私、こうして自らの<呪い>を扱ってるのです。むしろグラン様と私は類友同士といえますわ。」
「そういわれれば、そうなんだが…、こういうときにはハッタリにならんなこの腕!」
理屈に納得しかけるが、グランはそれ以上接近を許すまいと身構えるがもはやウィレミナはこちらに手はないと確信を得て、徐々に距離を詰めていった。
「…はっ、ま、まさか!も、もしかしてグラン様はアレなしでナニがせぬと…!?」
「アレもあるしナニになるわ!そして、そういう問題じゃァないのッ!」
何時までも折れない、諦めの悪い眼前の男にウィレミナは何か相応の理由があるのかと口を零すがグランは即座に否定する。
「…おかしいですわ。容姿だけでしたら殿方の1人ぐらい簡単に誑かせると思ったのですが…、グラン様に恋人は居ないようですし。」
「…オイ。」
身体を捻り、自分の肉体美を再確認するウィレミナ。
確かにエルフの容姿端麗さに加え、その姿勢、肌艶は正しく<上玉>と呼べる。
「…ならば、実力行使に参りますわ。お互い丸腰なのでしたら、私、そこらの殿方より強いと自信がありますの。」
そして、ニヤリとそして力強く笑みを見せ、身体を包む薄布を引き締めると徒手空拳の構えをとった。
ウィレミナの構えの型を目にし、グランもより抵抗よりは戦闘に向いた構えを取り直す。
「…?あの構え、何処かで…」
互いに構えを見せ合ったその時、グランの脳裏には既知のある姿がよぎる。
しかし、次の瞬間、ウィレミナの姿は水面に広がる波紋だけとなっており、空と水を裂く音が遅れてグランへと迫った。
水飛沫が舞い、グランの右腕に衝撃が走り、グランの頭上を狙ったウィレミナ奇襲の蹴りは寸前の所でいなされる。
「こ、これは…、セバっさんの技!?」
防いだ右手の衝撃、攻撃の角度と痛みの広がりから先の既知ある姿を鮮明なものへと変えた。