29-4.孤掌鳴らし難し
深い水の底を探るように、少女は手元の<板水晶>を潜り覗く。
根源の地に居るからか、<視た>世界の周囲は黒い靄で包まれており、視界は悪い。
ふと、その靄の一部が晴れると、そこには何か大きな物体が映り、灯る4つの赤い瞳。
<それら>はただ真直ぐ、ピアに目を合わせるかのように正面を向き、微動だする様子を見せなかった。
「…」
ラミーネに強く抱き寄せられ、ピアの意識は現実へと戻ってくる。
「見え…見えました…この奥、広い場所に行き着けば、そこに私が<視た>原因となるものが居ると思います。」
グランとソウシロウは互いに頷くと、ピアの言葉に従い先へと進もうと足を踏み出した。
「で、でも!何か、違和感があるんです…。居着いているというより、何かを守っているような…」
だが、原因の究明には情報が余りに不足、少女の言葉で思案に暮れ、足を止めるわけにもいかない。
一行はピアの最後の言葉を保留とし、奥へと進む事にした。
―――
しばらく奥へ進むと、水流の音が前方より聞こえるようになりだし、辺りの壁からは水が染み流れだし始める。
先は辿ってきた支川の水源の1つであろうか、辺りには苔が覆う石と砂利で足場が悪く、一行は足元に気をつけつつ、更に奥へ進む。
そして、開けた場所、小さい滝が幾つも飛沫を上げ、高い天井は吹き抜けており、差し込む光が水面に反射していた。
滝周囲は所々小さな滝壺として水が溜まり、苔と僅かに水に沈む空間の中央の台座には鎮座する異様な蠢く姿。
それを見て4人は息を飲んだ。
平たく幅広の嘴を持つ双頭、かつ双尾の巨体を成す屍獣がそこには居る。
「な、何よアレ…」
その姿にラミーネは絶句し、たじろぎ、閉じた大扇を強く握リ締めた。
巨体は1体の異形ではなく2体の肉体が繋がっており、わずかな動きから2本の背骨が肉の中で歪に捻れるのが伺える。
しかし、その刹那の間、<それ>は一行に目を向けて、双頭にある口を大きく開き甲高い咆哮を上げた。
―――GGmmrroowwrr!!
「くッ!先手を逃したか!」
形容し難い異形、更には死へと近い存在を生者が目にすると、負の感情が肉体を駆け巡り支配される。
その動揺は<確実>な僅かな隙、僅かな迷いとなり、死を前にしての一瞬はそれに直結する。
相互、意識下において有利だった間合いは一瞬にして詰められ、屍獣、<双嘴屍獣>は左右の頭で戦闘態勢ままならぬ一行へと襲いかかった。
咄嗟にソウシロウは腰に下げた曲剣を抜き、1つの頭部の嘴を刀身で受け止めると、もう片方からの攻撃が迫り来る。
「グライ、<アースシールド>ッ!」
だが、そこにグランが割って入ると札を掲げた腕に魔法盾が瞬時に展開され、襲いかかる嘴を受け止めた。
しかし、魔法盾と小手の防御ではその攻撃は防ぎきれず、グランは吹き飛ばされる。
「赤法師殿ッ!」
ソウシロウは吹き飛ばされたグランに目を向けつつ、受け止めている頭をいなし、斬り払う。
斬撃そのものは膂力で弾かれるも、僅かに態勢を崩せた。
―――Torp、Colors、Mand、Stric、《Whirlpool》…
そこに<双嘴屍獣>の詠唱が重なり、振り払われた側の頭が青く輝く水の球を無数に浮かべる。
周囲一帯に飛沫と水球が高速回転し、うねりを作り上げ、水の激流と成した。
「うおぉぉッ!?」
「きゃあああぁっ!」
一行は激流に呑み込まれ、身体を周囲の岩壁に、滝にと打ち付けられながら押し流され、弾き飛ばされる。
そして、周囲の滝壷に叩き込まれ、激しい水飛沫が上がった。
…
…
意識が朦朧とする中、ピアは岩肌の隙間に転がり、運良く滝壺へとは落ちずにいた。
身体は強く打ち付けられて痛むが、それどころではないと、這いずりながらもどうにか身体を起こす。
ぼやけた視界、その両目は<予見>ではなく現実を映し出していく。
指先に絡む、地べたを這う濡れた薄緑色の長い髪。
ラミーネがピアの側で苦悶の表情を浮かべ、気を失って倒れていた。
白い鱗に覆われた下半身は、所々剥がれ、赤い血が滲み、彼女が少女を庇い激流の中で岩壁に叩きつけられた事は明白であった。
ピアは痛みに震える身体を起こし、自分達が転がり込んだ隙間の入り口に目をやる。
外は水から這い上がったグランとソウシロウが再度、<双嘴屍獣>とぶつかり合い、斬り結んでいた。
その時、ピアの背後から、いや、正確には<背後>へ向って、何かが吹き流れていくのを感じ取る。
岩肌の隙間、その奥、そこから微かに、だが確実にある鼓動が聞こえていた。
「…ダメよ、1人で動いちゃ。」
鼓動を伝って、奥へと踏み入ろうとするピアに目が覚めたラミーネは起き上がりそっと抱き止めた。
「…この奥に、多分、原因があるんです。」
ピアはラミーネに視線を向けずに、自分の中にある予感が指し示す先に目を向けている。
「じゃあ、私も一緒に行くわ。アナタよりお姉さんだもの、守ってあげるわよ。」
「…でも。」
その言葉にピアは戸惑う。
身体は未だに痛み、自分のせいでラミーネが傷ついた事への申し訳なさに表情も曇る。
「少しは格好付けさせてよ。」
そんな少女の頭をラミーネはそっと撫で、笑みを浮かべた。
…
グランとソウシロウは戦闘を再開するも、攻勢に転じるキメ手が欠け、ただ消耗が続く。
「…拉致があかんぜ、俺が動きを封じる!キメろよ、ソウシロウ!」
「…承知!」
―――チンッ…
鞘口に鍔が当たる。
ソウシロウはグランの言葉を受け、曲剣を鞘に納めつつ、両足を踏みしめ、息を大きく吸う。
そして、グランの方は首元に薬品の先端を突き刺し注入し、次に左腕の小手の装甲を開き、中へ赤い楔を差し込むと、捻るように食い込ませる。
「…<竜化転身>!!」
瞳が爛々と赤く灯り、グランの左腕から炎が吹き全身を包むと、大きく炸裂し火柱が昇り、赤いマントと赤い襟巻きは炎の鎧を纏うように覆われて<竜>へと変異した。
《幻真竜・フレアブラス!!》
ソウシロウの背後には巨身、巨躯の赤銅色の鱗と装甲を纏う<竜>が現れ、その巨大な前腕と鋭い赤い爪は<双嘴屍獣>を鷲掴みし、そのまま床面に叩きつける。
そして、ソウシロウは静かに曲剣を抜きながら上段の構えをとり、<双嘴屍獣>の双頭は竜の腕の中でもがき唸り始めた。
―――Torp、Colors、Mand、Stric…
変身が<遅すぎた>とグランは痛感する。
ビルキースから手渡された<劇薬>を使った上で成った<竜>の身体。
体格は維持できているものの、<双嘴屍獣>の僅かな抵抗で右腕は黒く変色し始め、鱗も所々砕け落ち始める。
それは<密度>の不足。
竜の身体はいわば巨大な風船の様なもの、元本となる魔力を<劇薬>で膨れ上がらせ表面を作り出せたとて、その内部には骨子の通らぬ空隙が殆どだ。
更に<双嘴屍獣>の詠唱は以前に戦った<上級悪魔>と恐らく同類、このまま攻撃を受けてしまえば竜の身体など吹き飛び、即座として身体は元に戻だろう。
《やれッ!ソウシロウッ!》
焦るグランが叫ぶ前にソウシロウは動いていた。
―――キィィエエェェストォォォッッ!!
それは奇声か、咆哮か、甲高い叫び。
常に涼しげな顔をしていたソウシロウの口から吐き出された。
―――《Whirlpool》…
ソウシロウの叫びと共に<双嘴屍獣>が竜の両腕の中より魔法が放ち、水の激流は巨大なうねりを上げて自身の拘束に絡ませ、粉砕していく。
《がアああッッ!?》
粉々に成った竜の両腕から全身に向って亀裂が走り、グランの竜の身体は弾け飛ぶ。
だが、それは<双嘴屍獣>も同義であった。
全身全霊、技にあらず只の一太刀、ソウシロウの曲剣が<双嘴屍獣>の真中真芯を討ち、斬り裂いていたのだ。
―――GGrryyuuwwrrrr!!
正に<一刀両断>。
<双嘴屍獣>は絶命の悲鳴を上げながら、その肉体を両断され、こちらも断面から骨肉が弾け飛ぶ。
グランも竜の身体も保てなくなり、元の姿へと戻っていくと床面へと叩き落とされた。
しかし、<双嘴屍獣>の目は、まだ執念の光を失わせていない。
肉体を分断されたのにもかかわらず、異形の姿は動く事を止めない。
―――Guruug…
―――Grugur…
グラン、ソウシロウは共に今の一撃により力を出し切り、息が上がり動けなく、それを余所に屍獣の身体はまるで脈打つように膨張し、肉体の再生が始まる。
―――Drock、Tac…
―――Spoir、Leep…
再生途中、2つの口が詠唱を囁き始めた。
詠唱からして新たな魔法、予見の効かぬ攻撃に2人はただ身構えるしかなかった。
―――<ショックネルフ>!
その時、稲妻が走り<双嘴屍獣>の詠唱により集う<精>を散らした。
岩肌の隙間からラミーネが傷だらけの姿で大扇を構え現れると、雷撃を繰り出す。
屍獣の肉体が痙攣し、詠唱が続かぬと解かるとグランとソウシロウは各々の剣を握り締める。
「待って!もう止めて!」
雷撃に続き、割り込む叫びに2人は動きを止め、<双嘴屍獣>すら声の方へと向けていた。
声の主はピアで彼女は1つの巨大な卵を抱えて姿を表していた。
少女の瞳は涙を浮かべ、自らを振り絞るように訴える。
「あなた達の卵はコレしか生き残らなかったけど…、コレは私が、私が次に継なげていくから…!」
そう叫び、ピアは卵を固く胸に抱きしめた。
―――Grug…
―――Gugr…
「だから、だからもう、苦しまないで…。ゆっくり眠って…」
<双嘴屍獣>が声を漏らすと、その身体から煙を上げ、塵を舞わせて崩れだしていく。
「番…にござったか…」
その執念は<子を守る>ものであったと2人は察し、目の光が消えると共に自然と剣を鞘に納めていた。
少女は涙をぼろぼろと流しながら、卵を抱きしめ、膝を崩して座り込み声を殺しながら泣き出した。
…
<双嘴屍獣>の身体が塵となって消えるとその痕跡として黒い泥が残る。
それは見るからに未だ屍獣、亡者達から放たれていた瘴気の残滓が立ち込み、4人は思わず身構えた。
「私が処置するわ。」
泥に向かい、ラミーネは札を1枚取り出して浸す。
すると、泥は札の中へと吸い込まれていき、札は膨らみ溶岩石のように成った。
「…これに強い力、魔力でも、気でも当てて砕けば安全よ。」
ソウシロウが石を受け取ると、そのまま上空へ放り投げ、呼吸を一置きの後、剣閃を浴びせる。
石は両断の後、バラバラに砕けて塵へと変わり、風に吹かれて消えて行った。
一行が顛末を見届け終えると、ラミーネはふらり、と身体が揺れ始める。
「…」
倒れる前にグランが駆け寄り、ラミーネを抱きかかえると彼女の身体を支え、抱え上げて立つ。
全身の白い肌、白い鱗から滲む血とピアの軽症の差から身を挺して少女を守った事をグランは悟る。
「…無茶しやがって。…だが、まァ、がんばったな。」
「エヘヘ、なら、街に戻ったらご褒美にお酒奢って☆」
「…調子に乗るな。」
「痛い!痛い!もう!バカバカ!バカバカ!」
調子付いたラミーネにグランがわざと揺さぶり抱え直すと彼女はグランを大扇で叩く。
疲労のピークに達しているグランは普段以上の無表情で抗議を受け続け、ソウシロウとピアは笑うしかなかった。
―――
応急処置後、洞窟から抜け出ると、空は茜色が僅かに残る程度の夕暮れ。
瘴気が無くなった為か、水辺と木々に囲まれた清々しい空気を肺一杯に吸い込むと、一行は来た道を引き返す。
疲労に足取り重く歩き、小さな橋にまで辿り着いた時には辺りは薄暗さに染まり、星々が瞬き始めていた。
―――ピィーーーーーーッ!ピッ!ピッ!
静かだった夜の世界に高い音色が響き渡り始め、2つの灯りが視界に入る。
1つは焚火、もう1つはカンテラの灯りで橋のたもとに鉄道員が迎えに来ており、一行は何処か安堵し、それぞれの鉄道員の下へ歩き始めた。
「いやぁ!ご無事でしたか、ご無事でしたか!パパッと向って、パパッと帰って来ると思っていましたので心配しましたよ!ははは!」
鉄道員は明るく、陽気に話しかけてくる。
「は、ははは…」
<無事>とは偏に言えないが、改めて全員がこうして戻ってこれた事は違いなく、疲労と安心からか一行は苦笑いで応える事しか出来なかった。
「ささ、焚火に当たり、粗末ながら食事でも!」
そして、それぞれ焚火を囲うように座ると、鉄道員は串焼きを振舞って回る。
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川魚の串塩焼き
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焼かれた川魚の表面はパリッとし、乗った荒塩が焚火の灯りを反射させ不思議と食欲を誘う。
「うむ、美味い。米が無いのが残念にござる。」
「…」
「お酒も欲しい~。」
「傷に響くぞ、お前は黙って食べろ。」
和気あいあいと食事をし、一行はこの冒険のささやかな報酬を噛締める。
そして、鉄道員に洞窟内での経緯を掻い摘んで話した。
…
「当方が街を代表するのも何ですが、感謝を申し上げます!ありがとうございました!」
鉄道員は立ち上がると頭を下げ、深く礼をする。
「そう畏まらなくても…」
「いえ!北の港、大鉄道の流通が困難となった今、この近隣、街を脅かす要因を取り除いて頂いたのです!」
かかとを鳴らし、敬礼の後、鉄道員はもう一度、頭を下げて礼を言った。
「ははは!まぁ、当方の権限では金子はだせませんが!あ、釣った川魚の量だけはありますので、たんと召し上がってください!」
そう顔をあげると焼けた串焼きを手にし押し付けるよう一行に振舞う。
鉄道員の勢いにどうしてもペースを乱されるが、その感謝の姿勢は好ましく一行はそろって頬を掻いた。
…
「ところで、この大きな卵!これは食べられるのでしょうかね!?」
後は一休みして駅舎に戻ろうという時、鉄道員はピアが脇に置いておいた卵を抱えると、有無を言わさずに焚火へと乗せる。
…
「「「「うーーーーわーーーッッッ!?!?」」」」
鉄道員の暴走に一同、声を揃えた。
―――ボンッ!!
そして、卵は音を立てながらひび割れ、勢い良く破裂する。
焚火は消え、一同の目が点になった時、卵の跡には何やら蠢く生物が居た。
それは平たい嘴、平たい尾、一見水鳥の様でありながら水掻きを持つ四足獣の様な姿で、<それ>は灯りに向って顔を上げる。
…
「こ、この卵、この子はまさか<河グリフォン>!?」
「…河?」
「…グリ?」
「…フォン?」
「……Gm?」