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  作者: 弥生
1/1

prologue

背後の足音が聞こえなくなる頃には、もう身体は疲れ切っていた。しかし走るのをやめるわけにはいかない。追っ手は着実に迫ってきている。




ハヤトのいる場所は常に戦場だ。それは決まっている。物心つく前、いやそれ以前からハヤトは戦っていたのだから。

生まれ変わりなどというものをハヤトは信じていなかった。ーーー自分が実際に体験するまでは。

ハヤトが初めて人を殺した夜、前世の記憶は突然ハヤトの頭の中に流れ込んで来た。

その記憶や自我は非常に曖昧で断片的なものだった。そしてハヤトにはその記憶に対する確かな実感がなかった。自分の歩んで来た人生程にはその記憶はハヤトに対して説得力を持たないように思われた。

だが確かに記憶の中の男に共感できる部分はあった。男に起こった出来事に対して、もし自分だったらどうしただろうと想像すると、大抵男はハヤトの予想と同じ行動を取った。ハヤトはそれが重なる内、この男が肉体が違うだけの自分自身であるとはにわかに信じ難いが、自分と共通する部分ーー敢えて言うならば魂ーーを持ち合わせているのは確かだろうと思った。


男の送った人生は、今の所面白いくらいハヤトと似通っていた。暴力が日常で、生き残るにはそれをコントロールするしかなかったという状況。それでも尚、誰かに甘えたがったという気持ちを利用され、踏み躙られた。ハヤトと同じく、男が最初に手を掛けたは男が最も愛していた人、そして最も愛されたかった人だった。

男もハヤトも、絶望の上に立っていた。しかし違ったのは男はそこから立ち上がる術も指針も持たず、ハヤトは持っていたという事だろう。ハヤトは男の記憶から、自分がこの後どんな事に出会い、どのように世の中を見るようになるのかについて知ってしまった。

ハヤトは男の記憶から悟りを得た。全てを見終えたハヤトの胸の内には最愛を殺した悲しみはあったものの、身体中を蝕まれるような苦しみはなくなっていた。しかしハヤトは達観しまっていた。ハヤトは既に以前のような愛を求めるような幼い希望を失ってしまった。ハヤトは殺した最愛だった者の虚空を見つめる瞳を手で触れてそっと閉じさせた。この時ハヤトは9歳になったばかりだった。




ハヤトは足を止めて一度息を吐ききり、深く深呼吸をした。右を見ても左を見ても見えるのは木と土と空とさっき漂う追っ手の面々ばかり。加えて背後には厳しい崖がある。逃げた方面から挟み込まれてまんまと誘い込まれたって訳か。ハヤトははっと鼻で笑った。所謂絶体絶命という状況。どうせ死ぬならと敵に最後まで抗うのが美しい死に様という奴なのだろうが、残念ながらハヤトは最高に生き汚かった。向かっていくより、崖下の川に飛び込む方が勝率は高い。そう踏んで、ハヤトはじりじりと後退し始めた。

踵が崖の淵に着いた瞬間、ハヤトはまるで自分を鼓舞するかのような不敵な表情を顔中に浮かべた。


「俺は死なない。絶対に」


そう叫んだが早いか、追っ手が動き出す前に背後に身を投げた。飛び込むとは思っていなかったからか、それとも落ちれば助からないと踏んでいるからなのか、追っ手は動かなかった。そんな彼らの直立不動の間抜けな顔を見て、ハヤトは大きな声で笑った。


風が体を切る感触。腑が浮き上がるような感覚。どれもハヤトにとっては恐ろしいものだった。死が恐ろしかった。死んだら人は無になる。それが男とハヤトの共通の考えだった。男はただ漠然と思っていたにすぎないが、ハヤトは実感として知っていた。記憶は魂に刻まれるが、自我に関してはその限りではない。

一つの魂には恐らく一つの自我しか乗れない。隼人の記憶の中の男がいい例だった。ハヤトが死んだ時、ハヤトの記憶は魂に刻まれ、それを見るのは同じ魂を持つ誰かだ。それはハヤトではない。


笑うのも話すのも、全て恐怖から解放されるための一時だけの手段だった。ハヤトは落下速度が速くなるにつれてより大きな声で笑った。いや、笑わなければならなかった。そしてとうとう笑うだけの息が尽き、隼人が息を吸い込んだ瞬間、ハヤトは背中から着水した。

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