第9話 『自転車に乗って』
ワン・ラブ 第9話 『自転車に乗って』
「おっ、そうそう、茜、そのままそのまま」
「きゃっ」
『ガチャン』
「あぁ~あ、もうちょっとなのになぁ~」
「おとうさんが手はなすの早いんだよぉ~」
「そんな事ないぞ。近く見ないでさ、もっと遠く方を見ないから駄目なんだよ」
「だってぇ、こわいんだもん」
日曜日の蘭丸の散歩は自転車の練習日だった。小学3年生になっても自転車が乗れないあたしは公園の芝生の上で自転車の練習をしていた。いつになっても乗れるようにならないあたしにお父さんが考えた最後の手段は、
「しょうがねぇか、もうこれしかないな」
と言って、蘭丸のリードを外しおもむろに抱き上げた。
「ゴメンな、蘭丸。もうお前しかいないんだ。な、頼むな」
そして、きょとんとしている蘭丸を自転車の前かごに乗せた。
「おとうさん。そんなの無理だよぉ、らんまるおろしてあげてよぉ」
「いや、蘭丸を落とさないように走ってみな。もうちょっとで乗れそうなんだから頑張れ」
「でもぉ、今までできなかったのに…」
「いいから、ちゃんと前の方見て、肩の力を抜いてやってごらん。絶対、大丈夫だから」
「わ、わかったやってみる…」
前かごを見ると蘭丸がかごの縁に手を置いて震えていた。
「それっ」
お父さんの手が離れたこともわからないくらい集中して前だけを見て走り出す。
「おぉ~ すごい、すごい。ちゃんと乗れてるじゃないか」
「ほんとぉ~?」
「うん、バッチリだよ。そのままゆっくりUターンしてもどっておいで」
「わかった~」
・
・
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はじめて自転車に乗れた日、君が力をくれたんだったね。
「ねぇ?」
「な、な~に?」
「あの時、怖かった?」
「うん。とっても。でもいまもじゅうぶんこわいよ…」
「もう大丈夫よ。今ではたまにしか転ばないから」
「えぇ~~ やっぱりころぶんじゃん」
「うそだよ~ ちょっとからかってみただけよ」
「ほんとに?」
「うん。これでもあの後、一人でいっぱい練習したんだから」
「そっか。じゃぁもうあんしんだね。あかねちゃん」
と言って急に嬉しそうな顔をして振り返るもんだからバランスを崩しそうになったけど、ふらふらしながらも立て直すと、
「あかねちゃん。すごい、すごい。あはっ、これさっきのおかえしね」
「こらぁ~ ほんとに転んじゃうでしょ」
「だって、あかねちゃんがいじわるするからいけないんだよ」
「ゴメン、ゴメン。だからあんまり急に動かないでぇ」
「は~い。しずかにのってまぁ~す」
「おねがいしますよぉ」
「じゃぁ。うんてんしゅさん、がっこうまでおねがいしますね」
「は~い。お客さん、落とされないようにしっかりつかまってて下さいね」
「は~い」
懐かしくてちょっと苦い思い出をのせて理央の自転車は、すっかりと葉を無くした並木通りを進んでいく。この通りを抜けると受験する大学はもう目の前、なんだかへんな気持ちになりながら自転車をこいでいる。だってあの学校に行きたいと思った、きっかけと一緒に学校の前に立つなんて思ってもいなかったから…
「ねぇ?とうちゃくしたのですか?」
「…うん」
『東京獣医科大学』
そう、ここが私のとっての目標であり、新たなる始まりの場所。木々に囲まれたキャンパスは正門の後ろに広がっている。
「ありがと、一緒に来てくれて…あたし絶対に受かって立派な獣医さんになるから応援しててね」
「うん、あかねちゃんならだいじょうぶだよ」
そう言ってくれる横顔はちょっとだけ寂しそうだった。
「どうしたの?」
「うんん、なんでもないよ」
「そっか。そろそろ帰りますか?」
「うん、そうしよ。ママもかえってくるしね」
「じゃ、出発ーっ」
くるっと自転車を回して学校の正門に背を向けて走りだす。
「ねぇ?きょうかえったらさ、えほんよんでくれる?」
「いいよぉ。どんな本?」
「ボクがだいすきなえほんだよ」
「それは楽しみですねぇ。帰ったら読んであげるね」
「わ~い。ありがと」
冷たい冬の空気の中を通りぬけてもと来た道を戻る。
お家に近づくと家の前に人影を見つける。
「あっママだ」
「二人ともお帰り」
「ただいまぁ~」
「茜ちゃんありがとね」
「どういたしまして」
「あたしも今帰ってきたんだ。さぁ、寒いから中入ろ」
玄関の鍵を開けて手招きしてくれた。
「じゃぁ。あたしはご飯の用意しましょうかね」
「あなた達は部屋着になってもいいからね」
「は~い」
と言って優太は階段を上がりはじめ、手すりにつかまりながら振り返り、
「おねえちゃん?ほんもってきていい?」
「うん。まだご飯まで時間あるからいいよ」
「わ~い」
とちょっとはしゃぎ気味に上がっていった。