8-9 蛮族お宅訪問
さらに時が経ち、再び春が到来した。
この世界の四季が、俺達の住んでいた列島の四季と比べて大きく異なっているという印象は今もない。ただ、地図から見える形がよく似ているからといって、気候の配置まで似ているとは限らず、例えば関東地方に比べると、セーラム王国は遥かに雪国だった。おそらく、北海道や東北の豪雪地帯ほどではないだろうが……。
また、ジュランさんから聞いた話では、ルーシアに雪は降らず、冬の間もかなり暖かいそうだ。これまで聞いた内容と合わせて、漠然と、乾いた砂漠のイメージが浮かぶ。日本にはモデルとなる場所がない。暖かいというよりは、暑い国なのだろう。わざわざ寒い地方へ出張させられている彼女達の苦労は相当なものだ。
そして、ようやく過ごしやすくなってきたところに、また別の出張を命じられる。
出立の日も決まった。
今日だ。
「いやあ、一時はどうなることかと思ったぜ。俺とジュンお嬢ちゃんだけで隣界隊を率いるなんて、ちょっとした拷問だからな」
「大袈裟ですねえ、中尉殿」
と余所行きの態度で返して、俺は遠ざかっていく首都の防壁を振り返った。
デニーの部下や、他国の人々と行動している以上は、いつものフランクな口調は控えなければならない。
「まあ……ホッとしているのは、否定しませんが」
「おいおい、おまえが来れなきゃ、おれは降りるつもりだったんだぜ?」
ギリギリのところで、俺も使節団への同行を許された。
ただの道化師を連れていってどうする、とマルハザール大統領は最後まで主張していたらしいが、客人、というより隣界隊を外へ出すにあたって、一番こちらの世界で過ごした時間の長い最初の客人――つまり、俺の経験がどうしても欠かせないのではないか、などと姫様も抗弁。魔法家集団とはいえ、ヤワな現代人かつ地球人で構成された隣界隊である。まだまだ放っておくには危なっかしいわけで、そのくせ何かの拍子に損害が出たら非常に困るわけで、誰かが責任持って面倒見ないといけないわけで……姫様が始めた計画だから、姫様がそうするべきなのだが、滞在先では必ずしも全員固まって行動できるとは限らない。ゴブリンとオークの出方にもよるが、例えば話し合いに引き連れていくことはできないだろう。そういう時は誰かに任せたい。しかし――、
「おれにはおれの隊があるんだ。ディーンさんとこもルーシアさんとこも同じだろ? 客人さん達のことは、おまえに任せなきゃ、やってらんねえよ」
まあ、結局はそういうことだ。
「そのエルフについてもな――」
今度はデニーが後ろを振り向く番だった。
馬に乗っている俺達とは違って、レギウスは徒歩だ。
「荷車に放り込んどきゃいいのに、わざわざよお」
「時々は、自分の立場を思い出してもらわないと」
「手枷付けてるったって……」
「私から離れないよう命じてあるからいいんですよ」
「結構使うんだろ? 隙を見て逃げ出されたら、」
「いや、絶対に逃げられない。です」
「単純に暴れだしたら? 脚だけでも人は死ぬ」
「奴はもう、死ぬよりひどい目に遭うってわかっててそんなことはしませんよ」
「ふうん……。ま、怪我人くらいなら姫さんがなんとかしちまうか」
「そうですよ。だからこれでいいんです」
「しかしねえ、――お」
デニーが前方に注目する。
今のところ隊列は、ルーシア、セーラム、ディーンの順に並んでいる。
つまり、前方のルーシア隊から、馬の歩速を落として並ぼうとする人物がある。
デニーが少し身を乗り出して、肘で俺の脇腹を突いた。
「んじゃ、おれはゼニア殿下とジュンちゃんに挨拶してくるわ。朝バタバタしてたから会いそびれてよ」
前からやってくるのは、ジュランさんだ。
デニーは彼女と同じように、自分も馬の歩みを遅らせて後方へと去ってしまった。
俺はぼんやりとジュランさんの後ろ姿を眺める。
相変わらず墨のように黒く、ボリュームのある髪だ。
「こんにちは」
「こんにちは……」
並んでしまった。
「よかったです。また一緒の仕事ですね」
「ええ、おかげさまで――その、祈ってもらえましたから」
「ふふっ……」
その笑顔が、すぐに曇る。
「あれっ――お元気でない?」
「……ごめんなさい。この使節団に任命されたのは嬉しいのですけれど、先のことを考えると、少し不安で」
「不安、ですか」
「蛮族領、と言うくらいですから、オークやゴブリンは、今でも野蛮な種族だと考えられています。少なくとも、あたくし達の先祖はそう思ったのでしょうね」
「それで、不安、と」
「対話をする気がある以上は、昔のままではないと思うのですけれど――何しろ、見たことも、会ったこともないので……」
「しかし、彼らはヒューマンとエルフの争いには巻き込まれたくないということで、同盟と距離を置いてきたのでしょう? ……まあ、その願いが通じなかったことも多々あるようですが」
「……だからこそ、彼らがあたくし達に恨みを抱いていてもおかしくありません」
「――なるほど。では、我々の入国を受け入れるのは、何らかの罠であると?」
「そこまでは言いません。多分、あたくしの考え過ぎなのでしょう。でも……万が一、何かあったらと思うと……」
エルフにやられて弱体化したとはいえ、こちらに手を出したらひとたまりもないほどの戦力差があるということは、蛮族領もよく理解しているはずだから、万が一もないとは思うが――まあ、感情の問題か。
彼女にしてみれば、わかっていても不安なものは不安だろうし、恐いもんは恐い。
「でも、エルフを倒せるフブキ殿ですもの、もし蛮族に襲われても、きっと蹴散らしてくださいますよね?」
「いやあ、それはどうでしょう……」
エルフ相手なら少しは自信もあるが、ゴブリンやオークがどれほど強いのかよくわからないし――俺の場合、どちらかというと彼らをどう思うかに左右される。
「そう、ですか……フブキ殿に保証してもらえれば、少しは不安も紛れるかと思ったのですが……」
「う」
そんな目で俺を見ないでくれ。
「えーと、では代わりに、元気の出る曲でも一つ、如何でしょう?」
「――是非!」
「かしこまりました」
それで、俺は魔法も使ってヴィヴァルディの『四季』から『春』を吹いた。
正直、俺はこの曲には春らしさを感じないのだが、明るい春の曲といったらこれは定番なので、人に聞かせる分には適当かと思われた。
蛮族領へ入るのには、運搬魔法家の手を借りられない。辿り着くまでに季節が変わりはしないだろうが、それなりに時間はかかる。道化師として、使節団の皆が飽きないようにBGMくらいは充実させなければ……。
さて、特筆すべきことは何も起こらなかったので、道中は割愛する。
国境の関所を通過し、峠を越え、峠を越え、それから峠を越え――た先に、ようやく、平地が広がった。
「もう山は見たくねえ」
「同感です」
毎日きちんと休息を取り、移動しない日も設けはしたが、デニーも彼の隊も疲労の色が濃い。一応、背筋だけはシャキッとさせていて、そこは流石だ。疲れを見せていないのは――見せまいとしているのは――姫様と、フォッカー氏とヒューイックさんくらいのものだろう(後者の二人はマジで疲れを感じていない可能性もある)。
「こっから全部、蛮族領か」
「街も見えますね」
デニーは目を凝らした。
「しかもなんか……結構しっかりしてんぞ。畑もきれいに並べてあるし。もうちょっと荒れてるかと思ってたんだが、大したもんだ」
「あの街に、迎えが来ているはずです」
「何にせよ、あそこまで行きゃあちょっとは休めるか」
隊列も長い間に変化して、現在は姫様とジュンを先頭に、俺とデニーが隊をそれぞれ率いる形となった。その後に、ルーシア、ディーンが続く。
坂を下り、舗装されてこそいないが整えられた道を進んでいく。右を見ても、左を見ても畑が広がっている。青々とした、植物の絨毯である。
すぐ後ろで、誰かが呟いた。
「あれが……蛮族か」
驚いたわけではない。恐怖もなく、侮ったり、嘲ったりするのでもない。
何か、ごく当たり前のものを見たような、そんな言い方だ。
そして俺も、彼らの姿を確認した。
確かに異形だった。ただ、俺の想像していた姿と、それほど違いはない。
おそらくオークの方だ。どちらかと言えば豚タイプだが、かなり体格がいいので目立つ鼻の割にはそういった印象が薄まっている。トータルで見ればやや丸いものの、それも筋肉の付き方がす見せているだけだ。いわゆるガイジンの考え出すビジュアルに近い。牙も口からはみ出すほど立派なのが付いている。それこそ、野蛮さを演出する骨や棘の装飾を身に纏い、鈍器の如き武器を持たせれば似合うだろう。
だが――遠くから見てもわかる。
あれは、違う。
ヒューマンの農夫と何ら変わりのない格好をしている、それだけで向かないのがわかる。
反応は二つに分かれた。
遠巻きに眺めるか、慌てて逃げ出すかだ。
「おいおい、迎えがあるって話はどうした?」
また、デニーと目を合わせたオークが家の中に隠れた。これで五度目だ。
「最初に見える街まで来れば合流できる――というお話だったんですよね?」
とジュンも首を傾げている。
姫様は黙ったまま、馬の歩を進めている。このまま街の中心部まで、まっすぐに進んでいくつもりだろう。
街の前まで来ても、代表らしき蛮族は現れなかった。
周囲には簡単な防護柵のようなものが立っているだけで、門はなく、武装した民兵も出てこない。それで近くにいた住民に話を聞いてみようとしたのだが、寄れば例外なく逃げて行ってしまう。手荒な真似をするわけにもいかず、とりあえず街の中へと入ったわけだが、状況は何も変わっていない。
「しかし――見れば見るほど……」
一般市民、としか形容できないオークばかりである。街に特徴もないし、蛮族のイメージからは程遠い。荒々しくもなければ度を越してみずぼらしくもなく、見えている限りではヒューマンのそれと何ら変わりない暮らしぶりをしているように思える。
比較的臆病な住民達の避難が終わると、やがて隊は比較的好奇心旺盛な住民達に囲まれるようになった。俺達の行進を邪魔するわけではなく、あくまでも一定の距離を保ったまま、ついてくる。
そのままゆっくりと奇妙な行進は続き、とうとう、大きな井戸のある広場に出た。
逃げて行った住民から聞きつけたのか、そこには既に大勢の別の住民が待ち構えており、続くどの道も塞いでしまっていた。
デニーが小声で問いかけてくる。
「どうする? おまえ、どけって言うか?」
「うーん……」
顔つきだけで判断すればどのオークも温厚そうだが、下手なことをしたら一転、全員がパニックに陥りそうな危うさも感じる。彼らにとって俺達が異物であることは疑いようもない。
「……如何いたしますか、姫様?」
周囲に目を配ってから、姫様は声を張り上げた。
「私はセーラム王国のゼニア・ルミノアと申します! 会談の為、ヒューマン・アライアンスを代表して参りました。お約束通り、こちらで入国の手続きを済ませるべく隊をまとめましたが、どなたか代表の方をご存知ないでしょうか?」
オーク達は顔を見合わせている。お前知ってるか、と互いに確認しているようには見えない。どちらかといえば、姫様が何を喋ったのか理解できずに困惑しているような感じだ。これまでエルフ相手ですら不自由しなかったから、気に留めていなかったことだが――もしかしたら、言葉がわからないのだろうか。
「……ハズレ、か?」
とデニーが言ったその時、かなり遠くの方で、手が挙げられた。
それは一度ぴょん、と跳び上がると、手を挙げたままこちらへと向かってきた。
のそのそと。
「あー、心得ております! 今参りますよ!」
「そのままお待ちくだされ」
群衆をかきわけて、二匹の蛮族が進み出てきた。
片方はオークで、大きくて長い布を身体に巻き付ける、という服装をしていた。丁度、古代ギリシア人のように。他の市民たちもそうだが、足にはサンダルを履かせている。もう片方は――おそらくこちらはゴブリンだろう。かなり典型的な子鬼タイプで、少し年老いているように見えた。彼もまた簡易な布の服を身に着けていたが、こちらはいくらか動きやすそうに仕立ててあった。
オークの方が口を開いた。
「ようこそ! ヒューマン・アライアンスの皆さん」
彼らは、共通語を操っていた。
蛮族だというから相当の訛りを覚悟していたが、よく通る、澄んだ発音である。
「遅れて申し訳ありません。我々が迎えの者です」
オークの方は、ここまで見てきた市民達と比べると、些か細く見える。
ゴブリンの方は、比較できる対象がオーク達だけなので、見た目の特徴を個体の特徴としてそのまま捉えていいかどうかはまだわからない。ただ少なくとも、右目が潰れているのは彼が彼であることを証明する要素の一つだろう。
「モール・セティオンと申します。こちらはギン・エン」
紹介されて、老ゴブリンはお辞儀をした。
「この先より、我らが皆さんをご案内いたしまする。お見知りおきを」
「さあ、皆の衆、後は我々に任せてください! 心配は無用です、解散!」
モール・セティオンと名乗ったオークが二回、手を叩くと、住民達はこちらを気にしつつも、元からこの広場にいたであろう数十匹を残して、潮のように引いていった。
「ふう……さて、思ったよりも大勢でいらっしゃいましたな」
ギン・エンと紹介されたゴブリンは、用意された椅子に腰かけるなりそう言った。
「あ、どうぞどうぞ、皆さんお座りください」
オークの代表も、自分が座ってからそう言った。
最初に姫様が座り、ジュンが座り、ちょっと迷ったが俺とデニーも座って、ジュランさん、次にフォッカー氏、最後にヒューイックさんがそれぞれ、ちょっと大きく感じる椅子に座った。
「まずは、もう一度、ようこそ。ヒューマン同盟の……使節団、と考えてよろしいんでしょうかね?」
俺達はただの民家としか思えない建物の中に通されていた。おそらく、この街の中で一番大きな応接間を持っていたのがここだという理由で選ばれたのだろう。
今のところ、兵士の姿は見えない。
「はい。私達はセーラム国王、ディーン皇帝、ルーシア大統領からそれぞれ交渉を委任された使節団です。……大所帯で、何かとご迷惑をおかけすることもあるでしょうが、よろしくお願いします」
「あ、いや、ご老体の言ったことに含みはありませんよ。ただ、多いな、と思ったことをそのまま言っただけの、いわば感想です。まあそれも、貴女の名を聞けば納得できる話ですが――セーラム王国の、ゼニア・ルミノア王女殿下」
オークは柔和な笑みをたたえたまま姫様を見つめている。
「さあ、では早速、この先のことなんですが、物資の補給を終えたら、すぐにでも都へ向かいます。なに、そう遠くはありませんよ」
「ちょっとよろしいですか」
とデニーが挙手した。
「はい、どうぞ。えーと」
「セーラム王国のデニー・シュート中尉であります。率直に申し上げますと、長旅で部下が疲弊しております。どうか、今日一日はお待ちいただけますよう……」
「わかりました。もちろん、休息が必要であれば待ちましょう。では明日の朝――まあ昼でも結構ですが、都といってもこの、オークランドの都で、ここから三日ほどかかりまして、皆さんをご案内して、落ち着いた後に、本題のお話を進めるということでよろしいでしょうか?」
「代表の方には、そこでお会いできるのですか?」
と姫様が訊ねる。
もう長いこと、オークとゴブリンの蛮族領トップが誰であるかは謎のベールに包まれたままだそうだ。最後に判明した長(もうとっくに老衰で死んでる)の後は、全て代理の者が対応してきた。今のセーラム王相手、つまりメイヘムの戦いでここに軍を進めた時ですらそうだったのだから徹底している。おそらくエルフ相手にも同じ対応だ。
それが今回は、正式な国交回復も視野に入った交渉ということで、彼らの親分が出てくるかどうかというのが一つの焦点となっている。
――途端に、モール・セティオンは、おかしいな、という顔になった。
「あれ? ご存知でない?」
「何を、でしょうか」
「ああ! もしかして、プロキスさん前の時に言いそびれたのか? ――あの、この中に、ローム・ヒューイックさんという方は……」
「私ですが……」
「こちらの、つまり、国の代表ですが、久方ぶりに姿を見せますよという話は……」
「……聞いておりません」
「なんてこった! まいったな……」
オークは硬そうな頭髪をがりがりと掻き、
「私が、南部オークランドの代表なんです」




