7-10 予知の塔
シンの興味を引いたようだった。
レギウスの研究室――物置――は、丁度、塔の根元に位置している。
予知の塔の根元である。
いつ頃からそうなのかはわからないが、そこが遥か昔から名前通りの役割を果たしてきたことは確かだ。未来を予見する魔法家達が代々の主となり、要請に応じて魔法の結果を授けるのである。常に予言者がいるとは限らないので、高い場所にある空き部屋でしかなかった時代もあったが、現在は一名、登録された魔法家が寝起きしている。
「じゃあ、どんどん未来を視てもらって、作戦を立てたらいいじゃないですか?」
内部の螺旋階段を踏みながら、シンは首を傾げた。マイエルは言った。
「君は、魔法の割には単純なところがあるな」
「……だって、先が見えるんなら、それに対策するのが普通でしょう。有利になる」
「そうだな。しかし、それなら三百年も戦争は続かない。どうしてここを上がっていくのにバーフェイズ学長の許可が必要なのか、少し考えてみてもいいのではないかな」
「軽々しく未来を視てはいけない、ということなんですよね?」
とギルダが答える。
「それも一つの理由らしい」
「らしい、っていうのは?」
「私も専門家ではないから詳しいことは言えないが、まあ、我々が思っているほど、未来を見ることによって都合がよくなるわけではないということだよ。予知にはいい面もあれば悪い面もある。昔のエルフは、その悪い面を大きく捉えていたんだな。そして、その時の習慣が今でも残っている」
「よくわからないけど、とにかく、言うほど便利じゃないってことですか……」
「そういうことだ」
「未来を見た時点で、未来が変わっちゃうからですか?」
不思議だった。こういうところには気付くのだ。おそらく、シンのいた世界では議論が出尽くしていて、それをなぞっただけなのだろうが――。
「さて、どうかな。時間があれば、講義をしてもらえるかもしれん。――着いた」
別段、意匠を凝らしたりしているわけではない。何の変哲もない、普通の、両開きの扉である。マイエルはそこについているドアノッカーを、大きく二回鳴らした。
返事はない。
少し待ち、それでも何の音沙汰もないので、マイエルはもう一度、さっきよりも強めに、ドアノッカーを鳴らす。三回。
どうぞと声が聞こえてくることもなければ、向こう側から扉が開くこともない。
「……いらっしゃらないのでは?」
とギルダが言った。
「そんなわけはない。話が通っているのだから。私達が来るのを知っているはずだ」
「予知で?」
とシンが言い、マイエルに軽く睨まれて肩を竦めた。
「じゃあ、トイレかも。いちいち下まで行かなきゃならないんだったら、留守も長くなりますよ」
「……そうかもしれん」
「待ちましょう?」
ギルダにそう言われ、仕方なく、マイエルは壁に寄り掛かった。
――しかし……シンが直接床に座り込むほどの時間が経過していき、
「さすがにおかしいぞ! 中を見て……いなかったら、探しに行かないと」
「なんかすいません」
「まったくだ。――入りますよ!」
扉を開いた途端、強烈に眩い光が目を刺し、マイエルは思わずたじろいだ。
魔力の煌めきだった。
「いたのか!? しかしこれは……」
部屋中にそれが溢れていた。絶え間なく反射しているような輝きの中心に、エルフの像が確認できた。見た目とは裏腹に、奇妙な静けさがあった。
「マイエル・アーデベスです! お約束をしていたと思いますが、先程の音は聞こえておりませんでしたか!?」
返答はない。後ろに目配せをする。ギルダもシンも、マイエルと同じように腕で光を遮っていた。
「失礼しますよ!」
一歩踏み出し、問題は二歩目だった。体重をかけた部分が滑っていくのを感じた。
何か液体が零れているというのでもなかった。踏んだ箇所が動くようになっていたとしか思えなかった。マイエルは尻もちをついた。
「何なんだ!」
「……紙ですね」
と、ギルダがそれを両手で掬うように拾い上げる。
端が、壁の方まで転がっていったのがわかった。かなり長い。
「巻物……」
よく注意して見ると、同じものが床のあちこちに散乱していた。単なる紙の切れ端もあり、それらが重なったり、丸まったり、少し破けたりしていた。
これだけ騒いでも、部屋の主がマイエル達に気付いた様子はなかった。
中心に置かれている椅子に座り、目の前の机へ乗り出すようにしている。
その両手は――それが魔力の光を増幅しているように見える――水晶を、ゆっくりと、一点も余すことなく撫で回しているのだが、決して触れてはいない。
机の上で宙に浮いた水晶の、あくまでも周囲の空間を、擦るようにしていた。
シンは屈み込むマイエルとギルダを置いて、床の紙を踏まないように避けながら、予言者へと近づいた。ヒューマンが自分の住処へ侵入しているというのに、魔法を保つことの方が大事であるらしい――尤も、彼女がシンを認識しているかどうかは怪しいところがあった。ベールに隠された彼女の目は、閉じられているか、そうでなければ、ここではないどこかを見ているようにマイエルには思えた。
シンは、動き回る腕の隙間を縫って、水晶に触れた。
「あ、おい!」
光が急激に弱まった。部屋の中がどうなっているのか、詳しい情報が一気にマイエルの視界へと飛び込んできた。とはいえ、天幕のついたベッドが置かれているのと、あとは雑多に置かれた棚の全てが、やはり紙か巻物か書物で埋まっていただけだった。
魔力の光は、水晶を空中に維持しているであろう分だけの輝きを残していた。
腕の動きも、下から水晶を包み込むような形で止まっていた。まだ触れてはいない。
今や、予言者はシンが目の前にいることに気付いていた。
「水晶から、手を離してもらえますかしら?」
「あ、はい……」
シンは言われた通りにし、後ろの床を確認してから一歩下がった。
水晶が、机の上にあった小さなクッションへと収まる。
「――もしかして、かなり待ちました?」
とその女は言った。
少し歳経たエルフだった。ベールが顔つきを隠し、ゆったりしたローブで身体の線も測り難いが、物腰や手首の皺などが、重ねてきた年月を雄弁に物語っていた。
レギウスなら食事に誘ったかもしれないが、自分なら――そのくらいの年齢だろう。
「ええ……」
と、マイエルは立ち上がりながら言った。
「ああ、ごめんなさい……深入りしてしまうと、こうなのです。お客様がいらっしゃるとわかっていたのに、つい……ああ、いけない! こんなに散らかったままじゃ、椅子も出せないわ! 少々お待ちくださいね、今すぐに片づけますから……」
椅子から立ち上がったところで、女も足を滑らせた。紙が踏まれた、くしゃりという音がした。
「ああっ!」
悲鳴と共に椅子を巻き込み、女は机の陰に消えた。
「い、痛い……」
「大丈夫ですか?」
ギルダが慎重に駆け寄って、簡単に治癒魔法をかけた。
「本当にごめんなさい、ありがとう……」
「あー、オレ、椅子運びますよ。そこにあるやつでいいんですよね? あと、床の紙、テキトーにどけちゃっていいですか? いいですよね」
シンが紙束を集め始めた。
「そんな、悪いわ……」
それを無視して、上下を逆にして重ねられていた椅子の一組を持ち上げる。マイエルも仕方なく、シンの切り開いた安全地帯を通って、もう一組を運んだ。
床の紙は、落ち着いて見ると、どうやらほとんどがメモのようだった。大半は単語の羅列にも似た走り書きで、内容も判然としないのだが、いくつか、微に入り細を穿つような書き込みがなされているものもあった。おそらく、予知したことをこうして書き留めているのだろうとマイエルは思った。ここに住む者は要請がなくとも、時間さえあれば魔法で未来を覗いているのだと、いつか学長が言っていた。
やっと話を始められる状態になった。机を挟んで、全員が椅子に座った。
「本当にごめんなさいね、時間通りに来てくれたのでしょうに、こんなにお待たせしてしまって……何とお詫びを申し上げたらいいのか……本当に、」
「いや、時間のことはもういいでしょう。一応、今日は一日空けてありますから……それより、早速本題に入りたいのですが」
「ええ、はい、オスカリン――バーフェイズ学長から、聞いておりますよ。今後の方針を決めるために、わたくしの魔法を参考にしたい、と」
「そうです。とはいえ、まず自己紹介から……私は、マイエル・アーデベスと申します。隣にいるギルダ・スパークルの補佐を務めています。彼女が新しく十三賢者の仲間入りをしたことはご存知で?」
「ええ、詳しいことはわからないですけれど……」
「召喚代表という席が、戦時特例で定められました。召喚魔法で、魔法戦力を増強するのが当面の目的です」
「――召喚魔法を? 再現できたのですか? どうやって……いつの間に」
「つい最近のことなのです。たったの一年前に、私の友であるレギウス・ステラングレという男が最初の召喚を成功させました。長くなるのでかなり省きますが、今、その男はヒューマンの陣営に囚われています。なので、代わりに、弟子である彼女がレギウスの研究を引き継ぎました。そして、その第一号が、このヒューマンの少年です」
「ナルミ・シンと申します」
「そうなの……。どちらがお名前なのかしら?」
「シン、が名前です」
世間ずれしている、とマイエルは思った。
やはりというかなんというか、こんなところに籠もりっきりでいると、ヒューマンに対する見方も変わってくるのだろうか?
「では、わたくしのことは、ベラ、とお呼び下さいね」
「彼は精神魔法家ですが、我々と協力関係にあります。受け入れ難いかもしれませんが、同席をお許しください」
「そうなのですか? では、わたくしの心はお覗きにならないようにしてくださいね。きっと、普通の方よりも疲れるでしょうから」
「そう言われると、ちょっと見たくなるな……」
ぼそりとシンが呟くと、ギルダが彼の太腿を抓った。
「いだだだ嘘です冗談です! やりませんて!」
「……あの、勘違いなさらないでくださいね。魔法をかけられるのが嫌なのではなくて、前に、わたくしの心の中に入って、その、元に戻るまでに随分と苦労をされた方がいらっしゃったものですから……」
「うわあ、そりゃまた大変な――あれ? じゃあ、精神魔法を使える知り合いがいるってことじゃないですか! 未来を見てもらうまでもないですよ、その人を紹介してもらえば終わる話なんです!」
「ごめんなさい、知り合いというほどでは……それに、昔のことですから、その方がどこにいるかまでは」
「そうですか……」
「落ち着け。君よりも熟達していると保証された相手でなければ、会っても意味がないだろう?」
「あの、誰かをお探しなら、わたくしの専門外ということに……」
「ああ、いや、すみません。本日ここに参ったのは、実はこの少年の師となる者が見つかるかどうかを、予知してもらうためなのです」
「師が見つかるかどうかを、ですか?」
「はい。彼は我流で出来るところまでは、才能をほぼ開発し尽しました。故あって、今よりもさらに己の魔法に磨きをかけなければならないのですが、何分にも希少な種類の魔法ですので、手本となる者をすぐには用意できない状況です。本腰を入れて探すしかありません。しかし、ヒューマン共の動きを計算に入れますと、あまり悠長なことをしてもいられず……全くあてのない状態で取り組むのは、些か躊躇われるのです。そこで、近くの未来を広く見ていただいて、少しでも逸材の見つかる可能性があればよし、無ければ諦める、と、そういう次第です」
マイエルにも、予知の魔法がどこまで出来るのかはわからない。これまで、その恩恵に預かったことはなかった。バーフェイズ学長はこの塔を頼りにはしていなかったし、歴史を紐解いてみても、予知を制した者が戦いを制した、と読み解くことはできない。
ただ――未来がそういうふうに決まっているのなら、強いて手間をかけなくてもいつかはシンは師匠に巡り合うのだろうし、何かをすればそういう未来になるというのなら、万難を排して待ち構えるべきだ。
だが、どうあっても望んだ未来にはならぬ、と言い渡されることもあるだろう。
その時は、諦めさせるのが、マイエルの仕事になる。
「予知の頼り方が、これで合っているのかはわかりませんが、何卒、ご協力いただきたく思います」
これに対して予言者は、
「そういうことだったのですね。ええ、わたくしの魔法が助けになるかもしれません」
とにこやかに言った。それを見てシンは救われたような表情になり、
「じゃあ……」
「ですが、その前に、わたくしの魔法について、少しご説明しなければなりませんね」
「よろしくお願いします」
「はい。では、まず――確かにわたくしは未来を見ておりますが、未来の全てを見通しているわけではありません。過去、幾度となく、様々な方がわたくしの魔法を頼りにこの部屋へやってきましたが、わたくしが未来を言い当てるなどと――間違った認識をされている方がいらっしゃるのです。わたくしはあくまでも、未来が見えているだけです。見るわけではありません。この違いがおわかりですか?」
誰も答えなかった。
未来を知るという感覚がどのようなものか、想像にも限界はある。
「時は気まぐれなものです。ある一つの行為が、無限にも等しい結果の広がりを生むこともあれば、様々に異なった原因が、全て同じ結果へと収束していくこともある。遥か昔から、いつ予知しても同じ時の流れしか見えないこともあれば、明日のことさえも常に揺蕩っていることがある。見えた未来を回避するためにどれほどの努力をしても悲劇は訪れ、望ましい明日を迎え入れようとその通りに行動しても先々は変わっていく――時とは、そしてそれを予め知るということは、そういうことなのです。未来が、約束をしてくれるということはありません。ですから、わたくしも――未来をお約束することはできません。わたくしが見ているのは、未来のたった一面――いえ、たった一点ですらないのかもしれません。いつ見ても同じ運命であるのなら、時がわたくしに他の未来を隠しているのかもしれません。そもそも、わたくし達が勝手に未来と名前をつけて――予知と名前をつけて、喜んでいるだけなのかもしれません。時は、もっと別の何かを見せているのかもしれません」
きちんと理解するには難しい説明だ、とマイエルは思った。
おそらく、短く伝えようとすると、こうなってしまうのだろう。
「まるで占いだ」
とシンが言う。
「当たるもハッケ、当たらぬもハッケ」
言葉の意味は分からなかったが、確かに、予言者の言ったことを総合すると、占いとさほど変わりのない信憑性しか持たないように思える。
「魔法であるから、このようにわたくしも保護されておりますが、考えようによっては、占いの方がマシな試みかもしれません。このような話をご存知ですか? かつて――私の先生の祖父の同僚のお母様が、ヒューマンに魔法の教えを乞うていた頃に……ですから、戦争が始まるよりうんと前のことですが、エルフは全てが滅ぼされる、という未来が見えたそうです。それも、すぐ近くに。当時はまだ、誰もが信じやすい心を持っていましたから、大騒ぎになりました。皆が朝から晩まで、ドワーフまで混じって話し合いをして、どうしたらいいか考えました。でも、とても多くの意見に分かれましたから、何にもきまりません。とうとう喧嘩になってしまって、時々死んでしまう方も出て……それで、ここがこの話の面白いところで、そんな状態が五十年も続いたそうなんですね。それである時、エルフが滅びる未来は、どの占い師からも、予言者からも、見えなくなってしまいました」
つまり、これも無駄骨でしかない、ということか?
「ただ――それでも、未来は求められます」
その通りだった。シンが求めていた。
「少し長くなってしまいましたね。では、始めましょうか」
予言者から魔力が生み出された。それが水晶を通って、部屋の中を再び明かりで満たしていく。そういうカタリスト・タイプなのだ。
「シンさん。この水晶を、持ち上げてください。あなたにとっての未来は、あなたが触れていた方が、よく見えるでしょうから」
シンは迷わずにそうした。
「おとなしくはしておけ」
とマイエルが声をかけると、無言で頷いた。
「できるだけ広く、長い先を見ます。でも、あまり深く潜りすぎないようにいたしましょう。わたくしが没頭してしまうよりは、皆さんにお話ししながら予知をした方が、わかりやすいでしょうから……」
シンが持った水晶の上半分を、予言者は撫で始める。
「このヒューマンの少年が、行く先を――」
ベールの向こうの目は、しっかりと見開かれている。
「――そうですね、未来は――あまり、広がってはいませんね――わたくしがどう言おうとも、皆さんはその方を探そうとするようです――この近辺で出会うことはできません――遠くへ、西――南にも――大陸の中心より、ちょっと外れたところでしょうか――ここはどこでしょう――高原――」
「何か、目印になりそうなものは見えませんか。集落など――」
とマイエルは問いかける。
「――大きな、鐘が見えます――それも、一つや二つでは――とにかくたくさん――街中に、鐘の付いた建物があるようです――」
ピンとくるものがあった。
「ああ、ではそこはファムルクだな。間違いない」
「――それと、その土地の一番高いところには――」
「ベラさん、もう結構です。ありがとうございます。そこまでわかれば、次に何をするかは決まったようなものだ」
「――そうですか?」
魔力の明かりは消えた。
シンは水晶を慎重に下ろした。
「元からそこへ行く未来だったのか、それとも言われたからそこへ行くのか……」
どちらなのかはわからなかったが、そこへ向かうというのは、妙に納得させられる。
「知ってる場所なんですね」
とシンが言う。
「――ああ、よく知っている」
「もしかして、ふるさとですか?」
マイエルは顎に手を当て、少し考えながら答える。
「私の領地だ」




