7-8 あちら側の方針
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「まだ、納得いかないかね?」
マイエルには生き物の心を読む術がない。
しかし、初陣を経てシンが精神の均衡を崩しつつあることには気付いていた。
ほとんど何もかもがよくなかった。今こうして、冬の陽光を浴びながら魔導院の中庭で学生達を眺めているのが不思議なくらいだった。
「どうしてあの人が罰を受けなくちゃならないんだ」
マイエルは、シンがエルフのことをヒューマンと呼ぶのをいちいち訂正するのが面倒になってきていた。
「失敗したのはオレだ……ディーダ元帥じゃない。……彼のせいじゃ、ないんだ」
その件については、マイエルも心を痛めている部分はあった。
「思い上がるな。作戦の遂行を決定したのは君じゃなくて、ディーダ元帥なんだぞ。彼が全てを預かっていたんだ。責を負うのは当たり前のことだ」
「……納得できない」
「私達がどう思おうが、もう決まってしまった。終わってしまったことでもある」
既にジェリー・ディーダには少将という新たな階級が与えられていた。
この大幅な引き下げに軍内の一部から不満の声が上がりはしたものの、将という最低限のラインを踏み越えなかったことと、ディーダがやはり黙して階級章を付け替えたために、結局はその通りに事が進んだ。ラフォード・ゼイラブの元帥任命も済んでいた。
「悔やむのは勝手だが、君でも時を巻き戻すことはできまい。それとも、今から賢者達を全員捕まえて、魔法で心変わりでもさせるつもりか?」
「できることなら、そうしたいですよ」
長椅子の反対側に座っていたギルダが問いかけた。
「……どっちを? 十三賢者を操ること? それとも、時間を逆行させることが?」
「両方」
とシンは答え、両手の指を組み合わせて、それから額に当てた。
「やり直したいし、今からでもなんとかできるなら、思いつく限りのことをやりたいよ。あんなに……誰かが、死ぬなんて……。全部、オレのせいだ」
メランド三姉妹のうち、長姉メリーだけが生き残った。マリーとミリーは死んだ。
土甲隊はその大半が殉職し、指揮官であるクレージュ・エメルシュも生存は確認されていない。それが捕らえられていたにせよ、無事であると考えるのは難しかった。
これだけの魔法の才能を、一日で失ってしまったのだ。
マイエル達の私的な目論見の代償としては、あまりにも大きすぎた。
「あなただけのせいじゃない。わたしたち全員が、殺してしまったんだわ」
「そうだ。そして、それを代表してくれていたのが元帥なんだ。彼は私達のことをよく理解していた。だから自分が批判の矢面に立ったんだ。そのおかげで、ギルダは召喚代表になれた。お咎めなしだったおかげで。シン――ヒューマンである君が賢者の森に立ち入り、生きて帰って来れたのも、ディーダ元帥やバーフェイズ学長の後ろ盾があったからこそだ」
「だからっ! 尚更……申し訳ないんじゃないですか……!」
「それを理由に、塞ぎ込んだりできないんだぞ。シン、確かに君は失敗したかもしれない。それも取り返しのつかない失敗だ。――まさか、諦めようなんて思っているんじゃないだろうな? 諦めて、戦争を続くがままにしようと、」
少年は大きく首を振った。
「まさか……! こんなところで諦めたら、」
「そうだろう。私達のせいで死んだ命が、全くの無駄ということになってしまう。それどころか、94番の脅威は増していくばかりだ。相手をしてわかっただろう、あの化物に対抗する手段は少ない」
シンの失敗は、元帥だけでなく、マイエルにとっても大きな誤算だった。
救いがあるとすれば、シンの力が及ばなかったのではなく、邪魔が入ったことが失敗の大きな原因だったということか。
「もしかすると、94番は、もう君にしか倒せないのかもしれない」
まだこのヒューマンには伸びしろがある、とマイエルは考えている。
それは大変におそろしいことだが、この状況では、頼もしいこととしても受け入れる必要があった。最早、事態はマイエルとレギウス――その周囲で収まるものではなくなってきていた。首尾よくレギウスをこちらに取り戻せたとしても、94番を滅ぼさなければ、いつかあの道化はマーレタリアそのものをなかったことにしかねない。
「だから、やるしかないんだ」
それに、とマイエルは思った。
仮に、シンが94番の魔法を奪うことに成功していたとしよう。
それでも、マリーとミリーは生き残れなかった可能性が高い。
何故なら、彼女達の首を持ってきたのは94番ではなかったからだ。
シンが94番を捕まえた時、少なくとも彼女達に関して言えば――もう手遅れだったと考えるのが自然だ。あの端女の格好をしたヒューマンにやられたのだ。
戦場をうろつくというのはそういうことだった。
だから、実は本当に――彼女達の死は、シンのせいではないはずだった。
ただ、だからといって、少年の心痛が和らげられることはないだろう。
「そのためにも、明日からの召喚は、成功させないと……」
ギルダが、既に決まっていることを繰り返した。
もうこれで何度目になるかわからなかった。一日に三回は確認するように言っているから、それだけ彼女が緊張しているということだが、マイエルはいい加減に聞き飽きてしまった。
短いが密度の高い議論を経て――召喚代表の就任が決まり、まず初めにマイエル達が行ったのは、土甲大隊の生き残りを訪ねることだった。マイエルが咄嗟にポケットへ入れた分もそうだが、魔法家の召喚にはまず金剛石が必要なので、同じように金剛石を拾っていた者からそれを譲り受けるのは近道だった。
金銭的な問題は、賢者という肩書きがほとんどを解決してくれた。ギルダの召喚はこれから国を挙げて行う計画となるので、(財務代表は最後まで渋っていたが)ひとまずの成果を見るため、一次予算はかなり潤沢に引っ張ってくることが可能だった。これで異界からの援軍が有効であると広く認知されるようになれば、さらに本格的な投資が約束されるだろう。その他、金銭以外での要求や取引も、これは少し苦労したが、やはり一部門の力は大きかった。ギルダとシンに交渉事は務まらないため、専らマイエルが足を棒にし、バーフェイズ学長のコネクションにもこれまでのごとく頼りきりだったが、なんとか調整を終えることができた。
賢者達と話した印象としては、流通代表と外務代表、そして教育代表は概ね好意的であった。少なくともこの調達の段階から(必ずしも直接的ではないにせよ)協力してくれたのはこの三名で、他の賢者達は忙しさを理由にこちらの要請をすぐ断るか、検討の末に色よい返事を得られないか、そもそも捕まらないかのどれかであった。
今のところ、邪魔は入っていない。何よりもそれが一番ありがたいことだった。
そうして、十三個の金剛石が集まった。
これを順次、消費していくこととなる。
魔法を行使する際は、都合の合う賢者達はもちろん、それぞれの部門の有力者も立ち会う予定である。また、特にこの儀式を告知をしているわけではないのだが、偶然居合わせた者が見物していくことは、禁止しない。大半は魔導院の学生が野次馬となるだろうが、シンに心を触れられた者も多いので、余所者が増えることに対しては、それほど悪い反応にはならないだろう。むしろ、この話が外部に漏れる際は、そうした抵抗の薄いところからの方がいいとマイエルは考えている。遅かれ早かれ知られてしまうことだ。それなら、少しでもマシな噂を広めた方がいい。
「それなんですけど……マイエルさん、やっぱり、新しく召喚した人にオレの魔法を使うのは、せめて時間を置いてからにできませんか?」
「……君達は同じことを繰り返すのが好きだな。それは絶対に必要な工程だとあれほど説明しただろう?」
明日から忙しくなるのはギルダだけではなかった。
シンもまた、召喚魔法に一手間を加える役目を定められていた。
客人の精神を操作するという役目だ。
「これも何度も言ったと思うが、私達が用意できる時間は、魔法を開発するための時間だけだ。この世界、この国、この社会に馴染んでもらうための時間はない。当然、私達の目的を理解してもらう時間も、戦争に参加することを納得してもらうための時間もない。だから、君が言うことを聞かせるしかないんだよ。乱暴ではない手段で」
おそらくシンの腕なら、精神を破壊せずに、自然に、こちらの目的へと同調させることが可能である。特に、戦争を終わらせる、という点に関しては、シン自身から聞いた故郷の話を総合すると、病的なまでの共感を得られることが予想できた。エルフとヒューマンの間にある偏見や差別意識を撤廃するという試みに関しても、一定の支持は得られるに違いなかった。
それを少し増幅すればいいだけのことだ。
そうすれば、結束は生み出せる。隣界隊が現実のものとなる。
相手がヒューマンになるだろうからこの手段を取るというわけではない。もし――例えば、異界のエルフを召喚できたとしても、マイエルはシンに同じことをさせるつもりだった。
「でも、やっぱり、ほとんど洗脳だと思う」
「そうだ。思考改造だ」
「よくないですよ!」
「確かに、褒められたことではないかもしれないな。だが、そうしないことの方が、よほど悲惨なことになりかねない。それがわからない君じゃないだろう?」
「無理矢理誰かを従えることが、正しいことだとは思えない」
「そういうわけじゃない。君が魔導院の皆にしてきたのと同じようなことをするだけだ。ただ、少し――物事をわかりやすくするだけだよ。本当に君が嫌がることなら、しなければいいし、私達としても、させることはできない」
ここでシンを説得することが、マイエルに与えられた最大の課題と言ってもいいかもしれない。
彼には、拒否する力が既にある。マイエルとギルダが何かを強制させようとしても、それを跳ね除けられる魔法を持っている。
「最低限、こちらに協力してもらわなければならない。もしそうならなかったら、まだ見ぬ彼らは、別の場所に居場所を求めようとする。私達から離れていってしまうんだ。どこにも辿り着けないというのに。我々エルフは――マーレタリアは、ヒューマンが嫌いだ。憎んでさえいる。君はそれを変えようとしているが、今はまだ、変わってはいないんだ。そんな環境の中に、君は、同胞を放り出すつもりなのか?」
だから、シンには、最終的に自分で判断してもらわなければならない。
こちらの望むように、判断してもらわなければならない。
そのためには、行動が正しいかどうかよりも、彼に宿る良心とやらに問題を捉えさせるべきだとマイエルは考えていた。都合のいい、良心に。
この男はヒューマンとしても若く、経験不足で、そして、あまり賢明とは言えなかった。真に賢い者ならば、戦争を終わらせようなどと言ったり、三百年分も積み重なった、種族間の対立の歴史へ斬り込んでいこうなどとはしない。
彼はおそらく、信じなくてもいいものを信じている。――それは、客観的に見れば、シンの掲げる大目標は、素晴らしいことなのかもしれない。理想的なことだ……そう、それは、理想でしかないのだ。それについて考え、少しいい気分になるだけならば何も害はない。実行に移そうと、真面目な姿勢を見せた時、歪みが生じる。
「できないだろう。我々が保護するのが、一番安全なんだ。そのためには、君が、今度こそ責任を持って、この問題に取り組まなきゃならないんだ」
シンはその歪みには気付けないだろう。
基本的には、シンの判断力は最低だと考えていい。付け入る隙はある。
後には引けないところまで連れて行けば、そのうち誘導の手間もなくなる。
自分が過ちを犯したということに気付く頃には、その過ちを肯定しなければいけない状態になっているはずだ。
「彼らをまったく助けることなくやがて荒野へ去るのを待つか、誰も欠けずに戦争の渦中で活路を見出すか、二つに一つだ」
シンは、未だに反対のつもりなのかもしれないが、マイエルには手応えがあった。
彼はこの問題で悩み続けていた。その度に、声をかける機会はあったのだ。
そこに希望があったわけではないが、一つ目の、異界からのエルフという条件を付けたダイヤモンドが何の物体も魔法陣の中にもたらさなかったのは、観衆だけではなくマイエルにも大きな落胆をもたらした。
ギルダは予想される結果に対しての仮説を既に立てていた。
それは、召喚魔法によって繋がることのできる異界の選択肢は、あまり多くないか、選択肢そのものがないという考えだった。つまり、召喚に条件を付けて、それに何もひっかからないのだとしたら、例えば今回の場合なら、エルフかそれに限りなく近い生物の住む世界は、今マイエル達が生きている世界の周りには存在しない、という理屈だ。
次の三つは、シンを召喚した時と同じように、何も条件を付けずに使われた。
それらは全てヒューマンへと変換された。
ここで十三賢者は会議を開き、今後の召喚方針をどう固めるかの議論がなされた。
意見はほぼ二つに分かれた。
一つは、ヒューマン以外の生物を召喚できるように条件を付けていくべきである、というもので、これ以上いたずらにヒューマンが増えるだけならば、召喚魔法そのものの有効性が疑わしいという論調であった。しかし、喚び出された三名のヒューマンは、全員が魔法の才能を持ち、魔法戦力を短期間で確保するという目的には合致していた。
もう一つは、ヒューマン以外の生物を召喚するのに失敗し、金剛石を無駄にするわけにはいかない、という考えだった。マイエル達召喚代表を中心とする意見だ。
金剛石ではヒューマンしか召喚できないのではないか、とギルダは考えていた。正確には、シンの暮らしていた世界のヒューマンにしかアクセスできないのではないかということだが――どちらにしても、見える結果は同じようなものだった。
そのため、下手な条件を付けるならダイヤモンドを無駄にするだけだ、というのだ。
三回では試行回数としては少なすぎる、という意見もあり、偶然三回ヒューマンが続いただけ、と考える派閥が生まれようとしたところで、ヒューマン以外という条件で二回だけ試せないかという妥協案が出た。
その二回はどちらも不発であった。
そこで次の会議が開かれ、その頃には偶然派が数を増やしており、マイエル達が感知できないほど深い水面下で何らかのやり取りがあったのか、勢いを得た新勢力に押し切られ、このまま条件を付けずに召喚を続けてその結果を受け入れる、ということになった。
五回、ヒューマンが続くという結果になったところで、これでは全然魔法の研究にならないとベソをかき始めたギルダに同情票が集まり、最後に残った二つの大きな金剛石には、彼女が好きに条件を付けていいということになった。
その二つは、火の化身と、土の化身になった。




