7-3 カツ
ダイヤモンドを半分使い終わった時点で、戦いに参加してもいい、と名乗りを上げたのは二人だった。ちなみに保留が四人で、あとはほぼ拒否の反応を示している。
客観的に見た場合この数が多いのかどうか、俺達にはわからなかった。
だが足りないのは確かだ。
この調子で残り二十個を使うと思ったほどの戦力は得られない――そう判断した俺達は、渋々条件を足して、二十一~三十個分の召喚を進めた。
最初は姫様から「戦士」という条件を足せばいいのではないかと意見が出たが、仮に俺達のいた時代から本物の「戦士」が喚べたとして、その人物が戦いに参加してくれるかは疑問が残った。物理で激しくぶつかり合うような形式での戦いは社会の中であまり推奨されていなかったので、こちら側の今の状況に向いていてもそれで本人のやる気が出るとは限らない。日本から落ちてくる誰かを拾っている以上、戦いに長けているというだけでは参戦を期待できるほどの可能性は残らないように思えた。
そこで条件は、日本から来た、ろくでなしの、戦いを望む者、となった。
これだと逆に戦いへの適性がないのに戦いたいという人物を招いてしまう可能性が出てくるが、正直それでも戦線投入されそうなくらいにヒューマン陣営は困っているので問題ない。とにかく戦ってくれそうな人を集めないことには、新たに魔法隊を編成するという計画自体が成り立たなくなる。
しかし、それでも参加を表明したのは半数の五名に止まった。
確かに十人が十人好戦的な人間ではないだろうと思ってはいたが、これは予想を遥かに下回った。話を聞いた限りでは、「これは自分の好みの戦いじゃなさそうだ」ということで難色を示しているケースが多い。負け戦では困る、とか、そもそも生活に不安がいっぱいだ、とか、リアルなのはちょっと、とか――エルフを敵に回すことがしっくりこない、という人もいた。
戦いを望んでいるのは嘘ではないが、他の要素が邪魔をしてしまっているらしい。
至極もっともである。彼らを責めることはできまい。
また、この間に各方面から人を集めて、召喚魔法の現場を公開した。
一応、召喚魔法は失われたいにしえの魔法であるという認識が専門家の中にはあるらしく、そのへん後からやってきた俺としてはいまいち掴めない感覚なのだが、実際にレギウスが城の庭で燃え盛る青年を喚び寄せると、会場は二重の意味で騒然となった。
椅子からひっくり返った人がいたのが印象深い。
放っておけば死ぬところを姫様が戻すという手荒い部分も含めて、(彼らにとっては)衝撃の事実がここで初めて白日の下に晒されたのだった。
皆めちゃくちゃ混乱すると思うので、本来ならそこから少しづつ段階的に説明をしていく予定だったのだが、その日の夕方あたりから即座に問い合わせが殺到し、翌日から急遽会見の場を設定しなければならなくなった。
普段勉強会で顔を合わせているベートーヴェン似の教授を始めとして、メイヘム攻めの際に手前のアディクト川ですれ違った老将軍、いつか手品を披露して小汚い指輪をプレゼントした恰幅のよい商人、都まで出てきた貴族の当主、国政において権勢を奮っているのであろう行政官、あるいはその代理――都合のついた人が偉い順に来ているとしか思えない顔ぶれ。そしてそこには、現在セーラムに駐留しているディーン・ルーシア両国の高官達も含まれていた。文官・武官の隔てもない。
こちらは屋内の広間を使ったが、あまりに多く人が押しかけたので城内の衛兵だけでは誘導の手が足りず、デニーの隊までもが駆り出される事態となった。椅子も足りず立ち見続出である。
まあ、遅かれ早かれ伝わっていくことだからそれはいい。どうせこの計画を知った人からは惜しみない協力を取りつけるんだ、いっそまとめて聞きに来てもらった方が何度も説明する手間がいくらかは省ける。前向きかどうかは別としても、これだけグイグイきてくれるならこちらとしても歓迎すべきことだろう。
プレゼンターが俺じゃなければ。
「えー、こちらにおわしますゼニア姫様の侍従、ジュンお嬢様も同じく隣の世界出身でございまして……」
大半の人は何でこいつが説明してんだ、と思ったに違いない。俺もそう思った。
姫様がやれよ!
しかし、彼女は椅子にちょこんとふんぞり返っているのが自分の仕事だとでも言うかのように(確かに否定できない部分もあるが)、ほとんどの喋りを俺へと投げた。まったくだんまりというわけでもなく、要所要所で補足したり話をはぐらかしたり建前を並べ立てたりはしてくれたが、大筋は自分で考えて話すようにとのお達しだった。
もちろん、前置きに小粋なジョークを挟んだりはしてみたのだが(それだってウケた感触はなかった)、切羽詰まった結果、所々が素になってしまった。
「道化師のフブキさん一つ質問よろしいですか」
「……は、はい!」
「そのエルフの身柄を押さえている以上、召喚魔法は我がセーラム王国が一時的にでも独占していると捉えて間違いないでしょうか?」
「あ――いえ、ディーン皇国の方々にはもう伝わっているかと思いますが、敵方に少なくとも一匹、召喚魔法家を確認しております。ただ、その魔法家もカタリスト・タイプで宝石類を消費することまでは判明しておりまして、また、このレギウスとは師弟関係にあり、技術的な面では上回っていると考えてよろしいかと存じます」
「エルフヘイムは召喚魔法がなくとも魔法家を数多く生み出すことをお忘れなく」
と姫様が付け加える。
「では、そのレギウス・ステラングレは万一にでも失えないということでしょうか」
「左様でございます。現在でもこのエルフの拘禁には細心の注意を払っていただいておりますが、警備部門の皆様にはより一層強固な監視体制が実現できるよう、重ねてお願い申し上げます」
もしかしたら、俺は初めて道化の格好をしたまま真面目な姿を人々に見せたのかもしれない。真面目というよりは、ただ焦ってるだけの姿かもしれないが、とにかく冗談抜きの舞台になってしまったのは確実だった。
それが各方面の目にはどう映ったのか――姫様は何を考えているんだろう。
ただの道化師じゃないと思われるようになったら、俺はどうなってしまうのだろう?
まあ、それはいい。気になるけど、後でわかることだ。
話を終えてもどっしりと構えたままのディーン勢と、慌てて会場から出て行ったルーシアのお歴々は対照的だった。王様の言ったことを思い出すとよからぬ方向へ進みそうな気もするが、この段階では特にこちらから働きかけられることはない。
尤も、ヒューマン同盟の中でルーシア共和国だけがこの話題に乗り遅れてしまったことは事実なので、無闇に彼らの自尊心を傷つけてしまったかもしれないという懸念はある。まさかディーンがダイヤモンドを四十個もセーラムに渡してしまうとは思っていなかったのではないだろうか? そして、それを半ば黙ったままでいられたのも、結構ショックなのではないだろうか……? 俺には、何とも言えない。
さて、こうして情報が伝わったのはいいが、それはそれで不安なところがある。
久しぶりに部屋へ訪ねてきた時、俺は姫様に訊いた。
「あんまりこの話が広がりすぎると、防諜上の問題が出てくるのでは……?」
「そうね。でも、霞衆としてはそれを逆手に取りたいらしいのよ」
正体不明の諜報組織。姫様には彼らからの通知が来ていたらしい。
「……わざと情報を拡散させて、スパイを炙り出すのに利用するってんですか?」
「おそらくはそうでしょうね」
「何だかあっちの言いなりになってるような気がすんだよな……、やっぱりちょっと問題あるような気がするのですが……」
というか、普通に大問題な気がするのだが。
「とりあえず、今の私達にはそういうことができないから……彼らに任せておくしかない、というところかしら。助けられているのは確かよ。気になるところもあるけれど、拒む理由はないわ。ただ、いつまでも彼らが隠れたままでいるのなら、そのうち見つけ出すことにはなるかもしれない」
「それがよろしいでしょう。本当にこちらを助けるつもりがあるのなら、一度くらい顔を拝みたいもんです」
あちこちがうまくいっていないが、それでも俺達は前進を続けた。
最後の十個も、やはり条件を変えた。
――多分、最適解は「エルフを殺したい者」だろう。
だがそれではあまりに歪すぎる。ただでさえ倫理的に指をさされそうなこの活動が、誰にも受け入れらないものにまでなってしまいかねない。エルフのいない場所から来た人物が、最初からエルフを殺したいわけがない。思考そのものを誘導するような条件は駄目だ。
それに、少しづつ召喚の条件付けを変えているのには、なるべく偏りを生まないようにしたいという狙いもあった。この条件は、あまりに狭い。そして、戦争に勝てた後の人生に必ず暗い暗い影を落とす。最適であっても、許容することはできない。
悩んだ結果――俺達は、戦ってくれる人から喚ぶ、という考えを捨てた。
「じゃあ、この世界に来たい人、というのはどうですか?」
ジュンの提案だった。
「好みのところに来たら、ちょっとぐらい危なくても、我慢してくれますよ」
俺は悩んだ。
悩んだが、その案を採用した。
煮詰まっていたところには、悪くない視点だった――というより、抜け落ちていた視点だった。思えば、第一号の俺からして、実に勝手に連れて来られた。ジュンもそうだった。ディーン産金剛石一番から三十番の人々も急なことで困惑してきた。
それが普通なんだと、思い込んでいた節がある。
別に、来たい奴を連れて来たっていいじゃないか。
そういうわけで、最後に「日本からこの世界に来たいろくでなし」が集まった。
十名のうち、六名が仲間に加わる気でいる。
保留されていたうちの二人がこちらの要望に応えてくれたので、とりあえず十五名が訓練を受けるということになった。使った金剛石の半数には満たなかったが、なんとか体裁の整いそうな規模にはなりつつある。
ただ、ここから現実を知って、やっぱりやめたいという人が出てくるであろうことも考えると、戦には参加しないと決めた中からも、再度募集をかけるに越したことはなかった。
だから、ここのところ、俺は経過を見るという名目で方々へ顔を出している。
料理の匂い立ち込める食事処も、その一つだった。
「何度来られても、行けませんよ」
店の中に入ってきた俺を見るなり、その若者はそう言った。
いや、俺もまだまだ若輩者だが、彼は俺よりももう少し若かった。二十歳だと言っていたと思う。今も厨房の中で黒光りするフライパンを握り、振っている。多くはないが、魔力が肩を中心に揺らめいていた。油の弾ける音が聞こえる。
俺は気にせずカウンター席に座って、結んだ手拭に包まれた頭を見上げた。彼のこめかみには汗が滲んでいる。一日中ここで自分の炎と対峙しているのだろう。彼はその魔法を、料理に活かすことを選んでいる――今のところは。
「ああ、はい、それはわかっておりますので、今日はお客さんとして来てみたんですよ、カラサワさん」
と俺は言った。
彼――カラサワさん――はちら、とこちらを見たが、すぐに手元へと集中した。
店はどちらかというとこぢんまりとしており、閉店間際ということもあって客数は多くない。いかにも夜の商売をしていそうな女性が一人(何かの肉を食ってる)、何の仕事をしているのかまではわからないが確実に独り身だと言える男が一人(瞑想するかのように目を細めて待っている)、あとは隅っこの少し狭くなっている方で飲み目的の三人組が管を巻いている(杯は全部カラ)。
話がしやすいようにこの時間を選んだ。日中、特にランチタイムは小規模ながら列ができるほどには繁盛している。
「日替わり野菜炒め上がりましたァ」
カラサワさんが皿にそれを盛り付けると、給餌の少年がささっとそれを受け取り、男の待つテーブルへと持って行った。コト、と皿が置かれた瞬間男は覚醒し、少年が放り投げるようにしたスプーンとフォークを空中で掻っ攫うと、猛烈な勢いで食べ始めた。見ているだけで口の中が火傷しそうだ。少年は慣れているのか、待機用の椅子に戻り、持ち込んだと思われる何かの書物に没頭している。
「……ご注文は」
「えーと」
ここには勧誘にしか来ていなかったので、こう改まると何か新鮮な気がした。
店内を照らしているのは彼の炎とあちこちにあるランタンだけなので薄暗いが、手元を見失うほどではない。何かを食べるだけなら十分な明るさは確保されている。ただ、壁に貼られたメニュー票を読むには、カウンター席からだとちょっと遠い。常連なら食べるものも決めてくるのだろうが……。
ようやっと何が書いてあるのか判別でき、俺は驚愕した。
「――鳥カツとかやってるんですか!?」
「……ええ、まあ。肉と卵とパンはあるので、なんとか……。油たくさん使えないから実はカツレツなんですけどね……。あんまり数が用意できないのと、あと高いです」
「じゃあ、もうないんですか」
「……あと一食だけ」
「ください」
「高いですよ」
「ください」
「……鳥カツ一丁」
給仕の少年は書物に目を落としたままそれを復唱した。
俺は期待に胸を膨らませ過ぎないようにしながら、黙って彼の動きを見守った。
出てきた。
一瞬、何もかもが頭から吹き飛びそうになった。
確かに、これは鳥カツか、と言われたら、どうかな、と答えるだろう。
だが、紛れもなく鳥カツレツではあった。
「いた――だきます」
下品にならないように心がけようとしたが、我慢できなかった。
こういうジャンルに、飢えていた。
俺も結構なスピードでナイフとフォークを動かした。
一切れ、咥える。
「あっふ……!」
まだ熱い! でも、止まらない。
衣の間から肉汁が出てきた。慌ててパンを口に詰め込む。
噛む、舌に味が広がる、もっと噛む、もっともっと噛む――。
この貴重な味をもっと噛みしめていたかったが、嚥下。水を少し飲む。
一息つく。
「……、米が食いてえ……」
気を付けたつもりだったが、かなり感情を込めて言ってしまった。
カラサワさんの視線に、はっとなる。彼は言った。
「ディーン皇国から、輸入とか……できないんですか?」
「できると思いますよ。でも多分高いですよ」
「……そうですよね」
「あと、セーラムの一般市民に需要があるかというと……」
彼はわりかしすんなりと勤め先が決まった部類だったのだが、その、首都で一番大きいレストラン(高級というわけではない)のコック長と喧嘩してぶん殴ってこちらが次を紹介する前にここへ落ち着いてしまった、という経緯がある。おかげで俺と姫様はそのレストランにめっちゃ謝りに行く破目になった(というか姫様が謝礼を渡したら向こうも恐縮した)。
詳しい経緯は不明だが、この店のオーナー兼包丁人に拾われ、こちらで用意した借家も引き払って住み込みで(本人曰く)修業を開始したということらしい。
彼は、言葉の先を続けようとはしなかった。
俺もおとなしく、カツレツを平らげることにした。
もちろん、ただ遅めの夕食を楽しみに来たわけではない。
食い終わってから、俺は内心申し訳ないと思いつつも話を切り出した。
「さて、カラサワさん」
「だめです」
「……まだ何も言っておりませんよ」
彼は厨房の中を掃除しながら言った。
「自分は殺しには向きません」
拒絶だったが、言い方としては気持ちがいい。
「こうやって誰かに物を食わせてる方が、性に合ってます」
だからこそ、口説き落としたくはなる。
「それならば、前線でその腕を振るうという道もあります」
どこの、どんな役職でも手は足りてない。
もし俺達の行軍に魔法家のコックがついてくるのなら、それだけでもありがたい。
「……僕はまだこの仕事を始めたばかりで、未熟です。軍隊の食事って、特に大事なものなんじゃないですか? もっとちゃんとした人に任せた方がいいですよ」
「私は、カラサワさんがちゃんとしていないとは思いません」
既にカツレツ美味かったし。
「魔法は、あなたのようにナチュラル・タイプというだけでも――あまりこういう言い方は好みませんが、有利なのです。アドバンテージです。他の方々と交流があるなら、それはおわかりでしょう?」
「……まあ、魔法を使おうと思う度に色々と唱えるのは、大変だと思いますよ」
「ま、尤も、彼女はそれが便利さに繋がっているところもありますが」
メシ作りは戦闘と比べたら非常に有意義な仕事なので、やっと見つけたその道を追いかけて欲しいのは山々なのだが、現状、自然型の魔法使いがそれをやっているならば、もったいない、と言わざるを得ない。
俺は彼にエルフを焼いて欲しかった。
その上で、料理の道にも進めるのならなおいい。
「――料理を作るのも殺生だと、師匠は言ってます。僕もそう思うところはあります。でも、ナイフで肉を捌くのと、ナイフで肉を刺すのは、やっぱり違うと思います」
俺は頷いた。
「近いけれど、違うことなのでしょう。そう考えているあなたに無理強いはできません。我々の考える戦いをしてもらえるとは、私ももう考えていません。でも、」
もし、彼の心変わりがあるとしたら。
「前線で食事を作るということ――これは、本当に、真剣に、考えてみて欲しいのです。あなたの料理をここよりも切実に求めている人があそこにいると、私は思います」
戦いの現場を近いところで見てもらって、それで心が動かされる可能性は、あるかもしれない。
「戦うというだけなら、やり方は様々ではないでしょうか」
カラサワさんは、少しの間俺を見つめていたが、
「……店、閉めます」
もう、客は俺しか残っていなかった。
食って話している間に、少年が他の客を追い出してしまっていた。
俺はお代を置いて、席を立った。
出入り口の戸を押し、振り返らずに言う。
「ごちそうさまでした。また来ます」
「……お客さんとしてなら」