5-13 石の目
それは一旦動きを止めると、俺達の方を見て、九つある瞳の中の一つを魔力で輝かせた。すぐにそれは三つに増え――予備動作と言えるものはそれくらいしかなかった。
とりあえず、とでも言うかのように、ゴーレムは一番近くにいたジェレミー君へ向けてその巨大な拳を振るった。縦に。
全然間に合わないのではないか、と俺は思った。彼が自力で回避するのも、俺かジュンが何らかのフォローに入るのも。実際、一瞬だけは為す術もなく押し潰されてしまったように見えた――なんといっても傷病人だ、直接阻害されているわけではないにしろ、万全のパフォーマンスは望めない。
地面を叩いた振動が、すぐにこちらへも伝わってきた。
彼は敢えて前方へ飛び込んだようだった。ゴーレムの腕の陰に隠れて、一瞬見えなくなっただけ。だが、懐に飛び込んだからといって、それで一気に勝負が決まるというような相手ではない。ジェレミー君はやけくそ気味に、ゴーレムの脚部の、届くところへ太刀を見舞ったが――むなしく耳障りな音が、かん、と響いて、それきりだった。
さて、敵対的だというのはこれではっきりした。あとはこの障害をどうやって排除するか、あるいは遠ざけるかだが――すぐに妙案が出てくるものでもない。
これまでの傾向から言って、こいつが俺達のいる場所を何らかの手段で探知してきたのは明らかだ。仮に逃げることができたとしても、すぐにまた出くわすことになる可能性は高い。無力化を目指すべきだ。目指すべきだが――。
頭部がジュンの方を向いた。そしてやはり目が光る。
足元をうろちょろしている鼠をわざわざ相手するよりも、腕を伸ばして簡単に届きそうな方が優先、ということだろうか。
有効打にならないことを悟って、ジュンは剣を納めた。
待ち構えることに決めたらしい。
姫様くらい剣の扱いが上手くて、武装自体も優れたものであれば、一発かます気にもなったかもしれないが、まあこれで正解だろう。
岩を斬れ、か。まんざら的外れな課題でもなかったらしい。
本当にそうしなければならない局面がやってくるとは。
人形が彼女に向かって動き出す。
足下にいたジェレミー君が巻き込まれそうになって慌てて飛び退いた。ゴーレムはそれには構わず、二歩で十分に距離を詰めて、大きく振りかぶり――その無駄なはずの動作が苦にならないほどの速度で拳を突き出していく。
風圧がこちらまで来るのがわかる。
ジュンはこれまでの修業によく耐えてきただけあって、余裕たっぷりとまではいかないが、しっかりそれを避けた――というより、跳んで、拳の上に乗った。
これが並の相手なら彼女の体重を支えきれなくて達成は不可能だっただろうが、この場合は足場が実にしっかりとしている。
それで、乗っかってそこからどうするつもりなのか?
手に止まった蠅を叩き落とすべく、ゴーレムはもう片方の手も握り込んだ。脚部とは違って、指まで作り込まれた素晴らしいマニピュレーターだ。構造はヒューマンのそれとほとんど変わらないだろう。その気になれば、かなり精密な動作も可能なスペックとして設定されているのではないか、と俺は思った。しかし今のところ、かなり大雑把な動作にしかそれは利用されていない。中身が追いついていないのかもしれない。そうだ、一体どの程度の知能があの人形に乗っかっているのか、それを把握することができれば、いくらか対応しやすくなるだろうか?
ゴーレムはジュンを殴ろうとして、結果的には、自分の腕を殴ることになった。彼女は回避と登攀が一体になった動きを披露し、猿の如く、一気に人形の頭部まで駆け上がった。正直言って、彼女がここまでやれるとは俺も思っていなかった――俺より優れた肉体と身体能力を既に備えてしまったことはわかっていたが、それでも、まるで姫様のように動けるとまでは、思っていなかったのだ。
こんな時に、俺はまたしても、劣等感を覚えていた。
彼女は俺よりも、姫様から教えられたことをよく吸収しているということだ。ほんの一欠片かもしれない。だが、それを実践して、証明してみせた。その結果がどうであろうと、俺には関係なかった――できた、という事実が大きかった。
既に、遥か上をいっていたのだった。
それだけではない。
才能も、理解も、努力も――一つだって、俺は自分を恥じないでいられるだろうか。
比べてしまえば。
比べてしまえば……彼女の方が、より姫様やアデナ先生の教えを守っている――あるいは、よく身に着けている、ということだ。
ジュンは袖から刃物を取り出した。ジェレミー君にも振るったあのナイフだった。
ようやく彼女の狙いがわかり、しかしそれでも疑問が残った。
何の意味があるのか――と。それはダメージになるのか、と。
そんな俺の困惑をよそに、ジュンは迷いなくそのナイフを――思い切り突き立てた。
九つある鉱石の一つ、真ん中の部分に。
刃こぼれはなかった。代わりに、折れた。
だが、その甲斐あってか――鉱石が、ぽろりと外れた。
ジュンはそれを素早く拾うと、ゴーレムが自分の頭に向けた第二打から間一髪で逃れ、腰の部分を一度踏んでクッションにしつつ、確かに着地した。
ボディの一部を失ったことに対して、人形は無感動だった。
何事もなかったかのように頭部を動かし、今度は俺の方を見た。
そしてまた、鉱石を光らせる。
光り方に何らかの意味が込められてはいないか、例えば光らせる場所やその長さから何か汲み取れないか、先程からずっと考えているのだが、今のところランダムに光らせているようにしか見えない。そもそもあれが感覚器官なのか、それとも自動車のランプと大して違わないものなのかもわからない。結構目立つパーツなので何か意味はあると思いたいが、その割には一つ失っても変化が見られない。
予想通り、ジュンに興味を失って、今度は俺を目標に定めたらしかった。
測っているのだろうか、と思う。
自分の攻撃を避けられるような目標はひとまず後回しにして、簡単に潰せる目標から対処できるようにプログラムされているのかもしれない。防御力には自信があるわけだから、すばしっこい相手はゆっくりと追い詰めていけばいいのだ。
俺は二人のようにあの攻撃をやり過ごす自信がなかった。魔法で風を起こせばなんとか掠らせるだけでいけるかもしれないが、そのためにどれだけの魔力を払えばいいのかわかりかねた。実行したとしても、出力が間に合うかどうかわからない。風の押し退ける力よりも強く殴られたら、当然そこでお陀仏になる。
向こうの決心がついたのが先だった。
「ああくそ」
俺が悪態をつくのと、ゴーレムが片方の脚部を動かしたのと、その足首、膝、付け根の可動部それぞれに水鉄砲が飛ばされたのは同時だった。
ジュンはかなり強く撃ったらしかった。人形の関節部はそれで大部分を持っていかれた。見た目通り泥や粘土によって形状が維持されていたらしい。だが、全てが洗い流されて脚部が胴体から完全に分離するということはなかった。確かに柔らかい素材はほとんどが水に溶けてしまったが、それ以外にも四肢を維持する骨組みとしての部品があり、今、俺にはそれが見えている。細長いが、他の部分を構成している岩石と同じもので出来ているようだ。プラモデルのように繋いでいるらしい。どうやら合わせ技で滑らかな動きを表現していたようだ。大部分は魔法が保管しているのだろうが。
しかし、擱座は擱座だ。
「こっちに抜けてきて!」
気が付くと、俺達は人形を挟むような形になっていた。向こう側にジュンとジェレミー君がいる。この短い間の立ち回りで、いつの間にか孤立してしまっていたらしい。
抜けてこい、と言われても……。
結局、それはゴーレムをやり過ごさなければいけないのと同じじゃないのか?
「早く! 逃げましょう!」
人形が一旦動きを止めたところを見ると、機能不全か、あるいは損傷として受け止めているのかもしれない。頭部の鉱石を四つ、それぞれ別のリズムで点滅させている。
「うぅ……!」
恐怖しかない。
だが、チャンスであることは確かだ。
完全に通り道を阻まれてはいるが、人形が動けない以上は、腕を振るうことができる範囲は狭まる。範囲外ギリギリまで近づいて、風壁を張りつつ一気に駆け抜ければいける……か、な?
そうとも、自信がないだけで、まったく避ける目がないってわけじゃないんだ。
ここまでお膳立てしてもらって、できませんは通らねえ。
やれるさ、俺だってちょっとは鍛えたんだ――本当にちょっとだけだけど。
小刀を仕舞いながら、小走りに間合いを測ろうとする。
ゴーレムの頭部がこちらを向く。鉱石が光る――挫けそうになる。
だが、もう動き出してしまった。ここで止まる方が危険だ。引き返すのも。
魔力を練る。風を展開する。固め、鎧のように身に纏うイメージ……イメージ。
人形はまだじっとしている。鉱石はこちらをじっと見ている(見ているように見える)ままだ。少し考えているのだろうか。だとしたらあまりCPUは性能が高くなさそうだ。多分メモリも小さい。
いける。いこう。
脚の回転を速める。すぐにトップスピード。体当たりするぐらいの気持ちで走る。
ゴーレムはまだ立ち上がれない。座り込むような形になっているので、股を潜ることはできない。脇を抜けていくか――それとも、腋を抜けていくか。
前者だ。
距離で言えば若干遠回りになるが、できるだけ近寄りたくないと感情が言っている。
向こうも整ったようだった。動けないのはもう割り切って、腕だけで対応しようと持ち上げた。そこから、斜めに振り下ろしてくる。
いざ狙われてみると、それは見ていた時よりもずっと危険な速度として体感できた。無意識のうちに、脚が外へ外へと身体を導いていく。しかしそこには果てがある。
肩が壁についた。慌てて離すが、反対側にはもう大質量の岩石が迫っている。
こんなチンタラした走り方じゃ、潰さ、れ、る。
屈み込むことはできなかった。最大限上半身を前に倒し、頭を抱え、バランスを崩しながらもなんとか脚を動かし続ける。
人形の腕が壁に着弾し――下を向いていて見えないが、おそらくぶち抜いた。破片が背中に当たっているのがわかるが、大きなものからはゴーレムの腕が逆に屋根となって守ってくれたように思える。
走り抜けた――。
「よおし、行くぞっ!」
ジェレミー君が先頭に立って、再び迷路を進み始める。
俺は後ろを振り返った。目論見通り、ゴーレムはこちらを追おうとするが、ジュンにやられた脚部を引き摺ることさえできない状態だった。
左手法は捨てた。
俺達はできるだけあの人形から遠ざかるような分岐を選択して進むことにした。
そのうち、また遠くから衝撃音が聞こえてきた。正体がわかり、恐怖は少しだけ薄れていたが、それでも二度、三度と壁を破壊してきているのがわかると、何らかの形で動作ができるまでに回復したのだということが伺い知れた。
ただ、救いもあった。
これまでと同様に、一定時間が経つと、音は聞こえてこなくなった。
一時的に動作を停止したか、またはどこかへ撤退したのだろう。
俺達は休むことに決めた。
というより、自然にへたりこんだ。走りっぱなしだった。
「ああ……ハア、はァ、ちくしょう。こんな狭いとこにあんなもん配置しやがって……」
「お嬢様、水を……」
ジュンは無言で全員分を配った。
それさえ飲めば、落ち着きを取り戻すのはそう難しくはなかった。
こういう言い方で合っているのかわからないが、今度の相手は、比較的正常に動作している印象があったからだろう。
「……それで、次も近くにやってくると思うんですけど、どうしましょう」
「毎度逃げるか?」
「逃げ切れるものでしょうか……」
「けど、刃が立たねえんじゃ、な」
「とりあえず、水が一番効くのはわかりました。決定打ではないですが……ほぼ完全に足を止められるのは大きい」
「でも、途中から動いてたみたい……」
「うーん、そこらの瓦礫を細かく砕いたりして、即席の材料にしたんじゃねえかな。すげえ土魔法家なら、そのくらいのゴーレムも作れるっていうぜ」
「それか、材料なんてなくとも再生できるような仕様か……。どちらにしても、厄介であることには変わりない」
「なんとか壊せたり……」
「ふむ。お嬢様、あれに登った時、どこかに何か文字が記してあったりはしませんでしたか?」
「……わからないです。どうして?」
「ああいうのは、一文字消せば倒せるものだと、相場が決まっています」
まあ、ユダヤ由来のゴーレムはそうだ、というだけだが。
emeth(真理)のeを削ってmeth(死)にするアレね。色んなとこで使われる、アレ。
「……アンタの言っていることはよくわからないが、魔法の元を断てば、あのゴーレムも無効化されるはずだ。例えば、あれを動かしているヤツを倒すとか」
「あの人形の弱点を探すより、そちらの方が現実的かもしれませんね」
とにかく、今の戦力でまともにぶつかって勝てるような相手じゃない。
この中では一番動けるジュンでさえ、魔法に頼って動きを鈍らせるのが限界なのだ。
あれを操っている後ろの何か、を処理する方が合理的。それはわかる。
「ま、居所を割り出せればの話だけどな。じっとしていてくれる保証もない」
この迷宮の中で、それは至難の業と言わざるをえない。
たまらず、俺は別の心配をすることにした。
「――お嬢様、魔力はあと、どれほど残っていますか?」
「ごじゅっ……四十パーセントよりは上だと思います」
思っていたよりも残っている。あれだけ使って――。
スタミナの面でもどんどん引き離されている、と俺は思った。
これで、彼女に、いくらでも殺していい状況を与えたらどうなるか……。
「フブキさんは?」
「二割、いや、いいとこ一割六分……七厘」
「そうですか……」
ジェレミー君が付け加えた。
「本当にすまないんだが、オレはそれより残ってない。あと一回だな」
むしろあと一回使えるのなら、相当燃費がいいのではないだろうか?
彼はまともな休養もできないまま、ここに閉じこめられていたのだから……。
「ジリ貧だ」
と俺は呟いた。
どっちを向いて考えても、いい情報がない。バッドニュースで埋め尽くされている。
あとどれだけ考えたくない項目があっただろうか――思案しているうちに、一つ思い出す。
「……そういえば、お嬢様。先程のことですが、何故、わざわざナイフを一つ駄目にしてまであんなに近づいたのです?」
「ああ……ナイフ、いくつかは使い捨てるつもりで持ってきましたから……それに」
「それに」
彼女はごそごそとそれを取り出して見せた。
近くでじっくり観察する余裕がなかったから、意外と透き通っている、という程度の認識しか持っていなかったが、こうして見るとさらに、
「これ、ダイヤモンドじゃないかなあって思ったんですけど、どうでしょう……?」
俺とジェレミー君はジュンの手の中を覗き込んだ。
「本当だ」
と彼は言った。