5-11 見つけた、しかし
それが読み込みの類であるような気がしたのは、やはり俺がこの世界の人間ではないからだろう。ダンジョンが擁する空間の不安定さは、最早疑うべくもない。明らかに何らかの誤りが発生している――そうとしか思えなかった。
いくら魔法の存在する世界とて、これほどの無法には未だお目にかかったことがない。魔法さえあればある程度なんとかできるようにしろ、などと言うつもりはないが、この不適切さは頭にくる。そういう罠としてはあまりに辛辣だと思わないか?
ダンジョンや迷宮は侵入を拒むもの、という前提に立てば、むしろ不条理さは正しいことなのかもしれないが――そもそも、この構造物が何のためにあるのか、一体どの程度まで人を寄せ付けたくないものなのか、その辺りの情報が欠けている以上は、前触れもきらきらもなく誰かが消えたり発生したりといった現象が不具合なのかどうかといったことさえわからない。わからないが――美意識に欠けていることだけは確かだ。
ただ、好きで足を踏み入れる以上は、どんな結果になろうと甘んじて受け入れるくらいの覚悟がなけりゃあ駄目なんだろう。いくららしくなかろうが……。
なるほど、冒険者ってやつはイカレなんだな――と俺は思った。
同じ領域に足を突っ込んだ姫様はアホだ。
闇の中は、通常の空中とは些か趣が異なっていたような気がした。重力に従って下へ落ちているはずなのだが、どうも――上へも上がっているような感じがあった。
そしてこの感覚は、今も記憶の中にうっすらとだけ残る、召喚時の――あの何とも言えぬ生理的な嫌悪感に似ていた。非常によく、似ていた。
錯覚かもしれない。だが、経験は何かがおかしい、と言っていた。
ただ井戸の底へ引かれているわけではないぞ、と。
得体の知れない浮遊感の中、俺はそのことばかりを考えていた。少しは冷静になって、密着したジュンの感覚を楽しんでいればよかったのに――そんな、くだらないことばかりに頭を使っていた。
あるいはジュンも気付いたかも知れなかった。召喚の記憶が残っているのなら。
思いがけず、俺達は秘密に近づこうとしているのではないかと。
再び視界から闇が取り去られた時、俺は(十何回転の末に)下を見ていた――ので、ジュンに覆い被さるような格好になっていたと思う。
着地する予定の場所があまりにも複雑な形をしていたので、俺は面食らった。
そこは上の階層(便宜上ね、例によって)とはまた違った意味で入り組んでいた。
というより、むしろ――こちらの方が、一般的に想像される迷路に近かった。
それがやはり見える限りの隅々まで広がっていて、曲面の上に成り立っているのがよくわかった。丘の上に巨大迷路をぶっ建てたらこうなるのだろう。規模から考えると、球体に建っている可能性も十分にあった。
そうだとして、どういう理屈でそれが空間の中に維持されているのかは、まあ、考えても仕方ない。今大事なのは、その迷路が、このまま垂直落下を続けるのならちょっと近すぎるということだ。
どこかで勢いを減衰する必要があった。
そして、その可否は俺の魔法にかかっていた。
姫様を連れ出した時のことを思い出せ、と俺は自分に言い聞かせた。
キップごと魔法をかけて、それでも上手くいったのだから。
しかし今回はあの時よりも確実に長い距離を落ちていたし――その分、難易度は跳ね上がっている。おそらく一度の試みでは足りないだろう。何段階かに分けて調節して、それでも安全に着地できるかどうか……。
検討する時間もなく、俺は早速実行に移した。
一段階目で、これはもっと気合を入れてやらなきゃぺちゃんこになると気付いた。そのくらい、落ちていた。あまり急激にやると身体に負担がかかりすぎるが、この際贅沢も言っていられない。
二段階目のショックで、俺達はひっくり返った。今度は俺が天井を眺める形になった。次の三段階目をやるまでのほんの一瞬の間だったが――そこを通ってきたのであろう、今はもう小さく見える穴を確認した。
もう一度試みたところで、こんなキレの悪い小便みたいなやり方では駄目だと気付いた。結局、一旦勢いを弱めても、落下は続いているのだからすぐにまたスピードは復活する。何かにぶち当たるまでこの運動は止まらないわけだから、つまり、ブレーキをかなり持続させなければ勢いを殺しきれない。
ただしそれには相応の魔力が必要だった。やってみて、一体どれだけの魔力が残るのか――いや、足りるのか?
やらないわけにはいかない。
最初は優しく、そこから徐々に操る空気の量を増やしていく。
完全に滞空することはできない。一気に体内の魔力が噴き出ていくのがわかる。
だが、その甲斐あって――ついに走る程度の勢いまで落ち着いた。
「ジュン、どうだ!?」
「く――」
また背中が少し濡れ、彼女は水の塊を今度こそ――掴んだ。
がっくん、と俺達は空中で停止した。
しかしそれも長くは続かなかった。
やはり水を滞空させるのと、それを掴めるようにするという二重の魔法を制御するためには、相応の集中力が必要で――数瞬維持した後、これまでと同じように、掴んでいることができなくなった。
依然として、何もせずに落ちたら危険な高さにいる。
だがもう絶望するほどではなくなった。
少々荒っぽいが、今と同じ手順を失敗せずに繰り返すことができれば、骨折や全身打撲にまで至ることはないだろう。
そういうわけで、風による減速、水による一時停止をさらに三セットほど終える頃には、俺達は迷路の中に入ってしまっていた。
最後の最後で俺は加減を間違え、ジュンが上に覆い被さるような状態で着地した。
ぐしゃっといったが、どこにも怪我はない……と思う。多分。
「あいたた……」
何度も上下が入れ替わった挙句、とても互いの位置に気を遣えるような状況ではなかったから、完全に密着した状態で、まあその、彼女はかなり体格がいいので、抜け出そうとするのは少し骨だった。力の抜けている今は余計に。
胸元が顔のところに来ていて、ほとんど呼吸もできないが、まあいいか、と思い、ジュンが自分から動く気になるまでじっとしていることにした。
「ふうー……死ぬかと思った……」
しかし彼女は安堵するのに忙しいらしく、なかなか起き上がろうとしない。
さすがに苦しくなってきて、俺は不満を訴えた。
「くるしいんだけど」
ジュンは飛び退き、
「ご、ごめんなさい!」
「……いや、別に。お怪我はありませんか?」
「はい……大丈夫みたいです」
俺は起き上がって、ひとまず周囲を確認した。
通路の両側にはかなり高い壁が立っており、前方の突き当たりは左に、後方の突き当たりは右に道が続いているらしい。
「またややこしそうなところに出たな……」
「みたいですね……」
「とにかく進もう」
「どっちに?」
「……お嬢様の好きな方で構いませんが、右手法を使ってみますか」
「右手法?」
「別に左手でもいいのですが、手をついた方の壁沿いにずっと進むんです、理屈の上では、それで出口に辿り着くか、開始地点に戻るかするんですよ。理屈の上では」
「そうなんですか?」
自信はあまりなかった。
空中で見えたように球体の迷路だったとしたら、そもそも入口も出口も無い可能性がある。そうなるとここは壮大な行き止まりだ。いや……平面だったとしても、出入り口が最初から作られていなければ同じことか。
天井を見上げてみたが、暗くて落ちてきた穴が確認できなくなっていた。
あれがこのエリアに唯一アクセスできる経路だったとしたら――。
「場合によっては、ここへ戻ってくる必要もあるかもしれません。垂らして歩けるほどロープは用意していないし、筆記用具も持ってきていないですが、せめて何か目印を残しておきましょう」
「うーん……じゃあ」
と言って、ジュンは硬貨を一枚取り出して放り投げた。
ほんの少しだけ持ってきた中の一枚なのだろう。
「よし」
ジュンが先行で、進み始める。
ついさっき硬貨を投げた方――前方だと認識していた方へ、とりあえず歩き出した。
彼女は左手を使うことにしたらしい。利き手を塞ぐのは躊躇われたのだろう。
突き当たりにさしかかって、選択肢もなく左に曲がった。
刃が飛び出してきた。
「うわッ――」
懸念はしていたが罠か、と思った時には、ジュンが右手の袖から出したナイフをしっかりと逆手に握っていた。繰り出されたものはきっちり退がって避け、しかも後ろで見ていた俺よりも早く、そこに人型がいたということを認識していたらしかった。
突き出されたものは太刀だった。
彼女はその持ち主に向かってナイフを、頸動脈を狙って――、
「ジュンやめろ! そいつは白くねえ!」
なんとか踏み止まった。
相手も、それで止まった。
荒く息を吐き出して、そのまま壁にもたれた。
彼は上で見た彼らとは違っていた。
生存者だった。
「参ったな……」
口もきちんと利けるらしい。
年若い、少年と言ってもいいくらいの男だった。ジュンより少し上か?
たまにしか切らないのか、髪は無造作に伸ばし気味で、髭も全体的に少し伸びている。整えればさらに若く見えるだろう。ニーナ嬢と同じような、旅人風の服装をしている。太刀を持つ方の腕から肩にかけては、何故かそこだけが武者鎧のような装備に包まれていた。
警戒を解かないジュンに変わり、俺は謝った。
「申し訳ありませんでした! お怪我は……?」
「いや、大丈夫だ。こちらこそ悪かった。まさか話の通じる手合いだとは……それに怪我ならもうしてる」
「え……?」
彼は膨らんだ腕をこちらに見せた。太刀を持っていない方だ。
動いている時はわからなかったが、そちらは布でぐるぐる巻きにされていて、それを差し引いても、太くなり過ぎていた。
「折れて……いらっしゃる?」
「脚じゃなくてよかったよ」
言いつつ、尻餅になるんじゃないかという勢いで座った。いや、崩れ落ちた、だろうか。よく見れば顔色は悪い。それでも上にいた蝋人形よりは赤みがさしていたが……。
何にせよ、相当消耗しているらしかった。怪我だけが原因とも思えない。
満足に戦うことはできないだろうと判断したのか、ジュンはようやくナイフを隠した。
それを見届けると、男も太刀を――消した。鎧部分も一緒に消え、他の部分と同じ生地の服に取って代わられた。
これも魔法か。
さて、この少年が何者なのか、俺にはもう見当はついていた。あんたもそうだろ?
「ジェレミー・ハギワラ様でございますね?」
見た目、それに伴う雰囲気――兄であるフォッカー氏に繋がるものがある。
彼は否定も肯定もせず、
「アンタらは?」
と言った。
「申し遅れました。私はセーラム王国第三王女、ゼニア・ルミノア殿下にお仕えしている道化師、フブキ。こちらは同じくゼニア殿下が侍従の、ジュンお嬢様でございます」
彼の反応は薄かった。大したことないと思っているのか、自分の体調が悪いのでそれどころではないのか、あるいはその両方か。
「ふうん……どうしてオレの名前を知ってるのかは、説明してもらえんのかね」
俺はこれまでの経緯を、その原因――どうしてディーンまで来る破目になったのか――というところから、しかしできるだけ簡略化して説明した。
姫様が絡んで皇帝陛下のお触れが出たことも隠さず、ニーナ嬢がハギワラ邸に駆け込んで来たことまで、しっかりと。
それが終わると、彼は頷いて、
「そうか……とりあえずニーナは助かったか……」
「貴方様とはぐれる直前まで一緒にいた、と」
「オレはもうお貴族じゃねえから、そういう呼び方はやめてくれ。んで……アンタらも、お仲間とはぐれちまったと」
「恥ずかしながら」
「今回に限っちゃ、見捨てた方がよかったな。気持ちは本当に、本当に有難いんだが……どうもここは一筋縄じゃいかないみたいだ。もし外と連絡が取れるなら、さっさと封印してもらうよう勧めたいね」
俺はジュンと顔を見合わせた。
既に姫様かデニーが冒険者達と落ち合っている、という可能性に望みをかけていた部分は少なからずあった、というか、それくらいしかもう持てる希望がなかったのだ。
元々の目的としてはこれ以上ない到達点だが、ぶっちゃけ俺にとってはこの少年が無事かどうかよりも姫様が無事かどうかの方が五千億倍は重要なので、なーんにも進展していない、あるいはふりだしに戻った、というのと変わらない。
「その様子だと、ブライアンとシェリー――残りの仲間だが、そっちとは会ってないんだもんな」
「はい。もしかしたらはぐれた二人が見つけているかもしれませんが、今は確認のしようがないので……」
「そうだな。ところで、どうやったらここから出られるか知らないか?」
それはこちらが教えて欲しかった。彼の方が、俺達より先にいたのだから。
仕方なく、俺達はまた動き始めることにした。
ジェレミー君が元来た道を引き返したくないというので、後方に向きを変えて、やはりジュンを先頭に隊列を組んだ。
「見えなかったけどな、なんか落ちてきたような音がしたんで来てみれば……本当に落ちてきてたのか」
「あなたはどの辺りから落ちてきたのですか?」
「いや、オレは落ちてきてない。ここの前に青白くて……まあ、死体が動いてるみたいな、気味の悪い奴らがウヨウヨいるバカでかい坂をえっちらおっちら上がってきて、それで、急に狭くなった通路の先がここだったのさ」
「――一応お訊ねしますが、戻ろうと思えばそこまで戻れますか?」
「いや、無理だな。同じところをぐるぐる回るような感じが四回はあったから、オレの頭ん中はぐちゃぐちゃだよ。それに多分、完璧に地図を書いたとしても、その通りに戻れないんじゃねえかな。なんとなくアンタらも察しはついてるだろ」
「まあ、そうですね。上から見た限りでは、この迷路は曲面か、球体だったのですが……あなたの言う坂への出入り口があるようには、とても」
「それで今、結構歩いたが、ずっと平らなところを歩いている感じがするわけだ」
渋々、俺は頷いた。そして一つ思いつき、
「お嬢様、申し訳ないのですが、また魔法を使って階段を作ってみてくれませんか。壁の上から行けば、いくらか迷路を解きやすくなるかもしれません。今なら、集中も容易でしょう」
「わかりました」
落ちてくるときに、多少無理をしてでも、着地点をそこにしてしまえばよかったのだ。完全にではなくても迷路を見下ろした状態なら、難易度は大幅に下がるはずだ。
落ち着きを取り戻したジュンは、今度はきちんと階段を作成した。
それでひとまず単独でどんどん上へと進んでもらってみたのだが、三十段を超えたあたりから、俺達は異変に気付いた。
最初に見ていた感じでは二十段もあれば上まで到着しそうな高さだった壁が、三十四、三十五……段を作成しても、半分ほどしか到達していない。
目を離さずにいたから、決して伸びたりなどはしていないはずだが――どういうわけか、上り切ることができないのだ。
実際に階段を踏んでいるジュンにはもっと奇妙に感じられたのか、四十段の手前で、自主的に引き返してきた。
「これおかしいですよ……」
「まずいですね。壁の内側、というか、迷路の内側に入った時点で、取り込まれていたと考えるべきか……」
「真面目に進め、ってことなんだろうな。だからといって、向こうも真面目にやってくれるわけじゃないらしいが」
作戦は放棄せざるをえなかった。
しかも、無駄にジュンの魔力を使わせてしまった。
「……仕方ない。せめて共通している部分の話をしましょう。その青白い人型には私達も遭遇しました。おそらく同じ種類のものでしょう。それで、皆さんよりも先に入った一団がいると聞いているのですが、青白い人々の中に、その方達が混じっていませんでしたか?」
「……わからねえ。少なくとも知り合いはいなかったが……」
「そうですか。あるいはと思ったのですが……」
混乱していたのでその時はあまり気を回す余裕もなかったが、思い返してみると、ほとんどの個体がディーンに共通して見られるデザインの服や装備に身を包んでいた。その枠に収まらない目立つ個体がいたことも確かで、中にはセーラムの装束も見受けられたが、概ね、地元民で構成されているように思えた。
問題はこのダンジョンが素体を加工した結果、ああいう挙動をするものが生まれたのか、それとも何かをモデルにした結果、ああいうものにしかならなかったのか――。
「しかし、その可能性は考えたくねえな。ブライアンとシェリーが混ざるかもしれないってことだし、そうなると助ける方法があるかってところからあやしくなってくる」
俺も考えたくはなかった。ジェレミー君と同じ心配がある。
「アンタらとしても、お姫様があんなになっ」
遠くから衝撃音がやってきた。
魔法を使うまでもなく、それは感じ取ることができた。
俺達は揃って足を止め、そして、
「まずいな……近くなってやがる」
と彼は言った。




