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エルフヘイムをぶっつぶせ!  作者: 寄笠仁葉
第1章 94番
5/212

1-5 水落ち

                   ~

 

 彼はある邸宅の改築に関する見積もりの為、そこに来ていた。小高い丘の上に立つ、一軒の、明らかにこの街全体を見下ろして暮らしたいという欲望の産物。今より以前には、この地を治めていた有力者が住んでいた家であった。そして現在も、この地を暫定的に治めている人物とその家族がこの家を使っている。


 今、彼はその建物の屋根の上にいた。屋根といってもそこは平らで、梯子(はしご)か、外に付いている階段で上がってくることができ、小さめの椅子とテーブルが置いてあり、いくつか並べられた植木鉢には、まだ咲いてはいないが花が育っていた。

 彼は詳しくない(若い世代ではそれもあまり珍しくはなくなった)ので、それがどういう種類のものであるかはわからない。風のせいで葉が揺れている。


 彼はエルフの中では少しは名の知れた建築家である。以前はもう少し後ろの領土を主な拠点として活動していたが、半分命令、半分お願いといったような要請があり、現在はこの近辺で生活している。仕事に不満はない――が、敢えて一つ挙げるとするならば、それはここからでも見える闘技場だろう。


 あの円形闘技場は、ヒューマンが作ったにしては、比較的マシな建築物の一つだと彼は思っている。だが、自分ならもっと上手く設計し、築き上げたのに……という歯痒さを見ていて感じることもしばしばあった。

 ここと違ってあそこの管理者達は不便をしていないし、もちろん壊れているわけでもないので、どうこうはできないし、こちらから話をもちかけるということもないのだが、いつかあれを自分の思うように建て直すか、そうでなければ一度更地にして別の建物を建ててしまえたらいいのに、と彼は考えている。


 その闘技場は今、崩壊しつつあった。大部分を失いつつあった。それなりに頑丈な作りをしているはずのあれが、圧倒的な力によって破壊されようとしていた。

 それは間違いなく彼にとってのチャンスを知らせる光景だった。しかし、彼は、素直にその通りであると信じ込むことができなかった。眼下には彼と同じように外へ出て、起きている現象を呆然と眺めるエルフ達が数えきれないほど見える。そして彼らの奴隷――ヒューマン達にとっても、あれが驚異的であることには変わりがないようだった。

 彼はあれを一度見たことがあった。だがその時は、あれはかなり遠くにあった。今、彼は身の危険を感じるほど近くでそれを見物する破目(はめ)になっている。


 竜巻。


                   ~


 十名からなる弓騎兵隊である。

 それが未だに獲物――ヒューマンもどきひとり――を仕留められていない。この事実を、隊長の男はどう受け止めればいいのかわからずにいる。

 彼は部下の男に呼びかけた。


「おい!」


 部下の男は答えた。


「はい!」

「さっきから引き離されているように見えるぞ!」

「自分にもそう見えます!」


 隊長の男は、既にこの事態が自分の手には余るものだと思い始めていた。

 目標が街から出ていった先には平原が広がっている。それが今走っているここで、つまり、馬の独壇場である。――そのはずである。だから追いつき、彼我の距離を最初は縮めた。にもかかわらず、


「なぜヤツは馬よりも速い!」

「魔法だと思われます!」


 どういうわけか、目標は弓の有効射程から離脱しつつあった。それは騎馬よりも速い走行が実現されているからであった。目標は地面からの反動とは別の推進力を有しているように見えた。魔法としか考えられなかった。

 しかし、それよりも驚嘆するべきは、


「なぜヤツに矢が当たらん!」

「魔法だと思われます!」


 弓騎兵である以上、偏差射撃の練度を高めることは日課でもある。そして彼らはそれをしてきた。決して短くはない期間を費やしてきた。そんな彼らが揃いも揃って、目標に(かす)らせることさえできていない。風だってある程度読める彼らが――。

 そう、風だ、風なのだ、全ては風が悪い。目標は回避行動すら取ろうとはしていないのだ。風が目標の背中を押し、風が目標に矢を当てさせない。


「自分だけに追い風、矢を逸らす風の壁、あれもこれも魔法だってのか、ええ? あれが半死人の魔法だというのか! ――竜巻だぞ、天災級だ! ヤツはなぜ最初からあれをしなかったのだ!?」


                   ~


 鬱蒼とした森の中へ入った途端、飛んでくる矢の数が倍ほどになった。おそらく今まで後ろをついてきていた奴らとは別の、先回りを命じられた部隊がどこからかやってきて、待ち伏せしていたんだろう。

 馬を振り切ろうとしてここへ入ったつもりだったが、読まれていたということか。むしろ追い込まれていたのかもしれない。いずれにしろまずい展開であることには間違いない。


 しかし、それにしても、これだけ狙われていて一本も刺さらないとは、相変わらず俺の幸運は機能している。なにせ、俺は方針らしい方針は何一つ決めず、考えず、ただ体が単調な動きをするのに任せているのだから。今の俺は、できるだけまっすぐに行くという、ただそれだけの生き物だ。


 いつの間にか曇天になっている。とても灰色な空が、木々の切れ間からかろうじて確認できる。もうすぐ雨粒が落ちてくるだろう。


 身体が重い。だが、何かが強引に突き動かしていた。しかしその強引さも、そう遠くないうちに尽きるだろうということは、妙な話だが、なんとなくわかっている。それまでに彼らから逃げおおせることができるのか?

 ――答えは否だろう。俺が一度も立ち止まっていないにも関わらず、攻撃の手は休まらないどころか、増えてきているようにさえ思える。彼らは木の上からでもお構いなしに矢を飛ばしてくる。仕損じても即座に第二射、第三射を行っている。それも駄目なら、走って追いかけてくる。いつかは捕まるか、射抜かれる。


 そうして、不思議な勢いに終わりが見えてきたとき、急に前方が開けた。森はそこで終わっていた。それだけならまだよかったが、困ったことに大地が続いていなかった。

 谷だ。危うくそのまま飛び込むところだった。すんでのところで踏み止まったのも、やはり幸運のおかげだろう。

 今更ながら水の音に気付く。谷底は川になっているらしい。

 明らかに飛び越せる幅ではなかった。


 万事休す、か。


 雨が、いきなり最大の強さで降り始めた。

 こんな状態で言うのもなんだが、余力が残っていれば、あるいはここを突破することもできたかもしれない。そう、勢いが残っていれば……。

 だが、もうそれも弱まりつつある。

 足りない。これから何をするにしても。


 窮鼠猫を噛む、というが、困窮した鼠は猫を噛んだ後、結局どうなってしまったのだろうか。まあ、食われたんだろうが。


 振り返ろうとして、何かが顔を裂いた。ほぼ同時に飛んできたいくつかの矢のうちの一つだと気付いたがもう遅い、反射的に体が動いて、それは足を踏み外すという結果を作った。ついに俺の幸運が突破されたのだ。

 だが、これでよかった。俺を見ている彼ら――そう、まさに射抜くような眼差しで俺を見ている彼らに捕まるのと、谷底へ落ちていくのだったら、どう考えたってこっちの方がマシってもんだ。俺は彼らに向かって中指を立てた。


 遊園地のフリーフォールを思い出させる、懐かしき自由落下の感触。


 激しく流れる水面へ叩きつけられる直前、最後にほんのわずか残っていた分の強引さで落下の勢いを和らげた。それが十分なものだったかどうかは、これからわかる。


                   ~


 昼頃から続いていた雨が上がった。もうすぐ日が暮れる。


 ゼニア・ルミノアはお供を二人連れて偵察へ出た。この近辺がまだ安全なことはわかりきっているので、ほとんど遠乗りと変わらない。だが、この重要ではない、退屈な、本当に必要かどうかも疑わしい偵察旅行が、セーラム王国第三王女であるゼニアの今の役目なのだった。

 一応押さえておく、ということの意味を理解できないゼニアではない。しかし、これがゼニアの望まぬ仕事であることは誰もがわかっているわけで、それでもなお、この任命なのであるから、ゼニアにとっては腹を立てるに十分な理由ではある。

 尤も、それを表へ出すということもないのだが。


 役目は役目だ。それが無駄に思えようとも、誰かがやらなければならない。ましてや本当は宮殿でおとなしくしていなければならない姫君に何かを任せるとしたら、自然とこのような仕事が多くなってしまうのは仕方のないことだ。

 ゼニアに戦う意欲が旺盛にあっても、訓練を十分に積んだ上で実戦経験が豊富でも、魔法が使えても――ゼニアはセーラム王国の第三王女なのだ。

 この、追い詰められつつあるセーラム王国の。

 誰がどう判断したところで、ゼニアを本物の危険へ投げつけるということにはならないのだ。クリーチャーの討伐も、余所の国への応援も、野盗の類の討伐も、いざとなれば逃げ帰ってくることができるという前提があるために認められていたのだ。


 兄達は死んだ。

 あれほど強かった弟でさえ、その上を行く者に敗れた。

 容易には信じられぬことだった。

 そればかりか、小姉様(ちいねえさま)でさえも戦禍に巻き込まれて命を落とした。

 残るはゼニアと長姉(ちょうし)だけである。


 死ぬわけにはいかないとゼニアが自分で思っている以上に、周囲はゼニアを死なせまいと思っている。あの第三王女が死んでしまうようでは、どのみち第一王女ミキアも生き残れまい、という心理がそうさせている。


 しかし、だからといって、この国が今置かれている状況を打開できなければ、滅びはそう遠くない未来に約束されているようなものだ。二人の姫の死など、早いか遅いかの違いでしかない。

 何かが変わらなければ、何かが変えなければ――この国はエルフ達のものとなる。


 ゼニアは目の前に広がる光景を眺めた。アディクト川――エルフヘイムことマーレタリアと、セーラム王国の間に横たわる大河……元は横たわっていなかった大河。この川の向こうは、今はもう安全であるとは言えない。

 エルフの砦がすぐそばにあるとか、向こう岸を踏んだ途端に感知されて部隊が飛んでくるとか、そういうことではない。ゼニアから見える範囲には、丘陵地帯が広がっている。そこは平和そのものに思える。だが、あの向こう側は、もう何の保証もない。


 ――最初、それは見間違いではないかとゼニアは思った。


「……あれは――」


 ヒューマンのように見えた。

 それが問題だった。

 防衛の目途が立つか不明なために、この辺りの居住者は全て引き払わせていた。もう誰も残っていないはずだった。だから、未だにこんなところをうろついているのは例外なく不審者と考えていいし、そもそもエルフ以外の誰かと万が一にも出くわすなどということは、ゼニアは念頭に置いて活動していなかった。野盗だってもう少し安全な地域で活動したいだろう。

 ただ、あれが不審者だったとしても、不審な行動ができるようには見えなかった。

 ゼニアには、あれは死んでいるように思えた。


 が、どうであれ、確保しなければならない。

 ゼニアは二人の従者と共にある程度まで近づいてから、自分だけは馬を降りて徒歩で接近することに決めた。


「マウジーをお願い」

「お一人で、ですか? 危のうございます」

「その通りです。ここは我々と共に、」

「邪魔よ」


 何かの罠だとしたらもちろん危険なのだが、だからこそこの未熟な二人と一緒にまとまっている方が不安は残る。まだしも自分だけで対処した方が面倒は少なくて済むだろうと判断した。


 いかにも、なんとか岸へ上がってそこで力尽きました、といった風情だった。

 その男は一枚の粗末なズボン以外には何も身に着けておらず、うつ伏せのまま微動だにしない。脚はまだ水の流れに揉まれている。左腕が間違った方向へ曲がったまま、ひどく腫れていた。体中のあちこちに、それはそれは痛そうな痣が点在している。


 ゼニアはいつでも剣を抜くことができるように身構えながら、男へ近づいた。

 何の反応も示さないことがわかったので、ひとまず傍に屈み込む。やはり事切れているように思える。少々乱暴に引き上げてから、裏返すことにした。

 顔を見てもやはりヒューマンに思える――耳が長くないし尖ってもいない――のだが、ゼニアの知る限りでは、その顔つきは、どのヒューマン民族の特徴とも一致しない。

 その代わり、彼の身分を示しているであろう、94、という烙印が腹部に見つかった。

 奴隷だ。

 すると、この男はどこかから逃げてきたのだろうか。

 どこから?


 ――まさか、この向こうからか?


 エルフの手から逃れる。そんなことが、可能なのだろうか。

 口元に手を当てる。呼吸はない。左胸に手を当てる。鼓動もない。確かに死んで、


 一瞬だけ、限りなく薄い魔力が皮膚へ滲み出たような気がした。


「……まさか、ね」


 今、自分の見たものが現実かどうか、ゼニアにはわかりかねた。

 仮にこの男がエルフの奴隷だったとして、逃げ出してきたのだとして、現在エルフが実質的に支配している、ここから最短で到着する街のどれも――身一つでは遠すぎる。ましてや、ここまで流されてきたのだというならば、それは中流と上流の境に位置するメイヘムから逃げてきたのだと考えていい。


 無理だ。この負傷を抱えて、途中で沈まない理由がない。


 ――だが、もしこの男が魔法の力を持つのだとしたら、エルフから逃げおおせたということ自体は、あながち夢物語ではなくなる。ゼニアの思いもよらない紆余曲折によって、まだこの男の全てが失われていない可能性は――無いとは言えない。


 いいだろう。退屈な任務に、謎の塊という成果を加えてみるのは悪くない。


 そこまでしなければならない理由はどこにもないはずだったが、ゼニアはそれなりの魔力を割いて、彼女の魔法をかけた。それでも、94の刻印は消えなかった。

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