5-1 林、牛、畳
落ち着いて辺りを見渡してみると、雑木林としか言いようがない。
俺はてっきり、城から転送されるのだから向こうの城へ通じているものだと思い込んでいた。しかし、こうして降り立ってみると、屋外であるどころか、ざっと見える範囲に構造物すら認められない。
「お出迎え痛み入ります。わたくしは侍従の、ジュン、と申します。こちらは道化師のフブキです。この度はお招きいただき、主人共々感謝しております。色々と手数をおかけするかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
ひとまずジュンが前に立って、そう説明した。
こちらは内心ヒヤヒヤしていたが、落ち着いた優雅な物腰で丁寧に、という侍従殿の教えを忠実に守ったジュンは、それなりに見れる振る舞いを既に身に着けていた。そして今回、それを発揮する機会を得たのである……と思う。
フォッカー・ハギワラ氏は再び深く頭を下げた。
「いや、これはご丁寧に。――そちらの方は?」
問われて、デニーはびしりと敬礼の姿勢を取った。
「は! 自分はセーラム軍所属の、デニー・シュート中尉であります! 身辺警護のため、同行しております。よろしくお願いいたします」
「ああ、そうでしたか。こちらこそよろしくお願いいたします。さて、えー……、わたくしだけの小さな出迎えで申し訳ありません。本当は父もここへ参る予定だったのですが……なにぶん、齢なものですから。今日も朝から伏せっておりまして、どうしても床から離れられぬようで……。謝罪のためにお招きいたしましたのに、申し訳ございません。いや、そもそも、本来ならばこちらからそちらへ出向くべきなのですが、それもやはり父の持病のことを考えますれば、どうにも……何卒、このような形でご容赦いただきたく……」
「いえ、こちらは本当に観光のつもりで来ましたから」
と姫様は言った。嘘ばっかり。
「喧伝などされて大事になっては身動きも取りづらくなります。それは私の望むところではありませんし、敢えて病人を起こすような真似もしたくありません」
「そう言っていただけるとは……恐縮です」
「ところで、ここからの目的地は――我々の滞在する館はそれほど離れていないのでしょうか? 歩いて行ける場所だといいのですけれど」
「重ね重ね申し訳ないのですが、実はここからでは歩くと大分億劫に感じられる距離なのです。ここを抜けた先に牛車を用意してあります。それに乗るまでは、お歩きいただくことになってしまいますね」
「構いません。とても清々しい空気――むしろ、少し歩きたいと思っていました。では、参りましょうか」
「有難く存じます! こちらです」
ハギワラ氏について林を抜ける。確かにセーラムと比べると、空気からして違ったにおいを感じ取れるような気がした。植生もやはりどこかで見たことがあるような雰囲気を持っていて、だからこそ余計に共通語を操るハギワラ氏に違和感を覚えた。
服装、場景、どれもそのへんの時代劇よりいい出来なのに、何故か別言語で芝居が進行している――そんな感じだ。
抜けた先には伏兵が、という予想も裏切られ、ハギワラ氏の言った通りに牛車と、その世話をする子供がぼへっと待ち構えていた。ハギワラ氏が乗ってきたのであろう馬も控えている。
車体は豪奢でこそなかったが重厚なつくりで、俺達が全員乗ってもそこそこ余裕のありそうな大きさをしていた。恵まれた体格の(多分)牡牛が二頭繋がれている。
例によって道は道でこそあったが舗装まではされておらず、ここへ至るまでの車輪の跡が彼方まで続いていた。
「四人乗りで間に合ってよかった」
とハギワラ氏は安堵したように言った。
まあ、定員オーバーなら俺やデニーが外で歩くだけだが。
ハギワラ氏は俺達が全員乗り込んだのを確認すると馬へ飛び乗り、先導するように歩かせ始めた。少し遅れて、振動が尻に伝わり、牛車もゆっくりと――かなりゆっくりと――出発した。
「『陰陽師』みてえ」
と思わず俺は呟いた。呟かざるをえなかった。
「オンミョージ?」
「……私達の国に昔いた、まあ、魔法使いのような人々のことをそう呼ぶのです。幻を見せたり、型で抜いた紙に自分の魔力を吹き込んで、手足のように操ったりします――空想の中では。実際には、占いや星見、暦の編纂といった形で時の執政者を助ける人々のことです。私達のいた時代では遠く遠く昔のことですから、話に色々と尾ひれがついているのですね」
「なるほど」
そう言って、姫様は少し考え込んだ。デニーは感心したように頷いている。
すると出し抜けにジュンが、
「……これもっと早くならないんでしょうか?」
と言い放った。
それに対応して、外からハギワラ氏の声がかけられた。
「いや、申し訳ありません。こちらでは貴人の移動といえば専らこの牛車でして。セーラム王国の姫君を迎えるとあっては、用意しないわけにもいかなかったのです。確かにそちらでは馬車の方が主流ですから、比べると遅く感じるのは無理もありません。ですが、なんと言いますか、その――遅いからこそ、貴人の乗り物なのです」
確かにジュンの発言は至極もっともだ。馬車と比べたら、この牛車というやつは実にのんびりともったいぶったように感じる。
だが、これは最初からそういう目的の下に作られている。
ゆるゆると進んで乗っている者の権威を示すことこそが重要なのであり、速度などは至極どうでもいいことなのだ。
「そうよ、ジュン。これも一つの特権ということ――せっかくなのだから、このゆっくりさを楽しむことね」
「はあ、そうだったんですか……失礼いたしました。楽しみます」
といっても、このペースでは歩くのとそう変わらないことは明らかだった。
必然的に、何らかの暇つぶしが求められる。
俺は頼まれる前に、口笛を一つ披露することにした。
ドヴォルザークの交響曲第九番『新世界より』第二楽章。
あんたには『遠き山に日は落ちて』の方が馴染みあるかもしれないな。
「あ、これ聞いたことある……」
ジュンがそう呟いた。
外の景色には田んぼが見えるようになった。もう刈り入れも終わって、渋く、どこか物悲しい茶色が広がっている。それをこの地の民が耕していた。子供から老人まで、ぽつぽつと土地に散らばっている。ああやって稲株や稲藁を土に引き込んで、来年へ向けての肥やしとするのだろう。
俺達の乗った車を見つけると、作業の手を止めてしばらく眺める。いや、実際には魔法の乗った口笛が耳に入ったのかもしれない。
日を追う毎に寒くなっていくのは、ディーンでも同様らしい。
もうすぐ冬が来る。
そうなれば少なくとも大規模な戦闘行為は不可能になるだろう。大軍同士をぶつけるのは春までお預けになる。その間、何ができるか――。
闘技場に囚われていた時の底冷えを思い出し、鳥肌が立つ。外は陽気である。
エルフヘイムの本拠地は、メイヘムよりもさらにさらに北だ。もしかすると今頃はもう雪が降っているかもしれない。向こうは敗北を迎えてからの冬をどう捉えるだろうか。おとなしく負けたまま冬を越そうとするだろうか――。
さらにヴィヴァルディ『四季』の『秋』を終えて、一旦休憩をもらうことにした。
外から一人分の拍手が聞こえる。ハギワラ氏のものだ。
「いやあ、驚きました。噂には聞いていましたが、これほどとは。フブキ殿、でしたか」
「ああ、どうも。ありがとうございます。殿、は結構ですよ。私は一介の道化師でありますれば、」
「しかし、殿下のお抱えともなれば、そういうわけにも参りませんでしょう。今の口笛はなんとも不思議な響き方をしておりましたが、魔法ですか」
「そうです、ただ吹いても音が小さいものですから。ああするとよく聞こえるのです。――私からも一つお伺いしてよろしいでしょうか?」
馬と牛の足音に混じって、思考の気配は感じられた。
「はい、答えられることでしたら」
「今回、魔法を使ってこちらへやってきたわけですが、利便性を考えるのなら、セーラムのように城や何らかの拠点に魔法陣があってもいいのではないですか? この牛車も趣があって私は好きですが、別にあの林でなくても、転送に向いた場所はあるように思われるのですが」
答えづらい問いかもしれない。
あの門が非常に重要な機能であることは、説明されなくともわかる。
俺達の人数でもかなり厳しい重量制限だったのではないだろうか。
おそらく本当は、こんなことになど使わないのだろう。それこそ非常事態などが発生して、要人同士が直接会う必要に迫られた時、やむを得ず使うことが普通であるような――これも発端は非常事態といえば非常事態なのだが――とにかく、秘匿されていてもおかしくないような情報で、俺はそこへさらに突っ込んで訊いているわけで、
「ああ、それは魔力溜まりを利用しているからですよ」
そして、あっさりとした回答が返ってきた。
「魔力溜まり……」
「ご存知ありませんか。我々の内部から発生する以外にも、自然と魔力の集まる場所があるのです。あの巌がそうなのですよ。あそこに溜まっている魔力を利用して、門を維持しているというわけです」
パワースポット――のようなものだろうか? あるいは、龍穴。
何らかの力がみなぎる場所、という概念は俺達のいた世界でも古来からあった。
それをあの魔法に利用しているということか。
「そういった地の利を利用しなければ、転送などとても……。まあ、仮に好きな場所へ門を設置することができたとしても、我々が重要拠点そのものに繋げることはありませんよ。確かに便利ではあるでしょうが、何かの手違いがあった時、取り返しのつかないことになりかねませんからね」
「……それは、確かに」
セーラムとディーンは共同戦線を張っているが、もしそうでなかったとしたら、少数とはいえ簡単に領土内へ侵入できる手段となってしまう。まあ、それなら最初から繋げないか、繋がらないように何らかの処置を加えはするのだろうが……それも絶対の保証にはならないことだってありうる。
「ちなみに、城にあるのはあそこが魔力溜まりだからよ」
「そうだったのですか!? 全然わからなかった……」
本当にそうなら、目に魔力が見えてもよさそうなものだが。
「場にある魔力が目に見えることは少ないわ。それはほとんどの場合ただそこにあるだけで、私達のようにそれを利用しようとする者が近付いて初めて、見えるようになる。それも使った部分にしか見えるようにならないから、普通に魔法を使っているのと同じように見えてしまうのね」
「はあ……何だか妙な気もしますが、まあ、わかりました」
「しかし、尊敬いたしますよ。いくらそこに魔力が集うといっても、実際に城の中に転送円を開通させるのは大変に勇気の要ることです。今でこそディーンとセーラムは同盟を結んでおり、深い関係を築いていますが、昔はそうではなかったのですから」
ハギワラ氏はこう言うが、今も実際どうなんだ?
今のところは本当に友好的でウメザワ大尉の事件を申し訳なく思っているようにも見えるが、俺には心を読むことなんてできない。腹の底で段取り通りにこちらを陥れようと手順を一つ一つ思い出していたとしても、全然わかりゃしないのだ。
向こうはどうか知らないが、俺達は(少なくとも俺は)あっちを信用しちゃいない。
まだ、疑っている。
やがて、牛車はディーンの首都近郊に入っていった。
ハギワラ氏の邸宅は首都防衛というお役目のためか、都内(この表現でいいのかな)にあるものよりもすぐ外というか隣の領地内にあるものの方が大きいらしく、当主が伏せっている今、実際に人が出入りするのもこちらが主ということらしい。俺達が滞在するのもそこになっていた。
到着すると、早速歓迎の席が設けられた。
俺達は広々とした座敷で酒や贅を尽くした料理を振る舞われ、この時ばかりは当主であるアントニー・ハギワラ氏(つまりフォッカー・ハギワラ氏の父)も布団から出てきて、姫様の前に姿を現した。
「いや、この度は! ほんとにもう! 何と言ってお詫びいたせばよいのか、皆目見当もつきませなんだ! 全ての責任は部下を御しきれなかったこのハギワラにあり申す! いかなる処罰も拙者が被りますゆえ、何卒一門の者にはご容赦を! 平にご容赦を! 何卒! 何卒!」
畳(!)へ額を擦りつける父ハギワラ氏に姫様は落ち着き払って、
「どうか顔をお上げください。幸い、私は無事でした。今回こうして招いてくださっただけで満足です。お言葉に甘えて、少しの間滞在させてもらいます。ただ――私の代わりに、衛士が何人か犠牲となってしまいました。彼らも職業柄、自らの生き死にに関して覚悟はしていたはずですから、その点について言うことはありません。しかし、それはそれとして、遺族への補償を手厚くしたいので、まずそれに対する誠意を見せてもらいたいと考えています」
「は、それはもちろんでございます! 既に財を積んだ輸送隊を出発させておりますれば! 足りなければいくらでも追加させていただきとうございます!」
「わかりました。それが聞けただけでも来た甲斐があったというもの。さ、過ぎ去ったことは忘れて、明日からの予定でも話し合いましょう」
「いや、いや殿下! それではこちらの気が済みませぬ! 罰らしい罰をお与えくださらないということであれば! せめて、せめて何か我々にできることで償いを!」
姫様は少し考えた。考えているふりをした。要求は既に決まっている。
「そうですね、では……父と姉に自慢したいので、何か土産を用意してもらいたいのですが、それはどうでしょうか?」
「土産など! 申されずとも用意いたしますのに! それでは償いに、」
「だから」
と姫様は強調した。
「普通では持ち帰れないような、何か特別なものを用意してもらいたいのです」
「――それは、具体的にはどのような」
「さあ、そういうつもりがなかったので、すぐにこれとは思いつきませんが――滞在中はそれを探すために方々へ出かけるというのはいいかもしれませんね。ええ、そうしましょう。それがいいわ。ねえ、ジュン?」
「え、あ、はい」
「では、必ずや殿下のお気に召す秘宝を土産として用意いたしましょう! そうと決まれば、ほら、もっと酒だ! 酒を持ってこんか!」
そんな調子で、話はこちらの思惑通りに進んでいった。
数日経って何もなければ、姫様は金剛石が欲しいと言い出すことになっている。
「しっかし、あんな勢いで来られると逆にやりづらくなりそうですね」
「そうかしら?」
「あれじゃ姫様の方が悪者みたいですよ」
宴がお開きになった後、俺とジュンは姫様の部屋に集まっていた。
デニーはかなり飲んでいたので、おそらくは部屋でぐっすりだ。俺達がいるからといって気を抜きすぎだと思うが、まあ、今回はその方が都合がいいかもしれない。決してデニーをハブきたいわけではないが、俺達三人だけで話したいこともそこそこある。
「さあ、もしかしたらそうなのかもしれないわ。事と次第によっては」
「いやまあそうかもしれませんが、建前上は完全にこちらが被害者なんですから……」
「それよりも、訊きたいことがあるのだけど、いいかしら?」
「……何でしょうか」
「さて、あなた達から見て、この国はどうかしら」
それも目的の一つではある。
何かのヒントが隠されていないか――という思いがあった。
日本人の俺とジュン、日本によく似たディーン皇国、そこに何らかの繋がりがありはしないか、それをなんとかして見つけることはできないか、と。
「――似てますね。とてもよく似ていると思います。無闇に疑いたくなるほど」
確かに違う点も多々あるが、少なくとも空想的な領域から逸脱していない程度には、ここは日本だった。
「でも、昔すぎますね」
ジュンの言う通り、何百年も前ということを除けば、だが。
それでも、何者かの意図を幻視してしまうほどには、日本すぎる。
どこかで見たような要素がこの世界における様々な場面に投影されているのか、それとも同じような精神構造の生物が反映した結果随所に類似点が見られるのか、それは一観測者でしかない俺には判断がつかない。
そもそも反映も投影もされていないのかもしれない。わからない。
まったく無意味に似ている可能性だって、ないとは言い切れない。
だが、どうだろうか。
島国でもないのに、こんなに似るものなのか?
俺もジュンも、どこか慎重になっていた。
感想を軽々しく垂れ流せるような気分ではなくなっていた。
言葉の続かない俺達を見て、姫様は少し首を傾げた。
「――まあいいわ、まだ初日だものね。これから色々なものを……多分、見に行けるでしょうし、それから考えを進めても遅くはないわ。今日はもう休むとしましょう。ジュン、支度をして頂戴」
「あ、はい……」
「――ちょっと待った。寝込みを襲われたらコトだぜ。姫様にはそりゃぐっすり眠ってもらうが、俺とジュンは交代で起きてた方がいいな。順番を決めとこう」
姫様は俺を見て、
「いらないわ」
「いいや、確かにあんたなら飛び起きて曲者を返り討ちにするかもしれないがアウェーはアウェーだ。用心をしすぎるってことはないだろう。ほれ、ジュン、じゃんけん。はいじゃーんけーんぽん」
俺・チョキ、ジュン・チョキ、姫様、グー。
「ちょっとお!」
「私の勝ちね。くだらないこと言ってないできちんと眠ること」
「駄目だって!」
「昼間にうとうとされる方がよほど危険だわ。早く自分の部屋に戻りなさい。命令よ」
「……じゃあ、じゃあ私もここで寝ます」
「――ジュン、追い出して」
「かしこまりました」
数秒は粘ったが顎に一発いいのが入って、俺はそのうち眠りに落ちた。




