4-10 家から徒歩5秒
~
「それで? 何でおれまでついてかなきゃならないんだ?」
「……俺に言われてもなあ」
突然の来訪だった。
デニー・シュートは軍の上層部から突然今回の旅への同行を命じられ、それに対する抗議を、何故か俺に、ぶつけてきた。
「なんだよ、おまえに聞きゃ何かわかると思ったのに」
「知らねえよ、管轄外だ。軍の中にいるあんたにわからないことが、俺にわかるもんか」
「んんん、おれはてっきり姫さんが何か手を回したもんだとばかり……」
「そう思うなら最初から直接聞きに行けよ。俺にはわからんよ」
「行けるなら行っとるわ! 一緒にすんな!」
「……そういえばそうだったね」
「――おい」
「いや、悪い。最近どうもそのへんの感覚がな……」
色々麻痺してきたことは否めない。
しかしそれを除いても、デニーは前の戦いに一枚噛んでいたわけだし、直接会うのは難しいにしても、間に誰か挟んで連絡の都合くらいはついたっていいのでは、
あ、誰かって俺じゃん。
「ままま、一応姫様には訊いとくよ。それはそれとして、上からはどういう名目で行ってこいって言われたんだよ? 本当なら、昇進したばかりだし、新しい仕事にかかりっきりなんじゃないのか?」
「そうだよ。ほとんどほっぽり出さなきゃならなくなっちまった。他の中尉がいくらか穴を埋めてはくれるだろうが、それにしたって……」
「そいつは、随分難儀なことだな。で?」
「すげえはぐらかされたからはっきりそうだとは言えないが、護衛らしい」
「あー――まあでも、そこまで不自然な話でもねえだろう。姫様レベルの要人が動くとなったら、どうしたって護衛の部隊をつけなきゃならん。いらないと思っても、それを口に出しても、じゃあいいかってことにはならないもんな。でも納得はできるぜ、本当は近衛から人数割くんだろうが、あんまり姫様とはいい仲じゃなさそうだしな……」
あれから、最初に遭遇した面子とはほとんど再会していない。
あの、俺を殴った奴らとは。
近衛と軍の混合隊だったらしいが、実際にはただ姫様の監視を命じられただけの集まりだったのかもしれない。彼らも多分、できることなら別の仕事に携わりたかったのではないだろうか。
「だったら代わりにあんたらを連れて行った方が、姫様もいくらか気が楽だろう。だとしたら、そうなるように彼女が仕込んでいても驚くようなことじゃない」
「うーん、でも、行ってこいって言われたのおれだけだしなあ」
「よくわからないけど、そういうもんじゃねえのか? 軍事行動ってわけじゃないんだし、小隊でも多いくらいに感じるけどな」
「いや、違う。行ってこいって言われたの、おれだけ」
「――ん?」
「だから、今回のお姫さんの外出で、軍から出向するのっておれだけなの。おれ一人」
いや、おい、
「は?」
「だろ? その反応でいいよな? やっぱおまえもそう思うだろ?」
「いやいやいやいや、おかしいでしょ」
「おかしいよなあ」
俺達はしきりに首を傾げたが、それで疑問が解消されるわけでもなかった。
「……そういえば、戦ってるところってお互い直接には見たことないけど、あんた、実は相当デキるのか? なら、まあ、ありえないって程の話じゃ……」
「馬鹿言うな、どう考えたって姫さんの方が強いよ。見たからわかる。だから変だって言ってるんじゃねえか。おまえや、その……なんとかいう新しい侍女の人が、」
「名前はジュンだよ」
「ジュンさん? がついていくのはわかるぜ。身の回りの世話をする人と、ペット。当たり前だもんな。でもおれはそこまで殿下に縁のある立場じゃない。ご贔屓にとはお願いしたが、思ってたのとちょっと違うな」
「ま、そうだな……戦力としてアテにしようとしてたわけで、こういう時にも駆り出すくらいなら、普通に軍の中で足場を固めて欲しいわな」
「直々のご指名だからっても、この件で他から評価されるとは思えねえしなあ」
「うーん……」
「ううーん……」
しばらく唸ってから、デニーは舌打ちを一つ、
「だめだ、わかんね。わかんねってことがわかった。もういいや、どうせ拒否するわけでもなし……とにかく同行すりゃいいんだろ」
しかし、もしこちらの意志が働いてないとしたら、こんな送り込み方をするのは誰か、という問題が出てくる。
軍からの監視役として今回はデニーが選ばれた?
――いや、それはないか?
こちらとデニーに繋がりがあると、向こうはもうわかっているわけで。
――それを逆手に取って抱き込んでいるとしたら?
デニーにメリットがあるか?
わからない。
やはり、姫様に訊いてみないことには――。
「ところでよ」
「ああ?」
「そのジュンって娘さ、かわいいの?」
「……お前のタイプかどうかなんて知らねえよ」
「いやそういうんじゃなくて、もっと客観的な話な」
「――いい方だとは思うけどな」
「どんな感じだよ? 性格とか、雰囲気とか」
――性格とか、ね。
「……会えばわかるよ」
「惜しいわね」
土魔法使いを後退させながら、姫様は言った。
「……というと?」
俺は水魔法使いとそのうちに交換しようかどうか迷いながら、先を促す。
戦盤最大の特徴が、この魔法使い駒の扱いである。
プレイヤー二人はゲームを始める前に、付属の袋へ火・水・風・土それぞれ一個の駒を入れて振るなり揉むなりして、無作為に取り出せるよう工夫する。これらの駒は将棋で言うところの飛車と角行に当たるが、名が示すように四種類の違った能力を持つ。その中からランダムに二つが配られるので、つまり、大抵は勝負の度に条件が違ってくる。
今回で言うなら、俺は水・風魔法使いを擁した陣営で、姫様は火・土魔法使いを率いる軍勢である、といった具合に。
四つの魔法使いはどれも強力だが得意不得意があり、組み合わせによって、どの戦術に向く向かないといった相性も出てくるので、非常に複雑である。
「軍は監視役のつもりで同行者に中尉を選んだけど、そうするように仕向けたのは霞衆で、中尉はそういった事情を把握していないわ」
「――また、霞衆?」
「おそらく、だけれど」
「おそらく、ですか」
ランダム要素が入っているため、チェスや将棋といった二人零和有限確定完全情報ゲームとは本来同列に並べられないのだが、プレイ感はそこまで変わらない。
この遊戯もディーンからやってきたものだと伝えられている。
魔法使い駒の無作為性は遥か昔、この競技が賭博に使われ始めてから定着したルールであるらしく、現在では賭けの絡まない勝負でも好んで使われている。ドラフト式に駒を取っていく(後手が先に取るか後に取るか選べる)やり方もあるが、ローカルルール扱いらしい。個人的には選べた方がより戦略性に富むと思うのだが、ランダムさが多数派に愛されている今の状態を理解できないわけではない。
「ふーむ……でも、何も知らない状態のデニーが、監視役になるんでしょうか?」
「何かあれば報告してくる、という程度の期待しかしていないと思うわよ、向こうは。最初から重要度は高くないのよ」
「そんなんでいいんですかね? 何かあったとして、こっちが隠そうとしたり、デニーに口止めしたりしたら意味ないじゃないですか」
「何かがあったと勘付くことさえできれば、聞き出す方法はいくらでもあるわ。そこは私達と同じでしょう?」
「それもそうか」
俺の部屋に姫様が来たときは、時々、こうして一局指すようにもなった。
ジュンが横で見ている時もあったが、今日は二人きりだ。
「そういえば、話は変わるけれど、彼らの評判はどうだったの?」
俺は歩兵に触ろうとして、やめた。
「評判? ああ――」
もう結構前の話になる――と俺は認識している――が、約束通り、俺はデニーの部下に芸を見せてきた。
少しサービスして長めに尺を取り、新しい手妻をいくつかと、それまでやってきたことの再放送で半々の披露となった。
「悪くなかったですよ。向こうさんが最初から期待していたっていうのもありましたが、長めにやったわりには特に滞りもなかったですし」
「それはよかったわ。中尉が乗り気でも、彼の部下が皆同じ考えとは限らないもの――無理に付き合わせた分、役得がなければね」
思考が混在している。
ここまで殊勝なことを言うお方だったかな――という懸念と、目線から騎兵に注意を向けていることを悟られないようにしなければならない、という焦りが。
騎兵。これは桂馬よりはナイトだ。全く同じ動きをする。初期配置はほとんど桂馬と同じなのに、ナイトの動きをする。
これもまたゲームを複雑にしているように感じる。
そもそも、駒が将棋なのにフォーマットがチェスなので、両方の経験者としてはまったく奇妙な間合いだと思わざるをえない。ちなみにキャスリングはない。このせいでチェスのオープニングと将棋の囲いがごっちゃになったような、初口(日本語にすればね)と呼ばれる定跡の概念が存在している。
「それなら、今回の旅にも小隊を連れて行くことにすればよかったのでは? ディーン皇国は、京と……あ、いや、随分遠くにある国ですから、道中、色々と人手があった方がいいように私は思うのですが」
「どうして?」
その声色にどこか違和感を覚え、俺は顔を上げた。
相変わらず表情に乏しい、いつもの姫様だったが、不思議そうであることは確かだ。
「いや、長旅ですし、地図で見ると、途中のルーシアも通りますから、」
「通らないわ」
「えっ、――そうなんですか? 私はてっきり、そうするものかと。ルーシアも広いですから、また何泊かする前提で計画を立てているとばかり。でも、迂回経路はそれこそ遠回り過ぎて、利点があるようには……そんなにルーシアは厳しい環境なんですか?」
「――あなた、何か勘違いを」
「あ! そうか、何も馬鹿正直にキップを走らせることはないんだ。――海か! ディーンまでの航路があったんですね。そうか……」
航海技術の発達具合については知らなかったが、近海から出ず沿うように進む航路なら、比較的安全に行けるのかもしれない。なんとなく海は危険すぎて駄目だ話にならねえという先入観があったが、この世界では意外とそうでも、
姫様は長く息を吐いた。
「そういえば、まだ言ってなかったわね」
出発当日になった。
俺達は城の一室にいた。
旅支度は済ませていたが、俺が想像していたよりもずっと軽装で、向かうのは本当に姫様とジュンと俺とデニーの四人だけで、見送りにはアデナ先生と、侍従殿と、ミキア姫と、あと王様だけが来た。
「いいか、道化。もしもゼニアの身に何かが起これば、貴様もただでは」
「ここだけははっきりさせておきたいんだがね、姫様に何かあって一番困るのは間違いなく俺だぜ」
ジュンはずっと侍従殿からあれやこれやとミス防止の秘訣を言い渡され、さらにその内容とこれまでのおさらいが可能と思われるマニュアルまで授けられていた。
これからしばらくは、彼女にも平穏な日々が戻ってくるだろう。
それとも、心労が彼女を休ませないのだろうか。
アデナ先生もまた、これまで続けてきたことを向こうでも続けるように、と言い含め、それから侍従殿と共に一足先に自宅へ帰っていった。
ミキア姫は軽くではあるが姫様を抱きしめて、
「慣れない水には気をつけるのよ」
と妙に現実的なことを言った。
尤も、その点についてはジュンがいるので心配いらないだろう。彼女の魔法から発生するそれは飲料水として摂取可能であることが判明している。被験体は俺だ。
この姉妹が話している姿を、俺はほとんど見たことがなかった。
そして、姫様は今回も軽く頷いただけで、その姉もそれで満足したらしかった。
姫様はミキア姫について自分の姉であるということ以上の説明はしなかったし、俺も根掘り葉掘り訊ねてやろうとは思わなかった。そんなことをしなくても例えば王様には成り行き上ある程度関わるようになってしまったし、これから必要になれば、ミキア姫のことも知るようになるだろう。
「ゼニアのことをお願いね」
「……あっ、ああ、はい。もちろん、ですとも。はい」
あまり急にこちらを向いて言われたので、俺はかなり間抜けな返答をした。
それまで一度だって、話しかけられたことなどなかった。
姫様以上に謎の女かもしれない。
そうして見送りらしきものが済むと、まるでタイミングを見計らったかのように、女性が一人、部屋の中へ入ってきた。
さて。
実は、この部屋と似たような部屋が、両隣や向かいにいくつかある。
どこが似ているかというと、壁に、まあ、魔法陣が描かれているのである。
逆に言えば、この部屋やその姉妹部屋には、他にほとんど何もない。
部屋と言うからややこしい気がする。ここは部屋というよりは――もう一つの裏門、と表現した方がいいかもしれない。
本当の裏門はやはり城の裏にあって、そこはそこで普通に業者等の出入りがある。
こちらの裏門は、言うなれば非常口的裏門であって、今回のようにワケありでないと使われることはまずない。それには膨大な魔力が必要であり――そうぽんぽんと開いたり閉じたりできるようなものでもない。
「では、参ります」
とその女性は言った。
俺達の見守る中、壁に(正確には線の上に)手をつき、そして、魔力を放出した。
その魔力もすぐに方向が与えられ、円環の中に吸い込まれていった。
かなりの量だった。それだけの量を一日で使い切ったら、危険な状態になるのではないかと俺は思った。だが、姫様も王様も止めることなどしなかったし、女性から急速に生気が失われていくというようなこともなかった。
円環はレギウスの描いたものと比べると、そこまで変わったものではなかった。二重円の間に式。おそらくそれが基本形なのだろう。
小さい方の円の内側が、色を変え始めた。石壁のそれではなくなり始めていた。
俺も、おそらくジュンも、もしかしたらデニーも、目を凝らしてその様子をよく観察しようとしていた。
だが、騙し絵のように、気が付くと、円の内側はもうその状態になっていた。
石壁ではなく、林……を、映していた。いや、林そのものだった。
既に向こうは、ディーン皇国なのだった。
俺はこれを見たことがあった。
エルフにも同じような魔法を使う奴がいた。
そのせいで、レギウスだけを捕まえるハメになった。
確かにこれなら、船はいらない。
キップに途方もない距離を走らせる必要もない。
軍がデニー一人で満足したのも無理はない。こんな便利な技術――定員が決められていなかったら、とうに戦は勝っている。
この場合、四人だそうだ。それ以上は裏門の管理人がもたない。
「では、父上、姉上……行って参ります」
そういうわけで、俺達は徒歩五秒のディーン皇国へ向けて旅立った。
振り返ると、式こそまったくの別物だったが、同じように円環が目に入った。
ただし、石壁ではなく、一枚の、表面が平らな、苔生した大岩にそれが描き殴られていた。
魔力の供給が途絶え、門の向こうの王様とミキア姫、そして管理人は、開かれた時の逆で、徐々に岩の中へ埋もれていった。
俺達を出迎えたのは、一人のがっしりとした体格の男だった。
非常に懐かしい感じがした。
この喩えはフェアじゃないかもしれないが、高校の時の体育教師、そう――いい方の体育教師が、似たような雰囲気を持っていたと記憶している。
懐かしいのはそのせいだけではなかった。
彼はある顔のパターンを持っていた。うんざりするほど見たはずの、しかしこうして再び目の前にするとノスタルジーを感じさせる顔のパターンを。
彼はとりあえず、日本人に見えた。
「お初にお目にかかります。セーラム王国のゼニア姫」
男はそう言ってから深々と頭を下げ、そしてしっかりと上げ戻した。
「わたくしはハギワラ」
耳を捕らえたのは、かつて珍しくなかった姓を表す音。
「フォッカー・ハギワラと申します」
そして、絶望的なまでにうさんくさくなった。




