4-9 センセイの置き土産
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――少し、時間が巻き戻る。
これほど気が重い用事もない、とマイエルは思った。
軍では、遺族に夫や息子や父親が死んだことを報告して回る部署があると聞く。
だが、レギウスは軍属ではない。したがって、報告の義務はマイエルにある。
最後に彼と関わり、そして突き飛ばされたマイエルにあるのだ。
誰かにそうしろと言われたわけではないが、少なくともマイエルは自分がするべきだと考えていた。
若干の問題があるとすれば、それはレギウスには家族と呼べるような者がいないということだろう。ただ、それは彼の顛末について知りたがらない者が誰もいない、ということではない。そも、マイエルは既にバーフェイズ学長への報告をいの一番に終えていて(そのせいで十三賢者の広場へ踏み込むという非常に貴重な体験をした)、それは次に彼の弟子への報告が待っていることを意味していた。それ以上の予定が積まれないことを、救いと取るべきか、寂寥と取るべきか――マイエルには判断がつかない。
この二者への報告を終えてしまったら、マイエルは義務を果たしてしまう。だからこそ、それが大きな意味を持つことは明らかだった。無理矢理、家族として当て嵌めるとするならば、まさにバーフェイズ学長はレギウスの父であり――弟子のギルダは、妹であった。
魔導院の女子寮を訪ねながら、自分はどうだったろうか、とマイエルは考えた。自分はレギウスにとってどういう存在であっただろうか、と。一番親しい友達? とりあえず、それは疑いようもない。レギウスは、あまり広い領域と交友関係を結ぼうとはしなかった。決して他の誰かと打ち解けなかったわけではないが、ある程度以上へは行こうとしなかったし、何やら領域を定めるような線を引いている節があった。思い返してみれば、マイエルとばかりつるんでいた。
「いや、彼女は確か校舎へ出かけていきましたよ」
「……そうですか」
休日に熱心なことだ、とマイエルは思った。尤も、講義がないからといって素直に丸一日を休息へ充てるような学生は少ない。むしろ、師の手伝いやら何やらに忙殺されない時間こそが、自分の魔法を進める貴重な自由枠なのだ。真面目な一派は有志を募って勉強会を開くものだし、また、ある種の交遊会活動に敷地内を利用することも珍しくない。学内へと歩いていく間、庭園に陣取った、動きの統率された一団が目に入る。明らかに教授と思しき歳のいったエルフも参加していることから考えるに、おそらく体操か何かの同好会だろう。マイエルは気にしたことはないが、健康にいいらしい。若い女性も結構な割合でメンバーに入っているようだ。
校舎のどこへ出かけたかまでは、寮母も把握していない。しかし、マイエルには見当がついていた。
レギウスの研究室だろう。
研究室、と言えば聞こえはいいが、実際には物置の一つを不当に占拠しているだけである。予知の塔へと続く階段下の物置だ。
屈まなければ通れない扉の先の空間は意外にも広く取られており、大体三割ほどがレギウスの私物で、五割が備品、残り二割については非常に探索が困難な領域であり、また一年通して全く需要のない部分なので、誰にもわからない、というのが正確なところである。レギウスも把握しておこうとはしなかったようだ。
初めて使い走りでここへ訪れた学生や助教はこんなところで真面目に研究している、というより、こんな待遇で活動を続けている研究者が栄誉ある国立魔法開発学院にいるなどとは思わないので、最初こそ面食らうが、当のレギウスは一貫して気にしない態度を取るし、そのうち誰かから事情も聞いて、何度か通ううちに慣れてしまう。
そこにレギウスが暮らしている、ということさえも。
運営部にはこれを排除しようと画策する一派もいるが、長い年月をかけて築きあげられた事なかれ主義と複雑な力関係が足を引っ張り、それとなくバーフェイズ学長も裏から手を回しているので、実行までには至っていない。グレーゾーンから発生した研究者であるレギウスを存在させるには――保護するには――結局のところ、こういう落としどころを用意するしかなかったのである。
トンネルのような通路を抜けた先では、予想していた通り、髪を結わえた少女が孤独に作業へ没頭していた。
気配を感じ取ると、マイエルの方を一瞥もせず、面倒くさそうにこう言う。
「こちらは気にしなくて結構です。勝手にお目当てのものを持って行ってください」
長いこと会っていなかったのに、相変わらずである。
その事実が一層、マイエルの胸にずしりと重い感覚を与えるのだった。
「――やあ」
そう声をかけると、少女は作業の手を止めて、こちらを見た。
「私だよ」
「……、マイエル、さん……?」
「ああ」
すぐにその視線がマイエル以外の何者かを認めようと虚空をうろつき始めた。
しかし、いつまで経っても後ろから誰かがひょっこり現れるようなことはない。
マイエルは、目を伏せるしかない。
とうとうギルダが業を煮やした。
「センセイは……? ご一緒じゃ、ないんですか」
マイエルは小さく首を振る。
「どこかに寄って……? ――そもそも、いつお帰りになられたんですか? 今、じゃ、ないんですか」
マイエルは答えず、代わりにこう言う。
「ギルダ、今日は君に大事なことを話さなければならない」
これだけで全てわかってしまっただろう、とマイエルは思う。
でなければ、持っていた本を取り落としなどしないだろうから。
「――何なんですか、それ」
「君は聡い。できることなら、私もこれ以上口を開きたくはないんだ。だが、そういうわけにもいかないだろう。私は、レギウスの友として、」
「やめてください!」
目を閉じる。自分の眉間に皺が寄っているのがわかる。ギルダが続ける。
「どうせ、またいつものタチの悪いイタズラなんでしょう!? どうせ、どうせすぐにセンセイが出てきて、あのいやらしい笑い方をするんです。そうやっていつもわたしをからかって――ほら、さっさと出てきたらどうなんですか。急に遠くへ行って、全然連絡もしないで! 時々荒らされるから、いつもわたしがこうして片付けていたんですよ! ただでさえ整頓しないんだから、こうして……大体、普段からわたしにばっかり任せて、手伝いならいいですけど、自分で散らかしたものくらい、自分で……」
「私しか帰ってくることができなかった」
ギルダは目を見開き、硬直した。
「レギウスは私を逃がすために……」
その先を続けることができない。
少女は足をふらつかせて、近くにあった机を掴んだ。紙の束が崩れ落ちる。
「どうして、」
「すまない」
「どうして、あなたがついていながら――あなたが!」
掴みかかろうとしたのだ、と思う。
ギルダは猛然とその一歩を踏み出し、そして、先程落とした分厚い書物に蹴躓いた。
「あ、ツっ――」
それだけならよかった。が、バランスを崩して咄嗟に手をかけた箇所がまずかった。
この部屋では、何もかもがうず高く積まれている。
雑に、積まれている。
ギルダが掴んだのは大きくも小さくもない、取るに足らぬ一つの箱だったが――それはある種の楔だった。彼女はそれを、完全にすっぽ抜いた。
変化は劇的だった。
マイエルが庇おうとするよりも遥かに速く、ギルダは悲鳴ごと波に呑まれた。
やっとのことで掘り出す頃には、少し空気も変わった。
悲しみには違いなかったが、張り詰めた面はどこかへ行ってしまい、代わりに、澱のような落ち着きがやってきた。
ギルダはらしくもなく机の上に腰かけ、マイエルもいっぺんに疲れたような気がしてしまって、椅子のように見える何かへ座った。これが座っていいものであってくれと祈りながら。
沈黙をたっぷりと味わってから、口を開いたのはギルダの方だった。
「死んだ、んですか……?」
「――、」
もしかしたら――と、マイエルは考えている。94番はレギウスを生かしておくかもしれない。あっさりと殺してしまっているかもしれないが、しかし、レギウスを生かしておくメリットを――どういう形であれ――見つけてしまう可能性も十分にありえる。
「わからない」
レギウスの評価自体が変わっていないために、それこそまだ賢者の間では問題とされていないだろうが、ヒューマンが何らかの手段を講じてレギウスに魔法を使わせたら、第二、第三の94番が発生しかねない。
そうなれば、事はさらに厄介なものとなる。
「だが、少なくとも、メイヘムと共にヒューマンの手に落ちた」
「じゃあ、捕虜になっただけかも」
と言ったそばから顔を曇らせる。
だけなどと楽観視できるような状況でないことには変わりない。
エルフとヒューマンがお互いをどのように扱うか――ギルダのようにまだ若い者は実態を見る機会が少なく、大いに想像の余地があって、それだけ恐ろしさも膨らんでしまう。そして現実は、多くの場合、想像を軽く凌駕する。
「わからないんだ。何も、わからない」
「……一体、何が」
「うん」
「何が起こったんですか? わたし、本当はメイヘムで負けたってこと、知ってます。負けたことは隠されてないけど、すごく負けたんだ、ってことは、隠されてます。――街が変な空気になりました。わたしみたいに、あまり外に出なくてもわかります。そんなに……そんなに、ひどい有様だったんですか。わたしたちは、今までずっと勝ってきたじゃないですか。わたしたちが生まれるずっと前から、マーレタリアは勝っていて、ヒューマンになんか負けなくて、だから、そのうち戦争も終わるって、誰もがそう言っていて、だから――」
「負けるかもしれない」
「……――」
「ずっと、負けるかもしれない」
マイエルはギルダに話せる限りのことを話した。
レギウスがヒューマンを召喚したこと、闘技会が繁盛したこと、そのヒューマンが逃げ出したこと、そして、再び竜巻がやってきたこと。
レギウスが、マイエルを首都へ押し出したこと。
「そんな――」
「振り返ってみると、とても信じられないような話だが、事実だ」
「……いえ、信じます。センセイが今ここにいないのが、何よりの証拠です」
「そうだな……」
再び沈黙が舞い降りた。
「ところで、いつまでその箱を握っているんだい」
耐え切れず、マイエルはそう問いかけた。
「え? あ、ああ……なんとなく、握ったままでした」
山から抜いた箱だった。
「丁度いい重さで――何言ってるんだろう、わたし」
恥ずかしさを隠すように、ギルダは箱の蓋を開けた。
そのまま固まった。
「――ギルダ? どうかし」
「センセイだ」
「何?」
「センセイです。これ――センセイの、箱」
マイエルは、そのことを知らなかった。レギウスが、そんな箱を持っているなどと。
「どういうことなんだ。あいつがそんな箱なんて持ってたかな」
ギルダはマイエルに箱の中身を見せた。
金剛石が、あった。
今までに想像したこともなかった、見事な金剛石だった。
さらに、その下敷きになるように、何回かに折り畳まれた紙片も入っていた。
マイエルが金剛石を手に取ると、紙片の――おそらく裏面――に書かれていた文字が目に入った。
ギルダへ。
「君宛てだ」
ギルダは紙片を最大まで開いた。それが手紙であることがわかった。
一行目が口に出された。
「――、我が不肖の弟子、ギルダへ」
メイヘムへ発つ前に、これを隠しておく。どうせお前のことだから、勝手にこの部屋を片付けてくれるわけで、運が良けりゃ見つけるだろう。
大した財産も持たない俺だが、こうして研究の一区切りを目の前にしてみて、いつもお前に口うるさく言われていることを、まあ、参考にしてみてもいいだろうという気持ちになった。
もしもの時のための何か、それを用意してみようという気になったんだよ。
三つだ。
1.金剛石。正直これも使ってしまいたいが、まあ、その点もお前に倣ってみよう。楽しみは後に取っておく、だろ? 多分こいつが一番上等だ。もう一個の方で上手くいったら、こっちでもっと上手くいくってことだ。だから今回は置いていく。
2.写本。俺はそんなことなどしないとお前は思っていたかもしれないが、実はこっそりやってた。結局、あの本が無いと色々厳しいからな。さすがの俺も予備があった方がいいと思ったのさ。どこに隠してあるかわかるか? 自分の部屋をよーく調べてみな。
3.俺のメモ。これはもしかしたらお前には必要ないかもしれん。ただ、結論から言って、あの本は完全じゃなかった。俺なりに書けることは書いたつもりだ。役に立つかもしれないが、全く役に立たんかもしれん。鍵のついた引き出しに入ってる。鍵は壊せ。
ああやだやだ、こんなもんを書いたら、なんだか却って危険に突っ込んでいくような気がしないか? だがまあ、もう書き終わっちまう。一度書いたもんを破棄するのはもったいねえ。紙も、インクも、時間も、疲れも。
いいか、ギルダ。これはあくまで俺の奥の奥の奥の手であって、だから俺のもんだ。
絶対ガメるんじゃねーぞ。すぐにわかるんだからな。
俺がダメになったら使え。
レギウス・ステラングレ
読み終えたギルダは弾かれたように立ち上がった。
そして、猛烈に部屋の中のあらゆるものを運び始めた。
呆然となったマイエルが見守っていると、彼女は言い放った。
「見てないで手伝ってください!」
「……何を?」
邪魔になるものを外の廊下へ運び出す数時間が続いた。
久々の肉体労働で、マイエルの筋肉はすぐに悲鳴を上げ始めた。
ギルダはよりか弱いはずだが、マイエルの何倍も働き、それを全く苦にしていないようだった。休憩もなしで、何かに取り憑かれたように作業を続けた。
「センセイはわたしに理屈だけを教えてきました。どんなに規模が小さなものでもいいから実践させてくれと言っても、危険だ、の一点張りで、わたしに宝石を触れさせようともしませんでした。センセイのことだから、きっと、手柄を取られるのが嫌だったんでしょうね。そんなセンセイが、使え、と書いたんです。だから、使います」
「今すぐに?」
「そうです」
作業は難航し、床に十分なスペースを確保する頃には日が暮れていた。
蝋燭の明かりに照らされる中、ギルダは金剛石を溶かしながら、レギウスに負けず劣らず完成度の高められた円環を描いた。
「わたしは別にそれでもよかったんです。今じゃないし、すぐにでもないけど、いつかは許可が出るとわかっていたから。本当はこんな形で、やりたくない」
式が綴られる。
ここで条件を付けて召喚する対象を絞り込むのだと、マイエルは教えられて知っていた。ギルダは少しだけ考えて、こう決めた。
「――何でもいい。センセイが戻ってくるなら。その足掛かりになるなら。そうでしょう? マイエルさん」
その時にはもう、マイエルの心も決まっていた。
「やろう、ギルダ。これが成功しようがしまいが、レギウスを取り戻すために動く。どういう形であれ、あそこへ置いていったままにしてはいけない」
ギルダは頷き、そして、魔法を、起動した。
94番より、いくらか年下と思われるヒューマンだった。
似たような服を着ていたが、あれに比べると少し洗練されていないように感じる。
その少年は、マイエル達を見るなり、こう言い放った。
「――こんな完成度の高いコスプレ、初めて見た」




