4-8 何が好きかで自分を語ると
部屋の中へ入るように促すと、ジュンはおずおずと進み出て、俺が椅子に座るよう言っても、すぐにはそうしようとしなかった。
俺は彼女が落ち着くまでじっくりと待ち、それから切り出した。
「お嬢様――何故ここへ呼ばれたか、わかりますね」
あの場から去る時、俺はここへ来るようジュンに耳打ちした。
明日へ回す気はなかった。むしろ、姫様が動けないであろう今のうちにはっきりさせておくべきだと感じていた。
「あの、わたし……」
彼女は答えに迷っているようだった。
「わかりませんか。少し、お嬢様について知りたいことが出てきたのですよ。そのためにこうしてご足労願ったのです。わざわざ、こんな夜更けに」
後処理と事情聴取に時間がかかることは予想できた。
彼女達解放された時にはとっくに寝る時間だ。事実、俺はそこまで待っていた。
だが、そこを押して頼んだ。困るのは、明日以降この騒動が無かったことになって――それに付随する何やかやも一緒に無くなってしまうことだ。姫様が今回のことをどう受け止めたのかまだわからないが、面倒なので闇に葬ってしまうことも十分考えられた。
ジュンは言った。
「……出過ぎたことをしたと思っています。冷静に考えたら、姫様は自分で対処できていたはずですよね。わたしになんとかできる相手なら、魔法なんて使わなくても――。わたしはまだ何もできない侍女のふりをしているべきでしたし、それは事実で……とにかく、大勢の人の前で魔法を見せるべきじゃなかったんですよね? すみませんでした」
俺は口調を変えた。
「そうじゃない」
ジュンは目を伏せ、さらに言葉を続けようとしたが、やめた。
「そこまで考えていてくれたのは、正直言って嬉しい。頭を使え、ってほどの話じゃないが、何かにつけて企むのが姫様の方針だから。確かに君の素性はまだ謎のままでもいいし、あの方もそのつもりでいただろう。でも、それとこれとは全然関係がない」
「すみません、すみません」
「別に怒っているわけじゃない。責めているのとも違う。でも、疑いがある。誤解だったら跪いて謝ろう。でも、俺は君が何か隠し事をしているんじゃないかと思ったんだ――そのままにしておくとまずい隠し事を」
おそらくは、彼女自身も、もう何を聞かれるかわかっているのだろう。
「失礼ながら、俺は君のことを昔は人畜無害な女子高生だと思っていたんだ。同年代の娘達よりほんのちょっと背が高いだけの、言ってしまえば平凡な女子高生だと……。ここに来るまでは塞ぎ込んでいたかもしれないが、決して元から問題のあるようなタイプではないとね……そういうふうに見えたし、本当に、君があの賊を殺すまでは素直にそう思い込んだままだった。でも少し気になったんだよ――俺の見間違えである可能性も大いにあるが……その、なんだ、あの時、何かとてもいいことがあったような表情をしていたものだから、気になってね」
ジュンは俺に目を合わせ、そして、閉じた。
理性ある反応ではあった。しくじった末に知られたくないことを知られていた、しかし、それがわかった瞬間どこかで諦めた、そんな反応だった。
ただ、開き直るほどの神経は持ち合わせてはいないらしかった。
ジュンは苦悶の表情を浮かべ、頭に手を当てて何かを考え始めた。もしくは、何かに決心をつけようとした。俺はそれが整うのを待った。核心に触れたことによって彼女が豹変しないかと身構えていた部分もあったが、杞憂に終わりそうだった。
やがて、ジュンは再び俺に目を合わせて、こう言った。
「猫までは、殺したことがあります。自分から、です」
その告白があまりに典型的すぎて、俺は逆に騙されているんじゃないかという錯覚に陥った。元から人殺しを志そうなんて奴は、大抵その予行演習を行っているものだ――そうして十分な経験値を得ると、標的を人間へと移すのだ。あるいはこういう場合もあるかもしれない。マンネリ対策を続けているうちに、人間へと辿り着いてしまう。
ジュンは言葉を続けた。
「蟻を踏み潰すのが人より好きでした。途中から、分解するのが。小さいから難しいんです。大雑把にやると、結局指で潰してしまうから。秋は蜻蛉が出てくるので好きな季節でした。簡単に捕まえられるし、どこを取ったらいいか、とてもわかりやすくて――機能的、っていうのとは違いますけど、あの薄くて線の引かれたきれいな翅は、もちろん飛ぶためのものでありながら、取るためにあるような感じがするんです。今でもそう思っています。その時好きだった男の子に、当たり前ですけど色々と言われて、わたしはそれがいけないことか、そうでなくても受け入れてもらえないことだと知りました。やめられませんでした。田舎のお婆ちゃん家から、車でよく自然のあるところに連れて行ってもらいました。山の方の公園はお気に入りでした。小さな川が流れていて、夏休みは決まってそこに小さな蛙がいたんです。誰も見ていない時に、捕まえて――よく、爆竹やストローなんて話、聞くじゃないですか。わたしはどっちもダサいと思っていました。大人がわたしを見守るのに飽きて、向こうのベンチに行ってしまうまで、わたしはずっと石ころを探しているんです。自分だけにしかわからない魅力を持った石を探すふりをしながら、実際には尖った石を探していたんです。それを蛙に使うんです。そんな調子で、猫まではやれました。次をどうするか、悩んでいたところでした。犬か、それとも一足跳びに、人間か。犬だと、相当小さな種類を選ばないと多分負けてしまうと思って、でも、小さな野良犬なんか想像できないし、いないと思います。生き残れませんから。捨て犬だって、漫画で見るほどには転がってません。じゃあ人間を、と思っても、さすがにわたしみたいな馬鹿でもそれがどういうことになるかわかります。本当は殺してもいい生き物なんていないんです。それはわかってます。でも、給食にもお肉や魚は出てくるんです。同じ犬と猫でも、保健所に送られた方は死にます。だから、殺してもいい生き物と殺してはいけない生き物に分かれているんです。基本的に、人間は殺してはいけないことになっています。隠れて殺しても、その人がどこかに行っちゃったってわかったら、みんな捜すから、わかってしまいます。お母さんもお父さんも、わたしが蟻を踏んでいたのは昔のことだと思っています。悲しませたくなかった。だから、やりませんでした。いけないことだから。いけないことだと、わかっていたからです。でも――そう、それがいけないことではなくなったとしても、わたしは変わらずそうすることが好きで、憧れ続けていたと思います」
注意深く、擬態してきたのだ。彼女なりに。
もしかすると俺達は、そして遍く先人達は、何よりもその力を試されてきたのかもしれない。逸脱していないこと、それを証明する力を。
幸いにも俺はほとんど変わった人間ではなかった。大学卒業前にボロが出るまで、普通の人間だと思われてきたし、自分もそのつもりでいた。
だが、ジュンは――自分の嗜好を隠すために、俺の想像もつかないような努力を重ねてきたのではあるまいか。明確に周囲と異なっている、それを自覚しながら、しかし周囲に溶け込まなければならないとしたら、一体どれだけの心配事が増えるのだろう?
「こんなこと言うと笑われるかもしれないですけど、自殺しようとしたのも、人間を一人も殺さないで死ぬのは嫌だったからです。だったら、せめて自分くらいは殺したいと思ったんです。――それも結局は、うまくいきませんでしたが」
ジュンの持つそうした異物感が、集団に気付かれてしまったのかもしれなかった。
それが無意識的なものであったにしろ――気付かれてしまった。
敢えて言おうとするならば、だからジュンは負けたのだ。
「戦争をするとわかって、わたしはワクワクしました。殺されるかもしれないけど、でも、殺せるかもしれない。戦争に行っていいなら、何でもしようと思いました。魔法もあるし、強くなれば、それだけ殺せます。日本ではどれだけがんばっても殺すことが認められることはないけれど、この世界ならやってもいいのかもしれないって、そう思いました」
――俺は肯定するべきだ。事実なのだから。
戦時下で、むしろ推奨されていることなのだ、殺しは。
俺達がいた環境に比べれば、びっくりするほどそうしていい。
共感を見せるべきだ。同意するべきだ。
俺自身、エルフを山盛りで殺したのだから。
理屈では、そう思うのだが。
「わたし、笑っていたんですね。自分でも気付かないまま。でもそれも、当たり前のことだったのかもしれません。やっと掴んだチャンスでしたから」
いわゆるシリアルキラーは、家庭環境に問題を抱えているケースが多い。おそらくはジュンのいた家庭も、一時的にか慢性的にか、何らかの機能不全に陥っていたのだろう。理由なくこの傾向が発生するとは思えなかった。いつかはそれを彼女自身の口から聞くことになるのかもしれないが、今はただ殺生論を拝聴するしかない。
「この人は殺していい人なんだ――そう思った時、どう喩えたらいいか……やっと鍵を差し込んだ気がしたんです。それで、魔法の扉を開いたような、そんな気が……。今までで一番、わたし、上手く魔法が使えたと思うんです。きっと、もっと上手く使えるようになります――誰かを殺すためになら、いくらでも、上手く」
ここまで話を聞いたら、頷かざるをえない。
俺がエルフに対して魔法を使うと強力になるように、おそらく、ジュンは殺しを伴う時に強力な魔法を放てるのだろう。
「この世界では殺してもいいんですよね? エルフだけでも構いません。戦争なら敵を殺すものですよね? わたし、何でも殺します。選り好みしたりなんかしません、どんなに可愛い子供でも、寝たきりのお爺さんでも殺します。だから、わたしに殺していいと言ってください。どうか、そうだと言ってください。お願いします」
なるほど、と俺は思った。
条件付けは正しかった。こいつはとんでもないろくでなしだ。
俺とは方向性が違うが、あの社会で受け入れる枠が無いのは変わりない。
「――そうだ。この世界では殺してもいい」
ようやく、俺はその言葉を絞り出した。
ジュンは必死だった。その姿にある種の哀れみを覚えたからかもしれないし、どこか自分に重なりそうな部分を見出したからかもしれない。
死んだ先でも自分の望みが通らないというのは、あまりに自分勝手で保証がないにも関わらず、結構堪えることだ。俺にはそれがよくわかっていた。
「ただし、殺す相手は姫様が決める。そこから外れて好き勝手にやれば、君はまた不本意な死を体験することになる。さらに次があるとまでは、俺は思わない。そこはよく肝に銘じておくこと」
本当にこれでいいのかはわからない。
ジュンはまだ若い、やり直せる目があるようにも思える。だが、俺にも、おそらく姫様にも、彼女を育てることはできない。教えることはできても、決して育てることはできないのだ。もう既に、ジュンはこのように育ってしまっている。胸の内を吐露してしまったから、この先どんどん性根も見せてくるだろう。
少なくとも俺は、それを曲げられる自信がない。
できるのは、スムーズに彼女の欲求が発散できる場を用意することだけだろう。
今のように笑みを浮かべてくれるなら、それに越したことはあるまい。
賊には名前があった。
ディーン皇国軍所属の、ウメザワ大尉である。
そのウメザワ大尉がディーンではそれなりの地位にある人物の子飼いの部下で、つまりスキャンダルなのだが、とりあえずそのお偉いさんには反逆の意志がないらしく、スキャンダルでも個人の暴走に留まっている。微妙なラインである。
切腹など催すのかと思いきやそんなことはなく、先方はなんと謝罪を兼ねて、姫様をディーン本土の領地にお招きしたいと言い出した。観光のお誘いである。
「それ罠でしょ」
と俺は言った。
「余もそう考えておる」
と王様は言った。
人払いされた謁見の間には、もちろん姫様と、そしてジュンもいた。
作戦会議である。ジュンはただいるだけだが。
「ただ、ここであっさり断ってしまうと、さらに向こうとの関係が悪くなりかねない。断るにしても何らかの代替案が必要ね」
ちなみに、ウメザワ大尉の言い分は、このままセーラムの放蕩娘に軍の主導権が移ったら、部下が無駄に殺される、許すまじ、らしい。
これは極端な例だろうが、似たような考えを抱いている人物も少なくないだろう。あまり強硬な態度に出ると、いやな連鎖反応が起こる可能性はある。この申し出に対してどういう対応を取るか、こちらの方が試されていると言ってもいいかもしれない。
「だが、実際にディーンへ出かけるなどあまりに危険だ。許すことはできぬ」
「ええ、でも、せっかくだし行ってみようと思うのよ」
王様は、ああまた始まった、とでも言いたげに顔をしかめた。
「大丈夫、護衛は付けます」
と言って、姫様はジュンを見た。ジュンは驚いたように自分を指差した。
「いや、でも、わたしはまだ未熟ですし……」
「最低限、壁にはなるでしょう? 私さえ生きていれば怪我は戻せるわ」
「それはまあ、そうですが」
嫌がる素振りも見せずにジュンはそう言う。俺はぼやいた。
「ったく、内ゲバとかやってる場合じゃないでしょうに……」
「内ゲバ?」
内部ゲバルトを全部説明するのは非常に骨が折れるだろうことに気付く。
それに何より、恥ずかしい。
俺は誤魔化すことにした。
「いや、何でもないです。私がいた国の俗語ですよ」
「そうなの。――まあ、一度フブキ達をあそこへ連れて行けないかと考えていたのよ。住んでいた国とどこまで似ているのか、確かめるのは無駄にはならないと思うわ」
「そこまでの得にもならないと思うがな……」
「それと、余っている金剛石があるかどうかも調べたいところね」
「――ちょっと姫様、強請る気ですか?」
「無いならいいのよ。でも、今回こうして迷惑を被ったわけだから、質はどうあれ一つや二つ貰い受けても、文句を言われる筋合いではないわ」
「それは、確かにそうかもしれませんが、手に入れてそのまま墓の中へ、では……」
まだ本当にウメザワ氏単独犯と断定出来るような状況でもない。
むしろ、ウメザワ氏を捨て駒に、準備万端の自領地へおびき寄せられていると考えた方がよほど自然に思える。
「行ってみて実際に命を狙われるなら、それも好都合だわ。敵対勢力がはっきりするならそれに越したことはないし、場合によっては、それも秘匿してさらにこちらが有利な話を持ちかける機会が得られるかも」
「そう上手くいきますかね」
「思ったより乗り気ではないのね。折角一勝負終わったのだから、休暇のようなものがあなたにあってもいいと思ったのだけれど。かつて住んでいた国に似た土地なら、羽も伸ばしやすいのではないかしら?」
「お心遣い痛み入ります。しかし、あなたがいなくなっちゃあ何にもなりませんよ」
姫様は首を傾げた。
「あなたがそこまで言うのなら、他の手を考えないでもないわね。でも残念だわ、かの地では至るところから湯が湧き出ていて、旅人はそれに浸かって疲れを癒すのだと聞いていたのだけれど。ねえジュン、あなた、入ってみたいと思わない?」
ジュンはこちらを見た。俺と顔を見合わせる形になった。
「――姫様、その話、もう少し詳しく」




